偉大な存在
派遣会社からの紹介で決まった携帯販売のお仕事。
その仕事を始めて2.3日たった頃。
母親が死んだのはそんな頃だった。
母親の友人への電話で「死んだ」と伝えられずにいる父に代わって、
何度も「母が死にまして・・・・・・それで葬儀の日程が―――」と伝える私。
何かを言おうとすると泣けてきて何もいえなくなる父親の姿をみて、
父親の母への愛情の深さを知る。
母をきちんと送ってあげなきゃいけない。
母の死を知り近所に住む親戚が、
「あっちゃんはお姉ちゃんなんだから、しっかりお父さんを支えてあげてね」
と、私につげたこともあって、葬儀が終わるまで人前では出来るだけ泣かないようにしていた。
今、よく考えてみると葬儀が終わるまでの間に泣いたのは、
読経してくれた和尚さんが説教をしているときだけ。
それが私にどんな影響を与えるかなんて、そのときは考えてる余裕は無かった。
とにかく母親を送り出すこと。
それがたいした親孝行を出来なかった私の唯一の親孝行だから―――。
葬儀が終わるまではまだ良かったような気がする。
職場が変わったばかりの私に、いっきに子育てとの両立を強いられることになった。
今までは両親の手伝いもあって、シングルマザーとはいえかなり自由な生活をしてきた。
食事の用意をはじめ、掃除・洗濯・・・・・・。
私はどれも苦手だった。
やったら出来るものだと思っていた私は、そこで初めて母親の偉大さを知った。
お母さんだったら、こうしていたかもしれない。
お母さんがいたら、こんな風に言ってくれたかもしれない。
お母さんがいたら、きっとこんな風に怒るんだろうな。
お母さんだったら、もっと上手にやっていただろうな。
お母さんからもっと色んなこと聞いとけばよかった―――。
頭をよぎるのは【お母さん】というフレーズばかり。
こんなにお母さんが私には必要だったんだ。
お母さんから色んなものを貰ったのに、何も返せてない。
おふくろの味も、得意だった裁縫も、着付けも、教えてもらいたいことがたくさんあったのに。
鏡を見れば、母親にそっくりな私の顔がうつるのに。
母親はどこにもいないんだ・・・・・・。
そして母親がいなくなってから半年ほどたった頃。
私は自分の異変に気が付いた。
ずっとモヤモヤしていた何かが、ココロにあることに。