第四十一話『見せしめですか? いいえ、飛躍の時です!』
見せしめのようなワンサイドゲームが終わり、体育館内は静寂に包まれていた。
「水咲、お前はこのままの状態で、金城に勝てると思うか?」
深閑とした重々しい空気の中、監督の言葉が静けさを破る。
「思いません……」
勝利を思い描くには、あまりに悲惨なゲーム内容だった。
「そうだな。じゃあ、お前と金城の間に、大きな実力差があると感じたか?」
「はい……」
「そうか。しかし、それは間違いだ。お前と金城に差があるとすれば、それは道具の差だ」
「え……」
流石にそれは言い過ぎだろう。あれだけのワンサイドゲームを道具の差だけで埋められるはずがない。
「それだけ聞けば乱暴な意見に聞こえるかも知れないが、要するにお前は、身体が成長したにも関わらず、ピチピチの子供服を着ている異常者ってわけだ」
「えっ、い、異常者?……」
「水咲、お前は卓球が上手すぎるんだよ」
「監督、慰めなら必要ありません」
あんな試合の直後に、そんな言葉を鵜呑みに出来るほど楽観的ではいられない。
「まぁ、話は最後まで聞け。つまりだ、お前はフットワークも良いし、小技も上手い、おまけにフォームの安定感はピカイチだ。故に、歪な現象が起きているのさ」
「歪な現象?」
「よく、考えろ。お前自身の卓球スキルは年々進化しているというのに、道具はずっと同じものを使っているなんてのは不自然なんだよ。道具も常に進化を遂げているんだぞ?」
「はい、それは、頭では分かっているのですが……」
ともに何十年も歴戦を歩んできた相棒だ。練習で擦り切れれば新しいものに貼り替えることはあっても、いつもこのバタフリー社のスレイヤーを選んでいた。ラケットにしてもそうだ。時代に逆行しているとは分かっていながら、前世で使っていた白龍を自然と手に取っていた。
「そりゃ、使い慣れた道具でずっとプレイしたい気持ちも分かる。だが、考えても見ろ。五年も十年も同じパソコンを使い続けるプログラマーはそうそういないはずだ。卓球選手も同じさ。自分にあったラケットやラバーを探しながらも、最新のテクノロジーによって生み出された道具に置いていかれないように微調整していくもんなんだ。道具に使われるのは二流だが、道具に置いていかれては話にもならない。進化とは変化の歴史でもある。それともお前は、変化を怖れ、戦う事をやめるのか?」
その問いはワシに分岐点を突きつける。
過去の栄光に縋るのか、未来の勝利を掴むのか。どちらが正しいかなんて、子どもでも分かる問いだ。
様々な思い出が頭を過ぎる。思い出の傍らにはいつも、このラケットが握られていた。
苦楽をともにした道具への感謝とともに、繭を破らなくてはならない。新たな世界はいつだって恐ろしさを含んでいる。しかしそれでも、羽ばたく為の羽根はこの先にしかないのだから。
前に進みたい。ならば、言わなければならない言葉は決まっている。
「勝ちたい……。勝ちたいです!」
それは根源的な渇望であり、純然たる願いだ。
「良い返事だ。覚悟は決まったな」
「もう迷いません」
「そうか。では、明日から新しい武器を試すからな。今日はゆっくりと休め」
「はい!」
「おっと、最後に一つ忘れるなよ。小学生の部とはいえ、この歳まで道具のアップデートもせずに数々の大会を優勝出来たのは奇跡と言って良い。だから、その才能と才能を伸ばす為の土壌を用意してくれた、お父さんとお母さんに感謝しなさい」
「はい!!」
進化の為の第一歩がここから始まるのだ。
* * *
「良い娘を持ったな、純」
来客室の中に、山田監督の声が響いた。
「はい!」
監督と正面から向き合うと、ついあの頃を思い出す。俺の返事も必然的に大きな声になってしまう。
「おいおい、来客用の部屋とはいえ、職員室もすぐ隣りなんだから、声は抑えろ」
監督はそう言いつつも、少し楽しそうに笑っている。
現在この部屋には俺と監督の二人きりだ。レイナは台の後片付けやボール拾いをやってから帰りたいと言っていたので、今頃、山王中学の部員に混じって後片付けをしている頃だろう。
「いや、しかし、私もズルいことをしてしまったな。お前の娘と試合をさせた金城彩は、実は小学生時代までは、ドイツの名門チームで育成されていた選手なんだよ。親の仕事の関係で中学からは日本に帰国し、うちで卓球をすることになったんだが」
「なるほど、通りで強いわけですね。道具の差を差し引いても、あの展開は予想外でした」
年上相手とはいえ、レイナがあそこまで一方的にやられるのは珍しい。
「純よ、何故レイナちゃんに、最新のラケットやラバーを進めなかったんだ?」
監督はそう言って訝しげな眼差しでこちらを見つめる。
「いやー、それはひとえに僕の甘さですかね。最初はフォームの安定を図る為にも道具に頼り過ぎない形を取りたかったというのもありましたが、一番大きいのは、レイナ自身が現状でも国内大会で十分戦えていたので。それに本人が今のラケットとラバーにとても愛着を持っていたこともありまして」
「なるほどな。水咲純も父親になったって事か」
「なんですかいきなり?」
「いや、娘はどうしたって可愛いものだからな」
少し照れた様子の監督が珍しく小さな声でぼそっとその一言を口にした。
「監督のところも確か娘さんでしたよね?」
「あぁ、この前結婚したいって言って、男を連れて来たよ……」
「え!? ど、どうでした?」
どうにも他人事とは思えず、大声を出してしまった……。
「どうもこうも、それが、とてつもなく良い男なんだよ……」
話の内容と監督の声音がどうにも一致していないように聞こえる。
「なんで悲しいトーンで言うんですか?」
「俺の娘をどこぞの馬の骨になんかやるかって思ってたんだけどな、あんな出来た男なら仕方ねーかって思っちまったんだよ……」
どこか遠くに意識をやっているのか、監督はただ、天井を見つめていた。
「複雑な心境ですね……」
俺にも、そんな日が来るのだろうか。レイナ……。
「純、お前、酒は飲めるのか?」
「はい、人並みには」
「そうか、今度一杯付き合えよ」
「はい! よろしくお願いします!!」
「おいおい、だから声は抑えろ」
そう口にした監督の顔には楽しそうな笑顔が浮かんでおり、その様子は自分が生徒だった頃に見ていたものとは違う一面であり、何故だかそれがとても嬉しく感じた。
俺もあの頃よりは少しだけ、大人になったと言うことなのかも知れない。