8-6 絶望の先に
「シャンモン代表……雲南省西部に、巨獣出現とのことです」
突然傍らに現れ、早口で囁いた秘書官の言葉はシャンモンを驚愕させた。
「な……何? 雲南省西部だと!? 」
思わず発してしまったシャンモンの大声に、各国代表が訝しむような目を向けている。
今は世界会議の最中である。
世界各国を荒らし回る巨獣たち。かれらも巨獣化する前は普通の生物であったのだ。
その巨獣化因子の震源と目される巨獣王・Gさえ抹殺できれば、人類未曾有の危機は回避することも出来るだろう。そのための最終攻撃を行うため、超兵器使用許可の調印を行っている最中であった。
「どうやら、類人猿型の巨獣が複数現れたようです。すでに人民解放軍の機械化部隊の一個連隊が向かっています」
「ま……待て!! 彼等に攻撃するな!! 彼等は巨獣では……」
「すでに交戦状態との報告ですが……攻撃を中止させるのですか?」
秘書官に訝しげに見つめられ、シャンモンは言葉を詰まらせた。
身長十mを超える獲猿たちは、一見どう見ても巨獣でしかない。
MCMOの理事であり、中国代表でもある自分が明確な理由無く、ここで巨獣への攻撃中止を命令することは、世界から不審の目で見られることになる。
ただでさえ、大多数の巨獣が人間によって意図的に作り出された複合生物のなれの果てであると指摘されている状況である。各国はそうした証拠のもみ消しに躍起になっている。中国が馬脚を現したとなれば、自分たちへの矛先をかわすためにもかさに掛かって責め立てるであろう。
かといって、獲猿たちの正体を言ってしまえばどうなるのか。
彼等の住処はミャンマーやラオスとの国境付近だ。豊富な鉱物資源を狙って、様々な人間がやって来る。これまで数万年の長きにわたって秘してきた彼等の存在が明るみに出れば、村の生活は乱され、彼等の存在は数万年守られてきた秘境の自然ごと、あっという間に人類に踏みにじられてしまうだろう。
何より、五年前の獲猿退治が狂言であったと知れれば、シャンモン自身の地位も危うくなるに違いない。
(なんてことだ。まだ早い。まだ早いんだ。巨獣を撲滅し、それとは違う獲猿たちを厳正に保護できる政治体制を作り上げてからでなければ……)
「と……とにかくだ。あそこには山岳系の少数民族の村も多数ある。安易な戦力投入で犠牲を出してはいかん。作戦行動は慎重にするよう、人民解放軍に要請してくれ。私も会議が終わり次第、現地へ飛ぶ」
*** *** *** *** ***
そこからの数十分間は、シャンモンにとって数時間にも感じられた。
一刻も早く行かねばならないのに、この議事進行の遅さは何だ? シャンモンは表面上平静を装いながら、心中で切歯扼腕した。
さらに一時間かけて空港へ向かい、専用ジェットで二時間。上海で軍用ヘリに乗り継いでさらに一時間半。
シャンモンが獲猿の村に辿り着いたのは、リャンに唆された人民解放軍が進軍を開始してから既に二時間が経過した後だった。
「……なんなんだこれは……何があった!?」
上空から獲猿の村を眺めてシャンモンは唸った。
すべてが弾け飛んでいる。家々も、木々も、田畑も……至る所に爆弾でも落下させたかのような小さなクレーター状の穴が広がっていた。
進軍したはずの数機の軍用ヘリもどうなったものか見あたらない。ジャングルの中から何カ所かで黒い煙が上がっているが、まさか何者かに撃墜されたとでも言うのだろうか?
もちろん、どこにも人影はない。
燃えさかる山火事で気流は悪かったが、シャンモンは無理矢理獲猿の村の中へ、ヘリを着陸させた。どこもかしこも焼け焦げだらけだが、家々だけはその巨大さのおかげで辛うじて原形をとどめている。
「代表!! あそこに……」
「長老ッ!!」
広場近くに倒れていたのは、マリーの祖父、この集落の村長だった。必死で抱き起こしたシャンモンは思わず目を逸らした。真っ白な髪を血で汚した長老の右半身は、何にやられたのか、ほぼ完全に炭化している。
「…………おお……隊長殿」
「長老……いったい……何が起こったのです!?」
「……龍じゃ……龍王様が、ヒルを……あの化け物を滅ぼしてくれた…………龍王様は、すべてのヒルを……森の中や畑だけでなく我々の体内に入り込んだヒルまですべて焼き尽くしてしまった……」
かすかにむせたのか、長老の口から血がこぼれた。
「もう……しゃべらないでください。今、救護班を……」
しかし、長老は弱々しく首を振り、立ち上がろうとするシャンモンを手で制した。
「無駄じゃ……己の死ぬ時くらい分かる……」
「そんな……」
「隊長殿には……申し訳ないことをした。マリーとジャンは、ヒルの群れを引き付けるため、命の泉へ向かった……無事だといいが……」
体から、ふうっと力が抜けた。眠るように目を閉じた長老は、それきり目を開けなかった。
シャンモンは、そっと地面に長老を寝かせると、呆然と立ちつくしている部下達に檄を飛ばした。
「何をしているッ!! 救護班だ!! 怪我人輸送用の救急ヘリも近くの基地から飛ばせろ!! 一人でも多く救うんだ!!」
「は……はいッ!!」
命令を受けた部下達が、あわててヘリに戻り通信を開始する。
「なんで……なんでなんだッ!!」
シャンモンの目から涙があふれた。
のどかだった獲猿の村は、その面影もない。マリーとジャンの姿も……いや、そうだ。あの泉へ行かなくては。シャンモンは無言のままヘリに駆け戻ると、後部収納庫にあった緊急移動用のバイクを引きずり出した。
「局長!? どうされるおつもりですか!?」
「この奥の泉に、民間人が取り残されている可能性がある。私は先に向かう。救護班の手配が済み次第、ヘリを寄越してくれ」
*** *** *** *** ***
「なんだこれは…………」
シャンモンは言葉を失って立ちつくした。
命の泉。
たしかにそう呼ばれていたその場所は、一滴の水もないただの窪地と化していた。わずかに浸み出した水が、地面を濡らしているに過ぎない不毛の地である。
広々とした窪地の中には、十数mはある巨大な岩塊がいくつか転がっている。割れたばかりのような真新しい断面は、あの一際高くなっている岸辺の崖が崩れたとしか思えない。
そして……
「マリー……ジャン……」
彼の大切な家族の姿はどこにもなかった。
「マリー!! ジャン!!」
もしかすると、あの崖の上に二人が取り残されているのではないか。
シャンモンは投げ捨てるようにバイクから飛び降りると、崖に向かって駆け上がった。
「局……局長ッ!? シャンモン局長ッ!!」
掠れた声が、崩れた崖の上から聞こえてくる。
「チェン少佐!!」
不思議な姿勢で地面に倒れていたのは、元部下のチェンであった。
不思議な姿勢……手足があり得ない方向を向いているのだ。が、チェンは苦痛を訴える様子もない。
「何があった? マリーとジャンに会ったのか?」
「すみません……私の力が及びませんでした。お二人は……泉の中へ……」
シャンモンの表情が凍った。
「どうして……?」
チェンは自分の見た事を話していく。
巨大な獲猿を倒し、なんとかヒルを焼き払った特殊部隊。
しかし、住民のリャンがヒルに寄生されていて、部隊が全滅した事。マリーとジャンに襲いかかった怪物と化したリャン。
「そして……お二人は、ヒルに寄生されたその町の住人とともに、泉の中へ……」
「待て。それじゃあどうして君は生きている? ヒルに寄生されたんじゃないのか?」
「見てください」
自由になる右手で軍服をはだけたチェンの体を見て、シャンモンは息を呑んだ。
そこには腕や胸、腰の肉を不気味に欠損した肉体があった。
だが、欠損してはいるものの出血すら見あたらないチェンの体は、そのままでも命に別状は無さそうに思えた。
「泉からガラスのように透き通った龍が二頭現れたのです。その龍の口から吐き出された透明な糸が、私の体からヒルを取り除いてくれました……」
カメレオンが舌で巻き取るように、チェンの体の各部から透明な龍はヒルを悉く吸い取ってしまったのだという。
「どういう……ことだ……?」
龍がヒルを退治したという事は、長老からも聞いた。
しかし長老の焼け焦げた肉体と、チェンの体の状態はあまりにも違う。しかも透明な龍が二頭? 長老は龍の色の事までは言っていなかったが……
「で、その龍はどこへ?」
「申し訳ありません。その後、私は気を失っていたようで……」
シャンモンは周囲を見渡した。
集落が焼け焦げていたのに比べ、この周辺はあまりにも静かだ。
その時、シャンモンの通信機が呼び出し音を鳴らした。
「私だ。何があった?」
『シャンモン大佐!! 上海に飛行型巨獣来襲との連絡ッ!! 黄金の竜の姿をした巨獣により、すでに中心市街地は壊滅状態です!!』
シャンモンの手が震えた。
「黄金竜……その巨獣はどこから飛来したッ!?」
『え?飛行経路ですか……それがハッキリしないのですが……どうやらこの雲南省からではないかと』
「……龍が……何故、上海に……」
「長官?」
状況のつかめないチェンが、倒れたままシャンモンに話しかけた。
しかし、シャンモンは無言のまま虚空を睨み据えている。
「…………」
泉から現れた二頭の「透明な龍」。長老を殺し、周囲のヒルを焼き払った「龍王」。そして上海を襲った「黄金の竜」。
目撃者のほとんどが死亡した今、これらをつなぐものは何もない。
だが、シャンモンはぼんやりと考えていた。
(泉の龍は獲猿一族の守り神だと言っていた。龍は怒りの化身なんだ。マリーとジャン、そして獲猿たちを呑み込んでその怒りが龍として顕現したんだ。)
それはほとんど確信に近い衝撃となって、彼の胸を貫いていた。
(ヒルの化け物というのは、軍が作り出した『ゼイラニカ』に違いない。医療用なんてとんでもない。あれは……あれは……)
生物兵器。
対巨獣という名目で、中国が開発した兵器のコードネーム。
だが、制御など端からするつもりはない。ひとたび解き放たれれば、巨獣のみならず、あらゆる生物に寄生して食い尽くす。無論、人間も例外ではない。
つまり、バイオハザードに見せかけて敵国を滅ぼす。そんな悪魔の発明だったのだ。事故で逸出したそれを葬ってくれたのが、皮肉にも数万年の昔から獲猿達を守り続けてきた泉の主、龍王だったとは……。
(軍に所属する俺は、その情報を知っていて黙っていた。荷担していたのと同じだ。結局、穏やかに暮らしてきた彼等を、踏みにじってしまっただけなんだ。俺にはマリーを愛する資格なんか初めからなかったのに……)
シャンモンは両手をついて跪き、泣き崩れた。
*** *** *** *** ***
「くくくっ……踏みにじれ!! 殺せ!! 巨獣どもは地上には必要ない!! 人間社会もだ。
俺が築くんだ。巨獣のいない世界を。人間と自然環境が融和する理想郷を!!」
シャンモンは昂揚の極致に達していた。
ついに手に入れた絶対的な力。人間が長年葬ろうとしてきて、完全には葬れなかったこの巨獣王・Gの力さえあれば、世界を制する事など容易い。
理想の世界はもうすぐそこだ。
人はもっと優しくあらねばならない。経済と軍事競争を至上原理とする人間社会こそが間違っているのだ。
あの後、『王龍』のコードネームを与えられ、日本でGに敗れた黄金龍の残滓をシャンモンは秘かに回収した。
その正体は、水と見紛うほどに、どこまでも透明な水生の群体生物。
腔腸動物の一種である『ヒュドラ』と、正体は不明だがその群体を統括する電気パルス『ネモ』を発見した時。シャンモンはマリーとジャンの遺志を理解した気がした。
(これで群体巨獣が作れる。人の意思を完全に反映して動く巨獣が。これを使って人の作った巨獣どもを殲滅する事こそが、二人の願いだ)
試験的に作った鬼王は、ネモに頼らねばならない未完成品ではあったが、予想以上の力を発揮してくれた。
その破壊力をもって、中国国内の巨獣を完全に殲滅できたのだ。
シャンモンはその立場を利用して、MCMOには内密で中国国内の研究を進めさせ、ついに群体巨獣部隊をも作り上げた。それを完全にしたのが、シュライン細胞の電磁波による生体制御システムだった。
最後の締めくくりとしてGを制御下に置き、シュラインをこの世から抹殺して、二つの人類の敵を葬った英雄として、君臨する。
それがシャンモンの計画であったのだ。
『シャンモン長官……ダメです。メガソーマのコントロールが……』
「何!? どうした? チオン少尉!?」
シャンモンはGを振り向かせた。
こんなところで立ち止まっている場合ではない。
戦力差は圧倒的とはいえ、ここが正念場なのだ。このままシュラインを倒し、世界中すべての巨獣を駆逐し、その力を持って新しい秩序を宣言する。そのシナリオはもう動き出しているのだから。
『た……助けてくださいッ!! メガソー』
輪郭がぼやけた。
シャンモンの目の前で、茶色いカブトムシ型の群体巨獣の表面が、砂が崩れるように剥がれ落ちていく。
「な……なんだと!?」
シャンモンは初めて驚愕の声を上げた。