第百話『天才ですか? いいえ、変わり者です!』
男子は水咲純、女子は碇奏が優勝し全日本選手権は幕を閉じた。
激闘の翌日。せっかく東京を訪れたワシは、リハビリの定期報告も兼ねて息子のもとを訪れていた。
「奏さん、今年も優勝でしたね」
広いとは言えない一室にワシの声が響く。
「親バカかも知れないけれど、自慢の娘だよ。きっと天国の父も喜んでいると思う。奏は初孫だったからね。父の溺愛っぷりは相当なものだったよ」
部屋の中央にストレッチ用のマットを敷きながら、護が天を仰いでそう語った。
「そうですね。きっと、お喜びだと思います」
孫の成長と息子の成長、その両方をこうして感じられるワシは、間違いなく幸せ者なのじゃろう。
「あっ、そうだ。今日はもう一人予約が入っていてね。レイナちゃんも知って……」
護が話し始めたタイミングでインターホンが鳴った。
「おっ、噂をすればだね」
護はそう言って来訪者の確認もせずに玄関の扉を開けに行った。
ドタドタという少々荒めの足音に続いて勢いよく部屋の扉が開け放たれた。
燃えるような真紅の双眸、一発で人目を引くオレンジ色の髪。無造作に伸びたその髪は、彼女の隠そうともしない荒々しさを表現していた。
「あ? なんでおめーがここにいんだよ!?」
少女の名は日陰鳴。
決して広くはない一室に、独特の威圧感が広がる。征服する才能とでも呼べばいいのか。あるいはカリスマ性。呼び名などに意味は無いのじゃろうが、彼女が纏う気迫には周囲を圧倒する力がある。
「あ、えっと、リハビリ……」
「ちっ、おめーもかよ」
ワシの気の抜けた返事に対し、イラついた様子の日陰鳴がぞんざいに言った。
「そう言えばあなた、肩は大丈夫なの?」
あの試合から数ヶ月、ワシが彼女と相対するのは初めてのこと。正直なところ、日陰鳴の容体は気になっていた。
「あ? 大丈夫だったらリハビリなんかしねーだろ?」
「あっ、確かに」
そりゃそうじゃ。
「ちっ、気の抜けたガラナみてーな女だな」
「え?」
「だから、炭酸の抜けたぬりぃガラナみてーな女だなって言ってんだよ!!」
「え?」
「あ?」
威圧感のある真紅の双眸が鋭さを増す。
「え?」
気不味い沈黙が流れた。
「おめーまさか、ガラナも知らねーのか?」
「いや、知ってるけど」
むしろ、道民のソウルドリンクじゃが。
「じゃあ、意味分かんだろ!!」
その声音はもはや怒声に近い。
「いやぁ、なんで、わざわざガラナなのかなって。コーラとかの方がメジャーだと思うけれど……」
「あ? 好きだからに決まってんだろ!」
「へぇ……」
台を挟んで相対した時は、その圧倒的な才能に気圧されそうになったものじゃが、こうして台を離れて彼女と話していると……。
「なんか変だね」
「あ?」
「あっ、ごめんつい」
本音が溢れてしまった。
「ちっ、糖質オフのマドレーヌ見たいな女だな」
「え?」
「あ?」
「え?」
再びの静寂。
「ダイエットしてんのにマドレーヌ食おうとするか普通?」
「いや、知らないけど……」
「どっちつかずの中途半端ってことだよ!」
「やっぱり変」
変であり、偏見も酷い。
「やんのか?」
彼女は燃えるような瞳をグッと近づけ、ワシの顔面すれすれで睨みを効かせている。
あまりに時代錯誤なキレ方で、ある種の懐かしさを覚える。それにこの子近くで見ると綺麗な顔立ちをしているのぉ。
「おいおい二人とも、言い争いは良くないよ」
ワシらのやりとりを見兼ねた護が、優しい声音で間に入った。
「だってよ、こいつが舐めた口ききやがるから」
「鳴ちゃん。言葉遣いは綺麗に」
「はい……」
日陰鳴は意外にも、護の言う事をすんなりと受け入れた。
もしかすると二人にはワシが知り得ぬ信頼関係があるのかも知れない。
「さて、二人とも順調にリハビリをこなしてきたことだし、そろそろ特別メニューをはじめようか!」
「はい!!」
ワシの声だけが部屋に響く。
「鳴ちゃん、返事は?」
護が優しい声音で日陰鳴へと問いかけた。
「だって、護さんの特別メニューって……」
何やら歯切れが悪い様子。目の前の少女のことをよく知るわけではないが、先程よりも語気に勢いが無く、今の様子は彼女のイメージからは遠いように思える。
「私がトレーナーになったからには二人には完全復活なんて低い目標は掲げさせないよ?」
「え?」
ワシの口からは思わず疑問符が溢れ出していた。
「復活じゃなくて進化だよ。怪我をする前の状態よりも更に強くならないと意味が無い。だからここから先の一年は、この三人で地獄巡りをしよう。もちろん身体には細心の注意を払いながらね。そう、安心安全の地獄巡りさ」
優しい声音から繰り出された地獄という単語。奇妙なコントラストが鼓膜と心をざわざわと揺らす。
独特の緊張感の中、隣りの少女は瞳を閉じた。
一拍置いて目蓋を開く。
瞳に炎を宿した少女は言った。
「やる。やるよ。やり切る。やり遂げる。絶対に」
日陰鳴のその言葉には濃度の高い執念を感じた。
感化されるとはこの事なのだろう。
少女の瞳の炎がワシの胸の内にも火を灯した。




