6-1 遺恨
二人を吸収したGはゆっくりと歩き出し、MCMO本部のある千葉方面へ向かった。
既に東の空は白み始め、薄明るくなってきた都会の街並みは、輪郭を取り戻しつつある。
かなり長い間、闘っていたようだ。
Gは歩きながら荒い息をついている。前の戦闘の傷が完全に癒えないうちに、また重傷を負ったのだ。いかに強力な再生力を持つGといえども、ダイナスティスに貫かれた傷口はまだ塞がらず、歩いてきた道の上には、点々と赤い血が続いている。
MCMO本部まではまだ距離があるが、歩くのはもう限界と言えた。
Gは、皇居の近くにちょうど良い高さのビルを見つけると、その屋上に顎をもたせかけた。
力尽きたように、目を閉じるG。
すると、額の碧い宝石に黒い影が差し、ゆっくりと二人の姿が浮かび上がってきた。明と紀久子が碧い宝石から出ると、Gはゆっくりと身を起こし、国道上に戻ると、少し屈んだ姿勢のまま動きを止めた。
明は紀久子を抱いて、軽々と屋上に飛び移ると、そっと床に紀久子を降ろした。
「あ……ありがとう。明君」
歩き出そうとした紀久子は、周囲の風景がかすんでいることに気づき、目をこすった。
「あれ? 目がよく……見えない」
「あ、そうか。はい、これ」
明がスーツのポケットから取り出したメガネをかけると、懐かしい感覚と共に、紀久子の目の焦点が合った。
「これ……ずっと…………明君が持っていてくれたの?」
紀久子は眼鏡を掛けると、驚いたように目を大きく見開き、明を見つめた。
眼鏡のレンズからこぼれ落ちそうな大きな目。
やっとすべてから解き放たれ、自分に戻れたといった嬉しそうな表情。
屈託無く自分を見つめてくる、そのあまりにもあどけなく優しい笑顔から、明はわざと目を逸らし遠くを見た。
「似合いますよ。やっぱり……あ、ほら、高千穂さんです」
明が指さした方には、同じビルの屋上にMCMOの輸送ヘリで到着した守里の姿が見えた。
紀久子の姿を見つけた守里は、満面の笑顔で駆けて来る。
少し戸惑ったように、明を見上げた紀久子は、明が微笑んで目配せしたのを見て、少し顔を曇らせ、それからゆっくりと守里の方へ歩き出した。
「おい。何やってんだよ?」
突然。後ろから声を掛けられて、明は驚いて振り向いた。
「こ……小林さん!! 加賀谷さんも……どうしてここに?」
そこには、屋上の縁に立つ二人の姿があった。
「アルテミスに乗せてきてもらったんだよ」
小林が親指で後ろを指さす。
すると、うずくまるGの背中に止まっている、巨大なオオミズアオの姿が見えた。純白、というよりも光の加減で薄水色に見える美しい巨大蛾は、静かにゆっくりと羽ばたいていた。
それは、まるでGに巨大な翼でも生えたかのように見えた。
「神経を落ち着かせる、フェロモンを出してくれてるみたいだな。Gもかなり傷ついているからな。珠夢ほどじゃないけど、俺にも少しはアルテミスの心が分かるみたいだ…………」
加賀谷は、少し耳を澄ますようにして首を傾げて言った。
しかし、それを厳しい表情の小林が遮る。
「んなこたぁ、どうでもいいんだよ!!
明、てめえ命がけで松尾さんを取り戻したんだろ? それが何でさっさとあんなヤツの所に行かせちまうんだよ!?」
「すみません」
「俺に……俺に謝ってどうすんだよっ!! あのまんまじゃ、松尾さんはアイツと結婚しちまうんだぞ!?」
「……そうですね」
「お前の気持ちは伝えたのか? 松尾さんの気持ちは確かめたのか?」
「いえ」
「なら…………」
「僕は、巨獣Gです。これから先、松尾さんと一緒に同じ人生を歩むことは出来ません。
それに気持ちを伝えたら、我慢できなくなる…………高千穂さんは素晴らしい人です。きっと松尾さんは高千穂さんと幸せになります。
それで……それだけで僕は充分です」
「それで……いいのか?」
「…………それでいいかどうかじゃない。それしか……出来ないんです」
その時、守里と紀久子が明の方へ歩み寄ってきた。
「明君、心から礼を言うよ。よく、紀久子を救い出してくれた」
「…………松尾さんは、僕が一番苦しい時に励ましてくれた恩人ですからね。当然のことです」
寄り添う二人を見るだけで、胸が張り裂けるように痛む。
だが、それでも明は唇の両端を無理矢理引き上げて、精一杯微笑んで見せた。
「……明君。あの……ありがとう。私…………」
「松尾さん」
何か喋ろうとする紀久子を遮るように、明は言った。
「は……はい」
「仕事を頑張るのも大事ですけど、長いこと高千穂さんから離れちゃダメですよ? 男っていうのは浮気な生き物なんですから。すぐ近くで出来る仕事もあるはずです」
「…………はい」
「じゃあ、行きましょうか小林さん。そうだ。広藤君と珠夢さんは、どうしたんです?」
明は、わざと明るい声で二人を促すと、ヘリの方へ歩き出した。
その背中を見送る紀久子の表情からは、助け出された直後のあどけない笑顔が消え、微かに憂いを含んで見えた。
そんな紀久子の横顔を見た守里は、一瞬、怒りと嫉妬の表情を浮かべたが、小さくため息をつくと紀久子の肩を抱いた。
「僕たちも行こうか紀久子。まずは、休もう。それから、きちんと病院で検査してもらうんだ」
*** *** *** *** ***
「どうしたオットー? 機嫌悪そうじゃないか」
二日後の昼食時。MCMO司令本部の大食堂である。
ライヒ大尉は、トレーに乗せた日替わりセットを、オットーの隣の席に置いた。
上司であるライヒの言う通り、オットーの表情はまるで今にも噛みつきそうな犬のそれに近かった。
「あ……隊長……もうリーダー会は終わられたんですか?」
上司に声を掛けられ、オットーの表情はわずかに緩んだが、基本的に機嫌の悪い顔に変わりはない。
「ああ。新たに発足した三チームとの行動のすり合わせだけだったからな。それより、そんな物騒な表情していると、マイカに嫌われちまうぞ?」
ライヒは、軽く窓際の方の席に目配せして微笑んだ。
ちょうど反対側の端……テラスになっているその場所では、自分達と同じチームのマイカ=トート、新堂アスカ、加賀谷珠夢、松尾紀久子、そして雨野いずもの五人が楽しそうに談笑しつつ昼食をとっている。
「嫌われたって仕方ないですよ。こんな情けない……巨獣なんかに助けてもらって生き延びた俺なんか……」
オットーは吐き捨てるように言うと、目を伏せたままそっぽを向いた。
あの夜。
紀ノ川河口でヴァラヌスⅡに圧倒されていたチーム・ビーストを救ったのは、石瀬北斗の駆るシーサーペントNEOと、和歌山山中から現れた二体の巨獣を操る雨野いずもだったのだ。
*** *** *** *** ***
「ちっくしょおおお!! 動け!! この!!」
オットーは走行レバーを前後させながら悪態をついた。
カトブレパスは真っ白に固化した粘液に覆われ、ついに行動不能に陥っていたのだ。
ヴァラヌスⅡの口から吹きかけられる酸性の液体は、折からの雨で中性化し、強力な粘性でカトブレパスの動きを封じつつあった。
完全に動けなくなったと見るや、それまで液体を吹き付けるだけだったヴァラヌスⅡは目のない不気味な頭を水中から突き出し、岸辺に取り付いて這い上がって来た。
「オットー!! そのままじゃやられるぞ!! 機体を捨てて脱出しろ!!」
「……って、んなわけにいかないでしょう!! 直したばっかの機体を、こんな化け物に渡せねえ!! 上陸して来やがったら、イーヴィルアイでっ!!」
だが、オットーがレバーをいくら動かしても、イーヴィルアイは発動しなかった。
前部装甲が粘液で固められ、全く動作しないのだ。イーヴィルアイを発動するための形態になれない。
ヴァラヌスⅡは、ついに水中から完全に全身を現し、ぐねぐねと体をくねらせながら近づいてくる。あの牙で噛み裂かれれば無事では済むまい。
オットーは自分の死を覚悟した。
その時。
「ホゥァアアアアア!!」
聞き慣れない叫び声と共に、ヴァラヌスⅡの頭部に、真っ黒な塊が落下してきた。
踏みつけられたヴァラヌスⅡは、尻尾をくねらせてのたうつ。
そして、長い体をその黒い影に巻き付かせ、あの酸性の液体を発射した。
だが、その影はするりと抜け出すと、信じられない素早さで液体を避け、自分より大きなヴァラヌスⅡを軽々とつかみ上げて、そのまま水中に放り込んだ。
「ロ……ロボット?」
オットーは自分の目を疑った。
目の前の黒い影は、一見ロボットのように見える。だが、こんなロボットが製造されていたという話は聞いたことがない。
全身を光沢のある、流れるようなデザインの黒い金属的な物で覆われ、肩や肘には鋭い突起物がある。また、頭部はまるでフルフェイスのヘルメットを被ったように見え、両耳に当たる部分から後方へ鋭い突起が伸びている。
全体に機械的な印象の外見は、ロボットと言われればそのようにしか見えない。
だが、ロボットの割にはその動きは生物的だ。
また、関節に当たる部分には、ちらちらと黒い毛のようなものも見えている様な気がする。
何よりも、目の前で発射された液体を避けるとは、尋常な反応速度ではない。あれほどのスピードで動けるロボットなど、オットーは見たことがなかった。
呆気にとられるオットーの通信機から、聞き慣れない女性の声が聞こえてきた。
『ロボットじゃありません!! 鎧を着ているだけ。これはM-10・カイ。ニホンザルの巨獣なんです!!』
「つ……通信? どこからだ?」
『カイの胸部に搭乗しています。私は雨野いずも。チーム・マカクの隊長です』
「チ……チーム・マカク?」
『話は後です。カイ!! 行きましょう!!』
黒いロボットのような姿は、どうやら巨獣が装甲を着込んだものらしい。
そのカイは迷わず水中に飛び込んでいく。
「バ……バカ!! サルが水中でアイツに勝てるってのかよ!?」
『バカって言わないで!! カイは水中戦が得意なのよ!!』
いずもの言う通り、装甲を着込んだ重そうな姿からは想像も出来ないほど、カイの水中での動きは素早かった。水底を手足で歩くようにしながらヴァラヌスⅡを追い、追い詰めながら攻撃を加えていく。
装甲にはいくつかの武器も仕込まれているらしく、左腕の装甲は展開して防護盾になり、右腕からは大型の水中銃のようなものを発射している。背中に刺さった銛で、ヴァラヌスⅡはまるでハリネズミのようになっていった。
超硬質のコルディラスと違い、水中で柔軟に動くヴァラヌスⅡの装甲は柔らかいようだ。銛にかかる水抵抗で、どんどん動きが鈍くなるヴァラヌスⅡは、たまらずに陸へと逃げ出した。
『サン!! そっちへ逃げたわ!!』
「ホァーホッホッホ!!」
飛び出したヴァラヌスⅡの前に、いつの間にかもう一体の巨獣の姿があった。
今度の巨獣の装甲は白い。
また、その大きさも黒い影、カイよりも二回りは小さい。
サンと呼ばれた白い巨獣は、その手に握った棍棒のような武器で、這い上がってきたヴァラヌスⅡの頭部を思い切り殴って再び水中へ突き落とした。
「ギチギチギチギチ!!」
ヴァラヌスⅡは、空中をかなりな距離飛ばされ、巨大な水飛沫を上げて着水した。小さいとはいえ、二体目の巨獣も相当なパワーである。
大顎を鳴らしながら落下したヴァラヌスⅡは、とても敵わないと踏んだのか、今度は海の方へ向かって泳ぎだした。
『あ!! 待ちなさい!! この!!』
しかし、水生昆虫の姿をしたヴァラヌスⅡと、水中適応しているとはいえニホンザルの体型をしたカイでは、遊泳速度には大きな差がある。さすがに追いつけすに、いずもは悔しそうに叫んだ。
『もう!! カイ!! もっと早く泳げないの!?』
その時、通信機からもう一つの声が流れた。
『いえ、雨野さん、よくやってくれました。僕がとどめを刺します!!』
シーサーペントNEOで救援に駆けつけた石瀬北斗の声である。
河口域は浅いため、大型のシーサーペントNEOは海から侵入できずにいたのだ。
北斗はいくつかの使用可能リストの中から、深海でシュラインを凍り付かせた、高圧液体窒素(PLN)弾頭付き魚雷を選択した。
この液体窒素弾は、射程が短くコントロールしにくかった以前のタイプとは違い、魚雷方式である。音波や熱源による自動誘導で目標を捉え、またこちらの発する特定音波で任意に炸裂させることも出来る。
だが、体温が低く、エンジン音もない巨獣相手には、誘導は手動で行う必要がある。
北斗は半浮上状態のまま、サテライト映像を頼りに高速で泳ぎ去ろうとするヴァラヌスⅡへとPLN魚雷を発射した。
だが、ヴァラヌスⅡは急に進路を変え、魚雷を振り切ろうと動き始めた。
どうやら、魚雷の推進音に気づいたらしい。通常の潜水艦などよりはるかに機敏に動くヴァラヌスⅡを、手動誘導で追うのはかなり難しい。
「くっ……ちくしょう!! コイツ、逃げるな!!」
『石瀬さん!! 撃ち込んだスピアは誘導音波を発信しています!!』
「了解!! 助かるよ」
北斗はスピアの発信する音波に、魚雷の照準レンジを合わせると、さらに数発の魚雷を追加で発射した。
数分後。
紀ノ川河口沖に、巨大な氷山が浮かび、その中にはヴァラヌスⅡが氷結されていた。
「チーム・ビーストのゲーリン少尉ですね? 初めまして。雨野いずもです」
粘液で覆われたカトブレパスのハッチを、外から引き剥がしてくれたのは、カイと呼ばれる黒い装甲を身につけた巨獣であった。
そして薄く日が昇ろうとしている山稜を背景に、カイの胸部から顔を覗かせたのは、長い黒髪の日本人女性だった。オットー達と同じパイロットスーツを着込んでいるが、手に持ったそのヘルメットだけは、様々なコードが付属した複雑な作りに見える。
「…………チーム・マカク? お前ら何者だよ?」
オットーは黒い巨獣の中から現れた美女を、呆然と眺めていた。
*** *** *** ***
「結局今回、俺達いいとこ無しじゃないッスか。マイカのヤツもヘラヘラしやがって……」
再三、ライヒがなだめているが、オットーの不機嫌は直らない。
「そう怒るなオットー。
ブルー・バンガードはまだしも、あの二体の巨獣については、俺達隊長クラスだって知らされていなかったんだ。ましてや、シュライン細胞に侵されたままの巨獣を、同じくシュライン細胞に侵されたことのあるパイロットが操る、なんてことはな」
「まあ、知っていたら警戒していたでしょうからね」
「そうだ。それにシュラインに気取られていたら、逆に利用されていたかも知れん。ブルー・バンガードと二つのチームは、どうしても極秘にしておく必要があったんだ」
「俺が一番気に入らないのは、芋虫に!! 蛾に!! サル!! ニワトリ!! その上Gまで!! 退治するはずだった巨獣どもに、俺達が助けてもらってるってことですよ!!」
「おいおい、俺達MCMOってのは、巨獣管理機関・Mighty Creature Management Organization、つまり、巨獣を管理するところであって処刑人てわけじゃないんだぞ?」
ライヒは、呆れたようにオットーを見つめた。
「んなこと、頭じゃ分かってますよ。
だけど…………あのGさえいなけりゃ、巨獣大戦も無かった。俺にも、マイカにも、もっと違う未来があったはずだ。そう思うと、やり切れないんスよ……」
MCMOに志願する者には、巨獣に対する遺恨を持つ者が多い。オットーの故郷、マイカの家族もまた、巨獣によって奪われたことをライヒも知ってはいた。
「まあ、俺は巨獣に個人的な恨みはないし、生粋の軍人だからな。お前らの気持ちをすべて分かるとは言わん。だが……さっきの言葉、俺以外の前では絶対に言うな。」
「分かってますよ。柄にもなく愚痴っちまった。ちょっとシミュレータで訓練してきます」
テラスの方からは、まだ五人の女性達の笑いさざめく声が聞こえてくる。
オットーは食べ終えたトレーを持って立ち上がった。
そして、プラスチック製の食器を乱暴に流し台の中に放り込みながら、いずもと笑い合っているマイカを複雑な表情で眺めた。