10-9 散華
“私ノ命ハ、残リ少ナイ。ソウ言ッタハズダ”
遠い空から届くアルテミスの思考波はか細く、しかし、決意に満ちていた。
「バカ野郎!! だからって、今すぐ死ぬ必要があるってのか!? そもそもお前の翼じゃ、多少空気が薄くなれば墜落しちまうはずだ!! どうやってそんなとこまでッ!?」
ガーゴイロサウルスの狭いコクピットの中で、小林は叫んだ。
“最後ノチカラヲ、使ッテイル”
「最後の……チカラだと?」
“体液ヲ、噴射シテイル”
小林は理解した。
大気中を羽ばたいて飛ぶアルテミスは、たしかに空気が薄くなれば飛べないはずだ。
核爆発の影響を最小限に出来る成層圏まで、普通なら飛べるはずがない。
羽ばたいて筋肉を使い、限界まで上昇した体温に加え、上空の気圧の減少により沸騰した体液。それによって高まった体内圧を利用しているのであろう。つまりは焼けた豆が弾け飛ぶのと同じ原理だ。それを「最後のチカラ」と呼ぶ理由は……
「アルテミスッ!! もう……やめろ!! 戻ってくれ!!」
小林は必死で叫んだ。
だが、もはや自分の意思で戻ることも出来ないこと、戻ったところで体液の大半を失ったアルテミスが生きてはいけないことも、理解していた。
食い入るように見つめるモニターには、天空を遮る分厚い雲しか映ってはいない。それでも、優しい響きを帯びた思念波が、アルテミスの存在と強い意志を伝えていた。
“小林。私ハ子孫ヲ、残セナイ”
「何!? 何言ってんだおまえ……」
“ダガ、命ハ、残セル。君達ノ命ヲ”
「バカが……そんなこと……考えてやがったのかよ!!」
小林は、俯いて肩を震わせた。
“命ハ、命ノタメニ生キ、死ヌモノダ。小林、君モ同ジ事ヲ、シタハズダ”
「そうかも知れねえ。俺達は、遺伝子を残すためだけに生きてるわけじゃねえから。だけど…………」
アルテミスの言いたいことは、悲しいほどに理解できた。
巨獣化してしまったアルテミスは、自分で子孫を残せない。だが、自分の命と引き替えに多くの命を救うことで、自分の存在した証を残そうとしているのだ。
アルテミス、という存在がそうして生き、死んだことを、小林は否応なく背負わされることになる。それがイヤなのではない。ただ、アルテミスのそうした覚悟が、ひたすら切なかった。
もしかすると、アルテミスの行動は多くの人の心に刻まれ、嫌われがちな「大型の蛾」である彼等……オオミズアオやメンガタスズメという種を、守る力となってくれるかも知れない。
だが、そんなことすら、アルテミスは考えてはいまい。小林の心に伝わる彼の思念波には、すべての命を慈しむ思いだけが溢れていた。
それらは小林の心に、一瞬に去来した思いだった。アルテミスの思考波と触れて、思考と感覚が加速しているのを感じる。生体電磁波を使用しているからかも知れなかった。脳波同士の直接のふれ合い、それは千の言葉を用いるよりも、深くその思いを伝えるのだろう。
“悲シムナ。小林ナラ、何ト言ッテ別レタイ?”
「あばよ。アルテミス……また、いつか……会おうぜ」
“広藤ニ、ヨロシク伝エテク――――”
アルテミスの思考波が途絶えると同時に、空全体が光った。
雲の向こうで、巨大な爆発が起きたのだ。
衝撃波は来ない。アルテミスは成層圏まで、シルバー・バイポラスを運ぶことに成功したのであろう。
「アルテミス……」
小林はハッチを開けて空を仰いだ。
「いつかまた、会おうぜ。今度は巨獣じゃなく、普通の生き物同士として……」
*** *** *** *** ***
「オットー!! オットーは!?」
高空での爆発をとらえるとほぼ同時に、完全にブラックアウトしたモニターを見つめ、マイカが叫んだ。だが、その声を捉えた者は一人もいなかった。
一時的に、すべての電子機器がその機能を停めたのだ。
核爆発の熱波や衝撃波は、高度数百キロの高層大気圏では、ほとんど伝わらない。
希薄な大気のせいで、爆風が発生しないのだ。しかし、大量の電離放射線が発生し、大気層の20 - 40km付近の希薄な空気分子に衝突し電子を叩き出すコンプトン効果が起きる。叩き出された電子は地球磁場の磁力線に沿って螺旋状に跳び、強力な電磁パルスを発生させることとなるのだ。
電離放射線は希薄な大気中を遠方まで届き、発生した電磁パルスの影響範囲は水平距離で百kmから一千kmにまでも達する場合がある。
そうして発生した電磁パルスは、多くの電子機器を回復不能な故障へと陥らせる。
高々度核爆発・HANEと呼ばれる現象だ。
この爆発で、関東全域で一般の電子機器のほとんどが使用不能となった。
MCMOの持つ、機動兵器や軍事車輌などの軍用機器には、電磁パルスに対する防護措置として導線の被覆などが施されていたが、接続部や受信装置にはそれなりのダメージを受けていた。そして、本体を保護するため、システムダウンした機器も多かった
一時的とはいえ、関東圏のすべての通信が途絶した。
*** *** *** *** ***
「きゃあっ!?」
紀久子は思わず叫んだ。突然低下したエンジン出力を制御しきれず、トリロバイトⅡが失速する。敵・巨大グソクムシ=バシノームスは目の前だというのに。
発射寸前まで充填していたエネルギーも低下し、荷電粒子砲本体が光を失っていく。
「ど……どうなったの!?」
コクピットのオールラウンドビューモニターが消え、ハッチの透明度が回復する。
急に狭くなった視界が、大きく傾いで速度を増す。機能停止したトリロバイトⅡの機体が、落下しているのだ。
「ダメ……飛んでッ!!」
紀久子が思い切り操縦桿を引き上げると同時に、エンジンが再起動した。
消えていたパイロットランプも、画面も回復する。電子系統が回復したのだ。突然回復した後部ノズルからの噴射で一気に加速した機体は、バシノームスを飛び越えて、数キロ離れた海面に着水した。
「今の……どうしたんでしょう?」
状況をつかめない様子の紀久子が、おどおどとまどかに声を掛ける。
初めて扱う機体だ。自分自身の操作ミスではないかと、心配しているのだろう。
「大丈夫です。紀久子さん。今のはおそらく……強力な電磁パルスの放射です」
「電磁パルス……?」
「はい。強力な電磁パルスの放射があると、一般の電子機器はすべて使えなくなります。軍用機器には防護処置がされていますが、中には今のトリロバイトⅡのように、一時的にシステムをダウンさせてダメージを防ぐ機器もあると聞きます」
「どうして、そんな電磁パルスなんか……まさか、シュラインが?」
「分かりません……超高空で核爆発が起きたりすると、そういう現象が起きると言いますけど……まだ、実際の事例はないですし……」
訓練を受けた兵士であるまどかも、自信無さそうに呟くだけだ。
通信も途絶し、敵も味方も、何の情報も得られない今の状況では無理もなかった。
だが、とにかく目の前の状況に対応していくしかない。のんびりと話をしているヒマはなかった。巨大グソクムシ・バシノームスは、目の前から急に消えた紀久子達を追って、向きを変えつつある。このままでは、押し潰されてしまう。
「紀久子さん、上昇してください。もう一度、荷電粒子砲スタンバイ。今度は距離をとってみましょう」
核爆発以外で起こされる電磁パルス兵器もないではない。だが、その有効距離は数百mだと聞いている。
もし今の現象が、機動兵器を無効化するためにバシノームスが放った電磁パルスだとしても、これだけ離れれば効かないはずだ。
荷電粒子砲の有効射程距離が、通常兵器より短いとはいえ、数キロ程度なら充分届く。まどかはターゲットスコープを立ち上げた。
その時、突然、耳慣れた声がまどかの耳に飛び込んできた。
『トリロバイトⅡ!! 聞こえるか!? こちらは、ブルー・バンガードだ』
「ウィリアム教授!? 何ですこれは……どうして通信が復活したんです?」
まどかは思わず、片手でヘルメットを押さえた。
その通信があまりにクリアで、ここしばらくの雑音混じりの通信とは比べものにならないほどの音量だったからだ。
『我々にも分からん。これまで不調だった通信網が、回復しているようだ。どうやら、妨害波を出していたヤツが消えたようだな』
「妨害波?」
『詳細は不明だ。だが、おそらくシュラインの仕業だったのだろう。関東全域をジャミングする電子装置など、あり得ないからな』
「なるほど……で、貴艦はどこに?」
『君達のすぐ近くだ。海面近くを潜行している。北北西に十キロ、見えるか?』
「はい。見えました」
まどかはレーダーで位置を捉え、モニターで拡大した。
潜水艦、ブルー・バンガードは、海上に艦橋部分を僅かに出して、こちらへ向けて航行中であった。
『当艦及び、チーム・ドラゴン、チーム・カイワンはコードネーム・バシノームスに対する殲滅作戦を遂行中だ。協力願いたい』
「バシノームス……それがあの化け物の登録名称なんですね?」
『そうだ。ヤツをなんとかこの湾内に追い込んだまではいいが……どうやら、ちょっとやそっと水質を悪化させたくらいでは弱ってもくれんらしい』
「水質を!?」
『そうだ。現在、この湾内の水質は、鬼王の力で強アルカリに傾いている。おかげで水中に散っていた海生生物はかなり片付いたが……本体のバシノームスはあの通りだ』
「荷電粒子砲でとどめを刺します。正中線に叩き込めば、核を打ち抜く可能性は高いはずです!!」
まどかは、当初からの作戦をウィリアム教授に伝えた。
『なるほど、あれだけの巨大な的だ。機動性に勝るトリロバイトⅡならば、可能かも知れん……』
『そう簡単にいくかな……』
ウィリアム教授の声に被せるようにして割り込んできたのは、鬼王に搭乗しているイーウェンだった。
『潜られたらどうする? ヤツはただの巨獣ではない。シュラインの意思を持つというならなおのこと、易々と正中線とやらを、撃たせてくれるとは思えん』
「分かっています。でも、それでも……」
まどかは言葉を探した。たしかに、シュラインの意思と頭脳を持つ巨大生物。バシノームスの正中線を捉えるのは、至難の業であろう。
だが、今はそれ以外にシュラインを葬る手段はないのだ。
『焦るな。鬼王がお前達との連携作戦を承認した。海中から援護する。確実に倒すんだ。いいな』
「え? 待ってください!! イーウェン隊長!?」
チーム・カイワンは、言いたいことだけ言い放って通信を切った。まどかは必死に呼びかけたが、深く潜行してしまったのか、まるで通じない。
「まどかさん……どうしたら……?」
トリロバイトⅡの操縦桿を握る紀久子は、不安そうにまどかに問いかけた。
「鬼王の行動中枢である“ノア”は、状況をすべて読んで作戦を遂行するわ。とにかく、私達は予定通りの行動をとりましょう!!」
「はい!!」
紀久子は、海面を低く飛んでいた機体を、大きく旋回させ、再びバシノームスを正面に捉えた。