第十七話『標準語ですか? いいえ、博多弁です!』
鳥のさえずりと共に起床し、用意された和食の朝食を食べ終え、ワシらは旅館を後にした。
現在時刻は午前十一時。選手の皆がアップを済ませ、開会式も終わった所だ。
いよいよこれから女子選手達の第一ステージが始まる。
この大会にはそれぞれ、三つの階級が存在し、ホープス、カブ、バンビと分けられている。
小学6年生以下のホープス、4年生以下のカブ、2年生以下のバンビといった具合だ。大会などで実績のある選手が上の階級で出場することもあるが、基本的にはこのようにして学年ごとに分けられている。
もちろんワシらは最年少の部に出場するわけじゃ。いわばこの大会は一流選手への登竜門的な存在で、有名選手の多くが小学生時代にこの大会で優勝している。
ワシが狙うは優勝の二文字。最年少出場記録に関しては塔月ルナに誕生日の差で奪われてしまうからのぅ。ならばワシは、最年少優勝をするまでのこと。トーナメント表によれば、ルナとは決勝まで当たらない。この大会、どうやら最後まで楽しめるようじゃ。
体育館内に響くアナウンスに従い、指定された台へと向かう。初出場のワシの背には多くの視線が集まっている。ゼッケンに書かれた水咲の二文字が会場内の注目を集めてしまっているのじゃろう。その視線の中には卓球の雑誌記者らしき人の視線も混ざっている。
ワシは雑念を払い、ラケットに貼られた赤いラバーを見つめた。照明を受け艶を出す赤いラバーは、不思議とワシの心を冷静にさせる。
まずは予選のリーグ戦を勝ち抜き、決勝トーナメントに残らなくてはいけない。
台を挟んで目の前に立つのは、緊張気味の少女が一人。背丈からみてワシよりは年上であることがわかる。おそらくは6歳位じゃろう。全国大会ということもあり、体育館内には大型のカメラなども見受けられる。
更にこの試合は、日本チャンプの娘の初戦ということもあり、注目の的となっている。
対戦相手の少女には申し訳ない程の強烈な緊張感がこの一台の卓球台を包み込んでいた。
サーブ権はこちらに決まり、いよいよ試合が始まる。
目の前の少女のラケットはオーソドックスな攻撃型の両面裏ソフトラバー。まず間違いなく、シンプルなドライブマンと考えて良いじゃろう。
「集中」
短い言葉を口にして、頭を切り替える。
そして、試合開始直後の独特の空気を吸い込みながらワシは、フリーハンドの右手でトスを上げる。重力に従い落下してきた白球の底をフェイントを織り交ぜたフォームで強烈に擦る。ネット側に落ちる強烈な下回転サーブが相手コートに着弾する。
初戦とはいえ、全国大会。ワシのショートサーブを丁寧なツッツキで返してくる相手。しかし、その返球は甘い。ワシはミドルに跳んできた球を回り込みの勢いを乗せた鋭いフォアドライブで返す。膨大な回転量を秘めた打球が相手の逆サイドを駆け抜ける。
審判がボールの行方を見つめながらも、得点ボードをめくる。
その1点を皮切りに、ワシの快進撃がはじまった。得意のフォアドライブとフットワークを生かし、連続得点を決める。年齢を考えれば、相手の少女もかなりの実力者ではあるのだが、そのプレイにはまだ狡猾さが足りていない。コースの打ち分けによる揺さぶりや、細かいフェイクがなく、試合に駆け引きが無いのだ。それ故に、試合展開は単純な地力勝負となり、ワシは順調に得点を重ねていく。
この大会の予選リーグは2セット先取のルールとなっており、普段の試合の感覚よりも決着がつくのがはやい。
最後の得点を決め、試合を振り返れば、11-2、11-4という結果に終わった。
最終セットでは、相手の少女がワシのボールに食いついてくる展開もあり、素直に感心する場面もちらほらと出て来ていた。
「ありがとうございました」
試合が終わり、握手と挨拶を交わす。
予選リーグは3人から4人で構成されたグループに分かれ、その中で総当たり戦をして、トップの選手が決勝トーナメントへと向かう仕組みだ。ワシのグループは3人なので、次の一戦に勝てば決勝トーナメントの出場が決まる。
ワシは軽い水分補給をして、次の試合に備える。
少し上を見上げると、観客席に座るママンの優しい笑顔が見える。
ベンチコーチとしてすぐ後ろに座っていたパパンも軽い微笑みを浮かべていた。とりあえずは娘の全国デビューの結果に一安心といったところか。
「次の試合も今のペースでいこう、今日は一段とフットワークが軽いし、フォアドライブが走ってる」
そう言って短いアドバイスを口にしたパピーは再び、青い防球フェンスの近くまで下がった。
二試合目の相手はどうやら前回のバンビの部ベスト八の選手らしい。明らかに先程の少女よりも落ち着いている様子だ。
少しの間とともに予選リーグ第二試合が始まった。
相手選手のゼッケンには倉橋と書かれており、その下にはクラブチームの名前も書かれている。どうやらこの子は福岡から来ている選手のようだ。セミロングの髪をひまわりの髪留めで留めているのが印象的だ。
サーブ権はあちらに決まり、二試合目が始まった。
スピード感のあるシンプルなロングサーブがバック側へと跳んでくる。回り込むには少し際どいタイミングだ。ワシはその打球をバックのショートで返球する。台の角を狙ったコントロール中心のショットだ。
相手選手はそのボールに追いつくも、体勢が崩れており、返ってきたのは浮き球の絶好球。ワシはそれを逆サイドへとスマッシュする。
相手コートを白球が駆け抜け、ワシの先制点が決まる。
「ばりはやかー、こげんスマッシュとれんたい、ちゃけど、先に打てばよかばい」
ワシのスマッシュに驚いた目の前の少女が何事かを呟いている。そして、先程よりも明らかに前傾姿勢になり、台に密着する程の近さでラケットを構え直している。この構えは間違いなく、前陣速攻を仕掛けてくるはずじゃ。ワシに決定打を打たれる前に勝負をつける魂胆か。狙いは悪くないが、ワシに半端な前陣速攻は通用せん。
二球目の相手サーブはまたもバック側へのロングサーブ。ワシは素早いフットワークでボールに回り込み、対角線へ強烈なスマッシュを打ち込む。
文句なしの手ごたえを感じた次の瞬間、
ーーカンッ!! という甲高い音とともに、ワシの真横を四十ミリの白球が駆け抜けた。
呆気にとられながらも、審判が得点板をめくる。
倉橋 1ー1 水咲
これ程のスピードがのった前陣カウンターを目の前の少女が放ったというのか?
前陣速攻の強みは、ボールに込められた威力ではない。その最大の武器は相手コートにボールが辿り着く到達速度だ。
ボールの跳ね際を打ち、相手の体勢が万全になる前に返球する技術。それは反射速度と軌道予測が問われる、強い才能を必要とするプレイスタイルだ。
しかし、だからといって、おいそれと勝ちを譲る気などさらさらない。
次の二球はワシのサーブから始まる。さて、年の功を見せてやるかのぅ。
トスを上げ、落下してくる白球を見つめる。ボールに印字されたメーカーのロゴがワシの目にはハッキリと映る。よし、集中力は万全じゃ。
瞬間的な確認作業を済ませ、ワシは小さくラケットを振る。ショートサーブに見せかけた小さな動きから繰り出される手首を最大限に生かした高速ロングサーブである。
ワシの放ったサーブが最速で敵陣を突き進む。ボールの跳ね際を狙われるのなら、より速いスピードで勝負するまでよ!!
「よかね、真っ向勝負たい!!」
ワシの誘いに乗った相手はラリーのピッチを更に上げる。
互いに一歩も下がらない、意地と意地とのぶつかり合い。この勝負、戦線を下げた方が負ける。
ラリーの本数自体は多いはずだが、試合の展開は異様な速度で進んでいく。ノーガードからの殴り合いのような試合。
高速ラリーが続き、両者の間にはある種、信頼に似たリズムが生まれる。
ワシはその信頼を不意に壊す。
高速で往復する白球が、ワシのラケットにあたり僅かに浮く。それは一見するとただのミスだが、しかし、ワシには明確な狙いがある。緩い球をややキツイコースに浮かせ、相手に無理な体勢で打たせに行かせる。
相手のスマッシュがワシのバック側へと跳んでくるが、ワシの体勢はすでに万全。そう、球を浮かせたのには二つの理由がある。一つ目は、続いていたリズムを崩し、相手の動揺を誘いつつも決め球を打たせる為。二つ目は、球を浮かせ、一瞬の時間を作り出し、自らの体勢を整える為じゃ。
ワシは万全の状態で、強烈なカウンタースマッシュを放つ。
確かな手ごたえとともに、ワシの得点が決まる。
卓球には試合を左右する1点というものがあり、この試合におけるその瞬間は、間違いなく今の得点だっただろう。
ワシは勝利への確信をただ、現実へと変換していく。
11ー6
気がついた時には最終ゲームのマッチポイントをもぎ取っていた。
セット数だけを見ればワシの2セットストレート勝ちじゃが、その試合内容は濃密なものだった。
「バリつよかね、次は唯が勝つたい!」
試合が終わり握手を交わしながら、目の前の少女が方言混じりに言った。
「うん、また戦おう。でも次も私が勝つけどね?」
ワシは相手を認めた上で自信満々にそう言った。
「悔しいけど、かっこよかね」
そう言って唯と名乗った少女は悔し涙を流しながら、青い戦場を後にした。小さな背中がより小さくなっていくのを見送り、ワシの全国大会初日の試合は終了した。