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第三十八話『天才ですか? いいえ、天災です!』

 日本卓球界から塔月ルナがいなくなってから七年近くの月日が流れていた。


 約束だけを残して、突如として消え去ったルナからは一切の連絡が無い。


 ルナが消えた国内の大会で、ワシは負け知らずだった。バンビの部、カブの部、ホープスの部と、小学生が参加する全ての階級を制覇した。それでも、ワシの中の渇きが満たされることは無かった。


 何か物足りなさを感じながらも、時間は平等に過ぎ去り、成長期を迎えたワシの身体は、少女から女性のものへと変わりつつあった。


 手足も伸び、体格的なハンデもなくなってきたのは喜ばしいが、膨らみかけの両胸がフットワークの際に気になってしまい、思わぬ悩みを抱えていた。


 それでもトータルで見れば、フィジカル面での成長がプレー全体に良い影響を及ぼしており、小学五年生になる今年、いよいよワシは何の憂いも無く、全日本一般の部へと出場するはずだった……。


 だがその前に、大きな障壁が一つ。


 春、そいつは突如として現れた。


 日頃は自宅のガレージで練習をしているワシと葵が気分転換も兼ねて、小学校の体育館へとたまたま足を運んだその日。


 それは運命と呼ぶにはあまりに荒々しく、ワシらの目の前に現れた。


 体育館の扉を激しく開け放ち、ずかずかと歩いて来るその姿は、あまりにも堂々としており、その少女に声をかける者はいない。


「おい、あんたが青山葵か?」


 突如として現れたその少女は、オレンジ色の髪を無造作に伸ばしており、その眼光は少女と呼ぶにはあまりに鋭いものだった。


「え、あぁ、そうだけど」


 見知らぬ少女の問いかけに僅かに動揺しながらも、葵は短くそう答えた。


 葵にとってこの様なことは、そこまで珍しいことでも無い。何故ならば彼は既に、中学二年以下の選手が争う全日本卓球選手権大会カデットの部を昨年、小学四年生という驚きの若さで優勝しており、次世代のエースとしてテレビで特集を組まれることもあるからだ。


 そんな葵に向かって、謎の少女は驚きの一言を放つ。


「おい、俺がお前を見定めてやるよ」


 勝ち気な少女はそう言って、真っ赤な双眸で葵を品定めするように睨め付ける。


「随分高圧的な物言いね?」


 あまりに不遜なその態度に、ワシは思わず口を挟んでいた。

 背丈から見てもおそらくは同世代のはずじゃ。ここはワシが正しい友達の作り方をこの見知らぬ少女に教えてやるとしよう。


「青山葵、俺と試合しろ」


 ワシの言葉を完全に無視した少女は再び葵に向かって話しかける。


「ちょっと、いきなりなんなの?」


「あ? 誰だお前? 女は黙ってな」


 ワシの存在に今気づいたとでも言うのか、興味無さげにワシの方を一瞥して少女は言った。


「私は水咲レイナ。あなたこそなんなの?」


「水咲? ん、あーなんだ、お前あれか。よし、まずはお前でいいや。身体あっためんのに丁度良い。一セットマッチな。それ以上は時間の無駄だ」


「あなた、私に勝つつもり?」


 これは自惚れでも何でもなく、純粋な疑問だった。目の前の少女は見たことも聞いたこともないただの少女だ。オレンジの髪に赤みがかった瞳。これだけ目立つ風貌なのだから、国内大会で結果を出していれば、ワシが知らないはずもない。


「は? あたりめーだ。はやくラケットを握れ。サーブはお前からでいいぞ」


「わかった。私が勝ったら大人しく帰ってね」


 いつになったら大人になれるのやら、ここまで言われて引き下がれる程、ワシの心は大人ではない。


 ワシはラケットを握りコートに立つ。


 オレンジの髪色をした少女の手には、シェークハンドのラケットが握られている。


「いつでもいいぞ?」


 少女の挑発的なその言葉を皮切りにワシはフリーハンドでトスを上げた。


 シンプルな下回転のショートサーブを相手のバック側へと繰り出す。


 ワシのサーブに対して、相手の初手はチキータだった。バックハンドで台上の短いボールを強く弾くその技術は、一朝一夕で身につくものではない。


 しかしそれは、多少の驚きこそあれど、決して返せない程の球威ではなく、ワシは冷静にバックハンドで相手のいない逆コースへとボールを放つ。


 1-0


 葵が淡々とスコアボードをめくる。


「ちょっとは打てるみてーだな」


 先制点を取られたというのに、目の前の少女は余裕の態度でそう言った。


「多少の心得はあるよ」


 ワシはそう言って、二本目のサーブを繰り出す。相手の虚を衝くロングサーブだ。かなりのスピードで突き進むそれを、相手のミドルへと打ち込む。


 フォアで打つかバックで打つか、さぁ、悩め。


「おっと」


 少女はそう言って無造作に伸びたオレンジの髪を揺らしながら、気の抜けた言葉とともに、中途半端なフォームのまま緩いレシーブを返す。


 紛う事なきチャンスボール。


 ワシはそれを普段通りのスマッシュで決める。


 2-0


 再びワシの得点が重なる。


 なんじゃ、この違和感は……。


 先程のチキータは、明らかに経験者の動き。

 しかし、今のプレイはまるで素人のそれだ。


「あー、やっぱりまだ、シェークハンドは難しいな。二週間やそこらじゃ厳しいか」


「え……」


 思わず声が漏れた。何かの聞き間違いだろうか?


「女とはいえ、腐ってもチャンピオンは伊達じゃねーな。はっきり言って舐めてたわ。ラケットはこのままでいいからよ、握りだけは変えさせてもらうわ」


 目の前の少女はそう言って、ラケットの握りをシェークハンドのそれから、ペンホルダーの握りに変えた。


 まさか此奴、ペンホルダーが本職なのか? 


 その疑問はすぐに、次のプレーで確信に変わる。


「よし、そんじゃ、やるか」


 仕切り直しとばかりに構え直した少女は、天高くサーブを上げ、手首を使った高度なフェイントを織り交ぜた回転系のサーブを繰り出す。


 下回転か横回転か、フォームからではまるで分からないサーブ。


 その卓越した技術に動揺し、半端な体勢でレシーブをしてしまった……。


 気の抜けた浮き球が相手コートに浮かび、万全の体勢でそれを待ち受けるオレンジ髪の少女。


 鋭い眼光がボールを捕捉した次の瞬間……。


 爆発的な勢いで振り抜かれたスマッシュが、ワシの真横をノータッチで駆け抜けていた。


 この謎の少女は一体……。


「あなた程の腕で、何故どの大会にも出ていないの?」


 ワシは驚愕しつつも自然と疑問を口にしていた。


「俺が卓球をはじめたのは去年の夏からだからな」


「去年?」


 まさか、そんな馬鹿な話があるだろか?


 からかわれているのだろう。


 いや、しかし、それならば、ワシがこの少女のことを知らないことにも辻褄が合う。


 まさか……。


「ちょっとやったらよー、周りの誰も俺に勝てなくなっちまってな。この学校に、俺ら世代で最強の男がいるって聞いたからきてみたんだ。だから、こんな試合さっさと終わらして、俺は青山葵と試合がしてーんだよ」


 苛立ちを隠そうともしないその少女が、気だるそうにサーブを上げ、再び試合が動き出す。


 しかし、その不真面目な態度とは裏腹に、サーブそのものの質は異常なまでに高い。


 プラスチックの球が鳴らす聞き慣れた音。


 親の声より聞いたその音はしかし、ワシに絶望を突きつける。


 繰り返されるラリーの音が、何故かいつもよりも無機質で、背中からは滝のような汗が流れていた。


 誰が予想出来ただろうか。


 同世代では負けなしの水咲レイナが去年卓球をはじめた無名の選手に追い詰められていく姿を。


 2-2 

 2-3

 2-4

 2-5


 怒涛の勢いで連続得点を奪われた。

 それはまさしく悪夢に他ならない。


 2-6

 2-7

 3-7


 久しぶりの得点は、ワシ自らのプレーではなく、相手のただのイージーミスによるものだった……。


 3-8

 3-9

 3-10


 スコアボードが示すのは、後一点でワシが敗北するという事実。


 しかしその敗北は訪れなかった。


 それは敗北よりも更に屈辱的な言葉。


「あ、やっべ、便の時間忘れてた!! すまん、東京帰るわ!! 続きがやりたかったら、今年のカデットに出ろ。小学生の女相手じゃ、話にならねーことも分かったしな。そんなことより、青山葵、次こそは俺と試合しろよ? そんじゃな」


 その少女は名乗ることすらせず、一方的にそう言って、嵐のように去っていった。


 しかしワシは、すぐに知ることとなる。


 名乗らずとも轟く、一人の天才少女の名を。

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