第十二話『直球ですか? いいえ、曲がります!』
札幌市のとある体育館。体育館内には、白球が行き交う乾いた音が響いており、騒がしくも規則的なその音が否応無しに高揚感を高めていく。
休日ということもあり、老若男女、様々な人達が集まっている。そしてその視線を一身に浴びているのは、全日本卓球選手権大会チャンピオンの水咲純。そう、ワシのパパンである。
今日は地域の卓球ファンを集めた講習会。そしてその特別ゲストコーチとして呼ばれたのがワシのお父上というわけじゃ。
よく大会なども開かれるこの体育館内は非常に広く、卓球台が数十台並んでおり、参加者の人達が思い思いに卓球を楽しんでいる。そんな様々な選手のプレイを見ながら、アドバイスをしてまわる親父殿。ファンの人達は皆一様に感動した面持ちである。ワシはそんな様子を父上の背中越しにぼんやりと眺めていた。
そうして順に台を見回っていたパパンが、ある台の前で足を止めた。そこには、ワシよりも少し背の高い幼女の姿があった。
「ハンドソウラケットか、珍しいね。君の名前は?」
父上殿が興味深い様子でその幼女へと話しかけた。その幼女の右手にはピストル型のグリップをしたラケットが握られている。
「火脚 陽って言います! 六歳です!!』
太陽のような眩しい笑顔を浮かべた幼女が元気いっぱいに自己紹介をする。赤みがかった髪を短髪にしているのが特徴的だ。
「元気がいいね。それに球筋も見ていて面白い。そうだ、うちの子と試合してみるかい?」
一瞬、ワシの方へと視線を向けた父上が、赤髪短髪の幼女へと問う。
「え、レイナちゃんと?」
「あれ、レイナを知っているのかい?」
「うん、この前の大会で見たから!!」
真っ直ぐな瞳が眩しい位に輝いている。
「なるほど、火脚さんもバンビの部に出ていたんだね」
「うん、2回戦でルナちゃんに負けちゃったけど……」
床を見つめながら悲しそうに語っている。その姿が孫の姿と重なり、ワシのじぃじ心に火をつけた。
「ねぇ、一緒に打とうよ!!」
悲しい思い出はスマッシュとともに叩き出してしまうのが一番じゃ。
「うん、やろう!!」
下を向いていた顔をパッと上げて、満面の笑みを咲かす陽ちゃん。それは読んで字の如く、陽だまりのような眩しくも優しい笑顔だった。
気持ちの切り替えがはやい。この子はきっと伸びるじゃろう。ワシはそんなことを考えながら、改めて自己紹介を始める。
「水咲レイナです。よろしくね、陽ちゃん」
「うん、私は火脚 陽。よろしくレイナちゃん!!」
小さなお手手どうしの柔らかな握手が交わされる。そのまま、どちらともなく自然と台につき、肩慣らしのラリーが始まった。それは次第にピッチを上げ、かなりの速さでボールが行き交う。ハンドソウラケットという、かなり珍しいラケットの使い手だからだろうか、相手のフォームは見慣れない形だった。しかし、その安定感と素早い反応速度から、かなりの実力者であることは推し量れる。
そんなワシらのラリーを後ろから見ていたお父上が両者に声をかける。
「じゃあそろそろ、ワンセットマッチでやってみようか」
『うん!』
幼女の声が重なる。
ワンセットマッチか、おそらくはイベントの時間の都合もあるのじゃろう。パパンはワシらだけに構っているわけにはいかない。それに、この後はサイン会や他のイベントも控えておるからのぅ。あぁ、いかんいかん、今は目の前の試合に集中じゃ。
じゃんけんにより、サーブ権は相手からに決まった。
「集中」
ワシは少し前傾姿勢になり、足を肩幅くらいにまで広げる。そして左手に握っているラケットを程よい高さで構える。
この試合、一球目のトスが舞い上がる。
対面の幼女は重力に従い落下してきた球を体を巻き込むようなフォームでサーブを繰り出す。テイクバックの大きいサーブは見た目通り、かなり回転量のある下回転系のサーブじゃ。
ワシはそれをフォアドライブで返球する。
ドライブ対ドライブによるラリーの応酬が続く。その中で僅かに緩い球が跳んできた。ワシは躊躇なくそれを、相手の届かないであろうコースへと打ち込む。
ーー空気を切り裂くボールの音が響く。
水咲 0ー1 火脚
それは、ワシのスマッシュが強烈なカウンターを受けた音だった……。
迂闊じゃった。ハンドソウラケットはその特徴的なグリップから、手を伸ばした時の守備範囲が通常のラケットよりも5センチ近く広い。他のスポーツならいざ知らず、この世界での5センチを甘く見てはいけない。その油断が今の失点を招いたのじゃ。
ワシは相手の守備範囲の想定を組み直し、その上でコースの打ち分けを始める。
水咲 1ー1 火脚
ひとまず試合は振り出しに戻る。
こちらに最初のサーブ権が回ってきた。
リーチが長いということは、それだけネット際の台上プレイにも有利というわけだ。ワシは、敵の土俵に立たないように、ロングサーブを選択した。
相手のフォア側に鋭いロングサーブが跳ねる。それを対面の幼女は、見慣れないフォームで返球してくる。そのボールがワシの手元でバウンドした瞬間、それは突如として恐ろしい程の急カーブを描き、打球は台の外へと逃げる。ワシもそのボールへと食らいつくが、甘い球が打ち上がり、手痛いスマッシュを食らってしまった……。
水咲 1ー2 火脚
なるほど、理解した。この子の武器は遠心力を最大にまで生かしたカーブドライブというわけか。この歳で変則的なラケットの特性をここまで生かすとは驚きじゃ。いや、この若さだからこそ成し遂げられる技か。
それにしても、この子が2回戦で敗退したと考えると、トーナメントの運も卓球においては重要な要素になり得ると痛感する。ルナと当たるのが遅ければ、間違いなくこの子も全国大会に進んでいただろう。
そんな思考をさせる程には、この子の卓球には才能を感じさせるものがあった。そして何より、楽しそうにプレイをするのだ。彼女の天真爛漫な性格が打球に乗り移っているかのように、ボールが楽しそうに右へ左へ自在に曲がる。
ワシはそんな相手に翻弄されながらも、楽しく試合を進めていた。
しかし、たとえ練習試合であろうと、ワシは約束したのじゃ。ルナとの再戦までは、誰にも負けないと。
だからワシは、全身全霊を込めた上で、この試合を楽しむ事にした。
ラリーの音が二人の間に独特の共有感を生み出す。その空気は次第に会場全体を包み込み、この一台の卓球台へと視線を集めていた。
激しくも楽しい台上の対話が続く。
ワシが熱烈なパワードライブで仕掛けると相手も負けじとカーブドライブでそれに応える。
飛び散る汗が心地よい。元から高い幼児の体温が更に上昇するのを感じる。両脚には乳酸の蓄積を感じるが、不思議とフットワークが軽い。
加速した思考の中で、脳が歓喜しているのがわかる。
水咲 10ー7 火脚
気がつけばいつの間にか、ワシのマッチポイントになっていたようじゃ。楽しい時間は本当に早く過ぎてしまうものじゃ。
ワシは対面の幼女を左右に揺さぶり、徐々に体勢を崩させる。そしてそのタイミングで、バック側へと抜ける鋭いドライブを放つ。相手のバランスが完全に崩れようとし始めていた。
しかし、目の前の幼女の赤い瞳にはまだ、勝利への炎が灯ったままだ。
彼女は素早く後陣へと下り、崩れた体勢で必死にバックカットを繰り出した。おそらくそれは、苦し紛れの一打。
すまんな、少し前のワシならともかく、今のワシにそのレベルのカットは通用せん。
ワシの全力のパワードライブがクロスを打ち抜く。
水咲 11ー7 火脚
ゲームセット。
最後の相手の打球は苦し紛れのものだったが、ワシはそこに光を見た。最後の最後までボールに食らいつく姿勢はとても美しいものじゃ。彼女もまた、一人の立派な卓球選手である。
『ありがとうございました』
小さな頭を下げあい、二人の幼女は固い握手を交わす。
「うぅー、悔しい、でも次は負けないからね!」
ラケットを握っていない右手で潤んだ瞳を擦りながら、はっきりとした口調で話す陽ちゃん。
そこには、涙と笑顔の混ざり合った美しい太陽が輝いていた。