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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第2章 海底ラボ・シートピア
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2-5 兆候



 

 ある夜、八幡は明の父、伏見伊成と共に彼の病室を訪れた。


「明、体の調子はどうだ?」


 堅い声だ。

 久しぶりに会う息子を気遣っている、というだけではない。言いにくいことがあって言葉を探しているような、そんな父の雰囲気を感じ取って、明は身を固くした。


「父さん。もうオレ達、会っても大丈夫なのか?」


「今日は特別なんだ。もう一度聞くぞ。体の調子はおかしくないか?」


 伊成は明の目を覗き込んできた。その目には、憔悴と苦悩の色が滲んでいる。

 久しぶりに見る父の顔は皺が目立ち、白髪も増えていた。急に年を取ったように見える父に、これ以上心配を掛けるわけにはいかない。正直、気持ちは暗かったが、明は無理に笑顔を作った。


「おかしいどころか、めちゃくちゃ好調だよ。特に頭が妙にスッキリしててさ……今勉強したら、もっと楽に大学合格できたんじゃないかと思うな」


「……そうか、やはりな」


 だが、明の思いとは裏腹に父の表情は深刻さを増していく。

 何か重大な問題が起きているのだ。しかもそれは、明自身の体のことであるに違いなかった。不安で心臓の鼓動が激しくなる。


「は? どういうことだよ」


「今から言うことは、とても大事なことだ。気をしっかり持って聞きなさい」


 伏見は自分自身をも落ち着かせるかのように、深く何度か深呼吸してから口を開いた。


「お前も、私も、G細胞の影響が出始めている。特に、頭の大きさが大きくなり始めているんだ」


「あ……頭ぁ?」


 明は素っ頓狂な声を上げた。たしかにG細胞の影響で巨獣化する可能性についてはレクチャーを受けている。だが頭が部分的に成長するなんて話は初耳だ。


「いいか明。G細胞の特徴は、細胞が不死化していくことだ。体細胞でも神経細胞でも、死なないで変化し、別の組織細胞として組み換えられていく……」


「…………」


「つまり、別の場所で寿命を終えた細胞は、よく使う場所の細胞として変化していく可能性が高い。

 たとえば、毎日トレーニングしているアスリートなら、筋肉の増大が起きていただろうが、我々はそういうことの無いようにずっと安静にしていた。そのせいで、少しでも使用しないわけにはいかない脳に不死細胞が集まったのではないかと……推測できる」


「……じゃあ……俺たちはどうなるんだよ?」


「最終的にどうなるかは……分からない。分からないんだ。人間にG細胞を組み込んだという事例は全くない……だが、人間に最も近いほ乳類、特にサルの例では、通常の個体の十倍程度の大きさにまで巨大化しているそうだ」


「…………そうか」


 明は壁を見た。

 父とは目を合わせないように。今、顔を見てしまえば涙があふれてしまうからだ。


「明……驚かないのか?」


 意外にも冷静な明に、伊成も八幡も少なからず驚いていた。


「ここに連れて来られた時点で、充分驚いているよ。父さん」


「そうだったな…………明、父さんのせいでこんなことになってしまって……すまん」


「ちがうよ。父さん。謝るのはオレの方さ」


 明はようやく、そらしていた目を父に向けた。

 自分を見つめる父の目がある。幼い時から見守り続けてきてくれた、ずっと変わりない優しい目だ。その目に光る涙を見て、これ以上父の何を責めるというのか。


「おまえが…………謝るだって?」


「そうさ。オレがガンなんかになったせいで、無理して、オレをこんなところにまで連れてきたんだろ? その上、父さんは自分にまでG細胞なんてものを組み込んじゃってさ……」


「あ……明、おまえ……」


「もう、いいんだ、父さん……おかげで、ほんのしばらくでも、何の苦痛もなく過ごすことが出来たんだ。ここへ来てからもさ、いい思い出も出来たんだぜ……たとえ、オレが巨獣化して危険な存在になる前に、死ななきゃいけないとしても、オレは受け入れるよ」


 たまらず父の目から、涙があふれ出した。

 そして息子の肩を引き寄せ、ぐっと抱きしめる。闘病生活のせいで細くなってしまった肩。これから人並みの青春を送らせてやりたかった。送らせてやれるはずだったのに、自分の軽率な行動のせいでこんなことになってしまうとは。それを息子は、一言も文句を言わずに受け入れると言うのだ。

 押しとどめようとしても、後から後から涙が溢れてくる。もう、なにも話す言葉はなかった。


「明君……君は、本当に優しい子だな」


 傍で二人の様子を見つめる八幡の目にも、涙があふれている。


「だがな。そういう覚悟をするには、少し、気が早いぞ」


「そう。そうなんだ。明。まだ、一つだけ打つべき手が残っているそうなんだ」


 八幡は、細胞内共生生物・メタボルバキアのことを話した。


「これがメタボルバキアを接種したニホンザル、サンのサイズ変化のデータだ。接種後、巨獣化が止まったとは言えないが、明らかに処置直後から、ペースダウンしている」


 たしかに、サイズアップのペースはこれまでの成長率と比較すると、十分の一程度に落ちていた。明らかな効果と言っていい。


「完全ではないかも知れないが、今のところ唯一の有効な手段と言える。君たちにも、サンと同様の処置を施してみる価値があると思う。お父さんは了承済みだ」


 GをGたらしめていた可能性のある、謎の微生物メタボルバキア。世界で初めて発見されたそれを、人体に植え付けるなど、かなりな冒険であるに違いない。

 八幡の話すことは正直、明にとっては信じがたいことであった。


「メタボルバキアの人体内での挙動も、また未知数だ。だが、少なくとも無制限な細胞増殖と自己崩壊の危険だけは避けられるはずだ」


 そうなってしまえば、人間としてどころか個体としての存在の維持も難しくなる。

 明の脳裏にいつか父の書斎で見た、G細胞の暴走で全身が溶け崩れ、元がなんなのかも分からなくなった実験動物らしきものの写真が浮かんだ。


「いいよ。ここまで来たら、どんな処置でも受けるさ」


「すまん」


「父さんはそればっかしだな。そんな謝るなって。それにGみたいになるんだとしたら、もしかしたら不老不死のスーパーマンになれるかも知れないだろ?」


「そう。そうだな。そう信じよう……」


 お互いを慰めるように笑い合う親子の哀しい姿に涙しながら、なんとか処置が成功することを、そしてメタボルバキアが効果を発揮してくれることを、八幡は心から祈った。



***    ***    ***    ***



メタボルバキアの接種作業は、かなりな大手術になる。

 前もって対象の細胞、つまり伏見親子の健康な心筋細胞をシート状に培養しておき、これにメタボルバキアを感染させるのだ。

 そして、内視鏡とマニピュレータを用いて、直接心臓にこの細胞シートを貼り付ける。二人分の細胞シートはすでに作成されていたが、巨獣化が始まってしまった以上、一刻も早く処置をしなくてはならない。巨大化してしまった部分が小さくなるということはないからだ。しかもこれまでのデータから見て、今後は加速度的にサイズアップが続くと思われる。

 説明の翌日、早速、二人へのメタボルバキア接種が行われることとなった。


「明君……頑張ってね」


 紀久子は全身麻酔の前の鎮静薬を手渡した。もっと何か気の利いた言葉を言いたかったが、それ以上は何を言っても、今の明に元気を出させるとは思えない。何度か口を開こうとした紀久子は、結局黙って目を伏せた。


「大丈夫ですよ。そんな心配そうな顔しないでください」


 無理に微笑む明の顔を見て、紀久子の表情は暗さが増す。無理にでも笑ってあげなくてはいけない、と思いながらどうしても笑顔は作れなかった。


「手術を開始する」


 麻酔の吸入で、あっという間に意識を失った明を前に、八幡が宣言した。

 もともと医学系出身で医師免許もある八幡が執刀医だ。麻酔科医の役は、やはり医師免許を持つ伏見伊成である。助手の役は、紀久子といずもが分担していた。

 白いマスクで顔は隠れているが、オブザーバーとしてベッドの傍で佇んでいるのは、白山、東宮、干田、石瀬の4人である。

 明の脇腹に開けられた穴から内視鏡が差し込まれ、別に空けられた穴からは特殊なマニピュレータに取り付けられた明自身の細胞シートが、体内へと挿入されていく。その細胞シートには前もってメタボルバキアを感染させてあった。

 内視鏡のモニター画面を注視しながら、ようやく目的の場所へたどり着いた八幡は、細胞シートを心臓表面に丁寧に貼り付けていく。

 心臓自体を傷つけたりするわけではないため、施術自体は容易である。


「よし、完了だ」


 傷口の組織を縫い合わせ、最後に医療用接着シートで皮膚を貼り合わせる。漸く緊張を解いた八幡は、ふうっとため息をついて周囲を見渡した。


「では、少し休んだら、伏見君の手術を行おうか」



***    ***    ***    ***



 八幡達は、手術室前の休憩所にいた。

 廊下の一部が広くなっていて、ソファがしつらえてある、ラボにありがちな空間だ。

 熱いコーヒーを飲みながら、八幡は手術の手順を頭の中で反復していた。他のメンバーも今は緊張から解放されてくつろいでいるが、普段より口数少なく、神妙に飲み物を口に運んでいる。


「……お疲れ様でした。でも八幡先生……次は伏見先生の手術です。補助がいなくて大丈夫でしょうか?」


 紀久子からは、硬い表情が抜けていない。

 既に手術前の準備に入っている伏見伊成と、その世話をしているいずもの姿は休憩所にはなかった。麻酔科医の役を、不慣れな紀久子達が行うのは、経験の少ない執刀医の八幡にとっては、かなりなハンデと言える。だが、八幡は余裕のある笑みを返した。


「なぁに、私の腕も馬鹿にしたもんでもない。処置そのものは単純だし、一度やったことをそうそう失敗したりはしないさ。君達は指示通りに動いてくれればいい」


 それが虚勢でないのは、先ほどの見事な手並みからしても頷けた。人体は別として、実験動物の手術は日常的にこなしているのだ。


「しかし、すごい手並みでした。八幡先生は、医師免許はお持ちといっても、相当ブランクがあられたでしょうに」


 東宮が見え透いたお世辞を言ったが、格下の自分が褒めること自体、かえって失礼なことには気づいていないらしい。

 だが気のいい八幡は、そんなことは気にもとめないで鷹揚に言葉を返した。


「ああ、まぁ、こんなことを言っては明君に叱られるかも知れないが、サルやネズミより、人間は大きいからやり易かったな。むしろ……」


 その時、背中から堅い声が掛けられた。


「八幡先生。伏見先生の準備ができました。あとは麻酔導入するだけです。」


 準備を終えたいずもが、いつの間にか後ろに来ていたのだ。自分を無視したような態度に、東宮がむっとしたように睨む。

 しかし八幡は気にする様子もなく、いずもに微笑みかけて紙製のカップにコーヒーのおかわりを注いだ。


「ん……わかった。だが、あと五分ほど休憩してから、始めようか」


「八幡教授、今回の施術は、大変に異例な措置だとおわかりですね?」


 ゆっくりとコーヒーを口に運ぶ八幡に、それまで一度も口を開かなかった干田が話しかけた。

 防衛庁からの出向研究員の干田は、いわば日本政府からのお目付役だ。G細胞という研究対象の性質上、防衛上問題のある事態に陥りそうな時には、日本政府とWHO本部へ報告する義務を負っている。


「もちろんだよ。そもそもメタボルバキアと仮称しているこの細菌でさえ、おそらく新種であって、挙動も性質も不明なんだ。超法規的な人体実験であることは私も理解している……だが、彼等親子の生命の尊厳を守り、人類の危機を回避するために、これは必要かつ適切な措置だとも思っている」


「その……メタボルバキアですが、これまでの培養結果から見ても、やはり偏性寄生性を示すリケッチアの仲間であることには間違いないだろうと思います。」


 WHOに所属していることで細菌学にもそれなりの知識を持つ、石瀬も口を挟んできた。


「そうだろうな……電子顕微鏡下での観察結果から見ても、少なくともリケッチア目の真性細菌である可能性は高いだろう」


「そうだとすると、未知の重篤な病原性を顕す可能性も否定できないのではないですか?

 バイオハザードの危険もある以上、伏見先生親子には、たとえ手術が成功したとしても、一生研究室内で過ごしていただかねばならないかも知れません」


 険しい表情で干田が付け加えた。


「…………うむ」


 干田達の言うことももっともである。今は最悪の事態を回避するために、次善の措置を行っていることは確かだが、感染症の拡大といった社会的危機を招くような事態は容認出来ない。

 紀久子もいずもも、何も反論できず黙ったままだ。


「その時は明君たちは一生……」


 言いかけた紀久子が、途中で言葉を切った。


「…………ん? どうした松尾君?」


 八幡が顔を上げると、紀久子は信じられないものを見たような表情で、コーヒーサーバーの向こうを指さした。

 怪訝な顔で振り向いた八幡も、表情を凍らせる。そこにはいるはずのない人間が立っていたのだ。


「八幡君、君らはなにやら、余計なことをやらかしてくれたようだな。これは非常に困る。困るんだなぁ」


「あ……あんたは……どうしてここに?」


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