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第四十五話『天井ですか? いいえ、次のステージです!』

 合宿最終日。


 実に濃密な十日間だった。新たな武器を手に、自らの卓球を基礎(フォーム)から作り変えた。


 今日はその答え合わせを行う日だ。


 目の前には、長身茶髪のショーカットの女の子が一人。気怠げな様子で少し癖のついた髪を手でとかしながらも、その少女には一切の油断がない。ゆっくりと首を回しながらも、彼女の視線は抜け目なくワシの様子を伺っている。


「一セットだけど、よろしく」


 ハスキーよりの少し低い声音で、金城(かねしろ)彩は淡々と言う。


 合宿最終日、練習の成果を確認する為、監督が金城彩との再戦の場を設けてくれたのだ。


 練習量の兼ね合いや、彼女のコンディション調整もあるのだろう、試合は一セット先取の短いもので行われる。


「はい、よろしくお願いします!」


 貴重な時間を割いて貰うのだから、この前のような無様な姿はさらせない。


「サーブ権はあげる」


 一見、慢心とも思える台詞だが、その言葉とは裏腹に、彼女の視線は終始、ワシの様子を観察しておる。


 感情の読めないその視線が先日の敗北をじわりじわりと思い出させる。


 ゆっくりと嫌な汗が背を伝う。公式戦でもないのに、妙な緊張感が身体を強張らせる。アップは済ませたはずなのに、身体が冷えているように思える。


 今までも大きな舞台で、幾度となくプレッシャーを押し退けて来たはずだが、緊張とは必ずしも舞台の大きさに比例するものではない。


 嫌な緊張感が視野を狭めているのが分かる。


 そんな緊張の鎖を断ち切ったのは一人の少女の声援だった。


「レイナ! 練習は絶対に人を裏切らない! だから自分を信じて!!」


 鼓動の音が大きくなり、他の音が遠ざかっていく感覚の中、少女の叫び声が暗くなった世界に光を取り戻させる。


 体育館中に響く一人の声援に、心と身体がほぐれていく。


 ありがとう、涼香。


 心の中でそう呟き、ラケットを握る手に力を込める。


「集中」


 何千、何万回と口にしてきた言葉を紡ぐ。


 フリーハンドの右手で天高くボールを上げる。


 以前よりも小さなフォームで、しかし動きはより鋭く、第一球目は全力のロングサーブを放つ。


 放たれたボールは深く鋭く、敵陣地を抉るように突き進む。


「くっ」


 先程までの気怠げな表情は消え、アスリートの鋭い顔付きになった金城彩が、鋭い打球に体勢を崩しつつもコンパクトなフォームで返球する。それをワシが更に加速させたボールで返す。


 鋭い打球音が急ピッチで鳴り続ける。


 一本目とは思えない、超スピードのラリーが続く。最適化されたコンパクトなフォームが、人間の反応速度を次のステージへと押し上げる。


 これが高速化された現代卓球の戦い。


 ラリーのテンポは上がり、次の準備(プレー)への時間が加速度的に少なくなる。


 無駄を極限まで削ぎ落とし、その中で、相手に生まれた僅かな隙を狙う。脳内での駆け引きと、身体の微細な動きへの注意。それらを並行処理しながら、スピード、コントロール、駆け引き、その全てを瞬間的に支配しなければならない。


 目の前の少女はそれを本能的に理解しておる。


 気怠げに見えるその瞳の奥は、対戦相手の一挙手一投足を観察し、それらの情報を瞬間的に処理し、身体へとフィードバックしている。


 必要最低限の動きで、最大の効果を発揮する彼女の卓球はまさに、現代卓球を象徴するスタイルじゃ。


 ラリーのピッチと心拍数が上がる。


 思考が加速し、互いに一瞬の隙を探り合う。


 針の穴を通すような繊細さで、台の角へとボールを打ち込む。視線によるフェイントが効いたのか、相手の体勢が崩れ、ワシの放った白球が、金城彩のラケットに触れる事なく、軽快な音を響かせ通過した。



 水咲 1-0 金城


 スコアボードの捲られる音が先制点を勝ち得たことを知らせる。


「よし」


 ワシは短くそう呟く。


 これならば、戦える。そんな確信と共に、二本目のサーブを上げる。

 手首の返しを利用した、回転の読み難いサーブを繰り出す。


 目の前の少女は、ワシの一連の動作全てを凝視しており、自身のコートにサーブが着弾する僅か一瞬の間に、サーブの回転を読み切り、万全の体勢でレシーブを放つ。


 コンパクトかつ鋭いバックハンドから放たれたドライブは、小さな白球に膨大な回転を内包させ、真っ青な台上を駆け抜ける。


 ワシのバック側を強襲したその打球は、文句のつけようがない程に完璧なコースじゃった。が、しかし、ワシにとってそこは、すでに絶好球(フォアハンド)


「うっおりゃ!」


 左手から右手へと素早くラケットを持ち替えて全力のフルドライブを放つ。


 ワシの放ったカウンター気味の打球へと、素早く飛びつく金城彩。しかし、ラケットの端をかすっただけのボールはあらぬ方向へと飛んで行った。


 水咲 2-0 金城


 スコアボードが再び捲られる。


「ちっ、厄介……」


 苦悶の表情を浮かべながら、目の前の少女が小さく呟いた。


 それは彼女が、初めてワシに敵意を向けた瞬間だった。


 つまり、彼女がようやくワシを倒すべき相手として認識したということ。ここに来て、ようやくワシは、彼女と同じ土俵に立ったのじゃ。


 金城彩は深く息を吸い、鋭くそれを吐き出した。それを合図にトスが上がる。


 無駄のないフォームから繰り出されるのは、勢いのあるロングサーブ。


 相手の選択肢を奪うそれは、得意の展開へと持ち込む為の布石じゃろう。分かってはおるが……。


 ワシも精一杯のレシーブを放つが、それは相手の狙い通り。


 ラリーの速度は加速していき、台に貼り付くような前陣での急ピッチの戦いが始まる。


 高速ラリーが続き、互いに一歩も引かぬ打ち合いが続くが、ここに来て僅かな差が、ラリーの勝敗を分けた。


 水咲 2-1 金城


「よし」


 長いラリーを制した金城彩が小さなガッツポーズとともに呟く。


「ほぅ、あの金城がガッツポーズを取るとは珍しいな」


 防球フェンスの後ろで試合を見ていた監督が呟くように言った。


 いや、それにしても、見事な前陣速攻じゃ。現代卓球特有の急ピッチな戦い方に関しては、むこうに一日の長があると言わざるを得ない。


 気を引き締め直し、前傾姿勢で構え直す。


 そこから先はシーソーゲームだった。


 プラスチックの白球が人の反射速度を超えたレベルで行き交い、交互に得点が重なっていく。


 一セットマッチとは思えない程の疲労感が身体を襲い、互いに息が荒くなってきているのが分かる。


 接戦による神経の摩耗は激しく、そんな中、スコアボードは無情にも金城彩のマッチポイントを示していた。

 

 水咲 9-10 金城


 次取られれば負ける……。


 弱気な思考が頭の中を過ぎる。温まっていた身体が強張り始めるのが分かる。


「レイナ! 下を向くな!!」


 俯きかけていたワシの顔を上げたのは、またも、涼香の力強い言葉だった。


 フェンスの後ろから声援をくれた涼香と目が合う。


 こんな時だというのに、ふと、あの試合が頭の中で再生された。涼香の粘り強いロビングに苦しめられた、あの試合を……。


「そうか」


 その手があった。


 一筋の可能性じゃが、試す価値はある。


 ならば……。


 ワシのそんな覚悟と同時に、金城彩がサーブを繰り出す。それは、自身の得意な展開へと持ち込む為の高速ロングサーブ。


 ワシはそれを天高く上げた。


「は!?」


 それは目の前の少女には似つかわしくない素っ頓狂な叫び。


 しかし、そんな事で彼女はフォームを崩さない。動揺はあれど、天高く上がったボールを正確に叩き付ける。


 強烈なスマッシュを、ワシは再び天高く上げた。


 ロビングと呼ばれるその技術は、相手の猛攻を凌ぐ為に用いられる守りの技術だが、しかし、ワシの狙いはそこではない。


 今までの急テンポのラリーから一転、球が宙に浮く時間によって、ラリーのテンポが急激に落ちる。


 その間にワシは徐々に後陣へと下がる。


 スマッシュとロビングによるラリーが何本も続く。


 忘れていた、得意を押し付けることもまた、勝利には欠かせない戦術。


 ワシはあまりにも現代卓球への順応を意識し過ぎていたようじゃ。


 相手が前陣速攻で戦うからと言って、それに乗ってやる義務はないのじゃ。


 ジリジリと後陣へと下がり、その時を待つ。


 連続スマッシュで相手の息が上がってきた。


 さぁ、今が僅かな勝機。


 台上から遥か後ろに下がったワシは、渾身の一振りを繰り出す。


 それは後陣へと下がったことによる、時間の猶予が生み出したフルスイング。


 完璧な手応えが脳を刺激し、渾身の一撃が相手コートで弾ける。


 水咲 10-10 金城


 得点は並び、試合はデュースへともつれ込む。


 ここからは、相手と二点差をつけた方が勝利となる。


 ワシはこの時、すでに実感していた。新たな武器がワシのプレーを押し上げ、近くに感じていた天井を突き破った感覚を。そしてこの試合の勝利を。


 ラケットが身体の一部となり、打球音以外の全ての音は消え、視界はボールと相手の姿にのみフォーカスされた。


 極限の集中状態。


 それが切れたと気づいた時には既に、ワシはこの試合に勝利していた。


 そして、握手を交わした金城彩が悔しそうな表情を浮かべながら一言。


「流石は、塔月ルナが認める逸材ね」と。

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