幸せの青い鳥
幸せの青い鳥
姫様は幸せになるべき御方です。姫様は誰に対しても優しく、聡明で決して偉ぶらない。私のような何の取り柄もない泣き虫な臣下にもふわり、と花のように微笑み掛けてくれます。
「ブルーは泣き虫だね」
幼い頃、剣の稽古が辛いと物陰で泣いていた私を励まし、躊躇いなく私の涙を拭ってくれた姫様。姫様には幸せになって欲しい。私は心の底から思います。誰が不幸でも姫様さえ幸せならそれで良い。そんな物騒なことさえ思いました。だから姫様のご成婚の知らせは本当に嬉しいものでした。政略結婚でしたが、相手は隣国の王子だと言うではありませんか。姫様が幼い頃からずっと恋い焦がれていた御方です。姫様は今以上に幸せになれる。そう信じて疑わなかった私は自分の事のように、……いいえ自分の事以上に喜びました。じんわりと嬉し涙が目尻に滲みます。
「姫様どうぞお幸せに」
私の涙ながらの願いを姫様は花のように微笑んで受け取ってくれました。
「有り難う。僕、幸せになるね」
涙で視界がぼやけます。姫様の碧い髪だけが瞳に焼き付きました。
姫様のよくない噂を聞いたのは、ご成婚から一年経った頃でしょうか。
“どうも隣国では辛く当たられているらしい”
“王子には姫様より懇意にしてる人がいるらしいな”
“もともと王子は結婚に乗り気じゃなかったらしいよ”
なんて事でしょう。私は頭が真っ白になりました。しかし所詮は噂。姫様は国にいた頃よりもうんと幸せでいるに違いない。そう思い込もうとしましたが私の胸はざわめきます。花のように鮮やかな姫様の笑みが脳裏に浮かびました。両手を組んで姫様の幸せを天に祈ります。悔しくて堪らないですが、私が姫様の為に出来る事と言えばただ唯一それだけなのです。涙がぼろぼろと頬を伝い流れ落ちていきます。私はこの時ほど自分の無力さを嘆いた事はありません。噂が事実であったのを知ったのは、それから二年後の事です。姫様は王子から離縁を言い渡され、行方が分からなくなりました。それを知った私は世界が終わってしまう程の衝動に駆られましたが、周りは平然としていました。三年前に隣国へと嫁いだ姫様への関心は想像していたよりずっと薄いものになっていました。周りの薄情さに落胆しつつ、私は姫様を探す事にしました。私にはいくつか当てがありました。私は昔からずっと姫様だけを見続けていたのです。幼い頃の思い出が沢山詰まった別荘地で姫様は見つかりました。三年振りの再会です。しかし手放しには喜べませんでした。
「ひめ……、さま?」
私の記憶の中にある姫様とは比べものにならない程ガリガリに痩せ細っていました。顔は青白く、目には生気が感じられません。姫様を象徴する碧色の髪は艶やかさを失っていました。硝子人形の様に硬い表情を張り付けた姫様は何を仰るでもなく、ただただぼうっと虚ろな目で空を見つめています。姫様のあまりの変貌振りに暫く動けなかった私ですが直ぐに我に返りました。
「姫様、ブルーです」
言いながら、片膝をついて姫様を思います。姫様は幸せになるべきだ、と。その為なら私は何だって出来るでしょう。その日から私は姫様の傍で精一杯尽くしました。時間はあっという間に過ぎました。半年経った今も姫様の表情は硬いままですが、可哀想なくらいげっそりとしていた身体は幾分柔らかさを取り戻しました。顔色も以前に比べ随分と良くなっています。
「姫様」
泣き虫な私でしたが、姫様と再会した日から一度も涙は流していません。姫様の碧い髪を櫛で梳く私は自然と笑みを浮かべていました。幸せだな、と思いました。この時です。私は初めて自分の気持ちに気付きました。私はずっと姫様を愛していたのだと。姫様に幸せになって欲しいのではなく、私が姫様を幸せにしたかったのだと。私は自虐的に笑いました。気付いた所でどうにもなりません。私は身の程を弁えているつもりです。この想いは一生口にしてはならないと思いました。そんな私をあざ笑うかの様な出来事が起こります。隣国から一人の客人が訪ねてきました。ただならぬ様子の客人は姫様に訴えます。
「王子は姫様を愛しています」
姫様ともう一度やり直したいと。帰ってきて欲しいと。傍らで話を聞いていた私は怒りが込み上げて来ました。姫様を一方的に捨てておいて随分勝手な言い分だったからです。姫様はどういうお気持ちでこの話を聞いているのでしょう。姫様の表情には色がなく何も読みとれません。
『有り難う。僕、幸せになるね』
不意に姫様の言葉が脳裏を掠めました。私は愕然とします。もしーーもし姫様が王子の元へ戻りたいと仰ったら。何も不思議な話ではありません。姫様は王子の事が好きなのですから。姫様の幸せを考えるならそれが一番良いのではないでしょうか。私は姫様を幸せにしたい。それなら、それなら姫様の望み通りにしなくては。私はくっと唇を引き締めます。以前の様に泣いて祝福するのではなく、笑って祝福しようと。姫様の笑顔の様に相手まで暖かくなる様な笑みで。
「……ません」
久し振りに聞いた姫様の声ですが、微かな動きから漏れ出たお言葉を聞き取れませんでした。それは客人も同じだったようで聞き返します。
「いき……、ません。ぼく、ぼく、ここに、います」
私は姫様のお言葉を直ぐには理解出来ませんでした。姫様は行かないと仰りました。ここにいるとも。私の胸の中に暖かいものが流れ込んできます。姫様のお言葉を噛みしめたながら嬉しい、と全身が震えます。客人は納得がいかないようで食い下がりましたが、姫様はふるふると頭を振ると私の目を真っ直ぐに見て仰ったのです。
「ブルーの、そばに、いたいのです」
限界でした。先程の決意はどこへやら。涙がどっと溢れます。
「あいかわらず、泣き虫だね」
涙が邪魔で姫様の表情は分かりません。けれど姫様は笑っている気がしました。




