11-3 重力攻撃
「これは……何が起こっているんだ……?」
樋潟は自分の目を疑った。
海が盛り上がっていく。
まるで巨大なナイフで透明なゼリーを切り取ったかのように、どこまでもどこまでも持ち上がり、渦巻く乱流を内包した海が、空へと上っていくのだ。
自分たちの乗る軍用ヘリの、前方視界のほとんどを巨大な水の塊が占めていく。
悪夢のような光景であった。
そしてその中に浮かび上がる、巨大な影。
「あれが……シュラインッ!!」
確認した瞬間、思わず叫んでいた。ぞっとするような感覚が胸を貫く。
人間の意思を持つ巨獣。あのようなおぞましい姿に身を変えてまで、何を望むのか?
そのダンゴムシに似た巨体は、白く泡立ち渦巻く、乱流の中でも小揺るぎもしていない。
『樋潟司令!! これはおそらく、鬼王の重力攻撃です。反重力場につかまれば無事では済まない!! この空域を離脱してください。直ちにトリロバイトⅡとスカイクーガーにも、後退命令を!!』
通信はブルー・バンガードのウィリアム教授からだ。
巨大な水塊に引き摺られるように、周辺海域に浮かぶ物、そのすべてが引き寄せられていく。
無論、巨大な推進力を誇るブルー・バンガードも例外ではなかった。
全速で離脱しようと試みながらも、バシノームスを包む水塊の方へ、じりじりと引き寄せられつつある。
「分かった。二機とも聞こえたな。すぐに距離を取れ。本機も離脱する。しかしこの様なサイズの反重力場……今の科学力でできるというのですか!?」
『もちろん、科学技術などではありません。鬼王の、いえ有機構成ユニット・ヒュドラの持つ特殊能力です。対象範囲に反重力場を形成し、そのフィールドに巻き込まれたものを、崩壊に導くことができるらしいのです」
「何故、教授はそれを?」
樋潟の疑問も、もっともと言えた。
秘密主義のイーウェン達、チーム・カイワンは、日本支部の技術陣には有機素体ヒュドラどころか、自分たちの乗る鬼核すら、触らせようともしなかったのである。
『ケリドラ上陸事件の後、極東本部のデータバンクをクラッキングして調べました。鬼王はその重力場で、チベットとウィグル自治区の都市を少なくとも二つ、消滅させています。そしておそらく鬼王は、中国雲南省奥地から現れ、上海とT市を壊滅させた王龍の人為改造体の可能性が高い』
『待ってください! 戦闘空域からの撤退はできません。シュラインはまだ、生きています。私達がとどめを!!』
傍受していたトリロバイトⅡの、紀久子から通信が入る。
せっかく射程距離に入り真正面につけたはずが、再び離脱を余儀なくされたのだ。
追いついてきた白い巨鳥・ガルスガルスも、逡巡するように遠く周囲を旋回している。
「イーウェン隊長は、私達に攻撃のチャンスをくれる、と言いました。もう一度正面に回り込み、荷電粒子砲を撃ち込みます!! いいですね?」
まどかは、樋潟に砲撃許可を求めた。
『いいだろう。だが、重力攻撃の余波は予測不能だ。荷電粒子砲の射程距離ギリギリまで下がるんだ』
「了解!! 紀久子さん、最大出力での有効射程距離は、十五㎞です。そこまで下がりましょう」
まどかの指示を受け、紀久子は再び機体を翻らせた。
「でも、このままじゃ海水が防御幕になってしまいます。射程距離ギリギリまで下がってしまっても、荷電粒子砲が効くんでしょうか……?」
「…………」
紀久子の問いに、まどかは答えることが出来なかった。
荷電粒子砲は、荷電加速された粒子を対象に当てる兵器だ。海水に覆われたバシノームスに、どれほどの効果があるのか、やってみなくては分からない。
『待て。新堂少尉。あれが鬼王の重力攻撃であるならば、この程度で終わるわけはない。』
そのウィリアム教授の言葉が終わる前に、水塊に変化が起きていた。
乱流を纏って、次第にその姿を海上に現していくバシノームス。突然、その外殻に、巨大なヒビが入り始めたのだ。
バシノームスの外殻は、まるで外から巨大な手で押し割られるようにして、内側につぶれていく。
「脆すぎる……」
紀久子が呟く。
いくら鬼王最大の重力攻撃とはいっても、砕け方に生気が感じられない。あれではまるで抜け殻のような……。
そう思った瞬間。通信機から干田の声が響いた。
『違うぞ!! 下から本体が出てくる!!』
上空から監視していたスカイクーガーからは、バシノームスの崩壊の様子が手に取るように分かった。
潰されたのは、水中で分離した前半身の外殻のみ。球形に姿を変えたバシノームス本体は、ようやく海上へと姿を見せようとしている段階だ。
脱皮のせいであろうか、艶やかさを増した灰色の外殻には、ヒビ一つ入っていない。
本体が海上に出て、重力攻撃が本体一点に集中したのであろう。次の瞬間、バシノームスの周囲を覆っていた海水の塊が、一瞬にして落下した。
その余波で津波のように荒れ狂う海が、ブルー・バンガードを翻弄する。
だが、上下左右も分からないほど、荒波に揉まれながらも、遊動式安定システムを持つ司令室は、さほど揺れていない。
ウィリアム教授は通信機に向かって叫んだ。
「もう今のヤツはむき出しだ!! 撃て!! 新堂少尉!! ヤツの正中線だ!!」
「了解!! これなら、外しようがありません!!」
カモフラージュの脱皮殻も崩壊し、海水の防御幕が消えた今、バシノームスを守るモノは何もない。
どうやら重力攻撃そのものは、脱皮殻のおかげで攻撃対象を分散されてしまったようだが、まだ、こちらには切り札の荷電粒子砲があるのだ。
海産甲殻類の集合体であるバシノームス。
その中枢と成りうる位置は、眉間と体幹の中心を繋ぐ直線。そこにシュラインの意思があるはずだ。
球形の防御姿勢をとり、動きを止めた今、それらを一度に貫くことは容易だ。
「発射!!」
まどかはかけ声と同時にトリガーを引き絞った。
機体背部の長大な砲身から、緑の閃光が迸る。荷電粒子の奔流が、空気中の窒素原子と衝突して生まれる光だ。螺旋状の渦を巻いて進むのは、エネルギーの奔流によって大気が捻れ、進路をガードするパルスレーザーの光が歪んで届くせいだ。
現状、人類の技術で得ることの出来る最大級の砲撃。
その威力が、バシノームスの外殻をあっさりと貫いていく。
「OK!! やったわ!!」
思わずまどかが叫ぶ。
これだけの至近距離である。リニアキャノンと違って、風を計算に入れる必要もなければ、相手が避けることもないのだ。照準のど真ん中……バシノームスの複眼の間を射貫いた緑色の奔流は、その威力を維持したまま、中枢部のあると思われる背中の殻を突き破って後方の海面を叩き割った。
ぐらり。と、バシノームスの巨体が傾ぐ。
数十秒にわたってバシノームスを空中に保持し続けていた、鬼王の特殊能力。ついに、その限界時間が来たのである。
バシノームスの巨体は、浮かび上がってきた時の数倍の速度で海面へと落ちていく。
その周囲には、巨大な津波が観測出来た。
「斃した……のか?」
「おそらく。トリロバイトⅡの荷電粒子砲は、ヤツの中枢と思われる部分を確実に撃ち抜きました。中枢だけ分離する時間はなかった……はずですが……」
戦闘空域の上空二千m。乱気流の中スカイクーガーを操る干田に、海上の情報を収集していた石瀬が、ほっとした表情で報告する。
「イヤ、Just moment!! おかしいゾ!?」
「どうした!? カイン!?」
「Cast skin……ヤツの抜け殻が……動く!!」
鬼王の重力攻撃で砕け散り、周囲に四散していたバシノームスの甲殻。
カインの言う通り、たしかにそれが波の動きに逆らって、バシノームス本体に集まりつつあった。
*** *** *** *** ***
「なッ!! 何が起きてるの!?」
まどかは思わず叫んでいた。
巨大な波がバシノームスの背中を走り、バシノームスの巨体が海に呑み込まれていく。
そこへわらわらと集まっていくのは、先ほど割り散らされたはずの、殻。
そう、前半身部分をコピーしたかのように、水中で分離した脱皮殻であった。
生命がないはずの脱皮殻の破片が、動いて本体の傷を埋めていく。出来の悪いCG映画でも見ているような異様な光景である。
だが、それはたしかに目の前で起こっていた。
「脱皮して見せたのは……二重の偽装だったってこと!?」
紀久子も突風の中、激しく揺れる機体を制御しながら叫んだ。
トリロバイトⅡから発射された荷電粒子砲。その威力は、たしかに巨大なバシノームスを串刺しにしたはずだった。ほぼ確実に射貫いたはずの核。
だが、そこにシュラインはいなかった。
再び動き出したバシノームスが、それを証明している。
すでに頭部から胸部にかけての深い傷は修復され、防御姿勢を解いてふたたび泳ぎだそうとしていた。
「もう一度です!! まどかさん!! もう一度、荷電粒子砲にエネルギーを!!」
紀久子は必死で叫んだ。
だがまどかは無言でかぶりを振った。もはや、トリロバイトⅡにはバシノームスの核を貫くだけのエネルギーは残っていないのだ。
「まんまと一杯食わされました。たぶん、脱皮殻の方が本体だったんです……」
「それで、わざと割れて見せた。しかも、重力攻撃は、自重量があればあるほどダメージが大きくなる。軽い殻になってダメージを抑え、私達が荷電粒子砲を撃ち終えたら元に戻る……バカにして……」
紀久子は怒りに燃える目でバシノームスを睨んだ。
潜水しようとするバシノームス。攻撃を避けるため、海中を進もうとしているようだ。
だがバシノームスは、すでに湾内奥深くまで進行していた。荷電粒子砲のダメージのせいか、その巨体はなかなか沈む様子を見せないまま、横浜米軍基地手前、数キロの地点までやってきている。
「もしこのまま上陸されたら、被害が……」
まどかは唇を噛んだ。
基地周辺には、商業施設や民間企業、住宅もある。
だが、それらを破壊するだけ、などという単純な事では済むまい。相手はシュラインの知性を持つ怪物なのだ。発する生体電磁波はあらゆる生命を操り……そして……
「シュラインを上陸させてはいけません!! 植物型巨獣にバシノームスが物理的に接触したら……米海軍は、迎撃しないんですか!? 」
紀久子が通信機に向かって叫ぶ。
『ダメだ。攻撃すれば向かってくる可能性もある。むしろ呼び寄せるようなことになってはいけないと、静観を決め込むつもりだ』
「そんなことを言っている場合じゃありません!! 相手は本能で動く巨獣じゃないんです!!
知性を持った怪物なんですよ!?」
だが、樋潟は、モニターの中で唸るしかない。この期に及んでも、現場の邪魔をするのは、政治、という化け物なのだ。
その時、通信機からイーウェン隊長の声が静かに流れ出した。
『新堂少尉。すまなかった。作戦失敗はこちらの立案ミスによるものだ。今、我々が始末を付ける』
「イーウェン隊長? 今どこにいるのです!?」
『説明しているヒマはない。お前達はすぐに離脱しろ。次の攻撃は、さっきの比ではない』
波飛沫を上げて進む巨大なグソクムシ。あとほんの数㎞で港に達する。
だが、その正面に海中より浮かび上がる紅い影があった。
「鬼王……なの……?」
まどかが呟いた。
海を割って現れたのは、確かに鬼王であった。
だが、その色は見覚えのある金色ではなくなっていた。表面が変わるだけで、ここまで様相が変わるものなのであろうか。
深紅の鱗が、傾きかけた夕日に照らされ、燃えるように輝いている。
そしてまるで当たり前のように、ふわりと宙に浮く。ヒュドラの重力制御によるものだ。
『目標から半径三キロ以内は、危険域だ。攻撃は三十秒後。警告はしたぞ』
それだけ言うと、イーウェンの声は途切れた。
『ふっざけんな!! 俺達はいいとしても……!!』
オープンチャンネルで石瀬が叫んでいるのが聞こえる。
確かにそうだ。瞬時に加速可能なトリロバイトⅡとスカイクーガーは、十秒以内に離脱可能だが、バシノームスに追われて陸へ向かう形のブルー・バンガードは、最速でも五十ノット。しかも加速には時間が掛かる。三十秒ではいくらも進めない。
『あれはギガクラスターだ。重力攻撃と並ぶ、鬼王の最大武装。周囲の海水ごと、バシノームスを蒸発させる気だろう』
「ウィリアム教授ッ!!」
紀久子が叫んだ。
ブルー・バンガードの位置は鬼王の目の前、数百m。このままギガクラスターが発射されれば、無事で済むとは思えない。
紀久子が機首をブルー・バンガードに向けようとするのを、まどかが制する。
「ダメ!! 離脱して!! 今行っても、何も出来ない!!」
『我々なら大丈夫だ!! 早く離脱を!!』
通信機からウィリアム教授の声が響く。
同時に、深紅に輝く鬼王の頭部に、眩しい光が輝き始めた。
『急速潜行!! 海底にへばりつけ!!』
「教授!!」
深紅の鬼王。その胸から灼熱の光が発射された時、ブルー・バンガードの艦橋はまだ、海面上にあった。