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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第2章 海底ラボ・シートピア
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2-6 暴走

 そこには、一人の老人がいた。


「あなたは……シュライン博士!」


 干田が叫んだ。

 車いすに乗った、白髪の白人男性が不機嫌な顔でこちらを見ている。

 マーク=シュライン、米国籍の研究者。すでに八十歳を超える年齢ながら、巨獣細胞に関する研究を認められて招聘された、トップクラスの研究者の一人である。

 しかし、高齢の上にかなりの肥満体であり、足の障害もある。窮屈そうに乗った車いすからは、肉がはみ出していた。


「メタボルバキア? やめてもらえないかね。せっかく苦労して、人間にG細胞の巨獣化因子を組み込ませたというのに、妙なものを混ぜられたのでは、取り込めなくなるかも知れないではないか」


 シュラインは眉間にしわを寄せ、苦々しげに吐き捨てた。


「な……何を言っているんだ!? あなたは!」


 八幡は、絞り出すようにそう言ったが、それ以上何も言えないで絶句した。

 高齢で、足の障害もあるはずのシュライン。だが、発せられる威圧感は老人のそれではない。

その場の全員が絶句して動けない中、自衛隊所属の干田だけが前に進み出た。


「なるほど。これで納得がいきましたよ。米軍の佐官資格を持つあなたなら、ラボに重病人を運び込むことなど造作もない」


 干田の言う通りであった。米軍基地の治外法権を利用すれば、物資搬入もほとんどノーチェックとなる。シュラインほどの上位職ならば、書類の改ざんも簡単にできる。


「どうしても、生きた人間細胞との融合を果たしたG細胞サンプルが欲しくてね」


「な………んだと……!!」


 悪びれる様子もないその冷淡な口調に、八幡が気色ばんだ。

 怒りが恐怖を忘れさせたのか、拳を握り締め、足音高く歩み寄ろうとするのを、いずもが押しとどめた。


「先生‼ ダメです‼ 相手は車いすの老人ですよ‼」


 それを聞いて、シュラインはおかしそうに口元を押さえて笑う。


「老人だって? ああ、そういえば、まだ君達には、僕の本当の姿を見せていなかったね」


 そう言って、やおら車いすから立ち上がったその姿は、まさに肉の塊であった。

 障害があるはずの両脚は、百キロを超えると思われる体をしっかりと支えている。白い研究衣の隙間からは、はちきれんばかりに肉がはみ出していた。

 枯れ木のように細い両脚が、まるで重力が働いていないかのような錯覚を起こさせた。


「……まあ、そろそろ潮時ってわけだね」


 急にシュラインの声が甲高く変化した。

 裏声ではない。まるで女性か子供のような、よく通る涼やかな声。

 老人にはありえない、張りのある、それでいて底知れない冷たさを含んでいる。


「本当の姿?……潮時だと!?」


 干田が、かろうじて反応した。だが、この異様な状況に、その語尾の震えは抑えきれていない。


「ふふふ。僕はずいぶん昔に、巨獣の細胞と接触してしまってね……」


 そう言った瞬間、シュラインの青い瞳がくるりと裏返った。


「きゃあっ!?」


 いずもが悲鳴を上げた。

 一瞬にして瞳孔が金色に変わり、夜行性の獣のそれのように縦に細長く引き延ばされたのだ。


「巨獣細胞に触れた? まさか……そんなことで!?」


「そのまさかさ。僕は、偶然の事故で生まれた合成生物キメラなんだよ。

 五十年ほど前、瓦礫の下に見捨てられてね。Gと巨獣の戦闘に巻き込まれたんだ。その時、偶然その巨獣の体液を浴びなかったら、そのまま死んでいただろうがね……」


「ばかな!? そんな単純なことで高等生物の遺伝子組み換えが起きるなら、誰も苦労はしない!!」


 八幡の言う通り、常識で考えられる事態ではない。だが、シュラインは平然と言い返した。


「『遺伝子組み換え』? ボクの細胞は、普通の人間と同じだよ。だけど、ある巨獣を構成していた微生物細胞と……その時感染した細菌や寄生虫……それらが体内で生き続けているんだ。そして、こんな事ができるようになった」


 シュラインは窮屈そうに白衣の袖をまくり上げた。

 露わになった白い肌。その皮膚が、ぞわっ、と蠢いた。腕の一部が変化し、透けるような肌とは質の違う白さの部分が姿を現したのだ。団子のように膨らんだ白い毛玉状のそれは、独立した生き物のように動き出した。


「な……なんだと!?」


 ちょろちょろと床へ駆け下りて来たのは、白いネズミだった。実験用によく使用されるラット……ドブネズミの人工品種である。

 他の者をかばうように前に出ていた干田が、その異様な光景に思わずうめき声を発した。


「まだ……終わりじゃない」


 次に変化を見せたのは顔だった。

 醜くたるんだシュラインの顔面が、内側からなにかに押されているかのように波打ち、変形し始めたのだ。顔の骨格自体が飛び出したかのような錯覚を受ける動きの後、黒褐色の毛が皺と老人斑に覆われた皮膚の下から湧き出すように生えてきた。その毛に包まれた部分が細長く変形し、小さな二本の手に変化していくと、顔面をぐいとつかみ、押し広げるようにして割った。


「ひっ!!」


 誰のものか分からない悲鳴が響く。その場にいた誰もが、割れた顔面から吹き出す血を予想した。だが、そこからは一滴も血は出ず、代わりに何かが這い出してきた。黒褐色の毛に覆われた、その小さな生き物は、金色の瞳孔を持つ小型のサルだ。

 サルはそのままシュラインの頭にとどまり、平然と身繕いを始めた。

 わずかに皮膚の見える足にも変化が見える。先ほどのネズミ同様、茶色や白の毛玉が盛り上がり、まるでそこに前からしがみついていたかのように現れたネコがボロボロと剥がれ落ちる。

 同じような現象が、同時に全身で起きていたのだろう。はち切れんばかりだった白衣が内側から、ぐいぐいと何者かに押されたかと思うと、中から中型犬が顔を出した。その様はまるで奇怪な手品マジックでも見ているようであったが、手品と違うのは現れる瞬間が見えていることである。シュラインの皮膚を突き破り、あるいは変化させて姿を見せた生物は数十匹にも及んだ。

 呆気にとられて見守っていた八幡達にはひどく長い時間に感じられたが、実際は数十秒といったところだろう。

 すっかり痩せた……いや、小さくなったシュライン教授の姿を見て、全員が息をのんだ。

 そこはよく見知った八十代の老人の姿はなかった。すっかり肉が無くなり、だぶだぶになった白衣の胸がはだけて、なまめかしい色の肌があらわになっている。


「こ……子供?」


 紀久子が思わずつぶやく。

 どう見ても十代前半にしか見えない金髪ブロンドの少年がそこにいた。身長は百四十センチくらいだろうか。とてもさっきまでの老人と同一人物とは思えない。

 真っ白な肌。

 一目で欧米系と分かる整った顔立ちに青い瞳。

 そのまま宗教画から抜け出してきた天使のような美しさだ。

 しかし、湛える微笑は妙に大人くさく、細くつり上がった切れ長の目と相まって、見る者に戦慄を起こさせた。


「ああっ!? この子……あのときの幽霊!!」


 驚きの声を上げたのはいずもだ。

 その姿は、いずもが明の個室前の廊下で会った『素早い、キレイな幽霊』であった。夢ではなかったのだ。


「ああ、君か。あの時はすまなかったね。でも、傷は治してあったろう?」


 少年はいずもを見てくすくすと笑った。


「ボクはね。色んな生き物と一つになることができるのさ」


「つ……つまり、『群体』ってことか?」


 それまで、言葉を失ったように口をパクパクさせていた東宮が、やっと声を発した。


「そう。その表現はある意味、的を射ているかも知れないね。だけど、群体と言ってもサンゴやクラゲのそれとは少々違う。一度取り込めば、融合も分離も自由自在。もちろん、彼らにもちゃんと意思はあるけれど、ボクの意思でも自在に動く」


 少年となったシュラインは、足下の茶色いトラ模様のネコを指さし、そのまま宙にくるりと円を描いた。ネコは、指の動きに合わせてくるりと回る。


「この程度ならサーカスでもやるだろうけどね……」


 シュライン少年はさらに大きく手を回し始めた。すると今度は周囲すべての生物が反応して、その場で回る。イヌやネコだけではなく、ネズミも、サルも、ウサギも……そこに現れたすべての動物が、まったくの時間差なしにくるりと回ったのだ。これもサーカスで不可能な芸当ではないかも知れない。だが動物ごと、個体ごとで反応速度や能力には違いがある。どれほど訓練しようともこれほど多くの、しかも多種類の動物に、一瞬の時間差も無しに同じ行動をさせる事は不可能といえた。


「すごいでしょ?」


 少年は得意げな表情を見せる。


「雨野君! どうしたんだね!?」


 八幡の声が響く。

 呆けたような表情で、その場でくるりと回っていたのは雨野いずもだった。


「あ、せんせえ……わたし……なにして……」


「いずもちゃん!? しっかりして!!」


 その場にへたりこんだいずもを、紀久子が抱き起こした。


「待ちたまえ!!」


 いずもを介抱しようとする紀久子を、鋭い声が制した。

 振り向くと、そこに立っていたのは、手術を待っていたはずの伏見伊成であった。患者服を着て胸を押さえ、苦しそうに壁により掛かった伊成は、よろよろと歩み寄り、紀久子の手をいずもから引き離した。


「不用意に……彼女に触ってはいけない。彼女は……感染しているんだ」


「ど……どういうことです!?」


「へえ。こんなにすぐに、ボクのしたことに気づくとは思わなかったよ。伏見センセ?」


 さくらんぼのような唇に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべたシュラインに、八幡が鋭い目を向けた。


「私も今、漸く理解した。ヤツは体液を介して感染させた様々な生き物を融合して操れる。つまりそれが動物でも人間でもかまわない、というわけだ。そうだな?」


 つまり誰もがシュラインに襲われれば、取り込まれ、操られる可能性があるという事になる。そしていずもは既にそうなっているということだ。


「そう。その通り。よくできました。付け加えるなら、このシートピアアカデミーの人間の半分くらいは、すでにボクに感染しているんだ。すごいでしょ?」


「い……いずもちゃん!?」


 紀久子が叫んだ。

 不自然な体勢で上体を起こしたまま硬直していたいずもが、急に目の前のシュライン少年と、まったく同じ口調で同時に話し始めたのだ。


「体液の接種をするだけで良いんだけどね。完全に同化するには、少々時間が掛かるのが難点なのさ」


 いずもの顔には、何の表情も浮かんではいない。ぼんやりと視線を宙に漂わせながら、シュラインと同じ口調でしゃべり続けている。


「松尾君、それに白山君達も、ラボ内でイヌやネコ、ネズミを見たことはないか?」


 皆を守るように手を広げ、じりじりと後退しながら八幡が全員に問うた。


「……ありません」


「私も」


「ぼくも、ないです。」


 そこにいる全員が首を横に振った。


「では、おそらく、我々はヤツの細胞に感染していない。狙われなかったのは、伏見君達親子に関する研究に関係があるはずだ。違うか?」


 八幡は、油断なく身構えながらシュラインに質した。


「さすが、切れ者と噂の八幡教授だね。その通りだよ。伏見親子にはG細胞と充分に同化してから、その細胞を提供して貰いたかったのさ。なるべく余計なモノを混ぜたくなくてね。雨野君の場合は、不可抗力だったんだ。しかし、ちょっと君達を放置し過ぎちゃったみたいだね」


 シュラインは冷たい微笑を浮かべたまま、淡々と説明していく。


「八幡君がGから採取したっていう妙な細菌だけど、巨獣化を制御しちゃうそうじゃないか……そんなの接種されたりしたら、とても邪魔なんだ」


「……さっき、私を吸収する。そう言ったな?」


 伊成がゆっくりと歩み寄った。相変わらず足元はふらつき、つらそうに胸を押さえている。


「そう。そうだよ、それが大事なんだ。それこそがここに来た目的でもある」


 細められていたシュライン少年の目が、さらにすうっと、糸のように細くなった。


「伏見先生? 大丈夫ですか!? なにがあったんです?」


 ふらつく伊成を気遣って、紀久子が聞いた。


「君たちの声が聞こえて、緊急事態だと思ったんでね……自分で胸を切り開いて、筋肉内に細胞シートを埋め込んだ」


 それを聞いたシュラインの表情が凍った。


「くそ!? 貴様、そこまで読んでいたのか!?」


 その体内で何が起こっているのか、相変わらず苦しそうに息をつく伊成に、八幡が思わず駆け寄って肩を貸した。


「なんて無茶なことを!! 心臓以外にメタボルバキアが定着するかどうかも分からない上に、体内でどんな挙動を示すかも不明なんだぞ?」


「賭ではありましたが……どうしても、メタボルバキアを体内に入れておく必要があったんです」


「メタボルバキアの免疫抗体で、シュラインの細胞による侵食を防ぐつもりだったのか?」


 八幡の言葉に、伊成はにやりと笑って頷く。

 シュラインの顔からは笑みが消えている。


「フン。確かに君の狙いは正しい。僕が恐れていたのはそれさ。だけど、ほんの十数分で免疫抗体ができるわけがないだろう? 今すぐ、あんたから体液だけいただいて、妙な細菌に冒された肉体は取り込まなければ済む話さ!!」


「なら、やってみろ!!」


「言われるまでもない!!」


 シュラインが吐き捨てたと瞬間、牙を剥いた動物たちが、蹌踉と立つ伊成に一斉に飛びかかった。


「八幡先生! すみません!!」


 自分を支えてくれていた八幡を突き飛ばし、伊成は動物の群れに飛び込んでいった。


「伏見君!!」


 唸りを上げる十数匹の動物が次々に飛びかかって行く。全身に動物を受け止めた伊成は、まるで毛皮の団子のようになってしまったが、それでも倒れることなく立っていた。 


「……これで、ようやく次の段階に進めるな」


 シュラインが、まるで老人のように疲れ果てた表情でつぶやく。

 その口元には、消え去っていた笑みが戻ってきた。

 しかし、伊成にしがみついたまま団子状になって動かない動物たちを見て、シュラインの顔色が変わった。


「どうしたお前達? 体液を採取したらそいつに用はないぞ?」


 動きの止まった毛皮の塊には、シュラインの意思が通じていないらしい。


「どうやら……思い通りにはいかなかったようだな」


 毛皮の下から伊成の声がした。

 頭のあたりに取り付いていた三毛猫が、力尽きたようにぼろりと剥がれ落ち、伊成の顔が現れる。頬に二つの牙の痕をくっきりと残し、そこからわずかに血は流れているが、シュラインを見据える目の光は失われていない。

 受け身も取れずに床に落ちた三毛猫は、立ち上がろうとしながらも、それを果たせずもがいている。


「な……なんだ貴様!? いったい何をしたっ!?」


 シュラインは怒りの声を上げた。


「たしかに……メタボルバキアを体内に入れたところで、免疫が出来るには数週間は掛かる。だが、作用そのものは劇的だ。やつらは、体内に入ると同時に、私のG細胞因子を認識し、個体としての再生能力、外敵に対する反応を最大限に発揮させようとする……」


 伊成が払い落とすたびに、動物たちが床に落ちていく。あるものは全身を痙攣させ、あるものは足を引きずって逃げようとし、一匹として無事なものはいなかった。


「ぐう……何だこれは!! それだけで、こんな症状にはなるまい。貴様いったい、何をした!?」


「教えてやる義理はないな。八幡教授。全員後ろの施術室へ! 私もすぐに行きます!!」


「う……うむ。わかった。みんな、行こう!!」


 たしかに施術室なら、頑丈なロック可能な扉がある。

 八幡は全員に促した。干田が手近な椅子を投げつけて牽制した隙に、全員が走り出した。伊成は放心状態のいずもを抱え上げて、最後に駆け込む。ドアの寸前まで追いすがってきた茶色い中型犬を、干田が蹴飛ばして内側からドアを手動でロックした。これで外からの侵入は、基本的に不可能なはずだ。


「さっきはいったい、どういう事が起きたのか、説明してもらえるんだろうね? 伏見君」


 当面の危機を回避し、やっと息を整えた八幡が、伊成に質した。

 施術室には腰掛ける場所がない。伊成はいずもをベッドに横たえると、床に座り込み、深刻な表情の八幡を見上げた。


「つまりは、私自身を実験台にすることで、ようやくG細胞の本質が分かってきたのです」


「それはいったい、どういう意味だね?」


「まずヤツの……シュラインの体内に入り込み、あんな怪物に変えたのはG細胞ではない、ということです」


「確かにそんなことを言っていた。巨獣を構成する微生物だと……」


「おそらくは、ある巨獣を構成していた微生物群体が人間の体内に入り込んで、擬似的な不死性とともに他種の生物とも群体を作る力を獲得したものなのでしょう」


「つまりは、完全な融合体ではない……ということか?」


「ヤツ自身も、そこに弱点があると分かっている。だから、G細胞のサンプルを欲しがった。おそらくG細胞には、ヤツが必要とする性質があったのでしょう……」


「そこまでして……目的は何なんだね?」


「分かりません。ただ、私の推測に過ぎませんが、ヤツの言っていた事の半分はハッタリだろうと思います」


「なに?」


「分離した生物を自分自身だと言い放ち、またあれだけの数を操りながら、何故かどの動物も一定距離以上、ヤツから離れようとしませんでした」


「それは、そういう命令を出していたからじゃ……」


 おずおずと口に出した東宮を、考え込むように口元に手をやりながら干田が否定した。


「いや、たしかに動きは鈍かった。あれだけの数がいて、易々と我々を逃がしてしまったのはおかしい」


「肉体が融合した状態ならまだしも、分離してしまえば、遠隔で操る方法は限定される。音波、臭い、電磁波……」


「……あっ……そうか。受信方法か?」


 白山が何か気づいたように声を上げる。


「なるほど。どれも受信側にルール作りが必要な上に、一体ならまだしも、複数個体にそれぞれ別の行動をとらせるのは難しい」


「その通りです。つまり、ヤツにはそうした弱点がある。それをカバーするためと推測すれば、ヤツの欲しがっているG細胞の性質は、自ずと知れます」


「強大で複雑な生体電磁波の発信、それと真の意味での融合を可能にする不死細胞……か」


 自分で口にしながら、八幡は戦慄していた。

 それを手にした時、シュラインは今とは比べものにならない力を持つことになる。それを手に入れて、いったい何をしようとしているのか。その目的は全く見えない。


「それと、ヤツの言っていることが本当なら……あの能力から推測して、体液をかぶったという相手は、五十年前東京湾に現れたあの巨獣ではないかと思われます」


「五十年前……そうか。汚泥中の原生動物やバクテリア、菌類、環形動物までもが一匹の海獣を核にして、それまで例を見ない異種群体を形成した例がありました」


 思い出したように、干田が手を打った。


「そう。そして上陸したその群体型巨獣はGと戦って敗れ、元の汚泥状に分解されてしまった。おそらくシュラインはその巨獣の影響を受けたのでしょう…」


「待て、伏見君。君はどうしてそこまで、あの一瞬で推測ができたんだ?」


「ですから申し上げたでしょう? G細胞の本質が分かってきたと」


 怪訝そうな八幡の顔を、伊成は哀しげな目で見つめ返した。


「まさか……G細胞によって、君自身にも、何らかの変化があったということかね?」


「……まるで、自分でないような思考力が身につきました。さっきから……そう、シュラインの変化を目前にしてからは、更に思考力と集中力のアップを感じています。原因はG細胞以外にないでしょう」


「脳細胞までも、不死化と同時に特殊な機能を得たということかね?」


「いえ、べつに特殊な機能ではありません。すべて類推できる内容ばかりですから。つまり脳細胞もまたアポトーシスを起こさなくなることによって、脳内のニューロンネットワークのすべてが無駄なく連動するようになった、と考えるべきでしょう」


 伊成の表情は明るくない。

 思考すれば思考しただけ、あらゆる謎が解けていく。それは科学者、研究者にとっては夢のような能力であるのかも知れない。だが、それと引き替えに失ったのは、普通の人間としての人生だ。皮肉なことに活性化した伏見の思考力は、その結論までも導き出していた。


「そうか、もしかするとシュライン自身も同様な効果を得たことで、天才科学者に成り得たのかも知れないな」


「しかし、五十年も前から他生物と融合をしてきたという割には、動物の種類も数も限定されすぎていました。太った老人の姿を取らなくてはならなかったことから見ても、ヤツ自身は巨獣化もできない可能性が高い。ヤツの細胞に感染したとしても、治療法がある。そう考えるのが自然です」


 そう言うと伊成は、意識を失って横たわっている、雨野いずもに目を向けた。


「じゃあ……じゃあ、彼女は……いずもちゃんは助かるんでしょうか?」


 紀久子が聞く。


「わずかな接触で急速な感染症を引き起こし、生物本体の性状まで変えてしまう微生物といえば、やはりメタボルバキアと同じリケッチア目の細菌しか考えられない」


「な……なるほど」


「リケッチアなら、テトラサイクリン系抗生物質およびクロラムフェニコールが有効であるとされています。それなら、どちらもここにある。慢性化する前なら手が打てるはずです」


「さ……さっそく、点滴の用意をしましょう!」


 獣医師免許を持ち、内科の見識も深い石瀬があたふたと薬品棚に向かい、治療の準備を始めた。


「でも伏見先生は、どうしてあんなにたくさんの動物に襲われて平気だったんですか?」


 疲れ果てた様子の伊成の肩に毛布を掛けながら、紀久子が問いかける。


「毒だよ。メタボルバキアが劇的に作用してG細胞を守るなら、たとえ毒を接種しても私自身は守られるはずだ。生物由来の毒ならばその適応速度も早いと判断して、処置室にあった、テトロドトキシンを静脈注射した。私の体液を摂取したヤツらが、その毒で死ぬくらい高濃度でね」


「な……なんて無茶を!! もしメタボルバキアが能力を発揮しなかったら、君自身が死んでいたぞ!?」


 八幡が目を丸くして驚いた。


「死んでいたら、それはそれで良かったのです。ヤツに私の細胞を利用されないで済む。他に……手段を思いつかなかったものですから……」


 その時、大きなハンマーで叩いたような金属音が、施術室をふるわせた。次いで、ガリガリと何か固いものでひっかくような音も聞こえる。


「ヤツめ、ついにしびれを切らせたようだな」


 干田が点滴用の金属製のポールや止め金具を使って、てきぱきとヤリのような武器を作りながら言う。照明のコンセントから電源を採り、ヤリと床にアースを流す。これで即席の電気銛の完成だ。


「どうする、伏見君?」


 八幡がすがるような目を向けた。自分が責任者であることは変わりない。だが、先ほどの論理立った思考力を見る限り、この場でもっとも信頼できる判断を下せるのは伊成だろう。


「ヤツの目的に、G細胞を取り込むことがあったのは間違いない。その為にこのシートピアアカデミーに来たのでしょう。そして、うまくいかなかったからこそ、私や息子にG細胞を取り込ませてから、自分と融合させようと画策したのではないでしょうか」


「それなら、さっきは侵食を拒絶できたのですから、もう心配いらないんじゃないですか?」


 紀久子がほっとしたような表情で言う。


「いや、生体毒に対する防御機構をシュラインが持っていないとは思えない。それはヤツも分かっているはずだ。次に同じ手が効くとは限らない」


 いずもに点滴をし始めた石瀬が、苦い表情で言う。


「ヤツも、短時間でテトロドトキシンに対応できるようになる……と?」


 干田が問う。すでに伊成がやってのけたことだ。


「……それよりも、テトロドトキシンの効かない生物……無脊椎動物を取り込んで私を襲わせれば簡単です」


 伊成の回答はシンプルだった。


「なるほど。多くの無脊椎動物に、神経毒のテトロドトキシンは効果がない。ここで飼育している実験動物には、昆虫や貝類もいたはずです」


 石瀬がうなずく。


「どうするかね? 意識のない明君と雨野君を抱え、脱出方法もない。しかもヤツらに噛まれれば、相手に取り込まれてしまう危険性がある……」


 現状は、手詰まりと言えた。

 伊成は室内を見渡すと、ふと部屋の奥に目を留めた。


「あの、奥のドアは?」


 それは、実験動物の飼育ルームへつながる扉だった。



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