10-2 緑の塔
「ちくしょうッ!! Gが……明が、あのクェルクスとかってのに、呑み込まれちまったじゃねえか。どうすんだよ? なあ、アルテミスッ!!」
小林は、苛立たしげにアルテミスの背中を叩いた。
アルテミスは、緑の塔の前に突如現れた、植物体ドームのまわりを、旋回することしかできていない。
“焦ルナ小林。敵ハ、人質ヲ取ッテイル”
高度を下げて、緑の塔に近づいたアルテミスの視界が、小林の脳裏に映し出される。
塔の中腹あたり、太いツルに絡みつかれ縛り付けられている女性の姿が見えた。
「アレかよ!! まさか、ほんとに松尾さんじゃねえだろうな?」
“奴ハ、ソウ言ッテイタ”
「奴ぅ!? お前、この植物巨獣に意思があるってでも言うのか?」
“ソウダ。Gト奴ハ、今モ生体電磁波デ、会話シテイル”
アルテミスは、明=Gと東宮=クェルクスの会話を聞き取っているらしい。
だが、彼が中継しようとしなければ、小林の脳にはその会話は届かない。
「バカ野郎!! だったら早く言えよ。松尾さんを助け出さなきゃ、明は闘えねえだろ!!」
“着陸スル”
「ハァ? 何でだよ!?」
“アレヲ、見ロ”
その思考波と同時に、小林の脳裏に、アルテミスの知覚しているものの映像が再び飛び込んできた。
グリフォンとアンハングエラ、二機の機動兵器が旋回をやめ、緑の塔から少し離れた位置に着陸しているのだ。その周囲には、避難し損ねて孤立したらしい人々が、数十人いるのが見える。
「あ……あいつは!!」
人々の先頭で、リーダー的に立ち回っている一人の男の姿に、小林は見覚えがあった。
細身の引き締まった長躯。端整な顔立ちのあの男は……
「た……高千穂!? アイツなのか!?」
それは、紀久子の婚約者だという、高千穂守里であった。
守里は、機を降りたアスカとオットーに、何か食ってかかっている様子だ。
「どういうつもりだ? あの野郎……」
小林はアルテミスの背中から飛び降りると、彼等の方へ駆け寄っていった。
「新堂さん、何やってんです!? Gが捕まっちまったんですよ!? 早く何とかしないと、核爆弾を抱えたバイポラスが来るんじゃないんですか!?」
「小林君!? 君、あの巨獣に乗ってきたのか? じゃあ君でもいい。僕たちを安全なところまで、乗せていってくれないか!!」
「ハァ? どういうことだ!?」
振り向くなり、不躾に頼んできた守里を、小林は不審そうな目で睨んだ。
「話の通りよ。小林君。高千穂さんは、ここから脱出するために、自分たちをアンハングエラに乗せろって言っていたとこなの」
「そうだ。聞けば、Gを狙って核物質を抱えた巨獣が迫っているって言うじゃないか。なのに、アンハングエラは単座式だから乗せられないって言われるもんだから……」
自分の命が掛かっているせいだろうか、それとも背後にいる数十人の避難者の、命を背負う責任感からだろうか、高千穂の口調はいつになく激しく、表情もまた険しい。
「そいつは俺のグリフォンも同じだ。それに、乗せられないわけは他にもある。あのまま飛んでいたら、墜落させられていたかも知れねえんだ」
オットーは守里の態度が気に入らないのだろう。腕組みをしたまま、不機嫌そうにその顔を睨み付けている。
「墜落!? ヤツは攻撃手段を……」
「持っているのよ。それも、かなり厄介なヤツをね」
アスカはそう言うと、右手に握っていたものを、小林の目の前に突き出した。
「…………?」
アスカの手の平には、二、三センチの黒い虫が乗っていた。死んだばかりらしく、まだ脚がひくひくと動いている。
「クェルクス――あの植物型巨獣――は、どうやら、フェロモンを操れるらしいの……コイツを操って飛ばしてくるのよ。あたしのアンハングエラもやられたわ」
「やられた? 戦闘ヘリがこんな小さな虫に!?」
「べつに撃墜されたワケじゃないわ。まどかが撃ち込まれたのとは違う虫だしね……」
トリロバイトが撃墜された時、コルディラスが飛ばしてきた虫は、異常な固さを持つゾウムシだった。だが、アスカの手の平で痙攣している小さな虫は、ハチか何かのように見える。だが、異様に発達した大顎が特徴的なその虫に、小林は見覚えがなかった。
「どうやら、アリの仲間らしいのよ。ただ、数がハンパじゃないわ。戦闘ヘリの吸気口を詰まらせるほど……って言っても分かんないかも知れないけどね……」
小林は目を丸くした。たしかに想像は付かないが、かなりの数が二機に襲いかかったことだけは分かる。
「それにしてもアリだって!? こんなでかいアリがいるのかよ?」
「どうも見たところ、クロヤマアリの兵隊アリと羽アリを、合わせたような特徴を持っているんだ」
守里が言う。
「何でそんな事が、お前に分かるんだよ!?」
「僕の専門は、生態学だ。里山に住むアリの種類くらい、見分けが付く」
小林の不躾な態度に苛ついたように、守里は片眉をぴくりと動かした。が、そのまま表情は変えずに目を逸らす。アルテミスに乗せてくれるよう頼んでいる手前、ここで小林と衝突するわけにはいかない、と判断したからなのだろう。
「へ!! そうかよ。たしかにあんた、準教授様だったな」
小林のあからさまな挑発にも表情を変えることなく、守里はアスカに向き直った。
「こんな虫くらいで……戦闘ヘリが飛べなくなるものなんですか?」
「アンハングエラだって、普通の航空機と同じようにエンジン吸気口があるわ。そこに大量にこんなものを飛び込まされたら、墜落しないまでも、出力がダウンして正常な飛行が出来なくなるのよ」
「それは、グリフォン(こっち)も同じだ」
オットーが苛ついたように地面を蹴った。
こんなことをしている場合ではないのだ。あのシルバー・バイポラスを捕らえ、一刻も早く被害の及ばない場所へ運ばなくてはならない。そのためにグリフォンから武装を外したはずなのに、これではどうにもしようがない。
「まさか……二機とも、もう飛べねえのか?」
「いや。もう応急処置はした。機械的には問題ないんだ。しょせん虫けらだからな。しかし、離陸すればまたヤツは虫を飛ばして来るだろうな」
そうなれば、また軟着陸せざるを得ない。
つまり、クェルクスを倒さない限り、機動兵器は使えない、ということになる。
「なんとか、あの植物型巨獣をやっつけなけりゃ、僕達は逃げることも出来ないってワケですか……」
「おい、高千穂さんよ。あんた、のんきなこと言ってんなあ? 自分の婚約者がアイツに捕まってるってのに……」
それを聞いて、守里の顔色が急に変わった。
「な!? なんだって!?」
「ああそうか。こっからじゃ分かりようがねえか」
「どういうことだ!? 紀久子が何で!?」
「アルテミスが、植物型巨獣とGの会話を傍受してたんだよ。アイツは松尾さんを人質にとって、Gを捕まえたんだ。でなけりゃ、あんな植物ドームにおとなしく閉じこめられたりするかよ」
「き……紀久子はどこに…………?」
「今更それを聞くかよ? ……まあいい。見ろ。あの塔の真ん中あたり、人間が縛り付けられているように見えるだろ?」
守里は、小林の指す方向をすかすようにして見た。
たしかに人が蔓に巻き付かれ、縛られているように見える。が、それが紀久子なのかどうかは、遠すぎて分からない。顔も俯けている上に、巻き付いた植物が、ほとんど体を覆い隠してもいた。
だが、それが紀久子である可能性がある限り、守里に放っておけるはずがなかった。
「紀久子を助け出せば、Gは……動けるんだな?」
「たぶんな。だけどよくわかんねえけど、早くしねえと、Gが死んじまうかも知れねえらしい」
「どういうこと? 毒でも注入されたとか?」
アスカが首を傾げた。あの無敵の巨獣王が、植物ドームに捕獲されたくらいのことで、簡単に死ぬとは思えない。
「アルテミスが言ってるんだが……あのドーム内の酸素濃度を低下させたらしいんだ」
「何だって!? まずい。それが本当なら、Gが死亡する確率は高いぞ!!」
とつぜん声を張り上げた守里に、全員が注目する。
「何言ってるんだ? Gは十五年も酸素のない海底で生き延びたんだぜ? たった数分酸素がないくらいで……」
「それとこれでは状況が違うんだ。無酸素……いや低酸素状態の気体を呼吸すれば、人間なら数分で死に至る!!」
「サンとカイ、だっけか? あの巨獣コンビが来るまで待つってわけにはいかなさそうだな」
腕組みをしたままオットーが聞く。
たしかに、ニホンザルの巨獣であるサンとカイならば、いまや緑の塔と化したMCMO本部に登って紀久子を救い出すことも、怪力でドームをぶち破ってGを救出することも出来るだろう。
だが、Gの命があと数分となると、のんびりしてはいられない。そうでなくとも、シルバー・バイポラスが迫っているのだ。
「そうね。それにシルバー・バイポラスも追いついてくる。こんなところで核爆発されたら……」
アスカも首を振りながら言う。
シルバー・バイポラス。体内に高濃度プルトニウムを蓄積した、銀色の地底巨獣だ。
そのサイズは二十m前後だが、どのくらいのプルトニウムを抱え込んでいるかは見当も付かない。万が一核爆発を起こせば、少なくともこの辺り一帯は消滅するに違いない。
「つまりおそらく、シルバー・バイポラスが来るまでの時間稼ぎなのよ。このままじゃ…………」
「あああもう!! わかったよ!! 」
小林は焦れたように足を踏みならすと、自分の後ろに控えるアルテミスを振り仰いだ。
「誰かが松尾さんを助け出さなきゃ、Gは反撃できない。でも、フェロモン攻撃を無効化できるこいつでなけりゃ……松尾さんを助けに行くことも出来ないってことだろ? 」
「……頼む。俺を紀久子のところまで連れて行ってくれ」
「連れて行くのは俺じゃねえ。アルテミスだ。だがよ……」
「なんだ?」
「俺も行く。あんた一人じゃ心許ないからな」
「すまない」
*** *** *** *** ***
アルテミスの脚は、毛も多かったがトゲも多く、人間二人がぶら下がるには不自由しなかった。だが、背中の毛に隠れるのとは違い、巨大な翅の巻き起こす風圧が、常に吹き付けてくる。
羽ばたくたびに襲ってくる振動も激しく、ほんの数分で、小林は気分が悪くなってきた。
だが、フェロモン防壁は見事に機能しているらしく、緑の塔の頂上付近から黒雲のように湧いて出た羽アリの群れはアルテミスに近寄ることが出来ず、数百mほどの距離を保って、渦を巻いて滞留している。
「どうする!? こんな状況で、直接、松尾さんのいる場所に取り付くことは出来ないぜ!? アルテミスの起こすこの風で、吹っ飛んじまうかも知れねえ!!」
小林は巨大な植物の塔を睨み付けながら、守里に叫んだ。
紀久子は意識を失っているのだ。見たところ、かなりしっかりとツルで巻き付けられているようだが、もし、外れでもした場合には、そのまま滑り落ちてしまうだろう。
危険を冒すことは出来ない。
アルテミスは上昇気流に乗ったのか、ゆっくりと羽ばたいているだけだが、その風圧はさして変わらない。すぐ傍にいるにもかかわらず、声を張り上げなければ、互いの声も聞こえないような状態だ。
「だが、一刻を争うんだろう? 危険だが!! 一度、あの塔に取り付いてもらわなくてはならないな!! その間に飛び移って、ロープを使って紀久子のところまで辿り着く!!」
「出来るのかよ!? ほとんど垂直だぜ!?」
小林が心配する通り、紀久子の縛り付けられている壁面は、上も下もほとんど垂直の壁になっている。辛うじて、紀久子の周囲だけにツル状の枝が出ているだけだ。
しかも、あの虫の群れは緑の塔から湧き出してきているのだ。襲われればひとたまりもないだろう。
「俺は登山部だったからな!! 壁面にこれだけ凹凸があれば、問題ない!! やってみせるさ!!」
守里は、真っ直ぐに紀久子を見つめたまま、言い切って見せた。
「……たしかに……あんたも大した男だぜ……」
小林は思わず感嘆の声を上げた。自分はこの男、高千穂守里を少し見くびっていたようだ。
本部が壊滅したとき、その気になれば、先に逃げてしまうことも出来ただろう。だが、守里は動けない人々のために、敢えてこの場所に残っていた。しかも被災者をさっさとまとめあげ、避難のためにアスカ達と交渉していたのだ。
そして今は、一方的に婚約破棄を言いだした紀久子のために、命がけで救出に向かおうとしている。
「何か言ったか!!」
「俺もつきあうって言ったんだ!! いいかアルテミス!! 時間がない!! あの出っ張りが見えるだろう!? あそこに着けてくれ!!」
小林が指さしたのは、紀久子が縛られている場所から十mほど上方の反対側だ。そこは建物の構造上、オーバーハングしていた場所だ。それがクェルクスに覆い尽くされた後も、留まりやすい窪地になって残っていたのだ。
ここならば、紀久子にアルテミスの羽ばたきの影響を与えないで済む。
「たしかに……ここ以外に、取り付ける場所はないな」
出っ張りの上に飛び移った守里は、眼下を見下ろして呟いた。
「松尾さんの真上まで横移動。それから十m降下して救出。ここまで戻ってくる。降下はあんた。俺はサポートって役割。それでいいな?」
「ああ」
小林の言葉に、守里は頷いた。そして、腕時計に目をやる。ここに来るまでに、すでに数分間が経過してしまっていた。
「任せろ。一秒でも早く、紀久子を救い出す」
「頼む。Gが何分間生きていられるか、分からねえんだ。もしかしたら、もうダメかも知れねえ。だけど、俺は明を信じる。Gもな。あいつは、必ず復活する」