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第二十話『お怒りですか? いいえ、激励です!』

 ゆっくりと舞い上がる白球を打ち返すこと何球目だろうか。ワシの放ったスマッシュは無情にもネットという壁に阻まれる。


 桐崎 4ー3 水咲


 一セット目の前半とは思えない程の汗が額からこぼれ落ちる。すでに二十球近くのスマッシュを打っているはずじゃが、獲得した点数はたったの三点。決してワシの調子が悪いというわけではない。さらに言うのであれば、一つ一つのプレイの熟練度ではワシが大きく上回っているのは間違いない。


 これはワシの慢心じゃ。前世を含む膨大な練習量と知識に溺れ、今の己の決定的な弱点を忘れていた。


 どれだけ技術があり、試合(ほんばん)慣れしていようが、今のワシは三歳八ヶ月の幼女に過ぎないのじゃ。対して相手は六歳から七歳近くの女子小学生である。身長はおそらく今のワシよりも三十センチ近く大きいじゃろう。


 ワシが動き回ってスマッシュを打つのに対して、涼香はその名前同様に涼しい顔でボールを天高く打ち上げる。リーチの長さと根本的な体力の差を前に、ワシが攻めあぐねていると、その僅かな隙を突くようにして、相手のフォアドライブが決まる。


 桐崎 5ー3 水咲


 点数差よりも問題なのは、大きな体格差と相手が繰り出す無慈悲なまでに正確な粘り強いロビングだ。


 元々の体力差を更に開かせるかのような試合運びは、こちらの弱点を異様なほど的確に突いている。


「ふふ、レイナ。これは私達のリベンジなのよ」


 不敵な笑みを浮かべ、涼香が笑う。


「リベンジ?」


 一体どういう意味じゃ……。いや、ただ動揺を誘う為の戯言か?


 涼香の左手がボールを天高くあげ、鋭いロングサービスを繰り出す。ワシはそれを回り込んで強打する。心に僅かな動揺はあるが、決して悪い返球ではなかった。涼香は素早く後陣に下がり、ワシのスマッシュを山なりのボールで返す。このままではまずい。スマッシュ対ロビングの構図を長く続ければ続ける程こちらが不利になる。そう判断したワシはスマッシュを打つフェイントを挟み、ストップレシーブを繰り出す。ネットギリギリに落ちたその球を拾う為、涼香は素早い動きで台上に戻るが、一歩遅く、相手のラケットがボールに触れることはなかった。


 桐崎 5ー4 水咲


「流石のボールタッチね。お父さんそっくりの柔軟なプレイ」


 褒め言葉のはずのその言葉は何故か、喉に魚の骨が刺さった時のような嫌な違和感を与えてくる。


 その後もその違和感の正体は掴めぬまま、試合はゆっくりと進んでいくが、ストップレシーブとスマッシュを織り交ぜたプレイにより、一セット目はなんとかワシが先取することとなった。


 セットの変わり目でベンチに戻り汗を拭く。


「レイナ、大丈夫か?」


 パパ上殿が心配そうな顔でワシの顔を覗き込む。


「大丈夫。やれる」


 冷た過ぎないスポーツドリンクを飲み、ワシは短くそう答える。


「そうか、無理だけはするなよ。スマッシュとストップの組み合わせは効いている。いつも通りにやれば勝てるぞ!」


 パピィの力強い言葉を受け、ワシは再びコートへと戻る。


 第二セットはこちらのサーブ権から始まる。


 いつも通りのトスを上げ、下回転の効いたサーブをネットぎわに落とす。しかし、それを予期していたかのようなスムーズな動きで台上に近づいた涼香が手首のスナップを生かした滑らかなフリックを決める。


「読めていたわ。あなたの対応力なら、一球目は短めのサーブで私を台上に張り付け、後ろに下げないようにすると。私はあなたを絶対に見逃さない」


 ワシへの異様なまでの執着を感じさせるその言葉とは裏腹に、涼香の瞳は目の前のワシではなく、どこか別の何かを見つめているような遠い目をしていた。


 そのあまりにも子どもらしからぬ複雑な眼差しに強烈な違和感と自身の境遇に似た何かを感じさせられる。


 いかんいかん、目の前の試合だけに集中せねば。


 再び気合いを入れ直し試合を進めるが、一つ一つのラリーが長く、カウントは遅々として進まず、体力だけが悪戯に消耗されていく。


 まずい……。ストップレシーブを織り交ぜたプレイにも涼香は確実に対応してきている。


 一点を獲るためのラリーがとてつもなく長く感じる。汗が滝のように流れるが、対して相手は涼しい顔のまま。しかし、試合の流れはなんとかワシの方にある。


 もう何球目かもわからないボールを相手コートに叩きつけ、なんとか二セット目の行方もワシが掴みとることとなった。


 再びベンチへと戻り、お父様のアドバイスを聞くも、意識が朦朧としていて、今一内容が聞き取れない。スポーツドリンクで口内を潤すも、足の筋肉が疲労の蓄積を訴えかけてくる。


「集中」


 自分を鼓舞する為のその言葉も、もはや意識を保つためだけに言っているような気さえする。


 体力の回復を待つことなく、三セット目が始まる。


 ボールが行き交うラリーもどこか間延びしているように感じ、ドライブのキレも落ち始めている。


 際どいコースへの返球が来た。これはおそらくとれないだろう。一球くらいなら……。そんな諦めが脳裏を過ぎる。


「レイナ!!」


 突如、天上から轟く怒号がワシの鼓膜と心を揺らした。その幼いながらも力強い声は、ワシに一切の妥協を許さない。


「くっ、おるぁーーー!!」


 幼女には似つかわしくない雄叫びを上げ、シューズと床が擦れる激しいスキール音を鳴らしながら、ワシはボールへと飛びつく。


 渾身の飛びつきフォアドライブが涼香の真横を突き抜ける。


「しゃあ!!」


 たかが1点、されど1点。卓球とはその1点の積み重ねで勝敗を決めるのだ。危ないところだった。その気持ちが枯れれば、全てが終わる。


 ワシはとてつもない感謝を胸に、声援が聞こえた二階の観客席を見つめる。


 そこに立つのは銀髪の幼女が一人。ブルーの双眸が真っ直ぐにワシだけを見つめていた。


 鋭い視線が語っているのは、勝てよ。その一言のみ。


「集中!!」


 つい先程とは意味合いの違うその二文字をワシは力強く口にした。


 疲労値は限界に近い。だが、嘘のように集中力は増していく。


 今なら回転するボールのロゴさえ認識出来る気がする。


 カンコンカンっと弾む球の行方が手に取るように分かり身体も自ずとリズムにのる。


 連続得点が続き、集中力が加速度的に高まっていく。


 さぁ、マッチポイント。宙に浮いたこのチャンスボールを決めればワシの……。



 あれ……? 足に力が入らない。


 ラケットが手からこぼれ落ちる。


 瞼が重い。


 あれ……。あれ?


 意識が遠くなっ……。

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