6-10 リヴァイアサン
「…………気に入らないな」
石瀬北斗がぼそりと呟いた。
「まあ、そう言うな」
干田が短く答える。
「イーウェンとか言ったカ? アレは何者なんダ?」
カインもへの字に曲げた口の中で、面白くなさそうに呟いている。
出航から五時間後。時刻はもう朝である。
チーム・ドラゴンの三人は、艦底にあるシーサーペントNEOの格納庫にいた。そのシーサーペントNEOに乗り込み、本部視察と称して各所の記録をカメラに収めているのは、イーウェン=ズースンレンであった。
「なるほど。なかなかいい機械だな。大体の機能は把握させてもらった。もう結構だ」
無表情のままシーサーペントNEOから降りてきたイーウェンは鷹揚に言うと、直立不動で待つ三人には一瞥もくれずに上階へと上っていった。
「いくら極東本部直属部隊といっても、少々無礼すぎやしないか?」
イーウェンの姿が消えるなり、シーサーペントNEOの搭乗者である石瀬が、不愉快さを露わにしている。
もともと軍人ではない石瀬にとっては、階級が上だからという理由だけで、尊大な態度をとられること自体がカンに障るのだ。
「どうも、極東本部のヤツらはシュライン対策より、もっと別の目的があって動いているような気がしてならないな」
干田の表情も険しい。
「ところで、今、どの辺ダ?」
腕組みをして考え込んでいる干田に、カインが聞いた。
「浮上航行の巡航速度が30ノットだからな……そろそろ、愛知県沖くらいのはずだが……」
その時、艦内非常警報が激しく鳴り響いた。
続いて、女性オペレータの声が流れる。
『総員非常態勢。本艦は十分後、熊野灘沖合にて、アンドリアスと交戦状態に入ります。繰り返します…………』
「……今……アンドリアスって言わなかったか?」
「パルダリスじゃないのか? アンドリアスはオオサンショウウオの変異体ですよ。淡水産両生類が海域に侵入できるはずがない。奥野さん……巨獣の名前、間違えたんじゃないか?」
オペレータの女性の名を言って顔を見合わせた石瀬と干田に、カインが言った。
「言ってる場合じゃなイ!! すぐ、ブリッジへ行こウ!!」
*** *** *** *** ***
「アンドリアスだ。間違いではない。だが……本来はあり得ない事だ」
ウィリアム教授も驚きを隠そうとしていない。
ブルー・バンガードのブリッジは、ブリーフィングルームを兼ねているためかなり広く取られている。しかし、ドラゴンとカイワン、二つの攻撃チームが詰めかけるとさすがに狭い。
「アンドリアスは、淀川河口から海域に侵入。そのまま水深十メートル程度を東へ進んできている」
「水深十メートル……だから衛星でも追跡出来ている、というわけですか」
「そうだ。海域へ侵入してから三時間ほどは大阪湾内で動きを止めていたため、諸君への情報アナウンスはしなかったのだ。しかし、こうしてヤツが侵攻を始めた以上は、撃破しなくてはなるまい」
「艦長、確認しておきたいのだが、アンドリアスという巨獣はシュラインの影響下にある、と考えて良いのか?」
挙手もせずに質問したイーウェンを干田が横目で軽くにらんだが、ウィリアム教授は特に気にする様子はない。
「そう考えて差し支えないだろうな。そもそも、琵琶湖湖底に沈んでいたアンドリアスの遺体を復活させたのは、シュラインだと思われる」
そうであるならば、アンドリアスもまず間違いなくシュライン細胞を得ているはずだ。
「疑問がある。シュライン細胞の媒介者としてのメクラアブは、水中でも行動可能なのか? そうでないなら、水中性の媒介者が他にいることになる」
「もっともな疑問だ。パルダリス、ヒドロフィスも同様。遺体のあった場所は水中だ。だからメクラアブによって復活したとは考えにくい」
ウィリアム教授は、イーウェンの言葉を肯んじた。
「あの、松尾紀久子とかいう研究員を尋問しなかったのか? メクラアブ以外に媒介者を培養しなかったか、聞き出せばいい」
「彼女にはちゃんと聞いている。しかし……シュラインの影響から脱した今、その間の彼女の記憶は大半が抜け落ちていて…………」
「自白剤を使えばいいのではないか? 意識下では思い出せなくても、人間の脳はいったん覚えたことは忘れない。ましてや、自分のやったことだ」
「いい加減にしろ!! 彼女は被害者だぞ!? せっかく救出した女性を犯人扱いか?」
ウィリアム教授の言葉を遮るように乱暴な方法を言い出したイーウェンに、干田が怒りの声を発した。しかし、イーウェンは悪びれる様子もなく、口元を微かに弛めると真っ直ぐに干田を見返した。
「いい加減にするのはそっちだ。我々は命懸けの戦争をやっている。一人の為に、全員が危険にさらされる事になるかも知れないのだぞ?」
干田は冷徹に喋るイーウェンの目を見た。
怒りの色を浮かべる干田の目とは対照的に、無表情なイーウェンの鳶色の瞳は、まるで意思のないガラス玉のように見えた。
イーウェンの言っていることは間違いではない。冷酷と思われようと、非人道的と言われようと、得られる情報を得ておかないで、作戦が失敗しては彼等自身の命が危ないのだ。
そしてそれは、ひいては人類全体を危機に陥れる結果とも成りうる。
「まあ、そのくらいにしてもらえないか。
松尾君は、救出直後で精神状態が不安定だったのでね。それに自白剤で誘導された情報は信憑性が薄いことはお分かりだろう?
なにより……媒介者の見当ならとっくに付いている」
「ほう。では、聞かせていただきたい」
意外な答えだったのか、イーウェンは驚いたような顔をした。
「現場から採取された生物種には、シュライン細胞に侵食されたものが数種いた。中でも、通常ではそこに見られないものが一種だけ混じっていたのだよ。種の特定までは出来ていないが……どうやら魚類や水生生物の体表面に寄生する環形動物……いわゆるヒルの仲間らしい」
*** *** *** *** ***
「で? チーム・カイワン様たちハ、俺達に出撃の権利を譲ってクレたってことカ?」
サラマンダーFGのコクピットで、カインが面白く無さそうな表情で言う。
『まあ、そういう事だな。』
モニターに映った干田も、渋面を作って答えた。
『しかしあの鉄面皮のイーウェン大尉が……ヒルが嫌いとかって、笑えますね』
石瀬は苦笑を隠せない様子だ。
『いや、嫌いとかっていうレベルには見えなかった。あの様子、普通じゃないな。何か……根本的に受け付けないような……』
干田はイーウェンの態度に、どうも釈然としないものを感じているようだ。だが、それも無理もないことと言える。
なにしろ「ヒル」という単語が出た途端、イーウェンは目をむき、その一瞬前までの冷徹な態度も、無表情もかなぐり捨てて、ガクガクと震え始めたのだ。
驚いたことに、チーム・カイワンの他のメンバー、ジーランとジャネアも程度の差こそあれ、露骨な拒否反応を示した。たしかに、単に嫌い、というだけには見えなかった。
『ま、そんなことはドウデモイイ。我々は当面の敵、アンドリアスを倒すだけダ』
「そうですね……おっと、そろそろ距離が近い。
ブリッジ、聞こえますか? シーサーペントNEO、石瀬北斗、発進します。」
潜水艦ブルー・バンガードの船底が大きく開き、そこから滑り出すように海中に発進したのは、潜水艦型戦闘兵器・シーサーペントNEOである。
ヘビのように細長い機体は、たくさんの関節構造を左右にくねらせることで基本的推進力を得ている。全身をくねらせつつも、コクピットのある頭部だけは固定したように動かないのだ。ジェット式の推進機関はあるが、稼働時間は短い。あくまで補助的な役割なのだ。
「よし、私も出ル。
カイン=ティーケン、サラマンダーFG、GO」
浮上航行中のブルー・バンガードの前部格納庫が開き、そこから真紅の模様が描かれた銀色の機体が現れた。
対巨獣人型兵器・サラマンダーFGである。格納庫の斜路を高速で飛び出した機体は、そのままの速度を保ったまま、水面をホバー走行でアンドリアスへ向けて走り出した。
「カイン! 先走るなよ!! 干田茂朗、ワイバーンEX、出ます」
ブリッジ後方のハッチからは直立した姿勢の人型兵器が現れた。
形状はサラマンダーFGとよく似ているが、銀色を基調とした塗装には対照的に青い模様が描かれている。
航空機型兵器であるワイバーンEXは、わずかに歩行脚で蹴るようにして飛び立つ。そして背部スラスターで一定高度まで上昇すると、先に出撃した二機を一瞬で追い抜いて、海上を西へ向かって飛行し始めた。
飛行形態に変形したワイバーンEXの最高速は、最新鋭の戦闘機を凌ぐ。
ほんの数分もかからずに、干田は東進するアンドリアスの上空に到達していた。
「なんて……でかさだ」
干田は思わず呻いた。
アンドリアスの黒い影が、長々と海中に横たわっているのが見える。
最初に現着した干田は、戦闘パターンを組み立て、他の二機に指示を飛ばさなくてはならない。
「カイン! 聞こえるか!? アンドリアスは海中に停止しているようだ。海上からでは様子がまるで分からない。石瀬少尉が到着するまで手を出すな」
『了解』
「石瀬!! アンドリアスの位置は、そこから約十三㎞。無理に接近する必要はないそろそろ速度を落としてくれ」
『了解!!』
浮上式の通信アンテナを流しているシーサーペントNEOは、海中とはいえ浅い場所であれば通信が可能なのだ。
干田はアンドリアスの上空を旋回しながら、さらに観察した。
(しかしなんだ? この大きさは……アンドリアスの体長は三百m程度のはずだが……目測でも四百m以上ありそうに見える……それに、輪郭がぼやけて見えるのは、海中のせいか?)
水深はおそらく数m程度、しかも沖合の澄んだ海水であるにも関わらず、アンドリアスの輪郭は妙にぼやけて見えた。
『干田大尉。距離十㎞に接近。液体窒素弾頭魚雷の射程に入りました。攻撃許可をお願いします』
石瀬から通信が入る。
「よし。攻撃を開始してくれ。
ただ、アンドリアスはヴァラヌスⅡと違って、もともと半水生で水中での動きは素早い。その上に大きさも桁違いだ。慎重に局所を狙うんだ」
『了解』
シーサーペントNEOから発射された液体窒素弾は、海中に停止しているアンドリアスの頭部を捉えた。
大きな水柱が上がり、それが一瞬にして凍り付く。水中で炸裂した液体水素は、その周囲の海水を凍らせ、アンドリアスの頭部を覆っていった。
「よし。頭部が動かせなくなれば、あとは……いや、何だコレは!?」
上空から動きを見ていた干田は、異常な動きを見せたアンドリアスに驚愕の声を発した。
『どうしました? 干田さん!?』
「頭部が……二つ?」
そうとしか、表現のしようがなかった。
液体窒素弾の氷塊に包まれた頭部をそこに残したまま、もう一回り小さな頭部が脱け出し、すぐに元と同じ大きさに戻ったのだ。
『液体窒素弾が効かないノカ? デハ、電磁スピアを使ウ!!』
ホバー走行で海面を走ってきたサラマンダーFGが、脚部から取り出した棒状の武器を振った。すると、その棒は一気に伸びて、身長の倍ほどの三叉矛となる。
「電磁スピア」は、高圧電流で巨獣の神経を焼き切るショックアンカーの発展型兵器である。射程は短いがその分狙いが付けやすく、威力が大きい割にエネルギー消費も少ない。
三本の先端が三相電流の極となっていて、相手の体に突き刺さると、狭い範囲で相手の肉を焼ききるのだ。
アンドリアスの上でホバー走行を止めた瞬間、カインのサラマンダーFGは海中に没した。電磁スピアをかざしてほんの数m潜ると、目の前のモニターにアンドリアスの姿が捉えられた。
『Wow!! なんだコイツは!? アンドリアスじゃなイ!!』
「なんだって!? アンドリアスじゃない?」
『画像を送ル!! 判断してクレ!!』
カインから送られてきた画像を見た干田は、その異様な姿に息を呑んだ。
画面全体を覆い尽くしていたのは、うねうねと触手のように波打つ、焦げ茶色の突起物の群れだったのだ。
まるで海藻か、太く柔らかい毛でも生えているかのように、アンドリアスの体表面はその突起物で完全に覆われていた。
「これは……昆虫装甲…………いや、何か無脊椎動物でできた群体装甲じゃないか!」
アンドリアスのサイズが異様に大きく、そしてその周囲がぼやけて見えた理由がこれで干田にも理解できた。
「つまり、液体窒素弾で凍り付く前に体表面を覆う無脊椎生物だけ脱ぎ捨てたってことか」
『じゃあ、アレが無くなるまで何発でも液体窒素弾を撃ち込んでやればいいわけですね?』
「そうだ。両生類であるアンドリアスが海中にまでやって来れたのも、あの無脊椎動物で体表面を覆っているからだろう。すべて引き剥がしてやれば、浸透圧差でアンドリアス本体も死ぬはずだ」
『そうと決まれば早い方がイイ。石瀬!! 攻撃を開始してクレ。私が援護すル!!』
サラマンダーFGは海中潜行したまま、シーサーペントNEOの射線に立った。
海中には、アンドリアスの体表から離れた無脊椎動物が、うねうねと海中を進んできてはサラマンダーFGに取り付こうとしている。
カインは、それを器用に電磁スピアで振り払っていく。
『個体に分離してようやく正体が見えタ。 コイツは……環形動物……ウミビルの仲間ダ。しかし……SO BIG!!』
カインの言う通り、たしかに一個体のサイズが異常に大きい。
ウミビルは、カニなど甲殻類などの体表面に寄生する事が知られているが、せいぜい大きさは数センチまでである。
しかし、アンドリアスの体表面を覆い、次々と分離しては襲いかかってくるウミビルは、大小の差こそあれ、どれも一個体が数m以上あるように見えた。
『クッ……なんて数ダ!! 電磁スピアのenergyが切れかかっていル!!』
石瀬は液体窒素弾を発射しようとしているが、海中を一定密度で占めている巨大ヒルの群れに遮られて、狙いを付けられない。
「おかしいぞ!! アンドリアスがどんどん小さくなっている!! あれじゃあ……装甲どころじゃない。」
『干田さん!! 海底方向から、何か上がってきます!!』
「まずい!! 装甲じゃなかったってことか!! 本体は下だ!! 回避!!」
アンドリアスは体表面を覆うヒルだけで、自分と同じ形状を作り出していたのだ。
そして、本体は海底深く進み、隙をうかがっていた。
『うわあっ!!』
石瀬の悲鳴が響く。
海底から真っ直ぐに立ち上がってきたアンドリアスの巨大な口が、細長いシーサーペントNEOの機体を下から横咥えにして持ち上げたのだ。
一瞬、海上に押し出されたシーサーペントNEOは、アンドリアスの首の一振りで吹き飛ばされ、海面に叩きつけられた。
「なめたマネをッ!!」
干田は、海面に姿を見せた一瞬を見逃さず、徹鋼弾頭付きミサイルをアンドリアスの頭部に叩き込んだ。体表面はうねうねとしたヒルに覆われているが、昆虫装甲と違って硬くはないはずだ。貫いて本体にダメージを与えられれば、勝てると踏んだのである。
眉間と思われる部分に命中したミサイルは、そのまま潜り込むようにアンドリアスの頭部に吸い込まれ、数秒の後に炸裂した。
徹鋼弾はヒルの装甲を大きく剥がし、イボだらけの頭部を剥き出しにした。爆発で肉を吹き飛ばされた部分は、クレーターのように大きな穴が開き、白い肉が見える。アンドリアスは、海面で左右に巨大な頭部を振って苦しみ始めた。
「よし。ようやくダメージを与えられた。石瀬!! 大丈夫か!?」
『な……なんとか……大丈夫です。機体を放り投げるなんて……とんでもないヤツだ。』
『普通の潜水艦ナラ、破壊されていたナ。』
話している間にも、アンドリアスは、傷ついた頭部を庇うように俯くと、そのまま倒れるように海中に没していく。大きな水柱が立ち、周囲に白波が立った。
「逃げる気だな。海中戦になれば、三機バラバラでの戦闘は不利だ。合体して追うぞ」
『了解。実戦では初めての合体ですね』
石瀬の不安そうな声が響く。
『我々の合体はシンプルだ。失敗はあり得なイ。心配するナ』
開発者の一人でもあるカインは自信たっぷりだ。
「準備は良いな? では、合体体勢に入る」
海面に浮上して長々と横たわるシーサーペントNEOは、幾つもある関節部をわずかにくねらせながら、まさに巨大ウミヘビのように波間に漂っている。
その前半部にある、左右二つのヒレ状の推進機関部分が、大きく開いた。
そこへ、左側にサラマンダーFGが、右側にはワイバーンEXが降り立ち、コクピットのあるコア部分が、シーサーペントNEOの方へ収納されていく。
左右の二機の機体そのものは、それぞれ左右腕部のように変形し、電磁スピアとミサイル発射口が前を向いた。
シーサーペントNEOの艦内に収納されたコクピットは、三人の搭乗者が一つのブロックに集められた。
のっぺりしていた艦首には、いくつかのセンサーらしき構造が現れ、竜の顔のような造作を作り出す。
と同時に、シーサーペントNEOの後部でも変化が起きていた。
それまで、直径一m程度だったジェット噴流の噴出口が数倍になり、背びれや腹びれのような三角形の突起が、いくつも現れたのだ。
姿を現したのは、二本の前脚を持つ、海竜の姿をした大型ロボットであった。
「よし、『リヴァイアサン』合体完了。アンドリアスを追うぞ」
「了解」
海竜型ロボット兵器・リヴァイアサンはアンドリアスを追って、海底へと沈んでいった。