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第一話『命日ですか? いいえ、誕生日です!』

 世界卓球選手権男子シングルス決勝。

 世界で一番卓球が強い人間を決める大会。


 体育館全体に広がる熱気と独特の緊張感。

 今この瞬間は会場の視線の全てが俺と相手選手の二人だけに注がれている。


 マッチポイント。

 あと一点で俺の優勝が決まる。

 フルセットまでもつれ込んだこの試合もあと一点で終わる。


 互いに死力を尽くし、体力も限界に近い。


「集中」


 俺は自分に言い聞かせるように、小さくつぶやく。


 相手の表情や仕草に注意を払いつつ、フリーハンドの左手でボールを天高く上げる。そして次の瞬間には小さな白球が重力に従い落下してくる。

 何千回、いや、何万回と練習したサーブだ。

 強烈な下回転のサーブが狙い通りに相手選手のミドルに落ちる。


 それを相手は回り込みながら、フォアドライブで打ち返してくる。

 強烈なトップスピンがかかった打球は、俺の手元で急激に勢いを増す。

 その勢いを利用しつつ、こちらはバックブロックで返球する。


 永遠にも思える数十秒。この短い時間に、凄まじいラリーが繰り広げられる。

 互いが打ち鳴らす打球音がまるで会話のように続く。緊張感を超える楽しさが次第に二人を一つにする。


 苦しいはずの時間なのに、心の奥底では永遠に続けと願っている自分がいる。


 これだ、この感覚。実力が拮抗した相手とだけ成立する究極のコミュニケーション。全力と全力がぶつかり合うラリーの応酬。


 名残惜しいがこの試合にも、そろそろ終止符を打とう。


 激しい打ち合いのすえ、体勢を崩した相手選手の逆サイドへと俺はカウンターを決める。


 得点ボードがめくられる。


 俺の世界優勝が決まった瞬間だった。


 鳴り止まぬ歓声が、響く、響く、響く……。



 * * *


 あの優勝から半世紀以上が過ぎ去った。


 今にして思えば、あの瞬間がワシの人生のピークだったのだろう……。


 1950年代から60年代にかけてワシは卓球の世界選手権にて、8回もの優勝を果たした。団体戦と個人戦を合わせれば、数え切れない程の金メダルを保有している。

 そんなワシの人生にも、もうすぐ終わりがくる。いくら金メダルを獲得しようとも老いには勝てない。ワシはおそらく、今日中に寿命を全うするじゃろう。自分の身体は自分が一番良くわかっている。


 病院内にあてがわれた真っ白な個室。ワシの身体には沢山の管が繋がれており、これではもう生きているだけで自由はない。しかし、人生を振り返ればそこには最高の思い出がある。卓球に全てを捧げた人生だった。でも、一つだけ心残りがある。それはオリンピックの存在じゃ。オリンピックに卓球が種目として追加されたのは1988年のこと、ワシはすでに老体で、選手として参加することは不可能だった。


 オリンピックに卓球というスポーツが参戦してからもう数十年の時が経つがその間、日本が金メダルを獲得したことはない。

 もし、ワシの全盛期に卓球がオリンピックの競技として採用されていれば、、、そんな事を考えてしまう。


「あぁ、オリンピックで金を……」


 ワシの最期の言葉が、病室内に響きわたる。


 * * *


 何やら音が聞こえる。空気には香りがあり、それらの複雑に混ざりあった情報の濁流がワシを襲う。そしてその刺激に促され、ワシはゆっくりと目蓋を開ける。

 目が覚めると目の前には、プラチナブロンドの天使がいた。

 あぁ、なるほど、ここは天国か。納得、納得。天寿をまっとうしたワシはどうやら天国へと無事来れたようじゃな。


 周囲を確認する為、ワシは首を動かそうとするが、うまく身体が動かない……。

 うむ、死にたてほやほやのワシはまだ、天国での身体に慣れていないのかのぅ?


 視線だけで、辺りを見回してみる。


 ん? 天国にしては、やけに生活感の漂う、端的に言って和室のような空間なのじゃが、これは、日本人であるワシへの配慮なのじゃろうか?

 和室に天使、何とアンバランスかつコントラストの効いた神秘的な光景なんじゃ!!


 皆も驚いたじゃろ? ワシは案外、横文字に強いのじゃよ。孫とゲームをしたり、メールをする為に、日々努力を怠らないハイテクじぃじだったんじゃ。

 それにしてもこの目の前の天使、何故だか見覚えのある顔をしておる。

 あ〜、なんじゃったかな〜。あれは、え〜っと。ワシが記憶を探っていると、和室の奥に平積みにされた卓球雑誌が目に入ってきた。

 おっ、そうじゃ、そうじゃ、確か、卓球キングダム8月号の表紙を飾った、ロシアの妖精リディア選手。この天使はリディア選手そっくりなんじゃ、だから、見覚えがある気がしたんじゃな。ワシ大納得!!


 いや〜、ワシ一押しのリディア選手似の天使がおる上に、卓球キングダムまで用意されてるとか、天国マジ天国じゃの!!

 しかし、残念なことが一つだけあるのぅ。

 リディアちゃんはもう結婚してしまっているんじゃよな〜。しかも相手は日本卓球界の若きエース、水咲 純と。確か二人の出会いはオリンピックでの選手村だったとか。いや〜、マジ、オリンピック羨ましい〜。ワシも時代が違えばワンチャンあったのにのぅ〜。


 ワシがそんな、(よこしま)な妄想を繰り広げていると、天国の(ふすま)がゆっくりと開いた。

 なんと、襖の奥からは、水咲 純に似た神様が悠然とこちらに向かって歩いてくるではないか。


 あれ、ひょっとして、ワシの(よこしま)、漏れ出してた?


 ワシ、大ピンチ!?


 そのまま、水咲 純っぽい神がワシの方まで向かってきて、ワシを軽々と抱え始めた。


 え? マジ、やられる? ここ天国だよね?


 そんなワシの唐突な不安は結果から言えば杞憂に終わった。

 神は、慈愛に満ちた眼差しで、ワシを見つめながらこう言った。


「レイナは本当に可愛いね、リディアによく似ているよ」


 え? ワシの名は玄三(げんぞう)なんじゃが?


「もう、あにゃーたったるぁ♡」


 頬を染めたリディア選手似の天使が、少しぎこちない日本語で返す。


「君と同じ綺麗な青色の瞳だね」


 ワシの瞳を覗きこみながら、水咲選手そっくりの神が話す。


 いやいや、ワシの瞳は黒一色じゃよ?


「わたーしとあなーたのこですから、きっとこのーこも、たきゅーがじょずになるどぅえすよー」


 そう言ってリディア似の天使は、ワシのオデコに唇を重ねて満足そうに微笑む。


 何か意思表示をせねばと口を開いてみるが、上手く言葉が発せられない。


「あー、うぅー、ちゃーん!」


 無理してみればこのザマじゃ。


「あらぁー、レイナ、おにゃかがすーたのでーすか?」


 そう言って、リディア似の天使がおもむろに上半身の服をたくし上げる。その結果、二つの美しい双丘が神々しさを伴って御降臨なさった。


「あーっ、ちゃーん!!」

 訳(あーっ、天国万歳!!)


 その双丘がワシの方へと近づいてくる。

 それはさながら、敵陣へ踏み込む戦国武将のような威圧感を持ちながら、それでいて、ローマに凱旋する皇帝のような威厳に満ちた佇まいで距離を詰めてくる。


 ワシはその楽園(エデン)へと飛び込む。


 この世界のあらゆる物質を凌駕する触り心地がそこにはあった。そしてワシはその禁断の果実を口にする。

 ワシの中の倫理観が、生物的な欲求にストレート負けした瞬間である。

 あぁ、口の中には優しい味が広がる。なんだかそれは、ワシを懐かしい気持ちにさせる。


 あれ、ワシ、この行為知っとるぞ? あまりに自然に引き寄せられたもんであれじゃったが、これ授乳じゃな……。


 ふむふむ、もみもみ。


 なるほど、ワシも馬鹿ではない。この数々の異常事態を踏まえた上で、あえて簡潔に言おう。


「だーっ、うーっ、ちゃーん!?」

(あれ、ひょっとしてワシ、生まれ変わっとる!?)

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