8-1 隠れ里
上半身をメカニックに覆われた巨獣王・Gは、これまで一度も見せた事のない素早い動きで、小型巨獣を次々と屠っていった。
飛びかかってくるヴァラヌス型の小巨獣を、片手で叩き落とし、踏みつけて動けなくしてから熱線を浴びせた。
頭上から皮膜を広げて襲いかかるバシリスクの、喉笛に噛み付き、体のひねりだけで食い千切って放り捨てた。
津波のように地べたを這って襲いかかってくるバイポラス達を、尻尾の一閃ですべて蹴散らした。
すべての動きが速い。
Gの……いや、生物の反応速度の限界を超えていると言っていい動きだ。
しかも小型巨獣とはいえ、片手で頭を握りつぶし、体の一振りではね飛ばすパワーもまた、これまでのGを超えている。
鬼神のごときGの強さに怖じけ、遠巻きになった小型巨獣の群れに、先ほど見せたような手加減無しの放射熱線を浴びせ薙ぎ払う。
白く輝く熱線の光が途絶えたその後には、巨獣の死体どころか、町の痕跡すら無くなっていた。
シャンモンは満足そうに笑みを浮かべつつ呟いた。
「さすがは巨獣王。予想以上のパワーだ。このまますべての巨獣を片付けてやる……」
だが、彼はゆったりとパイロットシートに座ったまま、虚空を見つめているだけである。
そこはGの後頭部。
ヘルメットのようにGの頭蓋を覆った銀色の装甲の中に、彼の乗るコクピットはあった。
分厚い装甲に守られた安全な空間である。
だがGの複雑な動きをコントロールしているにしては、そこはあまりにも何もない空間であった。
あるのはシートのみである。
全方位モニターだけが外界の情報を伝えるコクピットには、計器類もパネルもスイッチもない。
まるでゆったりと宙に浮いて、全方位投影の映画でも楽しんでいるかのようだ。
だが、現にGはベン=シャンモンにコントロールされている。
脳波連動型制御システム。
Gを操っているのは、ベン=シャンモンの思考だけであった。
思うだけでいい。
全方位モニターすら補助システムであって、本来は必要ない。ベン=シャンモンの視覚には、Gの視界がそのまま伝達されているからだ。
聴覚、嗅覚、皮膚感覚……すべてのGの感覚が、人間の感覚として処理され、彼の脳に直接伝えられてくるのだ。
思うだけで、あたかも自分で体を動かしているかのように、Gの巨体が動く。
「チオン少尉!? 動きが鈍いぞ。後方の敵は任せたはずだ。さっさと片付けろ」
ふいにシャンモンは顔をしかめると自分の後方を守る巨大な甲虫の形をした群体巨獣に命令した。
薄茶色の細かな毛を全身に生やした群体巨獣は、ギクシャクと動きながらなんとか数体の小型巨獣を相手にしているが、手を焼いているようだ。
『こちらメガソーマのチオン=マオです。何故か生体部分の反応が遅れ気味なのです。環境条件のせいかもしれませんが……』
ゾウカブトの群体巨獣・メガソーマのパイロットは、シャンモンの尊大な態度にも逆らおうとはせず、あくまでへりくだった態度で答えた。
「一度死んだお前達を、こうして蘇らせてやったのだ。うまく働かないならば、死体に戻ってもらうぞ!?」
『そ……それだけはお許しください……しかし、どうしても不調の原因が…………』
「まあいい。お前達はこのままGの後方を守れ。
私は小型巨獣どもを殲滅しつつ、こいつらを産み出したマザー・バイポラスのいる副都心方面へと進撃する」
『了解です。しかし、長官。先に副都心方面に着陸したバトセラ、ハイメノパスの二体と通信が通じません。何かあったのでは?』
「お前達の乗る群体巨獣には、鬼王のような弱点はない。
どうせまた、通信を切って派手な殺戮を楽しんでいるんだろう。くだらん心配をせずについて来い」
シャンモンは余裕たっぷりに言い放つと、Gの進路を西へと向けた。
(そうとも……あれから十年……十年かかってついにチャンスをつかんだのだ。
マリー……ジャン……今、お前達の仇をとってやる。俺がこのバケモノの力を使って、くだらない人間どもの世界に終止符を打ってやる)
シャンモンは目を閉じ、拳を強く握って全身をふるわせた。
*** *** *** *** ***
二十年前。
世界各地に巨獣の猛威が吹き荒れはじめていた。巨獣大戦と呼ばれた混迷の時期に世界が突入しようとしていた頃。
まだ国際機関であるMCMOは発足しておらず、人類の対巨獣作戦は同盟国間の連携、および各国独自の判断で行われていた。
ベン=シャンモン少佐は中国人民解放軍の陸戦部隊を率いて、この地方で目撃された巨獣の掃討のために雲南省奥地へとやって来ていた。
「シン少尉。この先に集落がある、というのは本当なのか?」
シャンモンは、地図を見ながら部下に尋ねた。
「はい。あくまで地元の農民からの情報ですので、今もあるかどうかは不明なのですが……十年ほど前までは、たしかに交流があったそうです」
この先には道はない。
手前数キロの集落に巨獣が出た。と当局に報告があったのは二週間も前の事であった。
救援と巨獣退治のためにそこへ派遣されたシャンモン達は、巨獣が住み着いていると思われる地区を探して北西へと進軍していた。
襲われた集落も、かろうじて電話線の通っている程度の僻地であったが、これ以上奥地に人が住んでいるとは、シャンモンには正直思えなかった。
しかも、巨獣が出るとしたらそういう場所であるはずがないのだ。
杜撰なG細胞研究の結果とも言える生物の巨獣化は、その性質上、ほとんどが都市部近郊で起きていたからだ。
報告のあった集落も、ほとんど被害らしい被害は受けていなかった。
水田が少々荒らされ、野菜畑が十アールほど壊滅、豚が数頭行方不明という被害。
その程度なら、普通の野生動物による被害の方がまだ大きいのではないか、とシャンモンは思った。
このあたりには、クマもサルも大型の齧歯類もいる。なにしろ、大陸の生物種の半分が、この雲南省にいると言っても良いほど、生物多様性の高い地域なのだ。犯人が巨獣という判断を下すのは早すぎるのかも知れない。そう思っていた。
だが、農民達の尋常でない怯え方を見て、シャンモンはこの地を徹底調査することにしたのだ。
「玃猿が出た。と言っていたようだな」
「身長十m程度の、類人猿型の巨獣だそうです。巨獣……というには小さすぎるように思いますが、人食いらしいという伝説が語り継がれているので、恐れるのですよ」
シン少尉は、薄笑いを浮かべながら言った。迷信深い村人達の言う事は、端から信用していない感じだ
「単なる未確認の野生動物ではないのか?」
「分かりません。しかし被害が出ている以上、このまま引き上げる事は出来ないのでは?」
「まあ、そういうことだ。この程度の被害では、巨獣かどうか分からんがな……とにかく捜索にかかろう。
----半径十キロのエリアを捜索対象とする。生活痕を見逃すなよ。第一小隊はここから更に奥地にあるという集落を目指す。第二小隊から第五小隊まではこのキャンプから東のエリア、第六小隊以下は西のエリアを捜索。以上だ」
「大隊長はどうされるのですか?」
「私も第一小隊と共に奥の集落へ向かう」
「大隊長じきじきに、ですか?」
シン少尉は驚いたような顔で、シャンモンを見つめ返した。
少佐ともなれば、そのような泥臭い捜索に同行するはずがない、と思いこんでいたのだろう。
「大学の専攻が少数民族の文化史だったのだよ。どうも、未知の文化と聞くと血が騒いでな」
シャンモンは照れくさそうに微笑んで、頭を掻いた。
そして言葉通り、シャンモンは道無きジャングルへと、第一小隊を率いて踏み込んでいったのであった。
シャンモンが第一小隊と共にキャンプを出発して、一日半が過ぎた頃。
急に視界が開けた。
通る道もない奥地に来たとは思えないほど、大きく密林が切り開かれたその谷間には、かなりきちんと整備された田畑が広がっている。
見渡すと、奥の方には集落も見える。見えているのは草葺きの家が十軒ほど。どの住居もかなりな急斜面に作られ、奥が玄関で、下階のある構造だ。このあたりの山岳集落はどこも同じような作りであるが、特にここはその傾向が強いようであった。
斜面の傾きは相当なもので、少しでも気を抜けば転がり落ちるのではないかと錯覚さえ感じるほどだ。集落の向こうに見える森は、霧と雲に隠されてその全貌は見えない。
だが、この傾斜角度からすると、集落の裏手にはさらに標高の高い山がそびえているのだろうと思われた。
「……やはり、集落があったのか」
シャンモンは誰言うともなく呟いた。
ここの田畑は巨獣に襲われた様子はない。しかし奇妙な事に、どこにも作物が実っている様子はなかった。シャンモンはすぐ近くの畑に降りると、茶色く枯れかけた野菜の葉を指先で触れ、揉むようにして潰してみた。軟らかくなった葉は、半透明になって腐りかけている。
「……冷害か」
低温にやられた植物特有の枯れ方であった。
今年、この辺りは天候が不順である。
北半球では長雨が続き、南半球では猛暑で干ばつ被害が出ている。一部の巨獣が森林を食い尽くしたり、地形を変えるほどの戦闘が起こったりするなど、巨獣大戦の影響もある、とする専門家もいるが、実際のところは分かっていない。
とはいえ他地域では作物の状況はやや不作気味、程度であってここまで被害が酷い農地を、シャンモンは見た事がなかった。
キャンプ近くの村のように車の通る道があれば、ビニールハウスでの保温などの対策も立てられるし、冷害に強い品種や作物を選んで対応する事も可能である。
だが、外界と隔絶されたようなこの集落では、それは無理な相談だったのだろう。
こんな場所で作物が獲れなければ、あっという間に村民は飢えてしまう。
そんなことを思いながら、集落へ向かって歩を進めると、照りのある柔らかそうな葉をしたツル性の作物の茂みから、一人の女性が立ち上がった。
赤っぽい紐でたすき掛けをしたその女性は、シャンモン達を見て、きょとんとした表情で首を傾げた。
紺色の粗末な服を着、頭には植物の繊維で作ったらしいカサをかぶっている。
一見してこの辺りの少数民族と同じような出で立ちに見えたが、顔の作りはかなり違っていた。
整った顔は彫りが深く、目の色が薄い。
ほとんど赤、と言っていいような目の色だ。
後ろで束ねた長い髪も薄茶色で、まるで染めたかのようであった。
真っ白な肌の色と相まって、その美しさにシャンモンは思わず見とれてしまっていた。
しばらくぼうっとしていたようだが、おそらく一瞬のことだったのだろう。我に返ったシャンモンはできるだけ穏やかな声で彼女に話しかけた。
「あなたはこの村の女性か? 村長と話がしたいのだが。」
「…………」
しかし、その若い女性は困ったような表情で首を横に振るだけだ。
「聞こえないのか? それとも、言葉が分からないのか? ここの村長だ。村長に会いたい」
だが次の瞬間、女性は一言も答えないままで踵を返すと、驚くほどの素早さで集落へと駆けていった。
「あ!? 待て!!」
「威嚇射撃しますか!?」
「バカ、よせ。ここでキャンプを張る必要があるかも知れんのだぞ? 村民と関係を悪くしたくない。後を追って確かめれば良いだけだ」
(それにしても……美しい娘だったな)
心の裡でシャンモンはそう呟いた。怯えたような表情で駆け去っていった女性のふくらはぎの白さが、鮮明に脳裏に焼き付いていた。