魔女の息子の母親
母さんは魔女だ。
それは昔から僕も知っていた。母さんはよく面倒くさいことがあるとなんでも魔法を使っていたから。ゴミはすべて魔法でポイしていたし本棚の整理も全部魔法でやっていた。
酷いときには魔法を使ったとても言い表せないような嫌な音でなかなか起きない僕や父さんを起こすことだってあった。
だからといって僕は知らなかった。
母さんが魔法界から追放されていたということを。
魔法界では魔法を使う人間は同じく魔法を使う人間としか結ばれてはいけないというルールがあった。それは過去に魔法を使えない一般人に恋をしていた魔法使いが、その恋を叶えるために魔法で一般人を洗脳し自分のものとしてしまった、という嘘か真かわからない話から来ている。
そして母さんはその約束を守ることができなかった。もちろん洗脳だとか相手の思想を変えたり操ることなんてのはしなかったけど。
でも母さんは昔、その当時のことを頬を赤らめながらこう言っていた。
「私はねえ、あの人に本当の魔法をかけられたのよ」
そんなことを思い出しているとこちらまで頬が緩んできて。
「聞いてますか?私の話。まったく、親の顔が見てみたいわ……」
空想に浸っている僕の耳に声が響いた。
その声の主は白髪にノスタルジアを感じさせる丸眼鏡をかけたお婆さんだった。
「あのぉ、この子の親なんですけど……うふふ」なんて言いながら母さんは僕の横で笑っている。
僕らはいま魔法界に来ている。
こちらのお婆さんはJ・ロスキ先生。母さんが魔法界にいたころから教師をしていて、現在では教頭の座についている。
――――――
ことの顛末を詳しく話そう。
なぜ僕と、魔法界を追放されたはずの母さんが今ここに、魔法界に来ているのかを。
それは僕が胃の中を空っぽにぶちまける2時間前になる。
追放されたはずの母さんを魔法界へと呼び戻したのはロスキ先生からの手紙であった。
「魔法界ピンチ、至急来られたし。
p.s. 子どもさんの顔も見せてください、お願いします何でもしますから」
魔法界の危機を知らせる電報めいた手紙には、追伸するほどでもないような言葉も添えられていた。
それから母さんは僕に身支度をするように言われた。
身支度も終わり、さてこれから何が起こるのかと待っていると、母さんは紫がかった黒いとんがり帽子にローブを纏い箒、それに小さな小包を引っ提げ、父さんにこう言った。
「パパ、少し行ってくるわ。この子は少し長くなるかもしれないけど」
ん?僕の何が長くなるんだ。
「――そっか。ママ、実咲を頼んだよ」
父さんの言葉。
なんだなんだなんなんだ、一体僕の身にこれから何が起こるというのだろうか。フラグが続々と形成されている気がしてならない。
そして僕は言われるがままに母さんの箒の後ろに乗った。ヘルメットとかつけなくて大丈夫?二人乗りって取り締まられない?切符切られない?
「いってらっしゃい。」
父さんの挨拶をまるでスタートサインにしたように、あらかじめ開けておいたベランダに向かって箒もろとも僕らが進む。
そのスピードはとても速かった。一瞬で周りの景色の変化を認識できないほどに、でも父さんの顔はしっかり見れた気がする。
ここからは先述と同じだ。僕の三半規管は箒のスピードに完敗、おまけに胃からは大量のキャリーオーバーだ。
そしてそのキャリーオーバーの感触に驚いた母さんは箒のコントロールを失ってしまった。
まあだからといって特に何もなかったらしい。それほどのミスくらい彼女はお茶の子さいさいでカバーできるだろうし、何より僕は出すものを出し切って遂には精魂果てて気を失っていた。
気づいたら見たことも来たこともない部屋のベッドで寝ていた。僕には大きいベッドの余白には母さんが座っていたが、気を取り戻した僕を見るや否や、少し興奮した口調で僕に急ぐようにまくし立てた。
僕も調子はもう戻っていたので彼女に大丈夫だと伝えると、この部屋を出て、ロスキ先生に会いに行きましょう、となった。
――――――
そして今に至り、ちょうどロスキ先生が母さんの追放についての昔話に花を咲かせ終わったときだった。
母さんは本題に入りましょうと、それまでの井戸端会議のような空気を一変させた。
ロスキ先生も空気が変わったのを感じて少し沈黙する。
「とうとう預言の日が近づいてきたのですかねえ」
母さんの言葉にロスキ先生はこう返した。
「そうねえ、実咲君、あなたは預言を知っているかしら」
当然は僕は知らないので首を振った。
「まあ知らなくて当然よねえ。というか知らされれない方が幸せかもしれないものね」
ロスキ先生の言葉が僕にのしかかる。
預言なんて急に言われても意味が分からない、だけど知らない方が幸せだなんて言われると怖い一方でとても知りたくなるじゃないか。
僕は先生に教えてくれるようにお願いした。
先生は素直に承諾してこう言った。
「預言によるとね、君は男の娘になる必要があるんだ」
おとこのこ?既におとこのこです。僕はおとこのこですよ先生。
すると僕の頭に浮かぶクエスチョンマークを先生が感じ取ったのか部屋にあるホワイトボードに手も触れずにインクを宙に浮かべてこう書いた。
『男の娘』
母さんは笑い転げた。
僕は悩み転げた。