7-1 苦悩
「…………どうしたんですか? 突然……」
「いえ……なんでもないんです。お見舞い……ですよ」
目の前には、少し戸惑ったような表情で明を見つめている瞳があった。
首を傾げると栗色の髪がサラサラとこぼれ落ち、窓から差し込む柔らかな日射しに透けて輝いて見えた。
まどかの病室である。
気持ちが落ち着いたせいか、乱れていた髪も綺麗に整え、顔色も良くなって来つつあるようで、なにより表情が明るい。心を寄せる明が一人で来てくれたことに、嬉しさは隠せないのだろう。
しかし、当の明の表情はこれまでになく暗い。まどかはどんな反応をしたらいいのか分からないでいた。
(松尾さんと……何かあったのかな?)
まどかは心の中で思ったが、口には出さない。
二人の仲がどうなっているにせよ、自分の思いを明に伝えることは出来ない。装甲コルディラスの昆虫弾によって脊髄を貫かれ、下半身不随になってしまった自分には、明に愛される資格などない。そう思っていたのだ。
「……まどかさん」
「はい」
「俺、どう見えますか?」
「どう……って……明さんは明さんですよ?」
「そう……ですよね。俺は、俺です」
「明さんの……自分の体の細胞が変わってしまったことを…………悩んでいるんですか?」
「…………」
「正直、明さんの気持ちは分かりません。……そんな私なんかが、言えた事じゃないかも知れませんけど……心も姿も変わらないなら、明さんは明さんですよ。大丈夫です」
「心も……姿も……ですか」
明の胸にまどかの言葉が深く突き刺さった。
その「姿」が変わるかも知れないのだ。
今度、Gと融合したらもう二度と、人間の姿には戻れない。
では、融合しなければ…………二度とGに近づかなければ、明はずっとこの姿のままでいられるのだろうか?
だが、明には分かっていた。
戦いはまだ終わっていない。
東京にGとして上陸したあの時……自分はもとの姿に戻れるとは思っていなかった。
そして心に渦巻いていたのは、父を殺したシュラインへの強い復讐心と、二度と会うこともなかったはずの紀久子への淡い思い。正直言って、ただそれだけだった。
しかし…………自分は一度ならず人の姿に戻れてしまった。
一度は覚悟したはず…………だった。
明には守りたいものがある……いや、守りたいものができてしまった。
命がけで明を助けてくれた小林、加賀谷兄妹、広藤。
得体の知れぬ自分を、快く受け入れてくれた樋潟司令。
父のこともあってか、いつも自分を気に掛けてくれている八幡教授。
目の前にいる、五代まどか。
干田や石瀬、羽田、いずも……その他のMCMOのメンバー達。
Gと共に戦ってくれたアルテミス、ステュクス、サン、カイ。
そして…………
(……松尾さん)
その名が一番深く、心に突き刺さっている。
もう一度Gと融合すれば、自分は二度と人間に戻ることはできない。
そうなってしまえば、自分は姿だけでなく心もまた、人間とは違ったものに変わってしまうような気がしていた。
紀久子への思いは、二度と叶うことなくそこで終わるのだろう。
あの笑顔。
あの高いトーンの、柔らかな声。
あの細い体。
凛とした表情。
彼女の部屋の前で最後に見せた……冷たい無表情。
それすらも、愛おしくて胸が張り裂けそうに思えた。
「もし……心と姿が変わったら、それはもう、僕じゃないわけ……ですよね?」
呆然と虚空を見つめ、つぶやく明の心はまどかには読み取れない。
「それは…………」
まどかは言葉を詰まらせた。
明の言っている意味はよく分からない。しかし、なにかおかしい。
変だ、と言えるほどいつもの明をよく知っているわけではない。
しかし、いつもの明ではない。そう感じていた。
戸惑っているまどかを前にして、明は初めて、自分がまどかに助けを求めることがお門違いであることに気づいた。
自分は何をやっているんだろう、そう思うと途端に恥ずかしくなる。
「すみません。いいんです。突然押しかけて、変なこと言って申し訳ありませんでした。俺っ!! もう行きます」
「待って!!」
無理矢理笑顔を作り、慌てて立ち去ろうとする明の手を、まどかがぎゅっと握った。
「はい?」
「あの……その……もし、姿も、心も変わっても……明さんは明さんだと……私は思います」
振り向いた明は何も言えなかった、真っ直ぐ見つめてくるまどかの視線に思わずたじろいだのだ。
「あの……なんて言っていいか……私あまり頭が良くないから上手く言えないけど……」
思わずその目を見つめ返した明。
その真っ直ぐな茶色の瞳に、まどかは真っ赤になって考えながら、じれったそうに言葉を繋いだ。
「明さんは、明さんだけで出来ているんじゃない、と思うんです」
「え? どういう……意味ですか?」
「明さんを作っているのは、明さんを好きな人達なんです。
産んでくれたご両親や、明さんを信じている友達、明さんを愛している……人……その人達の思いが、明さんを作っているんじゃないかと思うんです…………だから、明さんの姿や心が変わっても……変わらないものもあるんじゃ……ないですか?」
まどかは、自分の心にあるものを精一杯言葉にしたつもりだった。
「両親はもう……この世にいないんですよ? それに俺を愛している人なんて……まどかさんのおっしゃる意味がよく分かりません。じゃあ、俺っていう存在ははいったい――――」
明が言い掛けた時、突然、低い地鳴りが部屋を揺らし始めた。
「何?? 地震?」
「いえ、これは……違います」
明が呟くとほぼ同時に、病室のスピーカーから全館放送が流れ始めた。
『緊急指令!! 地底巨獣・バイポラスが首都圏の地底に到達した模様。
MCMO本部まで数分の距離にまで接近しています。総員、第一種戦闘配備。攻撃チームは速やかに司令部へ集合して下さい。繰り返します…………』
放送を聞きながら、明は薄く笑いを浮かべていた。
どうやら、向こうはこちらの心の準備を待ってはくれないようだ。しかし、不思議に気持ちは落ち着いている。
冷静な心の奥の方で、Gとしての闘争本能が目覚めつつあるのが、自分でも分かる。
(俺は戦える。戦いさえすれば……忘れられる。後のことは、後で考えればいい)
まどかは明の手を握ったまま、急に表情の変わった明を心配そうに見つめていた。
「まどかさん、俺、行かなきゃいけないようです」
「……気をつけて……ね」
「Gは無敵です。僕が言うのもなんですけどね」
明はもう一度強くまどかの手を握り返すと、風のように身を翻し、病室を飛び出していった。