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第十六話『露天風呂ですか? いいえ、楽園です!』

 奇跡のような光景が目の前に広がっている。眼に映る全てが鮮やかな橙色に包まれ、淡い暮れ方の夕陽が露天風呂の水面に注がれる。それは、怪しくも魅惑的で、美しくも幻想的な世界。立ち昇る湯気にすら夕陽の光線が色を与えている。そしてその、茜色のスポットライトが天女達を照らしており、それはまさしく一枚の絵画のようであり、自然が生み出した究極の芸術だ。


「レイナ、なぁーにしっとりまぁすぅくわぁ? かぁーぜうぉひぃきまぁつよぉ?」


 夕陽に輝く茜色の湯に浸かっていた天女(ママン)がゆっくりと立ち上がり、こちらに向かって叫んでいる。

 驚く程に白く、しなやかな身体が水面から現れ、水滴を纏った身体を夕陽のドレスが覆う。白色の肌と夕陽のコントラストが完璧な美を演出していた。

 究極の美を目の前にした時、人は言葉を失ってしまう。そこには妖艶さを越えた美だけが存在する。ワシにはすでに低俗ないやらしい気持ちなどない。ただワシは眺めるだけじゃ。小さな顔から細く長い首を下り、母なる原初の双丘を拝みながら、美しく流れる腰のラインへの旅路を辿る。


 あぁ、湯に浸かる前にのぼせてしまいそうじゃ。しかし、そんな気持ちとは裏腹に、いい加減、身体が冷えてきた。

 水気を帯びた小さな身体に、緩やかな風を感じる。夏とはいえ、濡れた身体で外にいれば風邪を引いてしまう。

 ワシはママンの言葉に素直に従い、ゆっくりと身体をお湯に浸ける。

 あまり底が深くはない作りの温泉じゃが、ワシの小さな身体にとってはかなりの深さである。慎重に身体を沈め、段差になっている部分に座り、冷えた身体を温める。


「あぁー、極楽、極楽」


 ワシは手拭いを頭に乗せて、お決まりの言葉を呟く。

 

「ふふ、レイナちゃんは色んな言葉を知っているのね」


 ワシの正面にて朗らかに笑っているのは、葵ママ(28歳、隠れ巨乳)である。


 しまった、つい気が緩み油断した。今のは少々、年寄りくさかったかも知れん。いや、臭くはないよ? ワシ、幼女じゃし?


「葵はこっちに入らないの?」


 ワシは話題を変える意味合いも込め、葵ママへと問いかける。実際、気になっていたことでもある。葵はとてもしっかり屋さんではあるが、まだまだ四歳の男の子である。その位の年齢ならまだ、お母さんとお風呂に入っても不思議ではない。


「いつもはあの子も私と入るのだけれど、今日はレイナちゃんが居るから恥ずかしいのかも知れないわね。それにあの子にとって、レイナちゃんのパパは憧れの選手でもあるから、一緒にお風呂でお話がしたかったのかも知れないわ」


 そう言って、優しい笑顔を浮かべる葵ママ。

 なるほど、だから葵はワシのパパンと男湯に入ったわけか。ふむ、もったいない。母に甘えられる権利はそう長くはないぞ?

 そんなことを考えながらワシは、露天風呂を一望する。


 極楽とはよく言ったもので、温かなお湯が日頃の疲れを全て洗い流してくれるようだ。そしてこの立派な露天風呂には、ワシら三人の他に客の姿はなく、事実上の貸し切り状態であった。


「こぉーのおゆのこうのーは、かぁたくりようつーにきくらしぃーでぇすよ?」


 ママンが木製の看板に書かれた温泉の効能を読み上げている。


 前世のワシならいざ知らず、今のワシには、肩こりや腰痛など無縁の話じゃな。そんな事を考えていると、正面の葵ママがのんびりと口を開く。


「へぇー、私、肩こりが酷いんですよね。治るかしら」


 葵ママは水面から覗かせる白くて小さな肩を回しながら、効能の書かれた看板の方を見つめている。確かにその立派な双丘(メロン)の存在は、両肩に多大な負担を強いているのだろう。


 露天風呂、お湯に浮かぶは、おっぱいが。


 玄三、心の一句。


 夕陽に照らされる水面(みなも)の中で一句詠むなど、これほど風情のある状況が他にあるだろうか?

 ワシはこの情緒溢れる光景を、青色の双眸へと焼き付ける。


 あぁ、幼女に生まれて良かった……。


 * * *


 楽園を抜け、旅館の浴衣に袖を通したワシらは、湯に浸かったばかりだというのに、もう汗をかいていた。


 聞き慣れた音が一定のリズムで鼓膜を揺らし、ゆったりとした少し大きめの浴衣の袖が揺れる。

 視線の先にはラケットを握りしめた葵が立っており、ワシが打ったスマッシュをバックでブロックしている。


 そう、まさに今、ワシらは温泉卓球に興じている。


 ワシらは観光の為にこの地を訪れたのではない。明日開かれる、全日本卓球選手権バンビの部に向けての最終調整が今、行われている。

 旅館に設けられた卓球をする為の一室。ワシの左手にはマイラケットが握られており、軽いラリーが静かな部屋にボールの音を刻む。


「明日はいよいよ、初の全国大会だね、緊張しているかい?」


 ワシの後ろでラリーを眺めていた父上がおもむろに口を開く。

 その問いかけに対し、軽く首を傾げる葵。まだ彼には、緊張という感覚がピンときていないのだろう。北海道の予選での葵は1ゲームも落とさずに勝ち抜いたのだから、試合による緊張感というものが分からないのも無理からぬことだ。

 もちろん葵の勝利を願っているが、今後の彼の成長の為にも、ひいては日本卓球界の躍進の為にも、この大会、青山 葵という天才児を緊張させる程の相手(ライバル)が現れる事を、ワシは密かに願っていた。


 一方ワシは、すでに好敵手を得ており、今掲げる目標はただ一つ。


「レイナは絶対にルナにリベンジして優勝する!!」


 ワシの決意が室内に響き、その気合いとともに放ったスマッシュが葵のブロックを弾いた。


 床に転がるピンポン玉の音。場所は変われどやることは変わらない。

 いや、場所どころか、老体から幼女に生まれ変わってもやることは変わらないのだ。


 今も昔も、ワシがやることはただ一つ、『卓球』、その二文字だけがワシの心を震わせる。


 だからきっと明日も、ワシは同じことを、違う場所、違う相手とやるだけだ。しかし、その事がたまらなく嬉しく、たまらなく愛おしい。


 この世界での心構えならば、前世からすでに出来ておる。さぁ、いよいよ、ワシの全国デビューが幕を開ける。

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