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無主物

作者: 壺井 明

過去と現在と未来のすべての生物の親と子、恋人たちに捧げる。

冬の日でした。

寒い寒い日でした。


おおきな地震がおきて、

おおきな津波がおそってきました。

その土地の

おおくのものがこわされて、

おおくのものが

津波にのまれました。


地震で、

それまで安全だといわれて、

みながそう信じていた

巨大な人工の心臓が、

こわれ、

かたむきました。


こわれた心臓から、

とじこめられていた

毒が

たくさんたくさん

噴きだして

あたりをひどく

よごしました。


名も知られぬおとこたちが、

こわれた心臓をなおすために

駆けてゆき、

名も知られぬまま、

毒をあびました。


みな、こごえていました。


そのおとこは、

じぶんの胃袋につながっている

ふとい人造の動脈に

刀でもって

切り込みをいれることにしました。


おとこのからだをあたためて

栄養をたっぷりもたらしていた

その血は、

もともとは、

無数の名も知られぬおとこたちの

ちいさな心臓から抜き取られ、

おおきなおおきな心臓に

あつめられていたものでした。


おおきな心臓は、そうしてあつめられた

たくさんの血液を

その社会におくりだす役割を

ずっと、

はたしていたのでした。

そのおとこの胃袋には

おおきな心臓から

のびた

ふとい人造の動脈が

結び付けられ、

おとこのからだを

こやまのように

おおきくして

あたためていました。

冬の日でしたが、

おとこは夏の服を着ていました。

たくさんの血液のおかげで、

彼はとくべつ寒さを感じていなかったのです。


大地にまかれた

血のぬくみを

たよって、

こごえたどうぶつたちが

あつまってきました。


うし。うま。ぶた。にわとり。いぬ。ねこ。


いのしし。くま。しか。さる。うさぎ。


あいなめ。くろそい。ひらめ。かれい。さわら。くろだい。きんめだい。けむしかじか。こもんかすべ。しろめばる。くろまぐろ。こうなご。すずき。たら。かに。えび。


すずめ。つばめ。さぎ。きびたき。おおるり。かも。からす。


あゆ。にじます。いわな。やまめ。うぐい。ぎんぶな。なまず。わかさぎ。どじょう。うなぎ。


かえる。


蝶のやまとしじみ。


鎖につながれていたどうぶつたちは、

みんな、

飼い主に鎖をとかれて

でてきたのでした。

毒があんまりばらまかれて

住むことを禁じられた場所で

彼らは飼われていたのでした。

かれらは、

飼い主がその土地をはなれるときに

つれてゆくことができないので

じぶんでたべものをみつけられるようにと

鎖をうまれてはじめて

はずしてもらったのでした。

飼い主が鎖を外しわすれたどうぶつたちは、

たべものがなくて、

しにたえなした。


山も毒でよごされて、

こまったやまのけものたちがやってきました。

海にも、やっぱり毒がながれでて、

なやんだ海のさかなたちが

夫婦でやってきました。

川も。

みずうみも。

鳥やかえるや

蝶もやってきました。


どうぶつたちは、

名も知れぬおとこたちと

同じように

たくさん毒を

あびていました。


毒はからだをこわすものでした。

とくに

こどものからだをこわすものでした。


どうぶつや

さかなの親たちは

こどもがきれいなかたちで

うまれてきてほしいと、

血の池のまわりに

あつまってきたのでした。


おとこが

大地にばらまいた

血の池から

傷のない

いのちの設計図が

うまれていたのです。

それは

人間もおなじでした。


うまれたばかりの

あかちゃんをかかえた

夫婦が

やってきました。


これから

こどもをうむ

わかい夫婦も

やってきました。


おとこのすぐわきに

ひとりのおんなのこが

すわって

血の池の表面を

ながめていました。


おんなのこの

お父さんとお母さんは

毒がばらまかれてから

毎日

けんかばかりするようになりました。

毒は

目に見えず

においも

味もしないのでした。

おんなのこの

お母さんは

毒が心配で 

ここから逃げようと言い、

お父さんは

毒などないと言い、

ひどいけんかを

するようになったのでした。


中学生のおとこのこも

きていました。


おとこのこは

じぶんひとりで

毒のことをしらべて

知るようになりました。

お父さんも

お母さんも

毒のことについて

知りませんでした。

おとこのこの同級生は

ある朝の日に、

ふとんのなかで

つめたくなっていました。

心臓が

急にとまってしまったのでした。

「ぼくは」

「おとなになるまでいきていられるのだろうか」

おとこのこはひそかに、思うようになりました。


中学生のおんなのこも

きていました。


おんなのこは

その土地で

毒をあびていました。

お父さんにつれられて

その土地のお医者さんにゆくと、

ふつうはできないと言われていた病気が

のどに二つできている、と言われました。

その医者さんは

それでも心配することはない、

と言いました。

お父さんに連れられて

別の街のお医者さんにゆくと、

その病気が無数にあると言われました。

「わたしは、ひとりでしんでゆくんだ」

おんなのこは言うようになりました。


およめさんと

おむこさんが

きました。


ふたりは、

六月に結婚するつもりでした。

でも

三月に毒がばらまかれた後に、

お婿さんの家族が

「やっぱり結婚はやめる」

そうとつぜん言いだしたのでした。

結婚はこわれました。

きれいなからだのこどもを産めない者とは

結婚させられない

そうお婿さんの家族は考えたのでした。

お婿さんは、別の土地の人間でした。

お嫁さんは

かなしんで、

みずから命を絶とうとしたのでした。


おさななじみの

高校生の男の子と女の子がやってきました。


おとこのこのお母さんは、

その場所の水がよごれたのを心配して

きれいな水の入った水筒を

もってゆかせることにしました。

学校の先生はその水筒をみて、

やめるよう

おとこのこに、そしてお母さんに言いました。

おとこのこは学校の仲間から

いじめられるようになりました。

「おくびょうもの」

そう言われるのでした。

いつしか、みんな

毒が心配だと言うことも

毒から身を守ろうとすることも

できにくくなっていきました。

おさななじみのおんなのこは、

心配なきもちをそのおとこのこだけに

ひそかにはなしていました。


血の池をながめる

おんなのこの同級生は

津波にのまれていました。


なかのよい

ともだちでしいた。

津波で

からだはなくしてしまいましたが、

おんなのこが

毒のある場所で

ふさぎこんでいるのをみて

心配して、

透けたからだで

その場所に

やってきたのでした。


「わたしたちの分を、げんきに生きて」


ふたりは、

かぎられた人間にしかとどかぬ声で

声をあわせて

言いました。


毒が毒であることを

おおくの人間が知りませんでした。

目にも見えないし、

味がするわけでもない。

においもしない。

みなが急に死んでしまうわけでもない。

でも

それはやっぱり毒でした。


これまでずっと、

名も知られぬおとこたちは

この巨大な心臓から

汗のようににじむ

毒をふきとり、

ひそかに毒におかされ、

からだをぼろぼろにし、

ある者は、

ひとしれず、

死んできたのでした。


しかし毒とわかってしまうと、

いたるところにある巨大な心臓すべてが

あぶないということになるので、

毒のことを隠してきた

おとなたちがいたのでした。

みながそれまで信じていた

学者さん

政治家さん

国のしごとをするお役人さん、

えらい国のえらいひとたちは

これまでずっと、

ひそかに、

この巨大な心臓に

じぶんの胃袋をむすびつけて、

たくさんのあたたかさと栄養を

じぶんのからだに入れることで

生きてきたのでした。


だから

毒がばらまかれても

毒のことを、

かくしました。

やはりみんなが

うそは言わないと

そう信じていた四角い箱に

「毒をあびても」

「だいじょうぶ」

そうくりかえさせて

みんなを

信じさせようとしました。

でもやっぱり毒は毒でした。

ふつうの子には

見られない病気が

あらわれるように

なったのでした。

みな、

あるうわさをきいて

この場所にきたのでした。

あるおとこが、

ふしぎな風船をくばっている、

というのです。

その風船には

地球上でもっとも軽い

ヘリウム

より軽いガスが入っていて、

風船をつかむと

この場所から飛んでゆくことができる

というのです。

みなを、

このよごれた場所から

のがすために

そのおとこは風船をくばっている、

というのです。


おとこは、

三本目のうでを

はやして、

風船を配っていました。

すると

これまでのぼってこなかった

朝日が

ぴかぴかかがやき

のぼりはじめました。

おとこは、

じぶんの胃袋につながっていた

人造の血管を

すべて切りおとして

血の池をつくり、

その池の血から

風船をつくっていました。

風船は赤い色をしていました。


おんなのこも


お父さんも


お母さんも


あかちゃんも


中学生も


高校生も


およめさんも


みなひっくるめて、


おとこは


風船をわたしてゆきました。


朝日の中、


みんなみんな


飛んでゆきました。


うまれそだった場所をはなれて。



ゆくさきはわかりませんでした。



でも





このよごれてしまった場所から


はなれて。

これは、画家である壷井明さんが、ご自分の描かれた「無主物」という油絵をもとに作られた、絵本の文章です。


油絵「無主物」についてはコチラ

→http://dennou.velvet.jp/bookTBN_jpn.html


作者様の了解をとり、掲載させていただきました。

こういう現実が、今現在日本には厳然と横たわっていて、でも、多くの人がそれに気づかないで以前と変わらぬ日常を過ごしています。


こういう現実があるということを、こういう見え方でこの日本という国を見ている人間がいるという事実を、少しでも多くの方に知ってほしい、その思いで、この絵本の文章を紹介させていただきました。


絵本は、この文章に油絵「無主物」の絵が加わるために、さらに胸に迫るものがあります。


絵本はこちらから購入できます。

→http://musyubutsu1st.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=1517947&csid=0

ご興味のある方は是非。1000部限定で、残り300部ほどだそうです。

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