第四十三話『緊張ですか? いいえ、ハイテンションです!』
プラスチック製のカゴに山のように積まれたボールを正確無比なコントロールで出し続ける監督。ここまで正確な球出しは前世の記憶を辿っても見た事がない。
多球練習と呼ばれるそれは、卓球王国中国でも盛んに行われている練習方法の一つじゃ。大量のボールを使用して連続的に球出しを行い、選手がそれを次々に打球するといった内容だ。後ろに防球ネットを設置することによって、より多くの球を打つのと同時に、球拾いの時間を省略する事が出来るとても効率的な練習方法である。
しかし、そのオーソドックスな練習方法も、球出し側の技量によっては、地獄のハードトレーニングに化ける。
左右の角に正確に出される球に全力のフットワークで必死に食らいつく。
計算しつくされたその球出しは、ワシの限界ギリギリを引き出す為のスピードで行われている。
練習開始から僅か十数分で、額からは滝のように汗が流れていた。
「やはり、オーバーミスが多いな」
球出しの速度を緩めることなく監督が呟く。
その指摘はもっともで、ワシ自身も痛感していた事だ。新たなラケットとラバーが、明らかに以前のものよりも弾みが良く、勢い余った打球が、相手コートでバウンドすることなく、オーバーミスになってしまっている。
その後も数分間練習が続き、カゴの中のボールがなくなったタイミングで、監督はラケットを置いた。
「どうだ、新たなラケットの使い心地は?」
「はい、グリップや重さにはまったく違和感が無いのですが、弾みが強く、制御が難しいです」
ワシはありのままに心の内を話す。
「そうだな、その白龍SCには、ラケットの中に特殊なカーボンが織り込まれている。以前のラケットを意識して作られたとは言え、高反発な分、球離れもはやく、ボールの軌道も直線的になり、回転やコントロールを意識するには、スイング速度を高める必要がある」
「スイング速度ですか」
「あぁ、道具ごとに適したスイング速度とフォームがあるからな。高反発なラケットやラバーは、球の威力を大幅に増大させてくれるが、その分、ボールがラケットと接する時間が短くなるんだよ。つまり、回転をかける為の時間や、コントロールする為の時間も縮まるという事だ」
「なるほど、つまり、その為にスイング速度を上げ、短い接触時間でボールをコントロールするわけですね」
優れた道具には優れた技量が付き物だ。
「そうだな。それに加えて今回はラバーも同時に新調したんだ。生半可な練習量では済まないぞ」
「はい!」
新たなラバーの名はスレイヤーV2。ワシが愛用していたスレイヤーシリーズの次世代モデルだ。
それは、テンション系ラバーという種類に分類されるラバーで、ラバーの分子にテンション、つまり、張り詰めた状態を常に与えたもので、ラバーシートが引っ張られた状態を維持する事により、高い反発力と摩擦力を実現した、現代卓球においてトップ選手達が扱う主流のラバーである。
テンション系ラバーにも数え切れない程に様々な種類が存在するが、監督はその中で、ワシが以前まで愛用していたラバーの次世代モデルを選んでくれたのだろう。厳しい言葉の中にも、こう言った心遣いがこもっているからこそ、部員達からの信頼が厚いのじゃろう。
「テンション系の中では、最高品質とまではいかないが、まずはこのくらいの弾みに慣れなければ、今後ますますスピードの上がる次世代卓球には付いていけないからな」
「はい! よろしくお願いします!!」
ラバーのテンションにも負けぬ、ワシの気合いを見せなくては。
ラバーもワシもテンションMAXで台の前に立つ。
そして再び、鬼の多球練習が再開される。
「フォームをもう少しコンパクトに、スイング速度を上げろ!」
監督の指示と大量のボールが飛び交う。
足を一切止めずに今までよりもコンパクトなフォームを目指す。それでいてスイング速度をよりはやく、より鋭く仕上げなければならない。
一つ一つの動作はさほど難しくなくとも、それら全てを同時にこなしていくことは困難に思える。しかし、今が間違いなく正念場だ。ここを打開出来なければ、その先の栄光は潰えるだろう。
「フォームはイメージに近づいてきている。だが、スイング速度は甘い!」
監督の激励が飛ぶ。
「はい!」
監督に負けじとワシも力強く叫ぶ。
「ほら、足はどうした、ペンホルダーはフットワークが命だぞ? 同時にやれなきゃ意味が無い。世界は待ってくれないぞ!」
「はい!!」
身体は疲労を訴えているが、何か限界を超えられるような、そんな予感めいた感覚がある。
疲労とは逆に、神経が研ぎ澄まされていく。
「より鋭く、より的確にとらえろ!」
自身も汗だくになりながら励まし続けてくれる監督。その期待に応えたい。その思いが、ワシの動きを更に先へと加速させる。
「よし、いいぞ、近づいてきた! 絶対に出来る!!」
監督の言葉が鼓膜を揺らし心を震わせる。
その力がワシの全身を奮い立たせ、ラケットを振るうエネルギーを生む。
次の瞬間、心地良い甲高い打球音が鳴った。
これだ! ワシがそう思った直後、監督の口も同じタイミングで自然と動いていた。
「それだ! 今の感覚を忘れるな!!」
その言葉に後押しされるかのように、続く数本も快音を響かせ、ワシの放った打球は低い弾道で台をバウンドし、防球フェンスの中でキュルキュルと音を立て、凄まじい回転量を主張していた。
いつの間にか、補充されていたボールの山も無くなっていたようで、再び監督がラケットを置いた。
「まだまだスタイルの確立とは言えないが、最後の数本は見事な球威だったぞ。道具を新調した初日にしては上出来だ。明日からも多球練習をメインに行い、ラケットとラバーが馴染んだ頃に、より実戦的なメニューへと移行する」
「はい! ありがとうございました!!」
監督からの総評が終わり、用具の片付けに取り掛かる。
まだまだ改善点は残っておるが、一筋の希望の光が見えてきた。努力の方向性さえ定まれば、後はひたすらに突き進むのみじゃ!
新たな武器を手に、頂点への道を。仰ぐ先は遠くとも、ただひたすらに前へ。