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第二十五話『無関心ですか? いいえ、興味津々です!』

 体育館の床とシューズが擦れる甲高いスキール音が、至る所で鳴っている。ボールが行き交う聴き慣れた音が小気味良く鼓膜を揺らす。

 老若男女が入り乱れるこの光景は卓球ならではの醍醐味の一つかも知れない。


 幼女からお爺さんまでもが楽しめるのが売りのこの競技は、生涯スポーツとしても広く認知されている。

 そんな全世代勢揃いの体育館で行われるのは、町内会主催のオシドリ杯と呼ばれる大会じゃ。


 本大会の参加資格は一つ。男女ペアで試合に参加すること、ただそれだけじゃ。


 年齢も無制限であり、町内の外から来た人でも参加費用の二百円を払えば参加出来る事になっておる。


 そんな自由度の高い大会だからなのか、意外にも参加者は多く、卓球好きのお爺ちゃんが孫とダブルスを組んで参加している、なんて話も珍しくないそうじゃ。

 

 くぅ〜、せっかくならワシも前世で孫とダブルス組みたかった〜〜。


 そうしてワシが前世に想いを馳せていると、少し遠くの台では正に、ご老人と小さな女の子のペアが練習している姿が目に映った。


 ご老人の方は長い白髪を後ろで一つにまとめ上げており、その一挙手一投足から只者では無い品を感じる。ネットインをしてしまった際の頭の下げ方があまりに上品で思わず見入ってしまった程だ。そして、その隣にいる幼女は、背にまで伸びた艶やかな銀髪を揺らしながら華麗なフォームでバックカットを……って、あれ? もしかして……。


 ワシは急いでベンチに戻りトーナメント表を確認する。


 総人数三十二名、十六組の選手達で繰り広げられる本大会のトーナメント表は、大きく分けると四つの山があり、その二つ目の山で、目的の名前を見つけた。


 そう、ワシの最強の好敵手、塔月ルナのその名前を。なんという偶然。なんという暁光。


 鼓動が早鐘を打つのを感じる。


「レイナちゃん、だいじょーぶ?」


 少しの間硬直していたワシを心配してか、そっと近くに寄ってきた葵がワシの顔を覗き込みながらそう言った。


「あぁ、大丈夫じゃよ」


「じゃよ?」


「あー、いやいや、大丈夫だよ。ちょっと気になる選手がいただけ」


 思わず動揺してしまった。


「ルナちゃんのこと?」


「え、あ、うん」


 ルナちゃん呼びとは、葵のやつ、いつの間にルナと知り合ったんじゃ?


「ねーレイナちゃん、練習時間終わっちゃうよ?」


「あっ、ごめんごめん」


 今はワシのちっぽけな疑問なんかよりも先に、目の前のことに集中せねば。

 気になることは山程あるが、試合前の大切なウォームアップの時間じゃ。気持ちを切り替え、身体を温めなければ。


「集中」


 ワシは小さくそう呟き、葵との連携プレイの最終調整を行った。




 * * *


 ルナお嬢様の朝は早い。球出し機(マシーン)を相手にフォームの確認とウォームアップをこなし、それが終われば私とのワンセットマッチを行う。そして朝の練習が終われば、熱い湯船に浸かり、湯浴みの後にはお気に入りの紅茶を飲み、フレンチトーストかエッグベネディクトを食し一日が始まる。


 だが珍しく、今日はどこか落ち着かない様子だ。私は塔月家の執事として、ルナ様が生まれた頃から身の回りのお手伝いをさせて頂いている。


 塔月家は代々女系の家系であり、婿養子を貰い、その名を存続させてきた。


 ルナお嬢様のお父上もその例に漏れず、婿養子として塔月家に来られた方だ。ヴェルニー・シュレイガーといえば、卓球界では有名なオーストリア代表の選手だった。世界選手権で金メダルを獲得したこともあり、一時期は世界ランク一位にまで上り詰めたお方だ。


 ルナお嬢様はそんなお父上をとても尊敬し、愛していた。また、ヴェルニー様自身も、ルナ様を深く愛し大切に育てていた。


 しかし、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。ヴェルニー様は若くして膵臓に病いを患い、他界した。ルナ様が二歳半の頃だ。


 そして何よりも不幸な事は、普通の子どもであれば、物心もつかないような時期であるにも関わらず、その非凡な才能故に、あまりに早熟だったルナ様は、自らの父の死を正面から受けてしまった。


 そして不幸はそれだけでは終わらない。


 ルナお嬢様は自らの母親である、塔月家現当主の塔月冬華様を恨んでおられる。


 冬華様は、愛する夫の身体を憂慮し、ヴェルニー様をいち早く病院へと入れたのだが、ルナ様にはそれが、父から卓球を奪ったように見えたのだろう。いくらルナ様が非凡な天才性を持った子どもであったとしても、この少女にも満たない幼子に全てを理解することは不可能であった。


 それに冬華様は、その行き場の無い悲しみをぶつける先が、今のルナ様には必要だと仰り、その誤解を解くそぶりも無いのだ。

 例えその怒りの矛先が自分であろうとも、がむしゃらに矛を振るう先が無ければ、ルナ様が本当に孤独になってしまうと。


 そんな様々な想いが錯綜し、ルナ様は、爛漫だった笑顔を失くし、お父様の残した卓球だけを頼りに生きるようになってしまったのだ。


 だがしかし、その人生にまた、僅かな光明が見えた。


 水咲レイナという名の運命が、お嬢様の前に現れたのだ。


 ただひたすらにボールを追いかけていただけのお嬢様が笑ったのだ。自らと同じ年に生まれた好敵手(りかいしゃ)を前に。


 あの邂逅が、僅かにではあるが、お嬢様を変えた。


 ある日の昼下がり、アフタヌーンティーを楽しみながら、お嬢様がこう呟いたのだ。


「じぃや、レイナは今何をしているかしら?」


 その一言を聞いた瞬間、私は心が少しだけ楽になったのを感じた。ルナ様がようやく、卓球以外のことに興味を示したからだ。

 

 私はそれから、あらゆるコネを使い、水咲レイナのことを調べ、ルナお嬢様に報告した。


 彼女の好きなお菓子やテレビ番組。仲の良い友達やお気に入りの公園など。

 それらの話を聞いたルナ様は、興味のないフリをしてはいるが、隠しきれない笑顔が溢れているのだ。まるで初恋相手にむける、特別な感情のように。


 そしてまた一つ、新たな情報が入ってきた。


「お嬢様、水咲レイナが小さな大会に出場するようですよ」


「ふーん、そう。じぃやは気になるの?」


 興味のないフリをしながらも、横目でこちらの様子をチラチラと見ているのが分かる。


「えぇ、それはもう」


「なら仕方ないわね、その大会、私もでりゅわ!!」


「ですが、男女混合ダブルスの大会ですよ?」


「じぃや、今すぐ練習よ。私の足をひっぱりゃないようにね!!」


 興奮すると舌足らずになるその姿に、年相応の愛らしさが垣間見え、微笑ましくなると同時に、老体の目には、いささかそれが眩しく映り、熱い液体が僅かに溢れるのを感じた。


「え、じぃや、なんで泣いているのよ!!」


「歳を重ねると、どうにも弱くてすみません」


「まったく、じぃやは仕方ないわね。泣いて良いのは勝った時だけよ」


 腰に手を当て力強くそう言い放つその姿に、亡きお父上の姿が重なる。


「はい、このじぃや、ルナお嬢様の行く所、どこまでもお供させて頂きます」


 あぁ、ヴェルニー様。お嬢様はきっと大丈夫です。この小さな身体の中には、あなたの心が生き続けていますから。

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