6-9 迎撃
「どうしたんだ!! こんな時間に!? 一体何があった?」
深夜。
自室で休んでいた樋潟司令は、けたたましい呼び出しベルで目を覚ました。
発信元は情報管制室。
ほとんどが急造で自衛隊基地の流用設備が多い、このMCMO臨時本部において、情報管制室のシステムだけはすべて巨獣対策専用だ。
最新の衛星監視システムと、観測カメラのネットワークによる情報集約により、常に巨獣の動向を監視している。
時刻はすでに午前二時半を回っている。よほどの事が起きたに違いない。
険しい表情で情報管制室に現れた樋潟を見て、管制官達が逆に、ほっとしたように表情を弛めたことでもそれが分かる。
「樋潟司令!! 夜分に申し訳ありません。実は、近畿地方区より琵琶湖湖底に潜んでいたアンドリアスが、淀川水系の瀬田川に侵入したとの連絡が各所から入りました!!」
「なんだと!?」
「現在、すでに宇治川を通過中!! は……早い!! 」
情報管制官の一人が、GPSモニターに送られてくる情報を目で追いながら報告した。
「画像は出ないのか!?」
「監視カメラネットワークが間に合いません。マスコミのヘリが既に報道を始めていますが……民法の回線を回しますか?」
「やむを得ん、回してくれ。非常事態だ。
だが、すぐにそのTV局には現場からの退避命令を出せ!! アンドリアスはかなり危険な巨獣だ」
情報管制室のメインモニターに、民法の緊急ニュース映像が流され始めた。
京都市街地の夜景。
その町中をわずかに蛇行しながら流れる宇治川が、薄く町の明かりで照らされて見える。その流れを、確かに何か黒い巨大な影が、下流へ向かっていた。
ヘリコプターのサーチライトを、ぬめりのある皮膚が反射する。巨大な丸い頭の後ろには、オタマジャクシのように細長い体が続いている。
長さは三百m以上はあるだろう。五十m近くある川幅を、半分以上埋め尽くし、アンドリアスは重い体を引きずるようにして移動していた。
体をくねらせては前進してはいるものの、浅い川底が腹につかえるのか、泳ぐというよりは這いずる、といった表現の方が近い。
だが、そんな動きであるにもかかわらず、アンドリアスの移動速度は時速五十キロを越えている。
ヘリに同乗しているアナウンサーは、MCMOや日本政府の巨獣対策への批判を、ヒステリックな声で繰り返していた。
「確かに速いな。待ち伏せ型で隠蔽傾向の強いアンドリアスが、夜間とはいえああも大胆に動き回るのは始めて見た。
まさか、シュラインは大阪を狙っているとでもいうのか? だが、すでにメクラアブの群れは処分したはず……どういうつもりだ?」
樋潟は独り言のように呟き、右手で頭を掻きながら考えをまとめようとしている。
「進路上の橋がすべて破壊されていますが、今のところそれ以外の被害は出ていない模様です。しかし、このまま水深のある淀川河口域に入られれば、姿を見失いかねません!!」
その時、もう一人の管制官から声が上がった。
「司令!! 鳥取砂丘で中国地方区の監視下にあったバイポラスを見失ったとの連絡です!!
どうやら観測不能なほど深く地底へ潜ったと思われます!!」
「地底進行型の移動なら、微弱震動を感知可能だろう!? どちらへ向かっている!?」
「地底を東へ移動しているようです!!」
「二体の巨獣が同時に動き出した………… あとの二体、パルダリスとヒドロフィスの様子はどうだ!?」
「こちらは二体とも海底深くに潜んでいるため、観測不能です!!」
樋潟は、巨獣の位置が示されている日本地図を眺めた。
シュライン細胞の影響下にあるアンドリアスとバイポラスが同時に動き始めたのは偶然とは思えない。やはりシュラインの意思が働いていると考えるのが自然だろう。
となれば当然、あと二体の巨獣も何らかの動きを見せていると考えるべきではないのか。
そこへ、慌ただしく白衣を着込みながら、八幡が管制室へやって来た。
「巨獣達に動きがあったそうですね」
「八幡教授。夜遅くに申し訳ない。どうやら、シュラインが本格的に侵攻を開始したのではと考えますが……」
「いや、これまでもヤツは陽動や偽装など、様々な手段を用いてきています。素直にこちらに攻めてくるとは思えない」
八幡は首を捻りつつ答えた。
たしかに八幡の言うように、これまでのシュラインの動きから見て、慎重に対応すべきであるかも知れない。
「しかし、このまま放置して後手を踏めば、被害が拡大するのは避けられない。シュラインの思惑には乗せられてしまうかも知れないが……逆に考えてみて下さい。あの四体の巨獣を倒しさえすれば、MCMOの制御下にない巨獣は地上からすべていなくなります。これはチャンスと取るべきでは?」
「いや、それでも全戦力を振り向けることはすべきではないと考えます。……特にG……明君は今……」
「伏見明君がどうかしましたか?」
八幡の深刻な表情を見て、樋潟は怪訝そうに聞き返した。
「いや、なんでもありません。たしかに、ここで動きを見失って不意を打たれるような事があっては、逆にまずいでしょう。パルダリスとヒドロフィスの所在だけでもつかめれば……」
八幡は、曖昧な表情で言葉を濁した。
紀久子の事や彼自身の事で、苦悩を抱え込んでいる明。そんな明を今、前線に立たせるわけにはいかない。
樋潟もまた、八幡の表情からそのことを察したのであろう。僅かに顔を曇らせたが、すぐに指令を出し始めた。
「よし。パルダリスとヒドロフィスの状況把握のため、ブルー・バンガードへ出撃命令を出す!! 至急、ウィリアム教授を呼んでくれ。アンドリアスとバイポラスの動向については、引き続き観測を継続!!」
「了解」
管制官達は、慌ただしく連絡を取り始めた。
*** *** *** *** ***
「ふうむ。やっと、私達の出番か。」
特殊戦闘潜水艦ブルー・バンガードの設計者であり、艦長でもあるウィリアム=テンプル教授は、心なしか嬉しそうに呟いた。
出撃命令が下されてから、約十分後のブルー・バンガードのブリッジである。
ウィリアム教授を始めとして、乗組員達は基本的に艦内に寝泊まりしていたため、既に出航準備は整えられつつあった。
「教授、そんな言い方をなさっては、まるで戦闘を望んでいたように聞こえますよ」
脇に控えて、厳しい表情でたしなめたのは、チーム・ドラゴンの隊長、干田茂朗である。
「いやいや、申し訳ない。
武器開発者の性だよ。戦闘は良くない事だと頭では解っておっても、心が浮き立ってしようがないんだ。どうしても開発した武器の威力を試してみたくてね」
基本的な出航準備は整ったとはいえ、ブルー・バンガードの艦内は、いまだに数人が慌ただしくチェック作業をしている。
飛び交う喧噪の中、ウィリアム教授とチーム・ドラゴンは、ブリッジで作戦開始前の簡単なブリーフィングを行っていた。
「だがまあ、今回の出撃は戦闘が目的ではない。パルダリスとヒドロフィス、二体の巨獣の動きを観測し、可能であれば継続して監視する。
しかし、もちろん攻撃を仕掛けてくるようなら、応戦する事は許可されている。その時は、この艦とチーム・ドラゴンの実力を見せてやらなくてはな」
干田の忠告にもかかわらず、ウィリアム教授はやる気満々、といった風情だ。
「しかしパルダリスはトラウツボ、ヒドロフィスはセグロウミヘビの変異体……どちらも体長五百mを越える完全水中性の大型巨獣です。我々の装備で対抗できるでしょうか?」
石瀬北斗が不安そうに言った。
「フン。敵のサイズなど大した問題ではなイ。我々チーム・ドラゴンの本領は水中戦ダロウ」
自身が搭乗するサラマンダーFGの開発者でもあるカイン=ティーケンは、不安げな石瀬を諫めるようにそう言うと、不敵に笑った。
しかし、干田の厳しい表情は崩れない。
「いや、水中ではやはり水生生物の機動力に勝るものはない。ましてや今度の二体は、先のコルディラスと違い、シュラインの意思を完全に反映している可能性がある。油断していると足下をすくわれるぞ」
「干田君の言う通りだ。
人間の作る機械には一定の限界値があってそれ以上は稼働できない。が、生物はその限界値が非常に曖昧だ。つまり、見せかけの能力にだまされると、手痛いしっぺ返しをくらう事になりかねない」
ウィリアム教授も、油断はしていない様子である。
「とにかく、まずは敵の正確な位置を割り出す必要がある。最初はパルダリスだ。生息海域全体を囲むように、ソノブイを発射して位置を特定。動向を監視しつつ必要なら攻撃を加えよう」
メインモニターに、パルダリスの生息海域と目される、有明海近海のサテライト映像が表示された。実写画像に地図が薄く重ねられているため、エリアの様子がよく分かる。
「このあたりは小さな島も多く、岩礁も多い。潮の流れも速いから、簡単にはヤツを捉えられないだろう。だが、この艦の能力なら話は別だ。シュラインの驚く顔が浮かぶよ」
ウィリアム教授はいたずらっぽく笑った。
その時、ブルー・バンガード所属であることを示す、青い作業服を着た青年がブリッジへ入ってきた。
「艦長!! ガルスガルスの移動、完了しました。これでいつでも発進可能です」
「Oh……これでやっと、あのニワトリの鳴き声から解放されルノカ」
カインはため息をついた。しかし、それが全く大げさには見えないのは、実際にガルスガルスの声が、耐え難いほどの大音量であるからだ。
「あの声は凶器です。艦内格納庫に隔離していてもあの声ですから……しかし、今度は関東全体の住民から苦情が来るんじゃないですかね」
石瀬が苦笑いした。
水中戦では、音が相手に察知されては負けである。このためブルー・バンガードの外壁も内壁の仕切りも特殊遮音構造になっているのだ。
ブルー・バンガードにガルスガルスを収容したのは、移動のためだけではなく、その大きすぎる叫び声を抑えるためだった。
だが、その遮音構造すら突き抜けて響き渡るガルスガルスの声に、乗員は連日悩まされていたのだ。
「チーム・エンシェントの五代少尉が傍にいれば、彼の鳴き声も治まるのではないか、という話だったのだがね……まだとても動ける状態ではないらしい」
「脊髄をやられたそうですね。命に別状はないようですが……軍人としての再起は難しい、と聞いていますが……」
暗い表情のウィリアム教授に石瀬が答えた。
「命があっただけマシだ。
我々にとっても人ごとではない。油断すれば死ぬ事になる。知能を持った巨獣など、誰も戦った経験がないのだからな」
その時、ウィリアム教授の目の前に座る通信士が、怪訝そうな顔で振り向いた。
「艦長……チ-ム・カイワンのイーウェン大尉から通信です」
「なんだと? この忙しいのにいったい何だね? サブモニターにつないでくれ」
すると、ブリッジの右上部に位置するサブモニターにイーウェンの無表情な顔が大写しになった。
『ウィリアム教授。いや、艦長とお呼びした方がよろしいか』
「どちらでも構わんよ。いったい何のご用ですかな?」
『我々、チーム・カイワンを出撃するブルー・バンガードに同乗させていただきたい。これは極東本部の意向と考えて下さって構わない』
「依頼ではなく、命令、ということですかな? 樋潟君の許可は得ておられるのか?」
『我々は樋潟司令の傘下にない。彼の許可は必要ないと判断している。もちろん報告はするがね』
「いいでしょう。艦長として同乗を許可しよう。ただし、艦内では艦のルールに従い、作戦行動時にも、艦長としての私の指示に従って貰うが如何かな?」
『貴艦に身を預ける以上は、艦内ルールを守ることはお約束する。が、戦闘になれば極東本部としての判断で動く場合もある。それはご了承いただきたい』
ウィリアム教授が返事を返そうとした瞬間、画面がブラックアウトした。イーウェンは言いたいことだけ言うと、勝手に通信を切ったようだ。
教授は首をすくめて周囲を見渡した。
「諸君、聞いての通りだ。面白くないヤツらが同行する事になった。
ふむ……彼等の乗機……鬼核とかいったか、あれはガルスガルスのいた格納庫にでも入ってもらおうか」
「え!? しかしあそこは、奴のフンとその臭いで酷い状態ですよ!?」
持ち場に戻る機を失して、ブリッジに立ちつくしていた作業服の青年が、驚いて言った。
「仕方あるまい。緊急事態だ。他に大きな格納庫もないからな」
教授はおかしそうに口を押さえて笑いながら言った。