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第二十三話『乳離れですか? いいえ、父離れです!』

 涼香との試合から一週間が経った。涼香はワシとの試合で全てを出し切っていたのか、次の試合で負けてしまったらしく、バンビの部優勝はワシの最大の好敵手(ライバル)である塔月ルナが飾ったとのことだ。男子の部は全ての試合をストレートで勝利した葵がルナとともにバンビの部最年少優勝記録を塗り替えた。


 パパ上殿が撮ってきてくれた動画で、女子の部、男子の部の決勝戦をチェックしたが、ルナも葵も両者ともに危なげなくストレート勝ちで優勝を決めていた。


 だーーー! 実に悔しい!!

 それに不甲斐なさもある。自分が負けてしまったという事実もあるが、ルナとの約束を果たせなかったことと、後半二日間を病室で安静にしていた為、葵の応援に行けなかったことが本当に申し訳ない。


 ルナ、怒ってるじゃろうか……。

 脳内に銀髪の少女の姿を思い浮かべる。

 リベンジはしばらくお預けということか。


 しかし、過ぎ去ったことをクヨクヨ悩んでも仕方がない。それに今日は、パパ上殿の貴重なお休みじゃ。気分転換も兼ねて、家族水入らずで公園に遊びに来ているのじゃ。娘がずっと暗い顔をしていては、パパンとママンに心配させてしまう。


「よし!」


 ワシは自らの頬をパチンと叩き、勢いよく滑り台へと身を投げ出す。小さなお尻が摩擦熱で熱くなるが、風を切り裂いて進んでいくこの爽快感が思考に纏わりつく不快感を振り払う。


「レイナ〜、たーのすぃーどぅーすくぁー?」


 滑り台の終着地点には手を広げたママンが待ち構えている。

 ワシは滑り台の勢いを活かしながら、ママンの胸元へとダイブする。


 あ〜〜、この沈み込む柔らかさは、人を駄目にする。頭から飛び込み全身で楽園(エデン)を堪能していると、脳内の理性が液状化し耳から全て流れ出してしまいそうじゃ。沈めば沈む程に増す幸福感を堪能していると何やらパピーがこちらに向かって叫んでいる。


「おーい、レイナ、パパと野球しよー!」


「嫌じゃ!」


 ワシは今それどころではない!!


「じゃ……? どうしたんだいレイナ?」


 訝しげな表情を浮かべこちらを見つめるパパン。


 しまった。父離れは出来ても、乳離れは出来ておらぬということか。おそるべし、原初の丘(おっぱい)の魅力。


「レイナたっるぁー、ママのくぅとぉがだーすきぃなぬぅでぇーすねぇー!」


 ママンはそう言って更に強くワシを抱きしめてくれる。


 ワシ決めました。ここに永住します。


「おーいレイナー! 野球しよーぜー!」


 どこぞの中島君のような誘い文句で呼びかけてくる父上。悪いがワシは忙しいんじゃ。やるならカツオでも誘いに行ってくれ。ワシはもうおっぱいを居住地に決めたのじゃ。意地でも動かんぞ?


「おーい、おーい」

「レイナー、おーい」

「おーーーーい」


 ガン無視を決め込むワシ。


「うーん、ひょっとしてレイナ、パパに負けるのが怖いのかな?」


 ふん、そんな安い挑発にはのらん。ワシを一体、何歳だと思っとるんじゃ?


 じゃがしかし、愛する(マミー)の前での愚弄。流石のワシも聞き流すわけにはゆかん。上等じゃ、町内会一の四番打者(スラッガー)と呼ばれたこのワシを舐めたこと、後悔するが良い。


 ワシは乳から離れ、父の元へと向かう。


 父の手には子どもが遊ぶ用のスポンジバットとスポンジボールが握られており、ワシはバットを手に取った。そしてそのまま少し距離を取り、バットを構えるワシ。これでも昔はホームランを打ったこともあるのじゃ。なんせワシは球技全般が得意なのじゃ。さぁ、ばっちこーい!!


「レイナ、バットを持つ時は右手が上だぞ〜」


「え? あれ?」


 おかしい。少年時代は毎日野球をやっていたはずなのに、バッティングフォームはおろか、そんなことまで忘れているとは。まぁ、何十年も昔の話ではあるが。


 ワシは首を傾げながらも、父上の言葉通り、手の位置を変え、再び構える。


「よーし、いくぞー」


 パパンはそう言って下投げで優しくスポンジボールを放る。


「おりゃー!」


 気合とともに全力でスイングしたバットが空を切る。

 スカッ、という擬音が聞こえてきそうな程の見事な空振りである。


 おかしいのぅ。野球にはそれなりの自信があったのじゃが、フォームがまったく思いだせん。


「おっ、レイナにも出来ない事があるんだなー」


 少し驚いた様子の父上。


「がんぶぁーるぇー、レイナー」


 ママ上の声援を受け、ワシは再びバットを振る。


 スカッ、スカッ、スカッ。


 見事なまでの空振り三振じゃ。


 えーーい、まどろっこしい!!


 ワシはバットを片手で持ち、前傾姿勢を取る。それはワシにとって最も慣れ親しんだフォームであり、臨戦態勢でもある。


 再び投げられたボールがこちらへと飛んでくる。ワシはタイミングを計り腰の回転を活かし、スマッシュの要領でバットを振り抜く。するとバットはボールの芯を捉え、確かな手応えとともにボールがパピィの頭上を越えてはるか遠くに飛んでいくかと思ったが……。


 流石はトップアスリート。持ち前の瞬発力を活かしたパパンが恐ろしい程の反射速度でボールをジャンプキャッチしておった。


 な、なんと大人気ない……。


「もう、あぬぁたったるぁー! レイナかうぁいそーでぇーすぅ!!」


「し、しまった! つい……ごめんよレイナ!!」


 ママンのカタコト注意を受け、慌てふためくパパン。それにしても、あの水咲純が取り乱すとは珍しい。少しからかってみよう。


「もうパパと野球しない」


「えーーーー! ごめんよレイナ〜〜」


 昼過ぎの公園内に日本チャンプの絶叫が響き渡る。


 まったく、このパパ上殿はとんだ親バカじゃのう。ワシの乳離れも遠いようじゃが、父の子離れはもっともっと先のようじゃな。

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