6-6 チーム・カイワン
MCMOの置かれている立場は厳しかった。
シュライン細胞を媒介するメクラアブは、ステュクスとアルテミスのフェロモンによって集められ、すべて焼却処分された。
このことで、日本中いや世界中が一安心したのも事実だった。
しかし、日本国内で野放しになっている巨獣については、まったく状況は改善していない。そんな中での、Gに対する「完全看護体制」に、批判が集中した。
倒すべき敵であるはずのG。せっかく仕留めたはずのGを、こともあろうに治療していると報道された時、それまでMCMOを支持してくれていたすべてのマスコミが、ネガティブな報道へと切り替わった。
当然、世論、マスコミは巨獣王・Gの即時殺処分を主張した。
そこへ追い打ちを掛けるように、今回のケリドラ上陸騒動である。
カミツキガメの変異体であるケリドラは強い肉食傾向を示すため、MCMOは、霞ヶ浦沿岸のすべてを立ち入り禁止とした。また、土浦市を始めとした沿岸域の自治体全てに避難指示が出された。
避難民の数は三十万人を越え、受け入れ体勢の整っていなかった、周辺自治体もMCMOに批判を集中させた。
事情は他の地域でも同じだった。
有明海付近で復活した、トラウツボの変異体であるパルダリスもまた、肉食の巨獣である。魚類であるため上陸の可能性はないものの、そのぶん行動半径が広く、動きが掴みにくい。
しかも非常に好戦的で時折姿を見せては暴れるため、長崎県、佐賀県、熊本県の有明海方面の沿岸全域が避難区域に指定されていた。
当然、周辺の漁業や工業など産業にもに大きな影響を与え、問題が長期化すれば地域経済が壊滅しかねない状況にあった。
日本政府は対応の改善をMCMOへ強く求め、すぐにも野放しの巨獣達を処分すること、更にGの看護を打ち切るよう迫っていた。その風当たりは、日を追うごとに強くなりつつあったのだ。
「つまり……我々が不甲斐ないから、日本政府は、わざわざ中国政府に依頼して鬼王なんてものを呼んだ……ってわけですか?」
土浦から帰還してきた干田は、全メンバーの見守る中、樋潟に戦闘報告を終え、突然現れた鬼王について質問しているところである。
口調はあくまで静かであったが、その目の奥には怒りの炎が燃えている。
干田の後ろには、今回出番が無くなってしまったカインと石瀬が、憮然とした様子で立っていた。
「……そういうことになるな」
「バカな!! ケリドラもパルダリスも、姿すらほとんど見せなかったんだ。そんな相手を見つけ出して殺すなんてこと、出来るはずがないでしょう!!」
樋潟のあっさりした物言いにカッとなったのか、羽田が横から口を挟んだ。
「よしんば、それが出来たとしても、どの巨獣も追い詰めた時にあの昆虫装甲を身につけて暴れ出すのだとすれば、軽々に攻撃を仕掛けられない。それを日本政府は理解していたんですか!?」
「だが、結果的にケリドラは上陸し、昆虫装甲を身につけないまま処分された。もしかすると霞ヶ浦周辺の昆虫群には、シュライン細胞が植え付けられていなかったのかも知れん」
「それは…………結果論じゃないですか!!」
羽田は不満げな様子を隠そうともせず、樋潟に食ってかかった。
「八幡教授はどうお考えなのですか? 運び屋はメクラアブに限らないと仰っていたじゃないですか!?」
「あの研究所を抑えたことで、シュライン細胞の大量増殖は考えにくい状況だとは思っている。
つまり、まともに考えれば、感染した大量の昆虫を操ることは出来ない、ということになる。
だが、シュラインのことだ。どのような手段で自分の細胞を媒介させようと画策するか分からない。ケリドラがそうしなかったからといって、昆虫装甲を他の巨獣が身につけて暴れ出さないという保証はないな」
八幡は眉根を寄せ、腕組みをしたまま呟くように言った。
「しかし、注目したいのはコルディラスもヴァラヌスⅡも、追い詰められないと昆虫装甲を身につけなかった、ということだ。
ダイナスティスにしても、核となる人間があって初めて起動するものだったようだ。
つまり昆虫群体を操ること自体、シュラインにとってもかなりリスクがあるか、もしくはなんらかのコストがかかる作戦なのだろう。そうでないなら、一度にすべての巨獣を昆虫で覆ってやれば良かったはずだからな」
「だから、鬼王がいきなり攻撃しても厄介な結果にはならなかったのだ……と?」
しかし、それも結果論に過ぎない。危険性を無視した本部の判断は、到底理解できるものではない。羽田の拳は怒りに震えていた。
「すべて可能性の問題だ。それに、中国科学技術部のシミュレーションでは、たとえ昆虫装甲を身につけたとしても、コルディラスもヴァラヌスⅡも鬼王単独で倒せる、という結果が出ていたらしい」
「…………聞いておきたいことがあります」
ライヒ大尉がすっと挙手した。
「なんだね?」
「ケリドラが上陸したのは…………あのアメーバ状生物に襲われたからではないのですか? あの上陸の様子……湖に帰りたがっていたように私には見えました。どうも不自然すぎる」
「それを否定できる根拠もないが…………そうだという証拠もない。」
樋潟の表情は変わらない。だが、その声はいつになく弱々しく聞こえた。
「なんだって!? じゃあ……湖から追い出して、殺したってワケか!? そんな作戦だと最初から分かってりゃ、準備も出来たはずだ。あのビルの上にいた連中、死ななくても良かったんじゃねえのか?!」
小林が憤然として、目の前のデスクを叩いた。
「落ち着きたまえ。証拠はない、と言っているんだ」
「証拠なんかどうでもいい!! 考えてみりゃあ、タイミングが良すぎらあ!!
輸送機で中国から飛んできたってくせに、なんでサラマンダーFGより現着が早えんだ?! それだけじゃねえ!! なんで航空基地じゃなく、土浦を目指してやって来るってんだよ!!」
部屋が一瞬、しんと静まる。
「それでも…………我々は組織の一員だ。推測だけで仲間を非難できん」
返す言葉を無くした樋潟の代わりに、羽田が震える声で言った。
「で? 彼等を受け入れるのですか?」
「……それが、極東本部の命令だ。」
ライヒの問いに答える樋潟は、もはや不機嫌さを隠そうともしていない。
「じゃ……じゃあ、あの化け物がここに来るってんですか?」
オットーは少し気味が悪そうに言った。
それを見て、すかさずマイカが冷やかしに入る。
「あらあら、怖いの?」
「馬鹿言え。気持ち悪いだけだ。ああいうぐにゃぐにゃしたヤツが嫌いなんだよ俺は!!」
「安心したまえ、おそらく来るのはナビゲーションシステムである、あのマシン『鬼核』とその搭乗者だけだろう。生体部品である『ヒュドラ』は鬼核のコントロール波を追って近くの海域に滞留するはずだ」
「ナビゲーション? コントロールシステムではないのですか?」
「彼等はナビゲーターなんだ。情報を集積して分析し、それを生体ユニットであるヒュドラに伝えるだけだ。実際の判断は、ヒュドラの擬似中枢である『ネモ』が行うとされている」
「どうしてそんな、ややこしいシステムを取っているのです?」
ライヒ大尉が不思議そうに聞いた。
「鬼王は巨獣じゃない。あくまで人造の兵器だからだそうだ。
ああやって巨獣の姿になれるのも、『ネモ』の力によるものなのだ。
それでも擬似的に巨獣の姿を維持できるのは、戦闘状況にもよるが、せいぜい数分くらいということらしい。しかも群体状態を完全解除するのにも一時間ほどかかるとのことだ」
「数分ですって!? そんな…………では、もし敵を斃すのに手間取り、そのタイムリミットを越えたらどうなるのですか?」
「そこが鬼王の恐ろしいところだ。
タイムリミットが近くなれば、それだけ強力な攻撃を自動的に選択する。周囲の被害など一切考えずにな」
樋潟の言葉に、その場の全員が声を失った。
*** *** *** *** ***
「ふうん……ケリドラの背甲が一撃。か。なかなかの出力だね」
金髪の少年の姿をしたシュラインは、ビルの屋上の端に腰かけたまま、面白そうに言った。目の前には溶け崩れていく鬼王の姿がある。
土浦市。
戦闘を終えた鬼王は、起動状態を解除しつつあった。
透明な不定形生物群……ヒュドラ達は、溶け崩れた鬼王の足元から、まるで巨大な雨のしずくが転がるように、次々と霞ヶ浦に戻っていく。
「あの不定形生物、面白いな……操れれば有効な武器になりそうだけど……さすがに、あれだけ正体不明なものは僕も見たことがない……うまく融合するには何か媒介が必要だろうな……」
シュラインは少し考えていたが、にやりと笑って立ち上がった。
「なあんだ。アレとうまく融合できないなら、うまく融合できるヤツを乗っ取っちゃえばいいんじゃないか」
シュラインはそう言うと、ふいっと無造作にビルから飛び降りた。
夜半を回った無人の土浦市には、外灯すら点いていない。
シュラインの姿はすぐに闇に溶けて見えなくなった。
*** *** *** *** ***
翌日の朝、攻撃チームのメンバーは、再びブリーフィングルームへと集められた。
「紹介しよう。鬼王のナビゲーターを務めている、チーム・カイワンの三人だ。右からチームリーダーのイーウェン=ズースンレン。四肢管制のフォンジェン=ジーラン。火気管制を担当しているジェチォン=ジャネアだ」
「イーウェンだ。よろしく。日本国内の巨獣をすべて片付けるまで、しばらくここを活動拠点にさせていただく」
リーダーのイーウェンが三人を代表して軽く頭を下げた。
それを見て、羽田が顔をしかめた。極東本部からの派遣チームとはいえ、新参者である。本来であれば、三人が自分から名乗り、敬礼して全員に挨拶しなくてはならないはずの場面だ。わざわざ朝から集合させておいて、無礼と言えばこれほど無礼な話もない。
(いったい、何者なんだ。こいつらは…………)
一見した感じでは、三人とも東洋系の顔立ちをしている。
名前からも中国出身であることは伺えるが、この程度の紹介では、その素性は知れない。
しかし、羽田にはもう一つ気になったことがあった。
「活動拠点? 司令の部下としての着任ではないのですか? それは我々と違う立場、という認識でよろしいのですか?」
「そうだ。彼等は私の部下に配属されたわけではない。あくまで極東本部のベン=シャンモン長官の直属ということになる」
「それに、すべての巨獣を鬼王一体で斃すかのように、私には聞こえましたが? どうやって?」
「それについては、申し訳ないが機密事項なので答えられない」
イーウェンが無表情なまま言った。
着任の挨拶とは思えないほど、その態度からは拒絶感が漂ってくる。あくまでなれ合うつもりはない、といった様子だ。
「我々はMCMO極東本部の所属であると同時に、中国人民解放軍の所属でもある。我が中国が独自に開発した鬼王には、国家機密に属する事項が多いのだ。悪く思わないでくれたまえ」
「つまり……あの不定形生物……ヒュドラの正体も、教えて貰うわけにはいかんのだろうな?」
樋潟の脇に控えていた、八幡が残念そうに言った。
「その通りです。申し訳ない、八幡博士」
慇懃に頭を下げながらも、イーウェンはあくまで無表情なままだ。
「では、我々は鬼核のメンテナンスがあるので、これで失礼させていただく」
「ちょい待てや」
さっさと出て行こうとするイーウェン達三人に、後ろから声を掛けたのは小林であった。
「鬼王っつったか? なんであんな高出力なレーザーで人間ごと街を焼き払ったんだ?」
「人間? 不法侵入者のことか? 避難指示の出ていた地域だろう。彼等は巨獣が現れる可能性は承知の上で、そこにいたのだ。我々が責められるいわれはないはずだが?」
イーウェンはゆっくりと振り返った。とてもそうは見えないが、笑っているのであろう。口の端が、不自然なほど機械的に歪んでいる。
「なんだと。この!!」
「日本は平和でいいな。我が国では、わざわざ危険な場所へ立ち入った犯罪者の安全を配慮してやったりはしない」
「ふざけんな!! 命は命だろうが!!」
「そうだとも。しかし、不自由な避難所生活で亡くなっていく人もいることを知っているのか?
鬼王がケリドラを処分したおかげで、今日から霞ヶ浦周辺の避難指示は解除されたんだ。どれだけの人間が助かったと思っている?」
「ぐ……それは…………だからって殺していいってことになるかよ!!」
「小林さん。もう、黙りなよ。みんなヘンな顔してるよ?」
珠夢が小林の袖を後ろから引っ張りながら、小声で囁いた。
変な顔、というよりは悔しそうな顔、と言った方が良いかも知れない。誰もがイーウェンの言うことを肯定もできなかったが、反論もできなかったのだ。
もし、勝手に避難指示区域に侵入したあの若者達に配慮していたら、ケリドラを逃がしていたかも知れない。そうなれば、引き続き霞ヶ浦周辺の立ち入り禁止は解除されず、経済的被害はもちろん、イーウェンの言うような人的被害も出ていたであろう。
「気が済んだか? ならば我々は行かせて貰う。言いたいことがあればいつでも相手になるよ」
そう言い捨てると、イーウェンは無表情なままくるりと向きを変え、部屋を出て行った。
「そういうことだ。みんな、状況は把握したな? では、解散だ。」
そう言う樋潟自身も完全に納得した、という様子ではなかったが、今はどうしようもない。チームメンバーは、全員敬礼すると自分の部署へと戻り始めた。
「明。おまえ、今からどうすんだよ?」
部屋から出ようとした明に声を掛けてきたのは、先ほどイーウェンと激しくやり合った小林だ。
「あ、いえ、特にすることもないので、部屋に戻りますが……」
「ちょいつきあえ。アルテミスがお前に用があるんだとよ」
「アルテミスが…………俺に?」
「何の用かまでは、俺も分からねえんだけどな。まあ、Gに関係あることだろうよ」
「分かりました……うわっ!! 何するんです!?」
ブリーフィングルームを出た明は、いきなり何者かに壁に押しつけられた。
「伏見君……!! いったい、紀久子に何を言った!?」
「た…………高千穂さん……? 僕は何も…………」
怒りの表情で明の胸ぐらを掴んでいたのは、紀久子の婚約者、高千穂守里であった。
「嘘をつけ!! じゃあどうしていきなり婚約解消しようなんて言い出すんだ!!」
「婚約解消!? 嘘でしょう!?」
「嘘じゃない!! 昨夜……電話でそう言われたんだ…………」
守里はきつく唇を噛んでいる。その深刻そうな表情、そして青ざめた顔色からも冗談や嘘でないことは間違いないようだ。
「へ……部屋には、行ったんですか!?」
「行ったさ!! だが……一人にしてくれって、それだけなんだ。俺には何が何だか……」
明はそれを聞いて、はっと思い当たった。
「高千穂さん……松尾さんはシュラインに操られて、人を傷つけたり、街を破壊したりしたことで、自分自身を責めているんです」
「なんだって? そんなことを誰が紀久子に言ったんだ!? まさか君が?!」
「僕ではありません…………でも……」
「バカだねえ。そんなの、この基地にいればいくらでも情報源があるさ」
横から呆れたような口調で口を挟んできたのはアスカだった。
「逆にさ……まさかあんた、そのこと、彼女に伏せておいたつもりなのかい?」
「それは……紀久子が傷つくといけないだろう!?」
「へえ……それがバレた時、どんだけ彼女が傷つくか、とか考えなかったわけだ?」
「う……ぐ…………しかし……」
高千穂は返答に窮した。
しかし、紀久子は思い詰めるところがあり、自分のせいではないことまで責任を感じて落ち込むことがあった。その性格をよく知る高千穂は、せっかくシュラインから救出された紀久子に、どうしてもそのことを言えなかったのだ。
「……っていうかさ、明君から手を放しなよ」
アスカに言われて、ようやく高千穂は明の胸元から手を放した。
「君に何が分かる!? 紀久子は……紀久子は……」
「げほっ……げほ……高千穂さん。やっぱり、松尾さんに直接謝って許してもらうしかないですよ……」
「謝る……? 俺は、紀久子のためを思って…………」
「まーまー。痴話ゲンカのとばっちりはその辺にしとけや」
「なんだと!?」
「俺は明に用があるんだよ。聞いてたら、コイツはどうやら関係なさそうじゃねえか。恋人のご機嫌くらい、自分でとりな」
冷たく言い放った小林は、強引に明の肩を押して歩き出した。
「こ……小林さん…………」
その強引な態度に戸惑う明に、そっと小林が耳打ちした。
「いいんだよ。あんなのほっとけ。っていうか、お前がどうこうできることじゃねえだろ? それに……うまくいかない方がいいんじゃねえのか?」
「いいえ。松尾さんは傷ついているんです。それを放ってはおけません」
そう言うと明は小林の手を振り切って、うなだれる高千穂のもとに走り寄った。
「高千穂さん。小林さんと用事があるのは本当なんです。後でまた僕も…………」
「いやいいんだ。これは二人の問題だ。小林君の言う通りだよ。すまなかったな」
守里は明の目を見ずにそれだけ言うと、ふらふらと立ち去っていった。
(二人の問題…………か……)
明の胸に守里の言葉が突き刺さった。
その言葉は、明に紀久子を遠く感じさせた。遠い。あまりにも。
シュラインに奪われていた時でさえ、これほど紀久子を遠く感じはしなかったように思う。
「おい? 明? どうしたんだよ。行こうぜ」
青ざめた顔で立ちつくす明の肩を、両手で抱くようにして、小林はアルテミス達の待つ専用宿舎へと歩き出した。