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第四話『道具ですか? いいえ、相棒です!』

 雪の上を歩く、キュッキュッ、という音が、真っ白な地面を踏みしめる小さな長靴から聞こえる。雪が日差しを反射する冷たくも優しい光が眩しい。


 今日は、十一月一日。ワシがレイナとして生まれた、第二の誕生日だ。老後のことを第二の人生と呼ぶなら、ワシは今、第三の人生を歩んでいる。

 はれて三歳児となったワシは、両親に手を引かれ、札幌にある卓球専門店へと向かっていた。


「レイナも遂に卓球デビューだな!」


 ワシの右隣りを歩く父上が、白い息を吐きながら楽しそうに口を開く。


「うん、楽しみ!」


 ワシは三歳児らしいリアクションを意識しつつも、気持ちがはやるのを感じていた。卓球ほど用具によってプレイの幅が広がるスポーツは珍しい。様々なメーカーが個性的な用具を売り出しており、ラバーとラケットの組み合わせだけでもおそらくは何万通りもあるはずじゃ。ラケットのグリップ部分やラバーのスポンジの厚さにもこだわれば、その組み合わせは数え切れないものじゃろう。自分だけのカスタマイズを考えるのも卓球の醍醐味の一つといえる。


 ワシの左を歩くママンは、夫と娘のやりとりを微笑ましそうに眺めていた。


 交番のある交差点を左に曲がると、お店の看板が目に入ってきた。

 エイト卓球、それがこのお店の名前らしい。


 パパンがそのまま、店の扉をガラガラと開けて中へと入る。その背に続き、ワシとママンも中へと入る。店内にあるストーブが、冷気を纏ったワシの身体を温める。


 あまり広いとはいえない店内だが、右側の壁にある棚には、数え切れない程のラケットが並んでおり、中央のスペースには、何百種類ものラバーが揃えられている。その他にも、ラケットケースや卓球シューズ、ユニフォームにラバークリーナーなど、卓球に関する商品が所狭しと並んでいる。


 来店に気づいた中年の男性店主が店の奥にあるカウンター越しに、ちらりとこちらを見た。


「え?」


 店主の呟きが小さな店内に響く。


「み、水咲選手とリディア選手!?」


 一度目をこすり、もう一度目を見開く店主。

 彼のリアクションも仕方がないものだろう。日本卓球界における水咲夫妻の知名度はおそろしく高い。日本チャンピオンの夫に、卓球界一の美貌を持つ妻だ。テレビでもよく話題に上がる。


「はい、水咲です」


 パピーがそう返事をすると、店主は慌てて、カウンターから飛び出してきた。


「は、はじめまして、今日はどんな用事で?」


 卓球メーカーとの契約があるプロ選手が、ただラケットやラバーを買いにくることは考えにくい、この店主の質問は正しいじゃろう。


「今日は娘のラケットを買いに」


 そう言って親父殿は、ワシの方に視線を向ける。


「なるほど、未来のメダリストの門出というわけですか」


 感動した様子の店主がつぶやく。


「そぉーでぇーす。みらぁいのせかいChampionでーす!」


 何故かやたらとチャンピオンの発音だけがネイティブなママンが自信満々にそう言った。


「まったく、リディアは気がはやいな。まずは日本制覇が先だろ?」


 店主の前でも親バカトークが炸裂する。


 一通り談笑を済ませたところで、いよいよ、ラケット選びが始まる。


「やはり、娘さんにはシェークハンドを?」


 店主が父上に問いかける。


 確かに、現代卓球のスピードに対応しようとすれば、自ずとその選択肢がベストに感じてしまうだろう。片面にしかラバーがない日本式ペンを使う選手はめっきり減った。それに、女性でペンホルダーを使う選手は滅多にいない。バックにラバーがない分、フットワークでそれをカバーせねばならないからのぅ。両面にラバーが貼ってある中国式ペンや反転式という選択肢もあるが、ワシはどうにもあれらを好かん。相性の問題なのじゃろうが。


「レイナはどのラケットが良いんだい?」


 親父殿が優しく問いかけてくる。


 これは重大な決断じゃ。ワシの今後の人生を左右する程の選択である。三歳にしてワシは、人生の分岐点に立っておった。


「これにする」


 そう言って、ワシが棚から取り出したラケットは……。


「レイナはペンホルダーを選ぶんだね。よし、わかった。これにしよう」


 一流の卓球プレイヤーである水咲純が、この娘の選択をすんなりと受け入れたことに、ワシは少なくない驚きを感じていた。


「パパ、いいの?」


 この時代に、女の子が日本式のペンホルダーを扱う。プロの目から見れば、この選択はある種、無謀にも思えるはずじゃ。


「もちろん、自分のラケットなんだから、自分で選ぶのが当然だよ」


 そう言って優しく微笑む父。


 ワシは今、水咲純という選手の、強さの一端を垣間見たようだ。


「それにしても、白龍(パイロン)を選ぶとは渋いね。流石は俺達の娘だな」


 ワシが選んだラケットは、時代の流れを逆行するかのような、日本式ペンホルダーの単板ラケット。それは、一枚だけの板から作られた、檜製の逸品じゃ。カーボンと呼ばれる球の弾みをよくする素材が使われていない、昔ながらのラケットじゃ。ワシは昔、このラケットで世界を獲った。ならば、ワシはこやつとともに、再び王座へと帰らん。


 それに、ただ同じという理由だけで選んだわけでもないのじゃ。まず、日本式ペンホルダーの強みは、その軽さにある。それもそのはず、片面にしかラバーが貼られていないのだから、両面にラバーがあるシェークよりも軽いのは当然だ。幼女の筋力でも振り抜くことが出来る程の軽さが武器である。まぁ、中には日本式ペンのバックにラバーを貼る人もいるにはいるが。


 このラケットを選んだ他の理由としては、カーボン系の弾みや球離れがあまりに良すぎるラケットから始めると、この小さな身体にフォームが馴染む前に、道具に頼った歪な形になってしまう恐れがあったからじゃ。まぁ、これはワシの自論に過ぎないのじゃが。そして、最後にして最大の決め手は、単板ラケットが生み出す独特の打球感が、ワシを魅了してやまないからだ。あのボールを打った時の一体感が、一度死んだ今でも忘れられない。


 ワシがそんな感慨にふけっていると、パパンが再び口を開いた。


「よし、次はラバーだな」


 そう言って父上殿は店の中央へと視線をやる。


「これがいい!」


 ラバーに関しては、最初から決めていたものがある。


「スレイヤーか。良いところに目をつけるな。流石は俺達の娘!!」


 夫婦が揃って、楽しそうに笑う。


 バタフリー社と言えばスレイヤーじゃ。裏ソフトラバーの代名詞とも呼ばれるこのラバーは、勘を取り戻すにはうってつけの逸品じゃろう。


「シューズは、サイズがないしなぁ」


 パパ上殿がシューズの棚を見回しながら言う。


「Uniformぬぁら、こどーもようも、ありまーす」


 ユニフォームの発音だけがやたらとネイティブなママ上が提案する。


「そうだな、レイナはどれが良い?」


「これが良い!」


 そう言ってワシが指さしたのは、小豆色のハイカラなユニフォームじゃ。


「いや、これにしよう」


 ワシが選んだユニフォームをしれっと元の場所に戻し、鮮やかなピンク色のユニフォームを手にとる父上。


 あれ!? そこは娘の意見優先じゃないの!?


 まぁ、ワシのセンスが少々渋すぎたのかも知れんな……。


 その後は気を取り直して、ラケットケースやらなんやらの細々としたものを一通り選んだ。


「お会計が、二万三千円になります」


「え、安過ぎませんか?」


 レジを挟んで正面にいる店主へと、パピーが首を傾げながら問いかける。


 確かにパパンの言う通り、この金額はいくらなんでも安過ぎる。そもそもが、品質の良い単板ラケットはその希少性から値段がはるものであり、ラケットとラバーだけでも、レジに映し出された金額を超えているはずじゃ。


「いえ、サインも頂きましたし、それに何より、未来の世界チャンピオンの門出を祝いたいのです」


 中年の店主が少年のような真っ直ぐな瞳でそう言った。


 な、なんと粋な店主なんじゃ。


「こぉれが、さむらいだますぃーでぇすか、わたーし、かんどぅーしますた」


 粋なシーンが台無しである。


 まぁ、そんなこんなで、ワシの相棒選びは無事終了し、あとは実戦あるのみであった。

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