6-8 それぞれの理由
「樋潟司令は、うまく彼等を受け入れてくれたようだな」
樋潟達とは微妙にデザインの違う軍服を着た男が、ゆっくりと部屋の中を歩き回りながら鷹揚に言った。樋潟の肩章は青い下地に金色のデザインだが、この男は赤い下地の肩章を付けている。
MCMO極東本部代表、ベン=シャンモンである。
肌の張りや白髪混じりの髪からも、五十代半ばは越えているように見える。
一見して東洋系の顔立ちだが、それにしては目と髪の色が薄いのは、西欧の血も入っているのかも知れなかった。濃く日に焼けた肌の色は、たたき上げの現場で、いつも日を浴びていたことを伺わせる。
豊かな髭をたくわえた口元は、どのような表情も見せてはいなかった。だが、目の前の部下達を見据える目は、触れたものをすべて切るような鋭い視線を放っていた。
十人ほどの部下達は、シャンモンの威圧に耐えるように、直立不動の姿勢で並んでいる。
彼等の人種は様々だったが、基本的に中国系の顔立ちをしている者の方が多いようだ。
「はい。チーム・カイワンは現在、MCMO臨時本部で鬼核のメンテナンス中とのことです。それと……例のシュラインの一部を捕獲したとの連絡です」
答えたのは、シャンモンのすぐ脇に控えている女性士官だ。こちらは金髪碧眼ではっきりした欧米系である。
「ほう……さすがイーウェンだな。やることが早い。シュラインの侵食能力には研究の余地がある。すぐにこちらに送るように連絡したまえ」
「了解しました」
女性士官は踵を返し、部屋を出て行った。
「この時期にGを始め、複数の巨獣が復活し、暴れ始めてくれたことは我々にとっては非常に都合が良い。これで邪魔な巨獣どもを一掃し、我々の考える世界秩序の構築に一歩前進することが出来るからだ。君達にも、すぐに日本へ飛んで貰うことになるかも知れん。準備しておいてくれたまえ」
「はっ!!」
全員の軍靴が一斉に鳴り、一糸乱れぬ敬礼をしたメンバーの顔は、一様に無表情であった。
「結構だ。では解散。各自、命令があるまで自室で待機しろ」
そう言うと、シャンモン自身も自室へと戻っていった。
本部の長い廊下は、既に照明が落ちている。時刻は夜半を回っているのだ。
自室に戻ったシャンモンは、真っ先にテーブルの上に伏せてあった写真立てを元通りにした。そして上着を脱いでドレッサーに掛けると、ソファに沈み込み、その写真を見つめた。
古そうな写真である。そこには、二十代と見える若い女性と、その子供と思しき幼い少年が写っていた。
「ただいま……マリー……ジャン…………」
ずっと厳しい表情だったシャンモンの顔に、別人のような安らかな笑顔が浮かんだ。
「もうすぐ……もうすぐだよ……」
そう呟くと、ソファの上で両手で顔を覆い、静かに泣き始めた。
静まり返った部屋の中に響くすすり泣きの声は、それから明け方近くまで続いた。
*** *** *** *** ***
”明君…………聞こえる?”
”誰です?……いや、この思考波は知っている……以前……助けてくれましたよね?”
臨時本部の廊下を歩いていた明は、立ち止まって周囲を見渡した。
今度Gと融合したら、二度と分離はできない。
アルテミスと鍵倉教授達から、思ってもいなかった事実を知らされた明は、呆然として何も考えられないまま、自室に戻る通路を歩いていたのだ。
”覚えていてくれたのね。
そうよ。超コルディラスとあなたが戦ったときに……あの時は、まだ、サンもカイも出撃できる状態じゃなかったし、ブルー・バンガードも未完成だった。だから、ああしてアドバイスするしかなかったの。許してね”
”サンとカイ? ……この思考波、もしかすると雨野さんですか!?”
”そうよ…………ちょっと……話があるの。サンとカイのいる所まで、来てくれない?”
明はいずもの思考波に導かれるまま、臨時本部の建物を出ると、すぐ近くの中学校に設営された巨大なテントへと向かった。
内部空気圧でドームのように膨らんだテントは、急造ではあるが、かなりしっかりした作りである。明は、幼い頃に見たサーカスのテント小屋を思い出していた。
だが、巨大さはサーカスのテントを遙かにしのぐ。なにしろ、校庭のほぼ八割がテントで占められているのだ。
入り口の幕は自動でめくれるようになっているらしい。
脇に付いている赤いボタンを押すと、くるくると巻き上がって明を迎え入れた。
中に入ると、どうやら二重エアロックになっているようで、五メートルほどある通路の向こうに、さらに入り口の幕が見えた。
テント全体が二重構造になっているとすると、この巨大さも頷ける。
おそらく、巨獣化しているサンとカイの体細胞からの、人間や他の生物に対する影響を低減するための措置であろう。
入り口の透明な幕をくぐると、強烈な臭いが鼻を突き、明は思わず顔をしかめた。
「ようこそ。私達の部屋へ。お茶でも入れましょうか?」
いずもの明るい声がかかった。
そちらを見ると、明の様子をおかしそうに見つめながら、つなぎの作業服を着たいずもが笑いかけてきていた。
「臭いでしょ? ニホンザルは雑食だから……糞って言っても人間のウンチそのものなの。待ってて、今片付けるわ」
いずもはそう言うと、そこに停めてあったホイルローダに乗り込んだ。
そして、手慣れた様子で地面に落ちている巨大なバナナ状の糞をすくい上げ、明の入ってきたのとは、逆の方向に運んでいく。
ホイルローダが近づくと内幕が自動で持ち上がり、その下をくぐって別の部屋へ行けるようだ。どうやら、そちらに汚物の処分場でもあるのだろう。
よく見ると、地面にはワラが敷かれ、畜産場で使うような器具や道具があちこちに置かれている。きちんと整理されてはいるが、意外に手狭なのは部屋の中央に座ったサンとカイが巨大すぎるからだ。
(大変そうだな……でも……そりゃあそうか。いくら頭が良いって言っても、こんな大きなサルを女性一人で面倒見るなんて…………)
いずも以外のスタッフは見あたらない。
まったく手伝いがいないとは思えないが、普段の生活はいずもだけで世話をしているのだろう。それには、サンとカイが巨獣であることが関係しているに違いなかった。
「ごめんねー。呼び出しておいて待たせちゃって。糞は強制乾燥させてから焼却するから、結構手間がかかるのよ」
いずもが戻ってきたのは、十分ほど経ってからだった。
「ト……トイレ、覚えさせないんですか?」
戻ってきたいずもに、明はおずおずと尋ねた。
「本来、樹上性のサルはトイレを覚えたりする必要がないのよ。この子達もこれだけ知能が高くてもトイレだけはどうしようもないみたい。エサも大変だし」
明はあらためて、装甲を着込んだ二匹の巨大な猿を見上げた。
黒い装甲がカイ。白い装甲がサン。
装甲は顔を含めてほぼ完全に彼等の体表を覆っており、表情はよく見えない。
よく見ると、装甲から太いケーブルがテントの外へと伸びている。充電中なのだ。武器にも電気を使うのかも知れないし、電気的にパワーアシストもしているのかも知れない。
サンもカイも、明のことは気づいているはずだが、気にしてはいない様子で、向こうを向いてムシャムシャと何か盛んに食べている。
「何……食べさせてるんですか?」
「野菜と果物よ。あとは牛乳。すごい量なのよ~。避難所になるはずの学校まで占拠して……そのうちマスコミに批判されるわね」
いずもは自嘲気味にクスクスと笑った。
汚れたつなぎを着込み、髪は簡単にまとめている。研究施設にいたとき以上に化粧っ気が無くなり、ところどころ煤のようなもので汚れた顔は、まるで別人のように見えた。
しかし、とっつきにくそうな美人だったシートピアでのいずもより、明には今の姿の方が好ましく思えた。
「サンとカイの装甲……どうしてずっと着せておくんです?」
「これね……外せないの。実は、シュラインの思考波を遮断するブレーカーの役割を兼ねているのよ」
「ブレーカー?」
「シュラインの思考波の周波数を自動的にチューニングして妨害する装置よ。
これが完成するまでは、地上に出す事も出来なかったわ。カイはシュライン細胞のキャリアだし、サンだってメタボルバキアの感染者。こうしておかないと、どちらもシュラインに操られる可能性があるのよ……それは私も同じなんだけどね…………」
そう言うと、いずもは、すっと腕を上げて両手首を見せた。
そこには、銀色のかなり大きな機械が装着されている。腕時計……というよりは囚人の手枷のように明には見えた。
「彼等の装甲と同じ機能を持つブレスレットよ。私もシュライン・キャリアだから……」
「もしかして、話っていうのは……」
「察しがいいわね。私達の中のシュライン細胞を、消す方法を教えて欲しいの。
おキクさん……松尾先輩は確かにシュライン・キャリアにされてたはずなのに、どうして今は普通の状態に戻れているの? 明君……あなた、何かしたんじゃないの?」
「…………僕は……」
「お願い。何か知っているなら教えて。
私も彼等も、常時このブレーカーを外せないのよ。
これは私達だけじゃない。一度感染被害を受けて治った人も、精神コントロールからは解放されたとしても、二度と普通には戻れないみたいなの。大阪でアブの被害にあった人達、例の研究所の職員、臨時本部の職員の一部……元海底ラボの研究員も半数以上がキャリアなのよ……」
目に涙を浮かべて懇願するいずもの前で、明は躊躇っていた。
おそらく今なら、彼等の体からシュラインの影響を取り除くことは可能だ。しかしその為には他生物と融合可能なG遺伝子を持つ生物膜と、メタボルバキアに感染したG細胞が必要だ。
もし、すぐにその条件を揃えようとすれば、明は残った右目も差し出さなくてはならなくなる。
感染者にミクロネシアの秘薬を飲ませ、自分で何とかさせる方法もあるだろうが、あの薬をシュライン・キャリアに飲ませた例はまだ無い。つまり、どういった反応が起こるか分からないのだ。もしかすると、もっと悪い結果を引き起こす可能性もあった。
その時、返答に窮して黙り込んだ明の後ろから、突然何者かの声がかかった。
「へえ? そーいうカラクリだったのかよ!?」
いつの間に幕をくぐったのか、そこに立っていたのは、チーム・ビーストのオットー=ゲーリンであった。
「何よあなた? ここは私達チーム・マカクのエリアよ? 無断で立ち入っていいと思ってるの?」
立ち聞きされていたのだ。いずもは顔色を変えてオットーを睨みつけた。
「一緒に戦うヤツらが、どんな連中なのか……知りもしないで戦えるか!? しかも巨獣だってだけでも信用出来ねえのに、いまだにシュラインの影響を消せてないなんてよ?」
「立ち聞きなんて悪趣味ね!! シュラインの影響はこの装甲やブレスレットで防げるのよ!!」
「んなもん、所詮機械だろうが!! 戦闘中に壊れたりしたら、あっという間に敵に早変わりってワケか? 危なっかしくてやってられるかよ!!」
「なん……ですって!?」
「ゲーリン少尉……それは言い過ぎじゃないんですか?」
オットーの暴言に、明が気色ばんだ。
「伏見っつったか!? お前もだよ!! Gなんだろ? しゃあしゃあと人間ヅラするなよ!!
聞いてるぜ。記憶も感情もGと共有してるってな!? お前これまで、どんだけたくさんの人を殺したか、分かって―――」
その瞬間、オットーの頬で乾いた音が響いた。
「あんた…………言っていいことと悪いことの区別も付かないの?」
平手を振り抜いた姿勢のまま、目に涙を溜めたいずもは、低い声で静かに言った。
オットーの左頬に、赤く手形が浮かび上がった。
「私達が、好きでこんな体になったとでも思ってるの? 明君だって……好きで巨獣になんか、なりたいわけないじゃない!!」
「……俺の故郷は今、地図にない。……巨獣に消されたんだ。家族や友達もろともな。そんな巨獣どもと一緒に戦うなんて、どうしたって俺には出来ねえんだ!!」
オットーはくるりと背を向けた。
「お前ら、一緒に出撃したときは気をつけろよ。俺は……お前らを後ろから撃っちまうかもしれねえ…………」
背中を向けたまま呟くように言うと、オットーは幕をくぐって出て行った。