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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第9章 緑魔の影
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9-4 出撃トリロバイトⅡ

 荷電粒子砲。

 電子を取り払う事で荷電した原子、すなわち原子核をレーザーで加速して撃ち出し、対象物を物理的に消滅破壊する兵器である。

 命中した対象は、荷電加速された原子と衝突して構成原子そのものが消滅する。

 取り回しもエネルギー効率も悪く、射程距離も、特に大気中では驚くほど短い。

 一対一の接近戦でしか使えない、一点突破の破壊力。人間同士の戦争においては、ほぼ無意味と言える兵器だが、こと相手が巨獣という異常な能力と生命力を持つ生物相手となれば話は別だ。

 いかに強固な皮膚を持とうが、異常な回復力があろうが、関係ない。狙った急所を瞬時に消し去る事が出来るのだから。しかも、異常な遺伝子を持つ細胞を飛び散らせる心配もない点で、他の質量兵器より効果的といえた。

 十五年前の巨獣大戦末期。

 発足したばかりのMCMOが威信をかけて造り出したこの荷電粒子砲は、通常攻撃で疲弊した巨獣王・Gにとどめを刺した。

 荷電粒子はその性質上、高密度で撃ち出す事が難しく、大気中で拡散しやすい。

 しかも理論上、発射の反動は同クラスの質量兵器の数十倍となり、当時の技術では小型機動兵器には搭載できなかった。そのため、大型船舶に備え付けた荷電粒子砲で海上に姿を見せたGを狙い撃ったのだ。

 Gは死亡し、コストの掛かる荷電粒子砲の開発自体も、それ以来ストップしていたはずだ。


(でも、秘かに開発していたんだ。Gが完全には死んでいない事を知っているMCMO上層部によって……)


 まどかは唇を噛んだ。

 ブルー・バンガードのこともそうだが、現場に何も知らされていなかったことで、裏切られたような気持ちになっているのは確かだ。

 だが、今はそんな事を言っている場合ではない。


「荷電粒子砲スタンバイ。照準、五百m前方の機体射出口。」


 まどかは射出口に向けて荷電粒子砲をロックオンした。

 発進態勢の機体にとっては真正面であるから、外す事はあり得ない。

 だが、この至近距離である。粒子収束率は完全開放だ。大気中では拡散しやすい荷電粒子といえども、開口が小さすぎては脱出できない。


『時間がない。早く撃ちたまえ!!』


 通信機から八幡の叫ぶような声が聞こえる。

 こうしている間にも根の侵食は止まっていないのだ。とっくに射出口そのものは見えなくなっていたが、あふれかえる茶色の触手は、そこに至るまでのわずかな空間すらも埋め尽くし、押し潰そうとしていた。

 しかし、荷電粒子砲は莫大な電力を消費するため、チャージにはリニアキャノン以上の時間を要する。超短パルスレーザーを使ったレーザー加速式の装置は、その出力を一瞬とはいえ超高出力にまで高める必要があるのだ。

 その膨大な電力を、このトリロバイトⅡはメインジェネレータに大容量コンデンサを直結する事で賄っている。コンデンサがその容量をフルに使い、過充電に近い状態でなければならない。たとえ発射できたとしても、ジェネレータにその反動を抑えるためのリパルサーフィールドを発生させるだけのパワーが無くなるからだ。

 すでに充電開始から十数秒が経過しているにもかかわらず、エネルギーゲージは半分にしか達していない。

 果たして間に合うのだろうか? まどかの心に焦りが芽生える。

 しかも、荷電粒子砲とリニアキャノン以外は、小型ミサイル十数基が装備されているだけである。荷電粒子砲やリニアキャノンはたしかに凄まじい威力の兵器だが、小回りがきかず巨獣への一撃必殺以外に使い道がない。

 つまりこの機体では、牽制や威嚇攻撃は出来ないのだ。

 表示されたスペックをざっと目で追ったまどかは、これまでトリロバイトⅡが実戦配備されていなかった理由を理解していた。


(これじゃ……敵に接近して攻撃されたら、避ける以外に戦いようがないじゃない)


 このトリロバイトⅡでの戦闘の成否は、パイロットの操縦技術にすべてが掛かっていると言ってもいい。複座式であるのも、一人は操縦にのみ専念する必要があるからなのだ。

 しかも、射程の短い荷電粒子砲は接近しなくては使えない。

 まどかの脳裏に、撃墜された時の記憶が蘇った。

 あの時、あそこまで接近しなければ、コルディラスに位置を気取られる事もなく撃墜されることもなかっただろう。言いしれぬ悪寒を感じて背筋を震わせる。


(ダメだ。戦闘中の恐怖心は、マイナスにしか働かない)


 まどかは大きくかぶりを振って恐怖を打ち消し、後部座席を振り返った。


「あの……はじめまして。松尾紀久子さん?」


 一段高くなった後方の操縦席には、真剣な表情の紀久子がいる。

 充電の間に、紀久子と少しでも話しておかねばならない。

 自分が操縦できない以上、戦闘の素人である紀久子に命を預けねばならないのだ。この状況を不安でない、と言えば嘘になる。だが、それ以上に、明が思いを寄せる紀久子に対して不思議な信頼感もあった。


「私をご存じなんですか? あ……もしかして、五代……少尉さん?」


 紀久子は、はっと思い当たったように言った。

 今頃になって新堂アスカの言葉が思い出されたのだ。下半身不随になってしまった機動兵器の女性パイロットなど、そう何人もいるわけはない。


「はい」


「えっと……すみません。勝手に乗り込んじゃって」


「いえ。あんな状況でしたから……助けていただいてありがとうございました。あの……今から荷電粒子砲を撃ちます。操縦の方……やれますか?」


 そう言いながら、まどかも正直、やれるとは思っていなかった。

 だが、どうせ自分の動かない脚では、加速用のフットペダルを踏み込めない。今更機体を捨てて逃げ出す猶予もない。すべてを紀久子に預けるしかないのだ。

 おそらく荷電粒子砲は発射できるだろう。だがショックの吸収に失敗すれば、通路の壁に激突して機体は四散しかねない。だが、それでも紀久子だけは死なせない。そうも思っていた。

 自分の命と引き替えにしてでも、明の愛するこの女性だけは守る。秘かに決心したまどかは、紀久子には何も言わず、脱出システムを探した。


(分離システム? 二機に分離できるのね……これなら……)


 反動を吸収しきれなかった時、まどかの乗るLフレーム……すなわち下側のブロックを切り離せば、紀久子の乗るUフレームだけは、反動を受けずに済みそうだ。

 まどかはそっと分離シークエンスを開始した。


「空を飛ぶのは初めてですけど、操縦システムが海底ラボで使っていた潜水艇に似ているみたいですから、これなら…………」


 紀久子は操縦方法の把握に必死で、まどかのやっている事に気づいてはいない様子だ。

 だが、言葉とは裏腹に紀久子の表情は不安げである。いきなり超兵器に乗せられてしまったのだから無理もない。

 たしかにトリロバイトⅡの操縦システムには、シーサーペントやサンプリングロボットとの共通点があった。おそらく同じ、ウィリアム研究室の成果であるのだろう。

 だが、兵器と研究機器では使用目的からしてまったく違う。

 しかも、バッテリー駆動だったサンプリングロボットとは違い、メインジェネレータには小型とはいえ核融合反応炉が用いられている。これほど多くの出力パラメータを持つ、高出力の機械を紀久子は扱った事がなかった。

 そもそも、訓練無しのぶっつけ本番でリパルサーシステムを操り、荷電粒子砲発射の凄まじい衝撃を緩和する、などというのは無茶もいいところであった。


(だけど……これは私に与えられた償いのチャンスだ。少しでもみんなの力になれるなら……)


 東宮を始め、多くの人にシュライン細胞を植え付け、彼等を操ってベクターのアブやヒルを作り出したこと。擬巨獣ダイナスティスの核となり、都市を破壊したこと。行方不明となって自分の家族や、恋人の守里に心配を掛けたこと。

 いや、それ以上に胸を刺すのは、自分を救いに来てくれた明と闘い、傷つけてしまったことだ。あの時、ダイナスティスの超震動角で貫かれ、血を噴き出しながらも、抱き締めるように寄り添ってきてくれた、Gの瞳が記憶に焼き付いて離れない。

 心にこんな重荷を抱えたまま、のうのうと生きていく事など、紀久子には出来ない相談だった。

 操られていた。などという言い訳で、自分を許したくはない。

 罪悪感というだけではない。責任感や義務感だけでもない。自分では説明のつけられない感情が、紀久子を突き動かしていた。

 あの時のGの瞳が、真っ直ぐに自分を思い続けてくれていた明の瞳に重なり、居ても立ってもいられない気持ちになる。

 覚悟を決め、正面を向いて唇を噛んだ。


「たぶん……いえ、大丈夫です」


 紀久子はそう言い切ると、安心させるようにまどかに微笑みかけて操縦桿を握り直した。


「分かりました。お任せします」


 まどかももう、これ以上何も言う事はなかった。前に向き直り、荷電粒子砲の発射シークエンスを再開する。


「コンデンサ充電完了。耐ショックシステム……起動!!」


 その宣言によって、音声入力されたのであろう。シートから巻き付いてきたベルト状のものが重なり合い、パイロットスーツへと変形していく。さらにベルトで二人の体が座席に固定され、背後からフルフェイスのヘルメットが被せられた。と、同時にスーツの表面やヘルメット内部からジェル状の物体が噴き出し、体全体を包み込んでいく。

 そのジェルはぴったりと体を包んでいるが、視界と呼吸だけは確保されているようだ。


「こ……これは……?」


「ショック・アブソーバ・ジェル。機体の急激な発進や、荷電粒子砲発射の衝撃を緩和してくれます。あ、メガネは外しておいてください。ヘルメットの視力補正機能で支障はないはずです」


 突然のことに驚きを隠せない紀久子に、まどかは冷静に答えた。自分も初めて経験する装備だが、レクチャーを受けたことはある。


「は……はい!」


 紀久子はヘルメットのバイザーを押し上げてメガネを外すと、胸のポケットに押し込んだ。

 たしかに、急激なGのかかる戦闘兵器の操縦で眼鏡の着用は無理だろう。だが、たしかにバイザーを通して見た視界は、メガネを掛けた時以上にクリアだ。

 その視界に緑色の電子文字が浮かび上がり、機体のステータスや出力状態が表示され始める。どうやら、このバイザー自体がトリロバイトⅡの運行システムと連動もしているらしい。


『大容量コンデンサ充電完了。荷電粒子砲、発射準備完了しました』


 ヘルメットに内蔵された通信装置から、電子合成とハッキリ分かる女性の声が流れた。

 トリロバイトⅡのメインコンピュータだ。


「松尾さん、リパルサーシステムの稼働をお願いします!!」


 同じ音声を聞いていたのだろう。前の席からまどかが叫んだ。


「メインジェネレータ……臨界出力で稼働中!! オ……オートバランサー起動。リパルサーシステム稼働開始します。」


 紀久子が操縦桿を起こすと、トリロバイトⅡはふわりと浮き上がった。

 機体の周囲に発生させたリパルサーフィールドで、発射の衝撃を吸収するためだ。

 狭い発進路内であり、内壁との距離は数mとない。が、オートバランサーに助けられているとはいえ、紀久子は巧みに機体を操って機体をぶつけずに平衡に保っている。


「荷電粒子砲!! 発射します!!」


 まどかは目の前の茶色い植物の壁に向けて、トリガーを引き絞った。


 一対のリニアキャノンの砲身の間に据え付けられた、荷電粒子砲のレーザー発振器が、一瞬だけ赤熱した。空気中を赤い光が過ぎる。

 重金属の粒子を加速、荷電するために高出力のレーザーが起動したのだ。

 そのレーザー束は対象物までの道を照らす道標ともなる。荷電粒子の収束範囲を限定し、その範囲の浮遊物質を焼き尽くして荷電粒子の減衰率を軽減するのだ。

 コンマ数秒の後に、装置全体が淡い緑色に輝く。

 そこから発射された荷電粒子の塊は、鮮やかなグリーンと紫の螺旋状の光の尾を引き、茶色く木化した植物の幹に埋め尽くされた通路を一瞬で貫いた。

 空けられた穴からは、気圧差のせいか凄まじい強風が吹き込んできたが、リパルサーフィールドに保持された機体は微かに揺れただけであった。


「発進します!!」


 紀久子の声と同時にリパルサーフィールドが後方に収束され、同時に後部スラスターが火を噴いた。



***    ***    ***    ***    ***    ***    ***



 突如、MCMO臨時本部の基部を貫いた緑色の閃光。

 その後、一陣の風を纏って廃墟の空に舞い上がった白銀の機体。

 カブトエビに酷似したその兵器は、関節状の部分をいくつも持つ尾部を捻るようにして機体をくねらせた。そして状況を確認するため、高度をとったままその周囲を大きく旋回する。


「五代少尉。見てください。逃げる人達がっ!!」


 紀久子が叫ぶ。


「あれは!?」


 MCMOの臨時本部から流れ出してきた人の群れ。急な避難でほとんどの人々が徒歩である。そこへ一体の小型巨獣が襲いかかっていくのが見えたのだ。小型といっても、全長数十mはある。中型巨獣とでも言うべきサイズだ。


「バシリスク!! 助けなくちゃ!!」


「ダメよ松尾さん!! この機体には荷電粒子砲以外には、リニアキャノンと小型ミサイルしか装備していないの!! どれも使えない!!」


 最小の威力である小型ミサイルでさえも、着弾の衝撃や爆風は、人間にとっては大ダメージを与えかねない。人々とそれを狙う小型巨獣の距離は、あまりにも近すぎる。


「でも!! じゃあ、どうしたらいいんですか!?」


 こうしている間にも、バシリスク型の中型巨獣は、アリの行列でもついばもうとするように、人々の群れを狙っている。一刻の猶予もなかった。


「あの巨獣の正面から…………突っ込んでください」


「え!?」


「小型ミサイルを口の中に叩き込みます。体内で爆発させれば、衝撃波や破片は周囲に被害を与えにくいはず。発射したら、すぐに上昇してください!!」


「分かり……ました!!」


 紀久子は、一瞬の躊躇いもなくまどかの指示に従った。

 急速旋回したトリロバイトⅡは、超低空飛行でバシリスクの正面から突撃していく。

 迫り来る白銀の機体に気づいたバシリスクが、その狙いを人々からトリロバイトⅡに変えたその時、まどかはミサイルの発射スイッチを押した。


「行けッ!!」


 発射したのは一発。

 周囲に与える被害を少しでも減らさねばならない。周囲と同じ温度のバシリスクには、赤外線誘導は効かない。しかし、至近距離で放たれた小型ミサイルは、あやまたずにバシリスクの口内に撃ち込まれた。


「ぎゅげっっっっ!!」


 顎が上下に吹き飛び、小バシリスクは不気味な声を上げて地に倒れた。


「やった!?」


 紀久子は操縦桿を引き絞り、急速上昇した。振り向いて地上で痙攣するバシリスクを見る。

 だが、その一瞬の油断が命取りだった。


「きゃあっ!!」


「何!?」


 二人は同時に叫んだ。

 激しい衝撃が機体を揺らす。トリロバイトⅡは操縦不能になって、そのまま空中に浮かんだ。


「これは…………擬巨獣!?」


 擬巨獣、すなわち昆虫を統合した群体巨獣。

 白銀の機体をその巨大な六本の脚に抱え込んでいたのは、巨大なスズメバチ型の群体巨獣・ベスパであった。

 全周監視モニターに黄色と黒の特徴的な腹部が映る。体長対比で実際のスズメバチよりも明らかに太く長い六本の歩脚が、トリロバイトⅡの機体をしっかりと抱え込んでいる。

 前方から、つややかな半月型の複眼が覗き込み、その下には巨大な顎がぎちぎちと音を立てていた。中空にホバリングしたまま、その体を折り曲げて尾部をトリロバイトⅡの機体表面に押しつけ、なで回すかのようにクネクネと動かしている。


「五代少尉!! 後部に異常です!! 駆動系がおかしい!!」


 紀久子の見ているメインモニターに機体模式図が示され、機体後部の一部に赤い緊急信号エマージェンシーが灯った。

 毒針である。

 世界でも有数の大きさを誇る、日本産のオオスズメバチ。その武器はもちろん、強力な毒針である。剛性と柔性を兼ね備えた黒い毒針は、探るように尾部から出し入れされて、トリロバイトⅡの関節部から、毒液を注入したのだ。

 たしかに生物ではないトリロバイトⅡに毒は効かない。が、ハチ毒の主成分は蟻酸。つまり強酸性の液体である。大量に注ぎ込まれた蟻酸は、電子機器に深刻な損傷を与えつつあった。


「どうやら毒針を打ち込まれたみたいね。このままじゃ……松尾さん、脱出できないの!?」


「やってますけど……難しいです!!」


 紀久子は、すでに後部スラスターを全開にしていた。

 闇雲な移動は出来ているが、ふりほどけない。空中で抱え込まれてしまっている状態に、変わりはないのだ。リパルサーフィールドを直接ベスパに当てれば効果があるかも知れないが、基本的に機体下部と後方にしか設定されていないため、それも不可能だ。

 ベスパはさらにグネグネと尾部をくねらせて、毒針を差し込める隙間を探しているようだ。


「あと何回か刺されたら……機能停止に追い込まれるわ……」


 まどかは、モニターに表示された模式図の緊急信号エマージェンシーを見ながら言った。


(落ち着け、まどか。考えるんだ)


 裡で自分を叱咤し、冷静になろうとするが、打開策が見えてこない。

 こんな状態でミサイルを撃っても意味がない。それはリニアキャノンも荷電粒子砲も同じだ。あと、出来る事といえば……。


(…………あった)


 先ほど、シークエンスを途中で止めていた機体分離機能だ。

 だが、その方法で脱出できるのはLフレームのまどかだけであり、Uフレームに乗っている紀久子は、擬巨獣・ベスパに抱え込まれたままになる。


「松尾さん……私と、シートを入れ替えられますか?」


 下半身の動かない自分一人では、シートから動く事もままならない。

 だが、二人の位置を入れ替えて分離すれば、Lフレームの紀久子は助かる。

 Lフレームに二人が搭乗する事が出来ない以上、なんとか紀久子だけでも逃がすためには、それしか方法は思いつかなかった。


「……残るなら、私が残ります」


 発せられた紀久子の言葉に、まどかは絶句した。


「…………分かってたんですか?」


「分離シークエンスの表示は、こちらにも出ています。五代しょう……まどかさんの考えそうな事は、私にだって分かります」


 うかつだった。突然分離するわけにいかない以上、もう一人の搭乗者にもその情報は知らされていても不思議ではない。


「それしか方法がないんでしょう? 優秀な兵士のあなたと荷電粒子砲だけでも生き残らせれば、この擬巨獣も……シュラインだって倒せます。私じゃ足手まといになるだけ。みんなの……明君の力になってあげて!!」


 紀久子はそう叫ぶと、自分の席から分離シークエンスを継続した。電子音が響き、合成音声がシークエンスの再開を告げる。


「ダメよ!! あなたを死なせるわけには――――」


 言いかけたまどかの声が、立ち上がってきた強化プラスチックの隔壁で遮られ、途切れた。


「ごめんなさい。まどかさん……」


 大きく溜息をついた。

 終わりか、と紀久子は思った。人生、こんなものかも知れない。でも、まどかを脱出させる事が出来るのなら、何の役にも立たないまま死ぬわけではない。それが何とはなしに満足だった。

 紀久子が分離決定のスイッチを押そうとした瞬間。

 何者かの叫び声が機体を激しく揺らした。



***    ***    ***     ***    ***



 まどかの必死の声も空しく、隔壁は完全にLフレームとUフレームを仕切った。

 腕に力を込めて立ち上がろうとしたが、それも果たせず力尽きた。


「これじゃあ……!! 逆じゃないの!! あなたを死なせて、私だけが助かって!! 明君の前に姿を見せるなんて、出来るわけないのに!!」


 動かない脚が恨めしかった。

 Uフレーム優先の分離シークエンスを止める事すら、まどかにはかなわない。

 何も出来ない自分が憎い。

 まどかの絶望が頂点に達した時。


「…………何?」


 ふいに、まどかの心に差し込んできたものがあった。

 暖かく、優しく、何よりもまどかに忠誠を誓う『もの』。

 温度を伴う柔らかな『刺激』であり、何物にも喩え難い『力』。

 それは明確な『意志』を持って、近づいてきていた。まどかのもとへと馳せ参じるために。絶望にくれるまどかの力となるために。

 接近する『もの』を確認しようと、地上に視線を落とした次の瞬間。

 何の前触れもなく、ベスパの尾部が切断され、宙に舞っていた。


「キケエエェェェッッ!!」


 一瞬遅れて聞こえた声は、耳をつんざくほどの大音量でトリロバイトⅡを包み込んだ。


「ガルスガルス!!」


 まどかは叫んでいた。

 彼は自分の声すら追い越して駆けつけてくれたのだ。

 まだ、まどかはその目に姿を捉えてはいない。しかし、間違えようはない。この暖かな意志。

 ブルー・バンガードから移動されたニワトリの巨獣・ガルスガルスは、地区の体育館に収容されていたはず。決して暴れたりしない彼であればこそ、そんな場所に押し込めておけたわけだが、まどかの危機を察知してまでそんなところに収まっているはずもない。

 ほんの数十分で、数百キロを駆け抜けたスピードスターである。その脚力をもってすれば、関東一円どこであろうと、一飛びであった。

 一瞬、影が陽光を遮った。ガルスガルスが遙か上空で反転するため、大きく翼を広げたのだ。

 陽光に煌めく純白の翼は、ひとつ、ふたつ、羽ばたいただけで目の前をすり抜け、そのまま地上に向かった、と見るや、ベスパの頭部は既に無い。

 すれ違いざまにもぎ取られたのだろう。


「松尾さん!! ガルスガルスが来てくれたの!! 分離シークエンスを中止して!!」


 内線通話を呼び出して叫ぶ。

 頭部を失ったベスパは、しばらくはホバリングを続けていたが、制御されていないその羽の動きはもはや、飛行を維持する事も出来ないようだった。

 そして再度飛来したガルスガルスが、機体からベスパの残骸を引きはがして放り捨てる。

 核となっていた生体部分を破壊され、生命維持機能を損なったのであろう。ベスパを構成していた昆虫群は、黒い霧となって大気に散っていった。


「まどかさん…………」


 強化プラスチックの隔壁が消え、顔を見せた紀久子が呟いた。それ以上、何も言わずに黙っている。


「今度……勝手なことしたら、この機から降りてもらいます」


 まどかは振り向きもせずに低い声で言うと、片手で目元を拭った。


「行きましょう。松尾さん……いえ、紀久子さんって呼んでいいよね?」


「……はい」


 水平飛行に移ったトリロバイトⅡの横を、純白の巨鳥がゆっくりと羽ばたく。

 ガルスガルスは生体電磁波の乱れから、まどかの危機を察知した。

 今はまどかを守るために、ともに飛ぶ事を選んでいる。もはや、ガルスガルスはまどかの意志をほとんど忠実に反映して行動できるのだ。

 家畜化されたニワトリには飛行能力はない、と通常思われているが、短時間であれば飛べる。屋外飼育のニワトリは平気で屋根や木の上に上って休んだりもする。

 それこそ野生種のセキショクヤケイは、自由自在に飛ぶものだ。

 G細胞を受け継ぎ、異常なほどの筋力を獲得したガルスガルスにとっては、飛ぶことなど造作もない。

 真っ赤なトサカの下に、黒目がちの優しい目が光る。

 今、ガルスガルスは、まどかの力になれた誇りを胸に、悠然と空を舞っていた。

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