第十話『プ○キュアですか? いいえ、水戸○門です!』
目の前には二つの世界が並んでいる。それは丸くて流動的な世界。一方は白く、もう一方は黒い。
そして今、白の輝きが僅かに薄れ、黒の濃度が増したように思える。
「やぁ、ご老人、新しい身体は気にいって貰えているかい?」
脳内に、聞き覚えのない中性的な声が響く。
「聞き覚えのない? 失礼だな、君が忘れているだけさ。君に新たな命を与えたのも僕だ。まぁ、そんなことはどうでも良いのだけれどね」
その声音は甘くて優しくて、それでいてどこまでも冷たくて愉快な、変化に満ちた音色だった。
「でもね、流石にタダで命をあげるわけにはいかない。だから君には踊って貰わなきゃならないんだ。君には僕達を楽しませる義務がある」
権利を得るには義務を果たさなくてはならない。ぼんやりとした思考の中でワシは、意思とは別の場所で何かを漠然と理解していたように思える。
「君は大好きなモノを絶対に手放せない人間だ。だからこそ僕は君を選んだ。君はその何よりも大切なモノの為に、自分自身を失っていくのさ」
形のない言葉がワシの脳内を巡る。
「僕は君に、たった一つの魔法を与えた。感謝して欲しいよ。本来ならばそもそも、人が新たな命に生まれ変わるには記憶の連続性を断ち切るのがルールなんだから。つまり君にはこのゲームを断る権利が無いのさ。だから大人しく、大人らしくゲームをしよう。ルールは単純明快さ。君は卓球の試合に負ける度に、前世の重要な記憶を一つ失う。どうだい、面白いだろう? 自身の最も大切なモノを続ける代償に、君はいずれ、君自身を失くすのさ。これは、僕と君の試合でもある。あぁ、そろそろ時間のようだ。僕の退屈が晴れることを祈っているよ。じゃあ、またね」
その言葉を最後に、視界は光に包まれた。
* * *
なんだか不思議な夢を見ていた気がする……。内容は良く思い出せんが、実に寝覚めの悪い朝じゃ。
気分の悪さを振り払うかのように、ワシはベッドから勢いよく起きあがり、洗面台へと向かう。洗面台の足下にはワシ専用の台があり、小さなあんよをそこにのせ、朝一番のがらがら〜ぺっを済ませる。
正面の鏡に映るのは、金髪碧眼の美幼女ことワシじゃ。うん、今日もワシ、プリティーじゃのぅ。
そうしてワシは機嫌を直し、ルンルン気分で食卓へと向かう。切り替えの早さも一流の卓球選手には必要じゃからな!!
しかし、いくら切り替えが重要とはいえ、昨日の試合はあまりにも劇的で、ワシの脳裏に焼き付いていた。
二人の幼女による、北海道女子バンビの部決勝はあらゆる意味で注目を集めた試合となった。
昨日の試合は大会史上最長の試合時間となり、更には最年少優勝記録も塗り替えた伝説の試合となった。
ちなみに、後から知ったことなのじゃが、ルナとワシは同学年であり、ワシが十一月生まれでルナが十二月生まれな為、大会の最年少出場記録さえも、あの銀髪幼女に持っていかれたわけじゃ。つまり、彼女がいる限り、ここからワシが他の大会の最年少出場記録を狙うことはほぼ不可能になってしまった。あぁ、恐るべし、塔月ルナ。
男子の部の決勝は葵が危なげなくストレート勝ちで優勝を果たした。今年の男子にはルナほど突出した選手がいなかったとはいえ、最年少で決勝ストレート勝ちという記録は会場を熱く盛り上げた。葵もまた、紛れもなく天才の部類に入るだろう。
いやー、それにしても、まさか地元紙の一面を幼女二人が飾るとはのぅ。
ワシが食卓に着き、朝刊片手にトーストをかじっていると、テーブル越しのママンが声を上げた。
「だーめよぉ、レイナ、おぎょーぎぃが、わるーねる」
「だって、パパもやってたもん!!」
「えっ!?」
話の矛先が急に自分へと向いたことに慌てふためくパパ上殿。コート内では冷静な彼にも、この流れ球は返せないらしい。
「あにゃーた、こどーもにマヌされぇてコマールことはしぬいでくだぁーさい」
ママンがパパンを注意する。
「ごめんよリディア、怒らないでくれ。その美しい顔には笑顔が一番よく似合うのだから」
父上殿の渾身のレシーブが決まる。
「もう、あにゃーたったるぁ♡」
雪のように白い頬をほんのりと赤らめながら、自身の夫に熱い視線を送るママン。
それにしても、うちのママンちょろ過ぎん??
世界有数のカットマンが、こうも隙だらけで大丈夫なのだろうか……。
まぁ、夫婦の仲が良いことは素敵なことじゃ。ワシの前世での両親も何だかんだと言いつつも仲睦まじい二人じゃった。特に母親は……。
あれ、どんな人じゃったかのぅ? 記憶に靄がかかっていて、上手く思い出す事が出来ない。厳格だった父親は思い出せるのだが、母親の記憶だけが思い出す事が出来ない……。いや、そんな馬鹿な。確かに前世での両親が亡くなったのは何十年も昔の話だが、だからといって忘れるわけがない。
落ち着け、落ち着くんじゃワシ。もうすでに幼女の身体に生まれ変わっているのだから、今更何があっても驚くことではない。それに昨日は色々と衝撃の連続が続いたからのぅ。この幼女の身体が記憶を整理しきれずに混乱しているだけかも知れん。
ワシはボンヤリとした恐怖を隠すようにして、無理矢理に自分自身へと言い聞かせていた。
「レイナ、むかぁえのバスがきちゃーいますよぉ?」
トーストを加えたまま、ボーっとしていたワシに、ママンが優しく忠告した。
おっと、はやく支度をしなくては幼稚園に遅れてしまう。ワシはモヤモヤ気分を振り払い、幼稚園指定の水色の制服へと素早くおててを通していく。
幼児顔負けの切り替えの早さもワシの武器の一つなのじゃ。まぁ、実際に幼女なんじゃけれど。
ワシは訓練されたメンタルコントロールにより、多少強引ではあるが意識を幼稚園へと向けた。
* * *
花組の教室の窓に大粒の雨が一定のリズムを刻む。それはまるで、試合前のラリーを彷彿とさせる規則正しいリズムだ。
ワシがそうして雨が織りなすオーケストラに耳を傾けていると、隣の席で折り紙をしていた茜ちゃんが話しかけてきた。茜ちゃんは、花組の女の子達を束ねるリーダー的存在だ。赤みがかった地毛をポニーテールにまとめており、意思表示がはっきりとしている明朗快活な幼女である。
「ねぇー、レイナちゃん、プ○キュアごっこしようよ」
折り紙でカエルさんを作るのに飽きたのか、ワシの肩をツンツンしながら元気良く誘ってくる茜ちゃん。
「ごめん茜ちゃん、私ね、あんまりプ○キュアを知らないの」
数年前に孫と一緒に少しだけ見たことがある程度で、流石に最近のシリーズまではよく知らないのじゃ。
「えっ、レイナちゃん、プ○キュア知らないの? じゃあ、いっつもおうちで何見てるの?」
「水戸○門」
ワシは一切の迷いなく即答した。
「○門なにそれ〜?」
愛らしく首を傾げる茜ちゃん。揺れるポニーテールがプリティーでキュアキュアじゃ。
「簡単に言えば、○門様が悪を懲らしめる話」
それがひたすらに繰り返されるだけなのじゃが、その安心感が年寄りには心地よい。
「○門様はプ○キュアなの?」
茜ちゃんは真剣な眼差しで問いかけてくる。その瞳があまりに真っ直ぐで純粋なあまり、ワシは答えに窮する。
「に、似たようなものかな?」
苦し紛れに出た一言がこれじゃった。
まぁ、勧善懲悪的な意味では、プ○キュアも水戸○門も同じじゃろう。
「○門様すごーい! ○門様すごーい!!」
ワシの答えに対し、無邪気にはしゃぐ茜ちゃん。
しかし、幼女に○門という言葉を連呼させるのは、何か良ろしくないことのように思えてしまう。いや、別に深い意味はないのじゃが。うん。
ちなみにこの一週間後、幼稚園内では未曾有の水戸○門ブームが起きるのであったが、それはまた別の機会に……。