6-3 まどか
「伏見……明君だよね?」
その日の夕刻、大食堂で一人食事をとっていた明に話しかけてきたのは、一人の女性隊員だった。攻撃チームのメンバーらしく、例の銀色のパイロットスーツを着込んでいる。直接会話したことはなかったが、その顔には見覚えがあった。
急に話しかけられた明は、頬張ったばかりの唐揚げを、あわててお茶で飲み下した。
「そう……ですが、何か?」
「あたし、新堂アスカ。チーム・エンシェントの攻撃手よ」
鋭い目で明を見つめるその女性は、決して太っている訳ではないが、がっしりした印象である。相当鍛えているのだろう。身長は180センチある明より大分低いが、ひょろっとした印象の明よりも体重があるように見えた。
「……はい……知っています。何度かお顔を見ました」
「あんた……もう、体はなんともないんだよね?」
「え……まあ……一応」
「じゃあ……どうしてうちのチームの、あの子の見舞いに行ってやらないのさ?」
「あの子……って、五代さんのことですか?」
「また会おうって言ったんだろ? 会ってやって……欲しいんだ」
「どうしてそれを?…………」
「まどかに聞いたのさ。頼むよ。あの子……たぶんもう…………歩けないんだ」
「え!?」
「下半身が完全に麻痺してる……撃ち込まれた虫が、脊髄を傷つけちまったんだ……あの子、身寄りがないからさ、同居人のあたしがさっき、主治医に呼ばれたんだよ。だからさ、せめてあの子を元気づけてやりたいんだ。頼むよ」
「…………どうして僕なんですか?」
「ふう……鈍い子だね。でもまあ、そりゃ分かんないか……」
アスカはため息をついた。明自身は、まどかが自分を好きだということを知らないようだ。しかし、殆どまどかの一目惚れに近い状況であるから、それも無理からぬ事と言えた。
「…………どういう意味です?」
「いや、いいんだ。こっちのことさ……その……あの子はあんたとのまた会おうって約束を気にしてるんだよ。それに、Gを……あんたを攻撃したことも後悔してる。せっかく味方になったのに、もう二度と戦えないから、償いも出来ないって言って悩んでるんだ。だから、会ってやって欲しいんだよ」
アスカは咄嗟に嘘をついた。いや、正確には嘘とは言えないが、まどかが明に恋心を抱いていることを、勝手に話すわけにはいかない。
「それは……」
「できたら……見舞いに行って、優しい言葉の一つも掛けてやってくれないかい?」
「…………わかり……ました」
明とアスカは、連れだってまどかの病室へ向かった。
MCMOが作戦本部として間借りしている、防衛庁管轄の庁舎の隣には、総合病院が隣接しており、臨時の直轄病院として機能していた。集中治療室から一般病棟に移されたばかりのまどかは、病棟の一番上、八階の一人部屋にいた。
「まどかー。いいかい?」
アスカは病室のドアをノックしたが、返事がない。
だが、脊髄を損傷して下半身麻痺状態のまどかが、どこかへ行けるはずはない。
「いるんだろ? 入るよ?」
ドアを押し開けると、中は真っ暗であった。夕刻とはいえ、外はまだ薄明るい時間だが、分厚いカーテンが引かれ、ベッドの近くの簡易灯すら消されているのだ。
「アスカさん。ごめんなさい。一人にして」
闇の中から、暗く冷たい調子の声が返ってきた。
「あ……えーとさ。ちょっと……電気点けていいかい?」
「だめ」
まどかの声はとりつく島もない。
「……新堂さん、僕はこの状態でも見えますから、電気はいいですよ」
「その声…………まさか……伏見明さん?」
明の声を聞いて、急にまどかの声のトーンが変わった。
「……はい」
「どうして……? もしかして、アスカさんが何か言った?」
「…………大変なお怪我だってお聞きして……それに約束したじゃないですか五代さん。また、会いましょうって」
「嘘。嘘です。だって……そんなことで来てくれるはずないもの」
「お見舞い、遅くなってすみませんでした。僕は、精密検査が今日終わったんです」
「少しだけ、待って下さい。電気は自分で点けますから」
一、二分、バタバタとベッドの周りを片付ける音が響き、電灯が点けられた。
明るく白い部屋の中、斜めに起こしたベッドの上でこちらを見ているまどかは、顔色が悪く、頬がこけている。暗闇の中でなんとか整えたらしい髪もバラバラで、以前会った時とは、まるで別人のように見えた。
「…………ひどい顔でしょ?」
「いえ、そんなこと……でも……大丈夫ですか? 急だったんで、お見舞い品も何も持たず、申し訳ありません。お怪我、痛くはないですか?」
「ありがとう。うん……痛くないよ……痛くないっていうか……何も感じないの」
そう言うと、まどかは自嘲気味に笑った。
「あ……すみません」
まどかの下半身は、痛みすら伝えない状態であるようだ。おそらく神経がほぼ完全に切断されてしまっているのだろう。明は急に深刻な表情になると、まどかから目を逸らした。
「あ! いいのよ。気にしないで。私ったら、イヤな言い方してごめんなさい。そ……その……伏見……さんはその目、大丈夫なの?」
自虐的な物言いが、明を傷つけてしまったと気づいたまどかは、あわてて謝ると、話を逸らすように、白い眼帯をした明の左目を見て言った。
「明でいいですよ。ええ僕は大丈夫。もう、治ったようなもんなんです」
「よかった……でも、じゃあ、私のことも……まどかって呼んでくれますか? その方が……気楽だから」
言いながら、まどかは頬を紅潮させたが、明はそれには気づかない様子だ。
「はい」
「私……もう、歩けないみたいです。もう二度と戦えないんです。ずっと戦うことしか知らなかったのに……たぶん、Gを……明さんを苦しめた罰が当たったんです」
「僕は、まどかさんに苦しめられてなんかいませんよ?」
「私!! たくさん攻撃しました!! 色んな……武器で……。リニアキャノンで額の宝石を砕いたのは……私なんです!!」
「知っています。あなたのおかげで、Gと分離できた。あなたのおかげで、心の痛みを忘れて戦えた。あの、コルディラスから分離した人達とヒヨコを保護してくれたのも、あなたでしょう?」
「あのヒヨコ……大きくなり過ぎちゃいました」
「ガルスガルスのことなら知っています。もう立派なニワトリですよね」
巨獣化したガルスガルスは、おとなしくブルー・バンガードの格納空間に収容された。
しかし、大量の野菜と穀物を食べる上、東京全域に響き渡るその鳴き声で、連日乗員を悩ませていたのだ。
二人は顔を見合わせて、少し笑った。
「やっと……笑ってくれましたね」
「……久しぶりに笑った気がします。こうなってから、まだそんなに日も経っていないのに…………」
「すみませんでした。僕への攻撃や、僕が勝手に言った再会の約束をそんなに気にしておられたなんて、気がつかなかった……」
「え?……ああ、そう、そうですよ。うかつに女と約束なんかしちゃ、だめですよ」
「女性の気持ちがよく分からないんです。女性とおつきあいをしたことがないもので…………」
「そんなこと、言い訳にならないのよ。明さんももう二十歳でしょ? 一人前の男なんですから」
「そう…………そうですね」
しばらくの間…………沈黙がその場を支配した。
優しい目で明を見つめるまどかを、明はまともに見ることができず、うつむき加減に目を逸らしている。
「明さん…………松尾さんを、助け出せたんですよね? おめでとうございます」
「…………はい」
「どうしたんですか? ちっとも嬉しくなさそうです」
「…………まどかさん。僕は……自分がどうしたいのか分かりません」
「何か、悩んでるんですね? 話して」
「いや。ダメです。あなたの優しさに甘えて、傷ついたあなたにこんな相談するなんて……」
「分かっています。松尾さんのことでしょう?
みくびらないでください。私は……大人の女ですよ。年下のあなたの恋の相談くらい受けられます。それに、体の傷とは関係のない話です」
「ちょっと待ちな、まどか。どうする気なんだい?」
妙な話の流れになってきたと思ったのか、それまで黙って傍らに立っていたアスカが、驚いたような表情で口を挟んできた。
「どうって……明さんの恋の相談を聞くだけです。さあ、話して」
「僕……ぼくはっ!!…………」
残された明の右目から、涙が溢れた。
そして、堰を切ったように話し始めた。
海底ラボからの紀久子への思い。
紀久子に婚約者がいたことへのショック。
伝えたい思い。
伝えられない理由。
自分の体細胞が完全にGになってしまっていることも。
助けるまでは、必死であった。だが今、やりきれない思いだけが募る。
明は、自分の左目のこと以外は、何一つ隠さずまどかに話していった。
(もう…………完全に巨獣だって? この坊やが……酷い話だね)
傍で聞いていたアスカも、明の苦悩、そして紀久子への思いの深さを知った。
「…………明さん」
「……はい」
「ちょっと、こっちに来て。……そう、もっと近く」
明の顔が手の届く範囲に入った途端。
ぱん!
明の頬に鈍い痛みが走った。
まどかが、思い切り明の頬を平手で打ったのだ。
明は、頬を押さえて立ちすくんだ。
「ばか」
「え?」
「思いを伝えもしないで、うじうじ悩んでいるなんて、ばかでしょ!! あなたが巨獣だとか、松尾さんに婚約者がいるだとか、そんなことはどうでもいいの!!」
「そんな…………どうでもいいってことは……」
「どうでもいいのよ!! あなたの心は伏見明君のままで、Gなんかじゃない!
あなたの愛は、松尾さん個人に向けられたものであって、婚約者なんか、いてもいなくても変わるものじゃないはずでしょ!?」
「……それは……そうですけど……松尾さんに迷惑なんじゃないかって」
「あなたは、女を見くびりすぎです! あなたが思うより、女は強くてしたたかなの!!
そんな理由で重荷を抱え込んだりはしない。優秀で優しい人間の婚約者より、命がけで自分を助け出してくれた巨獣の明君を愛しいって思ったら、きっとあなたの愛を受け入れてくれるわ!!」
「こんな……こんな僕でも…………松尾さんに思いを伝えてもいいんですか?」
「彼女がダメだって思ったら、振られるわ。それだけのことでしょ? 振られたら、あきらめるだけ! あなたは気持ちを伝えもしないで先に進めるの? それで後悔しないっていうの?」
「まどかさん…………ありがとう……ございました。僕……いや、俺、松尾さんにきちんと告白してきます」
「うん。それでこそ明君よ。頑張って!!」
「まどかさんも…………まだ、歩けないって決まったわけじゃありません。頑張ってください!!」
まだ完全に暗い表情は抜けきっていなかったが、明は何か吹っ切ったような表情でまどかに言うと、深々と頭を下げて病室を出て行った。
「…………ふう」
明が勢いよく病室を出て行くと、まどかは大きくため息をついた。
そしてアスカの方を振り向き、涙声で言った。
「アスカさん…………どうしよう? 明君と松尾さんがうまくいっちゃったら、どうしよう?」
先程の勢いが嘘のように、自信なさげな声と表情である。
「ったく……バカだねこの子は。なんであんな事、言っちまうのさ」
「だって……明君に後悔して欲しくないし、男らしい明君でいて欲しいし、明君に……幸せになって欲しいし…………」
「ハァ…………ただのバカじゃないね。
そんなの、あんたがアイツを後悔させないくらいいい女になればいいし、うまくいってから男らしいアイツになるようアドバイスすりゃあいいし……何より、あんたが幸せにしてやればいいんだろ?」
「そんなの…………うまく言えないけど、違う気がするんだもん」
「分かったよ。あんたらしいっちゃあ、あんたらしい。だけど……あんたはどうなんだい? あの子、もう『人間』じゃないらしいじゃないか」
アスカは、頭をぽりぽりと掻きながら諦めたような口調で言った。
「明さんは明さんです。何も変わらないと思います。それに、巨獣になったのなら、戻る方法もあるはずですよ。一生かけても、私がその方法を見つけます」
「学者でもないあんたがかい? 現実は、そんなに甘いモンじゃないよ?」
「Gから出てきた彼を好きになった時から、覚悟は出来ています」
「そっか。……あんたはほんとに可愛い子だねえ」
アスカは少し嬉しそうに笑うと、真っ直ぐな瞳で見つめてくるまどかの頭をくしゃくしゃと撫でた。