第十八話『チャンスボールですか? いいえ、ロビングです!』
全国大会初日の試合が終わり、ワシらは昨晩も泊まった旅館へと戻ってきていた。
入浴と夜ご飯を済ませ、現在は和室の中央で座卓を囲んでいる。するとパピーがおもむろに立ち上がり、部屋の壁際に置かれているテレビへと近づく。何やら、ビデオカメラとテレビを接続しているようじゃ。
「よし、次の対戦相手の試合をチェックしよう」
気合いのこもった声で父上がそう言った。
なるほど、明日からの決勝トーナメントに備えて、対戦相手の情報収集というわけか。
パパンの言葉の直後、真っ黒だったテレビ画面には二人の少女が映し出される。
青色の台を挟んで対峙する少女達の姿は真剣そのものだ。
奥側に映る選手からのサーブで試合が始まった。両選手ともに、シェークハンドのドライブマンのようだ。
画面上では、良くも悪くも、癖のないシンプルな試合展開が繰り広げられている。どうやら、手前の選手の方が僅かに劣勢か? とワシが形勢を見極めようとしていると、その手前の選手が急に後陣へと下り始めた。そして台の後ろから大きな山なりのボールを打ち上げた。
そのボールは緩やかな軌道を描いて相手コートへとたどり着く。当然その打球はチャンスボールでしかない。結果、奥側の選手が放つ激しいスマッシュが手前の選手を襲う。しかし、そのスマッシュさえも再び山なりのボールで返球する手前の少女。
そこからが長かった……。手前の少女が永遠にボールを打ち上げ続け、奥の選手がスマッシュを打ち続けるという構図が出来上がったのだ。攻めているはずの奥側の少女の額は汗だくで、逆に、手前の少女は顔色一つ変えていない。遂に体力を使い果たした奥側の選手はそのまま、勢いを無くし敗北することとなった。
長い映像が終わり、まず最初に口を開いたのはパピーだ。
「この年齢でロビングを使いこなす選手を見るのは初めてだ。そもそも、ロビングはあまり正攻法ではないし、監督によっては叱る人もいるくらいだからね。まぁ、俺もよく怒られたしな」
そう言って照れ笑いを浮かべているこの男も、世界屈指のロビング使いである。日本で卓球をやっている者の中で、水咲のロビングを知らない者はいないだろう。後陣から打ち上げられるロビングは数々の猛攻を凌いできた。
「たぁすぅかぁーに、すごぉいぎじゅちゅどぅえーすね」
僅かに緊張感の漂う部屋に、ママンのカタコトジャパニーズが響き渡る。
「あぁ、確かに凄い技術だね。でも、ロビング以外の技術は全てレイナが優っている。落ち着いて対処すれば勝てる相手だ」
柔らかい表情を浮かべた父上が落ち着いた声音で語る。
そう、パパンの言う通り、今の試合映像を見る限りでは、次の対戦相手の技術は良くても並じゃ。確かに全国レベルの基準は満たしているものの、ロビング以外の技術はあくまでも標準的なものだ。しかし、そんなことがあり得るのだろうか? 後陣で相手の打球を凌ぐ技術は普通、対戦相手のレベルが高く、そうしなければ猛攻を捌けない時に使用することが多い。だとすれば、画面越しの彼女は、かなりレベルの高い環境で研磨されているはずじゃ。ワシはその一部に特化された技術に少なくない疑問を感じていた。
「あまり考え過ぎても良くないからね、とりあえずは普段のプレイを心がけて、あとはロビングにだけ注意をしよう」
しばしの沈黙の後に、パパンが再び口を開いた。
「うん、わかった……」
何か、心の何処かに引っかかりを覚えたワシの言葉には、いつもの力強さは無かったように思える。
そんな、僅かな感情の機微を察したのか、隣で映像を見ていた葵が僅かに顔を曇らせながら、控えめな視線でこちらを伺っている。
いかんいかん、こんな小さな男の子に心配をかけるなど、あってはならないことじゃ。
ワシは自らに発破をかける意味合いも含め、自身の小さな頬を両手で挟むようにして叩く。
すると次の瞬間、パチンっという乾いた音が部屋中に響く。それは奇しくも、高く打ち上げられた白球の音にも聞こえ、ワシの心を惑わせる。
高く高く打ち上げられた白球のイメージ。それを打ち続ける自身の背中が見える。
ボールの行く末と、その先の結末は……。