第四十六話『割高ですか? いいえ、技術料です!』
「え、ルナを知っているんですか!?」
試合が終わったばかりだと言うのに、ワシは思わず大声を上げていた。
「まぁ、知らない仲でもないよ」
癖のついた前髪をいじりながら、少し気怠げな様子で金城彩が言った。
「え、詳しく聴かせてもらっても?」
「え、あぁー……」
金城彩のその口調からは露骨に面倒臭さが滲み出でいた。
二人の微妙な空気を察したのか、涼香が駆け足でこちらへと向かってくる。
「別に減る物でもないし、良いじゃない」
柔らかい声音で涼香が言った。
「時間は減るよ」
感情の読めない声音で金城彩は淡々と言う。
「まぁまぁ、可愛い後輩の頼みでしょ?」
「彼女は山王じゃないし」
「まー、女子卓球界の後輩ってことで」
「定義広過ぎ……」
呆れた様子で金城彩が呟く。
「いいじゃないの。レイナ、部活の後、空いてる?」
「はい、空いてます!!」
「じゃあ、この後、ワック集合ね!」
「ちょっと、勝手に決めないでよ……」
「良いじゃん、ポテト奢るからさ」
涼香がポテトにウィンクをつけて提案する。
「私のこと、応援しなかった癖に……」
少しふてくされた様子で金城彩が呟いた。
「ごめんって、レイナは昔から知ってる子だったから、ついね」
「何それ、涼香は今のチームメイトよりも、昔の女が大事なの?」
「そういうことじゃないけどさ、もう、大人げないこと言わないでよ〜」
わざとらしい困り顔を浮かべた涼香がからかうようにそう言った。
「Lだからね」
「はいはい、ポテトLね」
子どもをあやす母親のように、涼香の声音は優しさに溢れていた。
「えっと、ワックって、どこの店舗に行けば良いですか?」
土地勘の無い場所なのじゃから、店舗名くらいは聞いておかねば。
「田舎なめたらダメだよ? ワックって言ったらここら辺には一店舗しかないからね」
涼香がおどけた口調で言う。
「あっ、そうなんですね。えっと、じゃあ、父に確認してから行きます!」
「あー、でも特に解散する理由もないし、お父さんに確認とれたら、みんなで一緒に行こうか」
「はい!」
こうしてワシの人生初のワクドナルド体験が、今はじまる!!
* * *
トゥルルッ、トゥルルッ、トゥルルッ、トゥルルッ。
店内に鳴り響くのは謎の小気味良い音楽。
「涼香先輩、これ、何の音ですか?」
定期的に鳴り響くトゥルルッが、ワシの意識を惹きつけていた。
「あぁ、これはね、ポテトが揚げ終わったのを知らせる音らしいよ?」
「ほぅ……」
流石は業界最大手のチェーン店。こんな所にも工夫がされておるとは。
「ほぅって何よ」
チーズバーガー片手に金城彩が訝しげな視線でこちらを見ている。
しまった……。この謎の音楽に気を取られ、ついつい素の口調に戻っておった。
「えっと、私、ワクドナルド初めてなんですよ〜」
多少強引なプレーじゃが、ここは話題を変えよう。
「えー、流石はアスリート一家だね。水咲選手の方針なの?」
涼香が興味津々の様子で尋ねてきた。
「うーん、どうなんでしょう。大会で神戸に行った時は、ご当地バーガーとかは食べましたけど」
確かに、普段はあまりファーストフードの類は食べていないかも知れない。
「そっか、出来るだけ食べないようにはしてるのかもね。あっ、もう敬語は良いよ。学校じゃないから監督の目も無いしね」
片目をつむり軽い調子で涼香が言った。
「十日も練習してたから敬語が抜けなくて、ありがと涼香」
そんなワシら二人のやりとりを見ていた金城彩が少し不満気な顔で口を開く。
「二人はどういう関係なの?」
「えーとね、初めて会ったのは、全日本バンビの部での試合かな。あの時の私は、レイナに勝つことだけに固執していて、今みたいに、卓球を楽しむ事が出来ていなかったの。でもね、試合の後に、水咲純選手の言葉で救われたの。だから私にとって、水咲選手とレイナは大切な恩人なのよ」
「涼香……」
彼女の素直な言葉を聞いて、瞳に熱いものを感じる。
「その大会の後も、レイナの活躍は耳に入ってきていたし、ひっそりと応援を続けていたから、卓球の神様が引き合わせてくれたのかも」
「ひっく……」
涼香の健気な言葉に年寄りの涙腺は崩壊していた。
「もう、なんで泣くのよ」
涼香はそう言って笑いながらハンカチをくれる。
「ありがと」
涙を拭い、ダブルチーズバーガーを口にする。
「うっま!!」
え、うんま!?
「こわ、切り替えはっや、感情の回路どうなってんの……」
金城彩がかなり引いた様子でこちらを見ている。
「いや、だって、これ、とんでもなくうんまいですよ?」
きっと、ママンが口にすれば、とぅーてぇもおいつぃーどぅえーーす!! と叫ぶことだろう。
「流石はチーズバーガー二個の値段より高いだけあるよね。きっと、作り手の技術がこもっているのよ」
涼香がワックの代弁者かのように語る。
「私ならチーズバーガー二個買うけどね」
金城彩は興味がなさそうな目でそう言って、二つ目のチーズバーガーの包みを開く。
「彩は本当に合理主義よね。ドイツのお国柄なの?」
からかうように涼香が言った。
「え、金城さん、ドイツ育ちなんですか?」
「親の仕事の関係で数年間あっちで暮らしていただけ」
「かっこいい!」
「別に大したことじゃない。それより、塔月ルナの話を聞きたかったんじゃないの?」
「あっ、そう、そうです! 先輩はルナとどういう関係なんですか!?」
あぶないあぶない、これを聞く為に来たのじゃった。恐るべしダブルチーズバーガーの魅力。
「塔月ルナはドイツにいた時のチームメイト。彼女も親の仕事の都合でドイツに来ていて、同じ日本人同士、多少は話もしたってくらい」
「ルナがドイツに……」
何故、ワシに一言も無しに行ってしまったのじゃろうか。
「あの子、来年からは最年少でブンデスリーガに挑戦するって」
「凄い……」
ブンデスリーガと言えば、卓球王国中国に並ぶ、超一流の卓球リーグだ。
「あの、ルナは私のこと、何か言っていましたか?」
もう、ワシのことなど、忘れてしまったのじゃろうか……。
「日本に約束した人がいるから、その人に負けないよう強くなって、また必ず、大舞台で試合をする。そんなことを言っていたかもね」
「ルナ……」
ワシとの約束、覚えていてくれたのか。こりゃあワシも、負けてはおれぬ。
決意とともに、ダブルチーズバーガーの最後の一口を放り込む。
勢いよく立ち上がり、ワシは深々と頭を下げた。
「色々とありがとうございました、金城先輩」
この合宿の十日間、ワシがここまで自身のレベルを引き上げられたのも、初日のあの試合があったからこそじゃ。この人には頭が上がらない。
「私、あなたの先輩じゃないから。それに、この世界は実力主義。だから、次私が勝つまで、敬語は要らない」
それは彼女という人間の信念なのか、その言葉を口にした金城彩の瞳には一切の迷いが無かった。
「え、そう? 分かった! これからもよろしくね、彩!!」
「こわ、切り替えはっや、感情の回路どうなってんの……。自分で言っといてなんだけど、普通、少しは躊躇うよね」
相変わらず、かなり引いた様子ではあるが、元先輩はそう言いながらも、最後の方は苦笑混じりの小さな笑い声を上げていた。
勝って兜の緒を締めよ、とはよく言うが、現実は案外締まらないもので、こうしてワシの、長いようで短い十日間の青森合宿は幕を閉じたのであった。