第三十九話『復讐ですか? いいえ、山頂への道程です!』
ワシを乗せた新幹線が日本最長の海底トンネルを駆け抜ける。
全長53.85kmのそのトンネルは、人類の叡智の結晶と言えよう。
海の下にトンネルを掘って道を作ろう。そんな途方も無いことを考え、実現した人達がいたのだ。そんな偉大なる人類の軌跡を辿りながら目指す目的地は、世界有数の卓球プレイヤーであり、ワシの父でもある水咲純を育てた、卓球王国青森県。
何故青森に向かっているのか?
理由は至って単純。
強くなる為。
ことの経緯は、あの屈辱的な敗北にある。見ず知らずの少女に、手も足も出なかった。
油断は無かった。当然手も抜いていたわけではない。原因は明白、実力不足。
ワシは自らの父親にただ一言だけ告げた。「強くなりたい」と。
そして父は一言、「よし、青森に行こう」と。
互いに何もかも説明不足の会話だったが、ワシとパピィの間にはそれで十分だった。
そうしてワシは春休みの十日間、父上の母校であり、数々の日本代表選手を輩出した名門、青森山王中学にて鍛え上げられることとなった。
海底トンネルを抜け地上の光が差し込む。
それは現状を打開する為の光か、陽炎にも似た光の悪戯か。
* * *
床とシューズが擦れる甲高いスキール音。体育館に並ぶ数十台の卓球台。高速で行き交う白球の音はその場にいる選手達のレベルの高さを窺わせる。
体育館の奥には、パイプ椅子に座った白髪混じりの初老の男性が一人。
パパンは迷うことなくその男性の元へと向かう。
「お久しぶりです監督」
深々と頭を下げた後、丁寧な口調で話すパピー。
「おう、水咲か。元気そうで何より。何年ぶりだ? たまには顔を出せ」
父から監督と呼ばれた初老の男が低い声でそう言った。
「えーと、すみません、ここ数年忙しくて……」
「ほう、流石は日本チャンピオン。そんな多忙な日本のエース殿が、一体どんな御用事でこんな田舎まで足を運んだのでしょうか?」
「監督……」
パパンが消え入りそうな声音でそう呟く。
「おいおい、冗談だよ。そんな強張った顔をするな。あの練習の日々を思い出したか? 今はもう、昔みたいなやり方はやっていない。時代ってやつさ」
遠くを見つめるその視線は、過去を思い出しているのか、厳しい顔つきの中にも優しさが見え隠れしている。
「今の僕があるのは監督のおかげだと思っています」
「いいや、私はあくまでもお前の才能を磨きはしたが、その努力は全てお前の誇るべき時間だ」
初老の男は目を瞑り、明瞭な言葉でそう言った。
「監督……」
「おいおい、その四文字しか言えなくなったのか? そんなことより本題に入ろう」
厳しく見える相貌に僅かな笑顔を浮かべ、監督が会話を促す。
「はい、電話でもお話した通り、娘にご指導して頂きたいと思いまして」
「ほぅ、レイナちゃんだったかな?」
パピーの言葉に反応した監督が視線をゆっくりとこちらに向ける。
「はい、水咲レイナと申します。どうかご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します」
人間関係は第一印象が大事。ワシは背筋を伸ばし、深く頭を下げて挨拶をする。
「礼儀正しい人間は好きだよ。どんなスポーツも相手を敬う所からスタートするからね。その点では既に、あの頃のお父さんよりも優秀だね」
「か、監督!?」
突然降り注いだ言葉の矢に、ダディが珍しく狼狽えている。
「おっと失礼、名乗るのが遅れていたね。私の名前は山田邦光だ。この青森山王中学卓球部の顧問をしているものだ。さて、レイナちゃん。君は何故、ここに来たんだい?」
「もっと強くなりたいからです!」
ワシの動機はいつだってそこにある。
「同年代では負け無しの君が?」
「負けたんです……」
あの鮮烈の敗北が脳内に蘇る。
「ほぅ、じゃあ君は、その相手にリベンジしたいが為にここに来たと?」
何かを推し量るかのような視線がワシの瞳を射抜く。
「いいえ、もう誰にも負けたくない。世界で一番上手くなりたいんです」
あの敗北をも糧にする。ワシにとってのゴールはリベンジにあらず。そのずっとずっと先にある、世界の頂きだけじゃ。
「なるほど、実に良い答えだ。気に入ったよ。これから十日間、ここで君を鍛えてあげよう。今日から私は君の監督者だ。いいね?」
「はい、監督!!」
「よし、良い返事だ。おい、桐崎! 彼女を更衣室へ案内してやってくれ!!」
「はい!」
監督に呼ばれ、大きな声で返事をしたその少女は……。