第二十七話『ツンですか? いいえ、デレです!』
「葵、かっこ良かったよ。それにレイナちゃんも凄かったね!」
一回戦目を突破し、二階にある観客席へと戻ったワシらを最初に迎えてくれたのは、葵のママンである秋穂さんだった。
「えへへ」
母親からの優しい言葉に、照れ笑いを浮かべながらも嬉しそうに笑う葵。
そう言えば、葵がこんなにも大活躍しているというのに、龍司殿の姿が見えない。あの超絶親バカパピィならば、息子の活躍する姿を4K画質で録画しに来ていてもおかしくないのに。
「あれ、葵のお父さんは?」
ワシは、ふと感じた疑問を口にした。
「あぁ、龍司さんはね、ちょっと体育館の空気が苦手なのよ」
一瞬ではあるが、秋穂さんの横顔にうっすらとした翳りが見えた気がした。何か、まずい質問をしてしまったのじゃろうか……。
思い返せば、バンビの部の大会の時も、一緒に来ていたのは秋穂さんの方だった。
「いやー、それにしても、二人とも見事な連携プレイだったね! 練習の成果がしっかりと結果に出ていたよ」
不穏な空気を切り裂いたのは、日本チャンプの豪快な一声。
「きゃんぺーきなCombinationでぇすたーよー!」
ママンも負けじと難解な賛辞をくれる。
「リディアの言う通り、完璧なコンビネーションだったね。ひょっとすると、未来の金メダルペアの誕生かな?」
「うん、誰にも負けない」
普段は照れ屋な葵が、真っ直ぐな瞳で即答した。
時折り見せる信念が、きっとこの子の武器なのだろう。
そんな葵が、何かに気がついたように、少し遠くを指差し声を上げた。
「あっ、ルナちゃんだ!」
輝く銀髪をなびかせながら、一人の幼女が真っ直ぐにこちらへ向かって歩いてくる。隣には、先程少しだけ見た、品のある白髪のご老人もいる。
「あらレイナ、あなたもこの大会に出場してたのね?」
ワシの目の前にまで来たルナが、腰に手を当てそう言った。
「うん、トーナメント表を見てびっくりしたよ。あれ、そう言えば、ルナの家もこの町内会なの?」
「いいえ、お嬢様のお屋敷はこの町内会ではありません。しかし、ルナ様の強いご希望により参加した次第です」
ワシの疑問に答えたのは、ルナの隣に立つ白髪のご老人。
「ちょっと、じぃや! 余計なことは言わないで!!」
真っ白な顔を真っ赤に染めたルナが猛抗議に出た。
「じぃや?」
葵が不思議そうに首を傾げた。
「これは失礼致しました。自己紹介が先でしたね。わたくし、ルナお嬢様の執事として仕える、土井と申します。以後、お見知り置き下さい」
「メーメーなくの?」
葵が再び愛らしく首を傾げた。
「それは羊さんね。土井さんは執事さん。えーと、色んなお手伝いをしてくれる人」
ワシはなるべく伝わりやすいように補足説明を入れる。
「ご説明、ありがとうございます、レイナさん」
土井さんはそう言って恭しく頭を下げた。
「あれ、なんで私の名前を?」
「ふふ、あなたは、お嬢様の意中のお方ですから」
品のある茶目っ気とでも言うのか、少しいたずらっぽく笑った土井さんは、何も持っていなかったはずの手のひらから、個包装の飴玉を取り出して、小さなワシの手にそれを握らせた。
な、なんと、こ、これは、龍角散のど飴じゃないか! ワシの一番好きなやつ!! この執事、一体何者じゃ!?
「じぃや! これ以上余計なこと言ったら、もう遊んであげないわよ!!」
何やらルナお嬢はご立腹のようだ。
「少々口が過ぎましたね。失礼致しました、お嬢様」
そう言って深々と頭を下げる土井さん。
「ふん、分かればいいのよ……。そんなことより、レイナ! 今度こそ決勝まで上がって来なさいよ? また不甲斐ない姿を見せたら、ゆりゅさないんだから!!」
相変わらず、勢いが増すと舌が回らなくなる姿が愛らしい。
「うん、この間は、せっかく応援してくれたのにごめんね。今日は絶対勝ち上がるから!」
ワシは素直な気持ちを口にする。
「だ、だれも応援なんかしてないわよ! あなたが上がってこないと、私が退屈なだけよ!!」
「うん、約束する」
ワシはそう言って、真っ直ぐに青い双眸を見つめる。
「ま、青山葵もいることだし、決勝まで来るのは当然よ」
「うん、僕も負けないよ」
去り際にルナが残した台詞に力強い言葉を返した葵。
男女バンビの部のチャンピオン同士、葵にもまた、ライバル意識のような何かが芽生えはじめてているのかも知れない。
この大会、益々負けられないものとなったようじゃ。
「では、失礼致します」
パパン達にも挨拶を済ませた土井さんは、颯爽と去っていったお嬢様の背を追いかける。
「まるで、嵐のような女の子だね……」
一連の流れをまとめるかのように、父上殿が小さく呟いた。
日本のエースにそんな事を言わせてしまう程の幼女。まったく、凄まじい器の持ち主じゃ。
そもそも、当たり前のように執事を召し連れる幼女とは一体……。彼女の堂々たる態度があまりにも自然で、聞くタイミングを完全に逸してしまった。
まぁ、ルナという人物が様々な意味で特別な人間である事は、初めて出会ったあの瞬間から、肌で感じていたことじゃ。
それに、今重要なのは、彼女の素性などではない。そう、今最も大事なことは、最高の好敵手がすぐ目前にまで迫っているということだ。
「レイナちゃん。そろそろ次の試合だよ」
隣に座る葵が、ワシの顔を覗き込みながらそう言った。
「おっとっと」
ワシはそう言って、ラバーについた汚れをクリーナーで軽く拭き、立ち上がる。
「次も勝とうね」
葵は再びワシの目をじっと見つめてそう言った。
「無論」
例え小さな大会であろうとも、試合に出るからには絶対に勝つ。
「え、くりさん?」
くりくりなおめめをパチクリさせながら葵が首を傾げた。
「それは……マロンだね」
年相応な葵の姿に自然と頬が緩んでしまう。そんな子ども達のやりとりを見ていたのか、親達も思わず、みんな笑顔を浮かべていた。
あぁ、この時のワシは知るよしも無かった。葵の勝利への想いが、その小さな身体に背負うには、あまりに重過ぎるものだということを。




