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第百四話『感傷ですか? いいえ、完勝です!』

 窓から差し込む日の光が水面を輝かせ、幻想的な空間を演出している。だが決して心地良い空気とは言えなかった。プールを満たす大量の水がこの世にある全ての音を吸い取ってしまったのではないかと疑いたくなる程の無音。


 穏やかに波打つ水面とは裏腹に、ワシの内心は緊張に支配されていた。


 重い沈黙。


 しかし、永遠に続くものなどない。

 無音の世界に音をもたらしたのは(めい)の一言だった。

 

「昨日はいきなり悪かった」


 信じられない言葉がワシの鼓膜を揺らしていた。


「え?」


 思わず口から疑問符が飛び出た。


「何だよ?」


 訝しげな顔でこちらを見つめる鳴。


「い、いや、鳴って人に謝る機能ついてたんだなって……」


 正直、仰天。


「ちっ、やっちまうぞ?」


 その言葉からは小五女子とは思えない程の圧を感じる。


「いやいやいや、あの、私もプライベートな話にいきなり踏み込んでしまって申し訳なかったなぁって……」


 ワシはあわてて言葉を発した。


 昨夜は随分と悩み、正直今日は寝不足である。


「もう過去の話だ」


「そっか、それなら良いんだけど……」


「ただでさえ水に浸かってんだからよ、湿っぽい話は無しにしよーぜ」


 鳴の瞳は真っ直ぐにワシを見つめている。


 その目は語っていた。この話はここで終わりだと。


「うん、そうだね。わかった!」


 ワシの知らぬところで、彼女はきっと過去と折り合いをつけたのじゃろう。ならばワシの出る幕ではない。


「さぁ、今日もやるぞ。ぼけっとしてねーで、さっさとラケットを握れ。俺が最強ってことを証明してやる!」


 その双眸は変わらず鋭いままじゃったが、昨日までの彼女とはどこか違うように思えた。


 鳴のこれまでの人生など、ワシの知るよしも無いが、それでも伝わってくるものがある。


 子どもが一人で考え、一人で結論を出すことは決して容易では無い。


 人生二度目のワシですら、いまだに間違いだらけの連続じゃ。


 それをこの少女は一人で乗り越えたのだ。


 その選択が正解だったのかどうかなど、人生の終着地点までは分からない。だがそれでも、前に進み続けることの尊さは理解しているつもりだ。


 あまりに格好良過ぎるじゃないか。


 完敗である。


 ならば……。


「くらえ!」


 ワシは水中で構えた手を勢いよく突き出し、素早く水鉄砲を放った。


 指の隙間から鋭く射出された水が(めい)の顔面を襲う。


 はずだった……。


 しかし彼女はその驚異的な反射神経で完全に不意打ちだったはずの(ほとばし)る水を必要最低限の首の動きで躱しきり、次の瞬間には見事なカウンターでワシの顔面をびしょ濡れにしていた。


「ずるい……」


 ずぶ濡れの前髪をかきあげながらワシは小さく呟いた。


「あ? お前が急に仕掛けてきたんだろーが!」


「いや、だってさぁ……」


 あまりにカッコ良過ぎるその在り方に、思わず嫉妬してしまった。完全なる逆恨みである。


「ちっ、別の不祥事に紛れて増税する政治家かよ」


「え?」


「あ?」


「え?」


 先程とは違った独特の沈黙が流れる。


「どさくさに紛れて不意打ちすんなって言ってんだよ!」


「え、あぁ、ごめん」


 小学生らしからぬ切り口を前にして、思わず謝罪の言葉を口にしていた。


「わかりゃ良いんだよ。ほら、やるぞ」


 鳴はそう言ってラケットを構えた。


 彼女のみなぎる活力がプールの水に溶け合い、ワシの身体にまで影響を与えているかのような感覚。


 そんな錯覚すら覚える程に、今のワシにはエネルギーが満ちていた。


 相乗効果と一言で表現するのが口惜しい。

 

 ワシは今、かけがえの無い(ライバル)を得たのだと感じている。

 

 彼女のことは何も知らない。


 だが一つ、確かなことがある。


 彼女もワシも互いを認め合い、こいつにだけは負けないと決めている。


 プライド、自信、誇り。


 呼び名などに意味はない。


 この世界を生きる人間にとって、その想いこそが何より己を成長させる。


 人と人との繋がり。


 相手がいなくては何もはじまらないスポーツ。それが卓球。


 二度目の生にも好敵手に恵まれたことへの感謝を。


 ワシは思わずプールの天井を見上げた。


 もしこの世界に神様がいるのであれば、きっと優しい姿をしているのじゃろう。


 きっと、きっと。

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