9-3 緑の侵略
「何だって? 植物型巨獣? そんなものが……」
八幡教授は絶句した。たしかに小林の言う通り、存在の可能性はある。しかし、動物と植物の細胞はかけ離れすぎていた。その様なことがあるとは、にわかには信じがたい。
その表情を見て、小林がノイズ混じりのモニターの中で苛立ちの声を上げた。
『唸ってる場合じゃねえ!! 現にこの辺じゃ大発生してんだよ!! そりゃ、アニメみてえに動いて襲ってきたり、巻き付いてきたりはしねえ。けど、このまんまじゃ、首都圏は森に埋まっちまう!! 』
興奮した小林を押しのけるようにして、広藤の顔が映る。
『それだけじゃありません。この植物は強力なフェロモン様物質を発して、昆虫型の群体巨獣を分解してしまいました。アルテミスの能力もかなり制限されています』
「アルテミスを……凌ぐというのか?」
樋潟は、ぎりっと歯を鳴らした。
フェロモンを自在に操るという事になると、昆虫装甲を小型巨獣に施してくる可能性もある。いや、再びダイナスティスのような擬巨獣を作り出す事もできるだろう。辛うじてこちらにあったアドバンテージは、もうないと考えるしかない。
「わかった。地上隊にスーパーナパームを使うよう指示を出す。その植物群を焼き尽くすしかあるまい」
『お願いします。僕たちは明さんの支援に向かいます』
「伏見君だって? 彼はそちらにいるのか?」
伏見明はシャンモンがGを乗っ取った際に、いつの間にか本部から姿を消してから、一度も顔を見せていなかった。
『まだ確認はしていませんがアルテミスは、いると言っています』
「支援と言っても、どうする気だ? 彼を含めて、君達には何の戦力もない。彼にもすぐ帰投するよう伝えて、撤収するんだ!!」
だが、その命令にも小林は従おうとはしなかった。
『いや……俺等もそのつもりだったんですけどね。アルテミスが言う事、聞かねえんスよ』
「バカな。どうする気だ。おい!! 小林君!!」
樋潟はモニターに向かって叫んだ。
電波状態が悪化したのだろう。自動的に通信が切れたモニターを前に、樋潟は不機嫌そうな表情のまま、頭を振った。
いくらコントロールのきかない巨獣と民間人の組み合わせとはいえ、樋潟の長い軍人生活においても、ここまで意思の通じない相手は居なかった。
(彼等が有効な戦力である事は間違いないのだがな……)
相手が巨獣という生物である以上、それをある程度であってもコントロールできるフェロモン能力は強い。たとえシュラインが対抗手段を出してきたとしても、無防備よりはよほどマシなはずだった。
裡で呟いた樋潟は、小林達の向かった方角を特定させるためGPSでの追跡指示を出そうとした。
が、その命令は発せられる事はなかった。突然、目の前の女性オペレータの一人が振り向いて叫んだのだ。
「樋潟司令!! 本部地下より侵入警報!! 格納施設に被害が出始めています!!」
通信画面から切り替わって映し出されたのは、本部基地の概略図であった。
緑色の線で表された立体的な模式図の一部に、赤い警戒情報が明滅している。
「地下だと!? まさか、小型巨獣に入り込まれたのか!?」
「不明です!! しかし、通信不能域は現在も拡大中!!」
その時になってようやく樋潟は、間断なく小さな振動が襲ってきている事に気づいた。
「地震……なのか?」
「違う。樋潟司令、これはさっき小林君達が言っていた、植物型巨獣の根による襲撃だ」
八幡が唸った。
メインモニターに映し出された地下施設の姿。その視界を見る見るうちに埋めていくのは、樹木の根とおぼしき褐色の物体だ。
「バカな。地下施設は、核シェルターに準ずる防御力を持たせてあるんだぞ!?」
「植物の根は、どんな隙間にも入り込み、そこで生長する事で対象を破壊することができます。自然界では巨大な岩までも両断する。地下施設の排水溝や電源ケーブルの隙間から、細根を入り込ませてきたのだとしたら…………」
鍵倉教授の言う通り、破壊は線状に拡大しつつある。どうやら、根はそうした連絡通路や電源ケーブル付近に沿って進んでいる様子だ。
それにしても、異常な生長速度だ。
「施設防衛班は何をしている。植物の根くらい排除できないのか!?」
「無理でしょう。この生長速度……これだけのバイオマスを焼き尽くすだけの熱量は、そう簡単に得られるものじゃない」
八幡教授の言葉に樋潟は唇を噛んだ。
確かに水分を豊富に含んだ、生きた樹木の根はそうそう燃えるものではない。仮に燃やせたとしても、地下で火災にでもなれば、不完全燃焼で却って危険な状態になる。
ここで判断を誤れば、基地だけでなく戦力をすべて失う事にもなりかねない。それだけは避けねばならなかった。早急に覚悟を決める必要があるのだ。
「建造物の基礎が破壊されつつある。倒壊の恐れありとして、全館に避難命令。それと、出来る限り地下の機動兵器を放出する」
「放出? ですか!? 」
聞き慣れない指示に、数人いるオペレータのほとんどが振り返り、樋潟の顔を見上げた。
「こちらから自動操縦に設定して撃ち出せ。着陸目標は横浜米軍基地に設定。そちらへも至急、受け入れ要請!!」
虎の子の機動兵器。数機あるそれらは、シュラインとの決戦に備えて調整していた切り札だ。それと人員さえ無事なら、場所を変えて本部を設置し直す事もできる。
樋潟の指示に従い、オペレータ数人は素早く射出シークエンスをこなしていく。
「ダメです!! 射出口が巨大な根で塞がれつつあります。このままでは一機も出せません!!」
まだ実戦投入していない新型機も、改修済みの機動兵器も、すべて一瞬に奪われた事になる。臨時本部の地上部はただの建造物に過ぎず、その地下のドックこそがMCMO戦力の中心だった。いかに強力であろうとも、戦う相手が軍隊でなく、任務が「生き物の駆除」であるため、目立たぬようそのような配置になっているだけのことだ。
しかし、今回の敵「シュラインに操られた巨獣」や「人の乗る群体巨獣」は、行き当たりばったりではなく戦略的な思考で攻めてきている。
こちらの体制を見越して地下から仕掛けてきたのだとすれば、シュラインを侮りすぎたとしか言いようがない。
「ううう!! く……くそおっ!!」
樋潟は獣の様な唸り声を上げて、デスクに両拳を叩き付けた。
*** *** *** *** ***
「なにこれ…………地震じゃ……ないの!?」
紀久子は、地の底から響くような鈍い音と振動を感じて立ち上がった。
かすかなその音は、遠く、近く聞こえてくる巨獣の咆哮やそれに応戦しているらしい砲撃音、建造物倒壊の音に紛れてしまいそうなほど小さかった。
室内待機という指示が出てから既に二時間。
紀久子は不安を感じていた。
ここはMCMOの本部といえど、あくまで「臨時」である。有事、つまり巨獣出現時には対策のための防衛用兵器や情報管理システムは配備されているが、本来は行政庁舎及び隣接する職員宿舎として使用されているだけの建物だ。
攻撃チームがすべて出払っている現状では、本部を守るものは一三式戦車隊と固定式の高射砲だけしかない。彼等はよく奮戦してはいたが、現れる小型巨獣の数は時間を追うごとに増えつつあった。
だが、不安はあってもどうしようもない。実際、どこに避難すれば安全というものでもないのも事実だった。
仕方なく紀久子は、何かあってもすぐに退避できるように私物をまとめていたのだ。
だが、私物と言っても保護されてからこっち、検査だ、尋問だ、治療だと忙しく、何か買いに行く時間があったわけでもない。持っていく物といっても携帯食料と防寒具、あとは救急用具くらいだ。それらを簡易リュックに詰め込み、紀久子はベッドに仰向けになると、ふうっと溜息をついた。
地鳴りが響き始めたのはその時だった。
戦闘音に紛れるほど小さかった地鳴りは次第に大きくなり、今や疑いようもないほど建物が揺れている。
『警戒警報発令。地下施設より正体不明の物体が侵入。建造物倒壊の恐れあり。全員速やかに退避。早く逃げてください!!』
事務的なアナウンスに続けて発せられた「逃げてください」には、かなり切羽詰まったものが感じられた。
「何が……あったのかしら?」
紀久子の不安は極限に達していた。状況を知りたいところではあったが、情報端末はここにはない。
通路の方は急に騒がしくなっている。今のアナウンスを聞いて非戦闘員が各自の部屋から出てきたのだろう。とにかくここから脱出しなくてはならない。
紀久子は、金属製のスライドドアを開けて飛び出した。
通路には多くの人が、非常階段口へ向かって駆けている。確かにこの状況でエレベータは使えない。紀久子は人の流れに乗った。
「うわあっ!! 崩れるぞ!!」
前方から誰かの叫びが響く。
最初微弱だった振動は、一向に納まらないどころか、かなり大きなものに変わってきていた。
壁や柱にはヒビが入り、タイル地などの壁材はすでに剥がれ落ち始め、照明器具も落下してきている。今にも建物全体が崩れそうな予感からか、周囲の人々の動きも乱暴になっていく。形相が変わり、押しのけ合って階段へと殺到していく。
小柄な紀久子は人の流れの中で翻弄され、走ってきた誰かに突き飛ばされて流れからはじき出された。
「きゃあっ!! 」
悲鳴が響く。だが、それは紀久子の声ではなかった。
横合いの狭い通路。主要通路から二十mほど離れた、貨物用のエレベータホール。そこに横転した車椅子と、手で這って進もうとするピンク色の患者衣姿が見える。声を気にして振り向いた者は他にもいたが、既に建物が崩れかかっている状況で、避難経路とまったく違う方向にわざわざ足を向けようという人はいない。
だが、放ってはおけないと判断した紀久子は、すぐさま車椅子に駆け寄った。
「大丈夫!?」
肩を貸してともに立ち上がろうと、両足に力を込める。どうやら女性は、下半身がほとんど動かない様子だ。
こんな状態の患者をほったらかしにして、看護師や医師はどこへ消えたのか?
職務以前の問題だ。紀久子の胸に憤りがこみ上げてきた。
*** *** *** *** ***
「すみません。ありがとう。でもいいの、私を置いて逃げて」
まどかは、肩を貸してくれた女性の顔も見ずに言った。
気持ちは嬉しい。だが自分は避難するために、止める医師や看護師の手を振り払ってきたわけではないのだ。
「何バカな事言ってるんですか!? いっしょに逃げますよ!!」
その女性は横転した車椅子を引き起こし、四苦八苦しながらまどかを車椅子に座らせようとする。
「違うの!! やめて!! 私が行きたいのは、あっちなの!!」
まどかは車椅子に乗る事を拒否し、貨物用エレベータを指さした。
貨物用エレベータの脇には、緊急用シューターが設置されている。とはいえ、それを誰も使わないのは、地下の機動兵器格納施設への直結だからだ。
「何言っているの? あれは、兵器格納庫行きのシューターじゃない。IDカードがなければ開かない……どうしようもないのよ?」
女性はそう言って、なおもまどかに肩を貸そうとその手に力を込める。
まどかはもどかしかった。
この人の優しさは痛いほど分かる。まさか下半身の動かないまどかが、機動兵器に乗るつもりだなどとは、思ってもいないのだろう。
まどか自身も、今の自分はトリロバイトを発進させる事すら困難である事は分かっていた。だが、全攻撃チームが出払ったこの状況で、何もしないまま逃げだし、愛機を瓦礫の下に埋もれさせる事だけはしたくなかった。
「私はパイロットなんです。今は私以外、誰も乗れる人がいない!! 行かなきゃならないの!!」
まどかは女性の手をふりほどき、動かない自分の脚を拳で何度も叩いた。相変わらず何も感じないが、少しでも感覚が戻れば戦える。戦ってみせる。そう心の中で呟き、腕だけで這いずって、シューターへ向かった。ようやく辿り着いた緊急シューター。その解錠パネルに手を伸ばして、IDカードをかざした。
四角い、真っ暗な穴が壁に口を開ける。まどかは何とか腕の力だけでシューターに入ろうとしたが、開口部のハンドガイドに手が届かず、どうしても頭から落ち込みそうになる。
「え?」
何度目かの挑戦。またもハンドガイドに手がかすっただけ、と思った瞬間。
何者かの柔らかい手が両脇を支え、その膝に抱きかかえるようにしてシューターへと飛び込んだのだ。
「きゃ!! ――――」
自分を背後から支える女性の声が上がる。が、女性はその悲鳴を一瞬で呑み込んだ。
ここを通るのは、まどかは初めてではない。だが、おそらくは初めてに違いないその女性は、この闇の中を滑り降りていく恐怖に耐えているのだ。
(なんて人なんだろう…………)
自分を抱く手に優しい力が込められた。その手の温かさを感じ、女性がシューターに、一緒に飛び込んだのが偶然ではないことを、まどかは確信した。
(医師も看護師さんも、私の目的を言ったら逃げ出してしまったのに……)
何も関係ないはずの女性が、危険な機動兵器にともに乗るつもりで来てくれたのだ。まどかの胸に、熱いものがこみ上げてきた。
シューター。要は長い滑り台のようなものだが、最初の十数mはほぼ垂直落下だ。それが永遠に続くかと思われたころ、ようやく腰の辺りに壁が触れ始め、速度が落ちてきた。
摩擦熱を軽減しつつ、速度を急速に減じる工夫が施されているのだろう。すぐに歩行する程度の速度にまで減じた二人は、そのまま何かの機動兵器のコクピットに座らされていた。ご丁寧な事に、前後副座式のシートに一人ずつ。
「こ……これって…………」
紀久子は後部座席に座らされ、強制的にかけられたシートベルトで両肩を固定された。
「あなたどうして乗り込んじゃったの!? それにこれ……トリロバイトじゃない!?」
しばらく前からエンジンに火が入り、出撃態勢だったのであろう。彼女たちが座った瞬間、メインモニターに起動画面が立ち上がり、そこに文字が浮かび上がった。
『LK370-TBXトリロバイトⅡ』
「トリロバイトⅡ?……これって……」
まどかは画面の表示を見て息を呑んだ。
こんなものが開発されていたとは聞いていない。しかも、パワーゲージはトリロバイトの二倍以上、速度ゲージも一.五倍はある。
さらには、リニアキャノン以外にも荷電粒子砲まで装備し、付属武器として小型ミサイルまでもついている。
『トリロバイトⅡ!? 搭乗者がいるのか? 応答したまえ!! 誰が乗っている!? 』
操作マニュアルを呼び出し、機能チェックを続けていたまどかの通信機から、聞き覚えのある声が流れてきた。樋潟だ。
「は……はいっ!! 五代まどか少尉と……」
まどかは、後部シートを振り返って目を合わせ、やっとそこに座っている女性の正体に気づいた。
「あ……あなたは!!」
「ま……松尾紀久子です!!」
『なるほど。どういう経緯で乗り込んだかは分からないが、今、MCMO臨時本部は、植物型巨獣、コードネーム・クェルクスに地下から侵攻を受けている。トリロバイトⅡは、自動操縦で発進させる予定だったのだ』
「はい……」
『だが、射出口が植物型巨獣の根で塞がれている。それを砲撃で破って飛び出してもらう必要がある。だが、リニアキャノンではダメだ。荷電粒子砲を使うんだ。出来るな!? 五代少尉!!』
「りょ……了解!!」
通信を聞きながら、既に荷電粒子砲の使用マニュアルに目を通し始めていたまどかは、答えると同時に荷電粒子砲の加速用レーザーに充電を開始した。
ありがたいことに、まどかの座る前部座席は火気管制専用だ。フットペダルはほとんど必要ない。
『荷電粒子砲の反動は大きい。リアシートの松尾君。聞こえるかね?』
「は……はい……」
『発射と同時にリパルサーフィールドを全開にしてクッションにする。発動のタイミングはオートだが、基本操作や出力調整は君がやる必要がある。一歩間違えば、反動で周囲の壁に激突する可能性もある。出来るか?』
紀久子の目の前のモニターには、荷電粒子砲発射に伴う対ショックシステムのマニュアルが立ち上がっている。幸いなことに、海底ラボで取り扱っていたロボット系の機器とさして操作法は変わらないようだ。
樋潟司令の言い様は、あまりに勝手ではある。だが、たしかに前方に見える格納庫の出口は見る見るうちに木の根のような物で覆い隠され、押しつぶされていく。
何がなにやら分からないまま来てしまったとはいえ、ここを乗り切らねば命がないことだけは間違いないようだ。
紀久子は覚悟を決めて操縦桿を握りしめた。