第十四話『哲学ですか? いいえ、クマさんです!』
夏祭りから数週間、ワシは来る日も来る日も卓球台の前に立ち続けた。ラケットを握らなかった日は一度足りともない。そして、明日はついに待ちに待った全国デビューを飾る日じゃ。
その為に現在ワシは、パパンとママンと葵と葵ママの五人で新千歳空港にいた。
全日本卓球選手権バンビの部に参加する為、北海道を飛び出し、会場である兵庫県の神戸市を目指す。
体調面も考慮して、一日先に前乗りする予定なのじゃ。
「いやー、やっぱりここの空港は広いね」
ワシを肩車しながら、空港内を見回す父上。
普段よりも数段高くなった視点からワシも辺りを見回す。
ほぅ、少し先に案内板らしきものが見える。
「パパ、あっちに案内板があるよー」
ワシは肩の上からパパンの首の照準を案内板の方へと合わせる。
「おっ、見てみるか」
そう言って軽い相槌をうち、少し先の案内板の方へと歩く親父殿。
どうやらタッチ式の案内板のようで、画面の中にはカラフルな文字列がおどっている。
流石は日本屈指の観光地である北海道。空の玄関であるこの空港内は食事処も充実している上に遊べるスポットも山程ある。子ども向けのアミューズメントパークにゲームセンター、それに巨大な温泉まで完備されておる。
「フライトまで時間もあるし、二人の前祝いもかねてお寿司でも食べようか?」
案内板の液晶を見つめながら、パパンが全員に語りかける。
前祝いとは少し気が早いようにも感じるが、どうやら親父殿はワシらの勝利を確信しているのかも知れない。
「うん、お寿司食べたい!!」
ワシは努めて可愛らしく返事をする。
「葵もカニさん、食べたい」
ワシの言葉に続くようにして、葵も控えめにカニさんアピールをする。
時刻はただいま午前十時、フライトまでは二時間近く余裕がある。
パパンの肩車から降り、エスカレーターに乗って飲食店の集まるエリアへと移動する。
やはり観光地だからか、先程からすれ違う外国人率が高い気がする。まぁ、側から見れば、ママンもワシも外国から来た観光客に見えるのかもしれないが。
エスカレーターを降りて右手に曲がり、ジンギスカンを中心に扱う肉料理店を通り過ぎる。するとその角から目的のお店らしき看板が見えてきた。函二郎、それがこのお店の名前のようじゃ。
いつもは満席らしいお寿司屋さんも、流石に朝一番ということもあり、すんなりと店内に入ることが出来た。
女性店員さんの案内に従いテーブル席へと座る。奥側からパパン、ワシ、ママン、対面に葵ママ、葵の順じゃ。
ワシがおしぼりで顔を拭いていると、正面に座る葵が不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
いかん、いかん、今のはちょっと、子どもらしさに欠けていたのぅ。注意せねば。
注文はどうやら、タブレット式になっているようで、画面内にはお寿司の画像と価格が種類ごとに並んでいる。みな、思い思いに好きなネタを言い、それをパパンが画面をタップし注文している。
「えっと、葵は、たまごが食べたい」
たどたどしい意思表示が実に可愛らしい。それを聞いたパピーも思わず笑顔になっている。
ワシもそれに習うとしよう。
「レイナはあん肝と蟹味噌が食べたい!!」
可愛らしい声音を意識しながら、幼女らしい笑顔を浮かべるのがポイントじゃ!!
「かにみそ? あんきも? 何それ?」
ワシのチャーミングな注文に首を傾げる葵。
その疑問にワシのママンが答える。
「かぁにみそさんはかぁにさんのこうらのなーかのわたで、あんきーもさんはおさかなさーんのかんぞぉうさんでーす」
難しい内容のお話を解読困難な日本語で語るマミー。葵の首が更に不思議そうに傾く。するとその隣に座る葵ママが口を開く。
「レイナちゃんは渋いお寿司が好きなんだね〜」
優しい眼差しの葵ママ。美人の瞳に見つめられ、ワシ、どうにかなっちゃいそう。
お寿司を食べる前に胸がいっぱいになってしまう。
それからワシらは談笑しつつもお寿司をつまみ、贅沢なひとときを過ごした。
テーブルには色とりどりのお皿が並び、全員の顔が満足そうに緩んでいる。
最後にパピーがお会計を済ませ、ワシらはお店を後にした。
「すみません、私達までご馳走になってしまって」
葵ママが丁寧な所作で頭を下げる。
「いえ、葵君にはいつも娘がお世話になってますので」
パパンも合わせて頭を下げる。
「もしよろしかったら、デザートなんていかがですか?」
「甘いもの食べたい!」
葵ママの言葉にすぐさま反応した葵。この子がこんなに明確な意思表示をするのは珍しい。きっと相当な甘党に違いない。
斯くしてワシらは甘味を求めて移動を開始するのであった。
飲食店のフロアを抜け、真っ直ぐに歩くと何やらガラス張りの工場らしき場所が見えてきた。
空港内に工場とは一体。そんな疑問を抱えながらもワシはガラス越しに中を覗き見る。
そこには夢の国が広がっていた。茶色の液体がファンシーな型に流し込まれ次々と形になっていく工程が見られる。そう、ここは空港内にあるチョコレート工場なのだ。
「しゅ、しゅごい」
ワシの隣でガラスに張り付いている葵が口内に溜まった唾液をゴクリと飲み干す。
「チョコレートはわたーしもだぁいすぅきでぇーす!!」
娘の横で、一緒になってはしゃぐ母上。
ワシとママンと葵の三人はこの工場で作られたチョコが買える限定のショップへとルンルン気分のスキップで向かう。冷静に考えると、この中に子どもは一人だけなのじゃが、冷静になってはいけない。人生には冷静になってはいけない瞬間というのが往々にして存在する。
店内には様々なチョコレートがずらりと並んでおり、絶賛幼女中のワシにとっては夢のような光景である。隣の葵も瞳を輝かせながら吟味している様子だ。
ノーマルなタイプも勿論良いが、ホワイトチョコやフルーツ系も魅力的じゃ。ラバー選びをしている時のような楽しさがここにはあった。
しかし同時にそれは、苦痛の時間でもある。何かを選ぶということは、何かを選ばないということであり、何かを救うということは、他の何かを見捨てることに繋がるのだ。ワシのこの小さな手には、全てを掴むことは出来ない。願いとは多くの犠牲を伴うものだ。掬い取れなかった水は溢れてしまうのが世の常だ。しかし、この痛みに慣れてはいけない、何故ならば、、、
「決めたー、クマさんにする!!」
隣から聞こえた元気いっぱいのクマさんコールがワシの思考を現実へと引き戻す。
うん、ワシもクマさんにしよう。
考え過ぎてはいけない。人生には考え過ぎてはいけない瞬間というのが往々にして存在する。
「じゃあ、わたーしもくぅまさんにしまぁーつ」
結局は全員がクマさんのチョコレートバーを買い、ワシらは仲良く搭乗口へと向かう。
いよいよワシ、大空へと羽ばたきます!!