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HOT

作者: 木下秋

 午前中の雨が嘘みたいに止んで、見上げれば青が見えた。


 俺は斜め前方を恨めしく睨んだ。ビルのひしめき合う街の空は狭く、せっかくの青空が台無しだったからこれじゃあ、せっかく虹がかかっていても一部しか見えない。高いビル同士はお互いに背の高さを自慢し合い、歩道に濃い影を落としている。


 駅に向かう道すがら、自動販売機でコーンスープを買った。思えば朝、水を一杯飲んで以来何も口にしていない。昼まで頼む、とお願いされてした休日出勤。頼む時は低姿勢なくせに、上がる時にはこっちも見ずに一言「おつかれ」。なんだか胸がスッとしなかった。


 ビル風の吹く道を肩をすくめて歩きながら、信号待ちでコーンスープを一口すする。懐かしい味がして、少し救われる。最後の一口を飲み干して、地下に入る頃には指先に暖かさを感じた。今日これからの自由な時間が、明日のいつまで続いて、次の仕事モードに入るまでどれだけ時間があるのか、脳内時計を回して計算をする。駅のホームのゴミ箱に缶を捨てると、すぐ来た電車に乗り込んだ。


     *


 地元の街の空は広い。高い秋空には波打った雲が薄く広がっていて、太陽は強かった。


 駅前のコンビニで肉まんとピザまんを買って、食べながら家まで歩いた。二十年以上住んでいる街は、全く変わらない景色があったり、すっかり変わってしまった景色があったり。昔馴染みの定食屋、かつての通学路。今はもう無くなってしまった駄菓子屋跡地には、小洒落たマンションが建っている。


 鼻は、冬前の空気を感じ取っていた。何かを燃やした後のような、寂しい匂い。時間が経っても、景色が変わっても、季節の匂いは毎年同じもののように変わらなかった。それは、幼い頃の記憶を呼び起こさせる。母との散歩、マラソン大会の朝。灯油を売り走っている車のメロディ……。


 歳をとると涙もろくなる、というのが、最近わかってきた気がする。蓄積された思い出が、ふとした瞬間蘇り、それがもうどうしようもなく、二度と戻ってこない日々だったのだと気づく。記憶の中にある大切なきらめきが、愛おしく、涙が出そうな感情になるのだ。


 駆ける小学生の集団とすれ違う。思うことは、色々とあった。長かったのだろうか、それとも早かったのだろうか。振り返り見たその背中に、自分の面影を重ね見た。


     *


「ただいま」


 家に帰ると母がリビングで寝ていた。特別でもなんでもないそんな景色も、永遠ではないのだな、と最近は考える。今度写真でも撮っておくか。そんなことすらも思う。


 ネクタイを緩め、スーツから解放されると、下着のままベッドに寝転んだ。窓から差し込んだ光がふとももに当たってぬくい。やりたい事、やらなければならない事がいくつも頭に浮かんだが、もうなんだかどうでもよくなって、そのまま眠った。


     *


「おいしい」


 最近は意識して言うようにしている。実家に住んでいると当たり前のように飯が出てくるが、それを当たり前と思ってしまう事は良くない事だと思った。せめてちゃんと感謝の気持ちを表す。それに、自分が言って欲しい、言われたら嬉しいだろうなと言うことを口にすべきだと思うし、言わなくたって伝わるだなんて怠慢だ。


 「あったまるねぇ」。夜は鍋だった。肉や野菜、豆腐、タラの入った鍋。


「鱈、硬い骨が入ってるから気をつけて」


「うん」


 テレビではバラエティ番組がやっていて、誇張された笑い声が漏れている。暖房が静かに唸り、鍋はぐつぐつ言っていた。もう何度経験したかわからない光景。それでも、決して飽きたなどとは思わない情景。


     *


 風呂で温まった身体のまま、ベッドに潜った。たっぷり昼寝をしたから眠気はなく、枕元のライトをつけてもう何度読んだかもわからない好きな短編集を読んでいた。


 歯を磨いた後だったけれど、なんとなく無性に甘いものが食べたくなって、鞄の中に入っていたチョコレートを一つ食べた。そして、しばらくして電気を消すと、布団の中でいつもの眠る姿勢になった。


 最近は単純に、食って眠るために生きてるんじゃないかと思う。


 それも悪くないか、とも思う。

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