第三十一話『忘れ物ですか? いいえ、種明かしです!』
強烈なドライブの打ち合いが続き、緊張感はいつの間にか高揚感へと姿を変え、息もつかせぬ攻防に終止符を打ったのは、またも葵の強烈なバックハンドドライブ。
誰にも触れられることなく、相手コートを突き抜けた白球が、体育館の床を数回跳ねた。
その音が運んで来たのは、優勝という二文字の実感。じわじわと身体を伝うそれは、えも言われぬ高揚感を与えてくる。この喜びに包まれた人間は、二度と卓球を辞めることは出来ないだろう。
「ありがとうございました」
三人の園児と一人の老人の声が重なった。
試合は終わり、互いの健闘を称え、握手を交わす。
「次は絶対、私が勝つんだから!!」
ワシの手のひらを強く握りしめたまま、大粒の涙を流しながらルナが叫んだ。
「うん、次こそは一対一のシングルスでね」
フルセットにまでもつれ込んだこの試合の勝利は、葵の放ったあの鮮烈なプレーによるものが大きい。
あの一撃を境に、あちらへ傾きかけていた勝利への天秤が一気にこちら側へと傾いたのである。
「青山葵、あんたも覚えておきなさい!」
そう言って、涙を一杯に溜めた目で葵を睨め付けるルナ。それは彼女が、葵の事を心から認めている何よりの証なのだろう。
「うん、またやろう」
ルナの言葉に、満面の笑みで返す葵。
「あーもう! じぃや!! なんで後半バテてるのよ!! はやく帰って練習するわよ!!」
涙を拭き、堂々と立ち去るその背には、敗北の悔しさはあれど、そこに迷いなどなく、すでに次の勝利への闘気がみなぎっていた。
「お嬢様、表彰式がまだ残っておりますぞ!? お嬢様、お嬢様? お嬢様ー!!」
土井さんはそう言って、颯爽と立ち去るルナの背を追いかける。
それから数分後、準優勝ペア不在の表彰式が始まった。
「水咲レイナ、青山葵ペア、前へ」
町内会会長のおじさんが優しい声音でそう言った。体育館に響くその声に合わせて、ワシらは胸を張り、一歩前へと踏み出す。
「優勝おめでとう」
簡潔な言葉とともに贈られたそれは、この小さな身体に生まれ変わってから初めて手にした金メダル。
地元主催の大会なだけに、金メダルといっても質感や重さに高級感や重量感などは無いが、それでもこれは、紛れも無い金メダルだ。葵と共に手にした勝利の証。その輝きはきっと、国際大会のメダルにも負けていないはずじゃ。
小さな大会での優勝じゃが、間違いなく大きな一歩である。
隣を向けば、少し恥ずかしそうにしながらも、誇らしげな様子で笑う葵の姿が。
「やったね、レイナちゃん」
すでにバンビの部で全国制覇をしているはずの葵が、この小さな舞台での優勝に満面の笑みを浮かべていることが、なんだかとても嬉しく思う。小さな勝利も大きな勝利も、きっと彼にとっては等しく価値のあるものなのだろう。それがきっと、葵の強さの正体であり、彼の成長を加速させているのだ。
「楽しい大会だったね」
実はワシ自身、前世を振り返って見ても、ミックスダブルスの大会に出たのは初めてのことだった。
「うん、次は世界大会で優勝だね!」
一点の曇りもない瞳で葵が真っ直ぐにそう言った。
「そうだね」
純粋無垢な眩しい程に真っ直ぐなその言葉に応える為にも、ワシももっと強くならねばならぬ。
まだ見ぬ未来へ思いを馳せながら、小さな二人の笑顔とともに、本大会は幕を閉じた。
* * *
優勝の余韻に浸りながら、自宅の湯船に浸かっていると、突然ママンが叫び出した。
「せんたぁくぅものーのぉ、Pocketにゴミいれたまぁまはだぁーめでーすぅよー!」
浴室の外からマミーの声が響き渡る。
「おっ、レイナがポッケに入れっぱなしなんて珍しいな?」
一緒に浴槽に浸かっていたパピーがワシに向かって呑気に語りかける。
「え?」
今日着ていたユニフォームのポケットには、特に何も入れていないはずじゃが……。
いつも温厚で優しいママンだが、洗濯物のポケットにティッシュやゴミを入れっぱなしにしていると、怒涛のカタコトお説教がはじまってしまう。
ワシは急いで浴槽を飛び出し、浴室の扉から洗面所へと出た。
「レイナ、きをつけーなぁいと、だぁめどぅーすよー!」
ママンはそう言って、先程までワシが履いていた短パンのポケットから、一枚の紙切れを取り出した。
ふぅー、ギリギリセーフ。どうやら洗う前にマミーが気付いてくれたようじゃ。
「ごめんなさい」
ワシはぺこりと頭を下げて、ママンからその紙切れを受け取る。
見覚えのないその紙切れには、電話番号と一言だけのメッセージが書かれていた。
『こちらがルナお嬢様のお電話番号になりますので、何かあればお待ちしております』
え?
あの執事、いつの間にこんなものを忍ばせたんじゃ?
最後の挨拶の時か? ラケット交換の時か? それともサーブ権を決めるジャンケンの時か?
そんな疑問符をたくさん浮かべながら、紙切れを裏返して見るとそこには……。
『正解はアメをプレゼントした時ですよ』
と一言だけ書かれていた。
まるで、ワシの思考を先読みしたかのようなその一文からは、ちよっとした茶目っ気と人を食ったような性格が伝わってくる。くそぅ、これではまるで、最初から全て、あの執事の手の平の上で踊らされていたように思える。
あの執事、やはり食えない男のようだ……。