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第四十話『執着ですか? いいえ、愛着です!』

 水咲レイナとのあの試合から七年が過ぎ去っていた。一度はもうラケットを手放そうと考えたこともあった。しかし、あの日、レイナが入院した病室で水咲純さんからかけられた言葉が、私の心の奥深くに、小さな種火を残していた。


 その小さな種火は日を増すごとに強くなっていった。


『涼香ちゃんはお父さんが大好きなんだね。君のお父さんは卓球を辞めてしまったかも知れないけれどね、お父さんのプレイはまだ、涼香ちゃんの中に間違いなく生きているよ』


 あの日から七年経った今も日本チャンピオンの座に君臨し続ける彼の言葉が、私の足を卓球台の前へと向かわせた。私が卓球から逃げ出さなければ、お父さんの卓球は私の中にあり続けるから。だから今日も、私はラケットを握る。


 山王中学で過ごす卓球漬けの毎日で、何か大切なことをすっかり忘れてしまった気もするけれど、昔抱えていたような、よくわからないモヤモヤとした感覚は綺麗さっぱり消えていた。


 そうして直向きに卓球へと向き合う日々を過ごし、気がつけば私も中学二年生を迎えようとしていた。


 そんな春、彼女はまた、私の前に現れた。



 * * *


「久しぶりね、レイナ」


 監督に呼ばれ、ワシを更衣室へと案内してくれた少女が徐ろに口を開いた。

 長い黒髪を一つ結びで縛ったその少女の瞳に、どこか見覚えのある強い意志を感じた。


「え、もしかして、涼香?」


 随分と女性らしい見た目になっているが、どことなくあの頃の面影があるような……。


「えぇ、良くわかったわね」


 静かな微笑みとともに柔らかい口調で少女は言った。その声音は七年前のものとは違い、何か憑き物が落ちたかのような穏やかさだ。


「大人っぽくなっていたから、すぐには分からなかったけど、監督が桐崎って呼んでいたし、もしかしたらと思って」


 ワシの口からは思わず、素直な感想が溢れていた。


 そうかそうか、七年も経てば、あの小さな少女も立派なレディになるわけだ。まぁ、ワシの方が小さいんじゃが。


「ふふ、本当に久しぶりね。まー、私の方はテレビやら雑誌であなたの活躍を目にしていたけれどね。あっ、それと、ここでは一応、桐崎先輩って呼んでね。山王(うち)はそこら辺厳しくてさ」


「はい! 桐崎先輩!!」


「二人きりの時は涼香でいいわよ」


 照れ笑いを浮かべながら、涼香が優しい声音で言った。


 その後もいくつか談笑を重ねながら着替えを済まし、涼香とともに更衣室を後にした。


 * * *


 体育館中の視線がワシに集まっているように感じるのは、些か自意識過剰なのだろうか?


 まぁ、視線を集めること自体は別段珍しくもない。父親が日本チャンピオンに加え、母親のプラチナブロンドを引き継いでいるのだ。経歴も見た目も一般的とは言えない。否が応でも注目は集まる。


 そんな中、監督が一言。


「よし、まずはラリーからだ」


「はい!!」


 監督の指示に、ワシと涼香の声が重なった。


 軽快なリズムでラリーがはじまる。そうして徐々に身体のほぐれが取れ出した頃合いで監督が再び口を開いた。


「なるほど、よく分かった」


「え、まだ、数本ラリーをしただけですが?」


 言ってはなんだが、まだまだ実力の三分の一すら見せられてはいない。だと言うのに、監督の目には何が映っているのだろうか。


「端的に言おう。道具を変えろ。そのラケットとラバーはもう、水咲のプレーについてきていない」


 一切視線を動かさず、低い声音で監督が言った。


「今使っているラバーやラケットには、何の不満も無いのですが……」


 使い心地への不満どころか、違和感一つすらない。


「弘法筆を選ばず、あんな言葉は嘘だ。少なくとも現代卓球にとってはな」


「え……」


 監督の急な言葉に一瞬思考が止まった。


「一流の選手が最先端技術により裏打ちされたハイエンドの道具を使ってようやく、最前線の戦場へと立てる。それが今の現代卓球だ」


 監督の言葉がワシの鼓膜を強く揺らす。それは心の中に得体の知れない不安感を生む。


「でも、このラバーには愛着があるし、ラケットも今のが一番手に馴染むんです」


 前世を含めば半世紀以上、ワシはこのラケットとラバーを選び使い続けていたのじゃ。はい、そうですかと、そう簡単に別れを告げられるものではない。


「もちろん、そのラバーやラケットが悪いと言っているのでは無い。だが、成長に合わせた道具選びというのは、スポーツ選手にとっては、ごく当たり前のことだ。水咲、お前は何の為にここに来た?」


「強くなる為です」


 それだけは間違えようのない素直な気持ちである。


「はっきり言おう。お前がこの先、世界を見据えるのであれば、今の道具(こだわり)を変える他ない。殻を破れない人間には、世界はおろか、日本を制することすら不可能だ」


「で、でも……」


 半世紀積み重ねて来た経験が、ワシの足に纏わりつく。


「私から言えることは一つ。今の水咲レイナに足りないものは、フットワークでも無ければ、細かな技術でもない。現代卓球への順応、すなわち、新たなスタイルの確立だ」


「少し考える時間を貰っても良いですか……」


 まだ、たった数本のラリーをしただけだ。他のプレーを見てもらえれば或いは……。


「そんな時間は無い、嫌なら帰れ、と言いたいところだが、良いだろう。このままでは、全日本はおろか、中学卓球も制する事が出来ないことを身を持って体感して貰うとしよう。金城(かねしろ)、相手してやれ」


 監督の一言で、涼香が後ろに下がり、かわりに新たな選手がコートへ立つ。


「はい」


 あまり元気が良いとは言えない返事と共に、その少女は現れた。

 女子中学生にしては背の高い色白の少女。

 今のワシが百五十八センチ程度なことを考えると、おそらく目の前の少女は百七十センチ近くはあるだろう。


 タイトなユニフォームに細身のしなやかな身体。一目でスタイルの良さが分かるが、その中でも一際目立つのが、その手足の長さである。そしてその細長い手の中には、見た事の無いタイプのシェークハンドラケットが握られていた。


「山王中学一年、金城彩」


 やや気怠げな声音で、少し癖っ毛気味の茶色のショートヘアを弄りながら目の前の少女が言った。


「水咲レイナと申します。よろしくお願いします」


「知ってる」


 少女はハスキーな声音でただ一言だけそう言って、クセのついた前髪を赤色のヘアピンで留め、ラケットを握った。


「サーブしなよ」


 それは余裕から来る一言ではないのだろう。茶色がかった瞳は、一瞬の隙もなくワシを見つめていた。


 中学一年生とは言っても、数週間後の春からは二年生に上がる相手だ。名門山王で一年間鍛え上げられた選手のはず。当然のことだが、油断は禁物じゃ。


 ならば遠慮などいらない。


 フリーハンドで天高くトスを上げる。


 二度のフェイクを交えた横回転系のサービス。


 少女は台状で変化するそれを表情一つ変えずに、バックハンドでとらえた。


 そのコンパクトなフォームからは考えられない程の球威を感じるドライブがワシのコートに着弾するが、それでも、追いつけない程のスピードではない。


 左足に力を込め、瞬時にそれを解放する。


 この数年間で鍛え上げたフットワークが際どいボールの反応を可能にした。


 ワシは力強くラケットを振り抜き、全力のフォアドライブを放つ。


 甲高い音と共にコートを駆け抜けるそれは、相手のラケットに触れることなく、初得点を奪い取った。


 水咲 1-0 金城


「確かに上手いけど、そう言うことね」


 先制点を取られたというのに、目の前の少女が漏らしたのはその一言のみ。


 ならば次は。


 不意を突くためのロングサーブじゃ。


 スピード重視のそのサーブが相手のコートを抉ぐるように突き進む。


 予想外のサーブだったのか、体勢を崩した相手が縮こまったフォームで返球する。


 がしかし……。


 それは不完全な体勢で放たれた打球とは思えない程の威力で、ワシの真横を突き抜けて行った。


 水咲 1-1 金城


「実力だけでボールを打ち過ぎ」


 目の前の少女は表情筋一つ動かさずに、淡々とそう言った。


「え……」


 あまりの唐突な言葉に、適切な返しが思い浮かばない。


「それじゃあ、私には勝てないと思う」


 少女はそう言って、コンパクトなフォームでサーブを繰り出す。


 それは、パッと見ただけでは何の変哲もないバックスピンのかかった下回転系のサーブだが、ラケットがそれに触れた瞬間、このレシーブはネットを超えないと確信してしまった。それ程までの強烈な回転。



 何故?


 頭の中に疑問符が浮かぶ。


 些かコンパクト過ぎるとも言えるあの小さな動きで、ここまで回転量のあるサーブが出せるものなのか?


 そんな疑問とは別にスコアは只々現実を刻み続ける。


 1-2

 1-3

 1-4

 1-5


 それは悪夢(あのひ)を想起させる程のワンサイドゲーム。


 何故だ……。細かい技術やフットワークでは、むしろこちらに分があると言って良い。


 台の後陣で打ち合うドライブの引き合いでさえ、相手に得点が奪われている。


 おかしい……。


 確かに、リーチの問題で守備範囲に差が出るのは分かるが、それ以前の問題じゃ。


 そもそも、絶対的なボールの回転量とスピードが相手に劣っているのだ。


 身長こそあれど、あの細身の身体からはとてもパワータイプの選手には見えない。にも関わらず、あのコンパクトなフォームから繰り出される打球に、ワシのフルドライブが負けているのだ……。


 1-6

 1-7

 1-8


 心に穴が空いてしまいそうになる程の一方的な蹂躙が続くが、それよりも更に残酷な現実(ことば)がワシを襲った。


「監督、これじゃあ流石にフェアじゃない」


 金城彩はただ一言そう言って、ラケットを台上へと置いた。


 屈辱的なその言葉を最後に、ワシはまたも、試合半ばで事実上の敗北を突きつけられることとなった。

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