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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第2章 海底ラボ・シートピア
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2-3 巨獣化の原理



 その日はいくつか簡単な検査をされた。検査といっても、体の大きさの測定、CTスキャン、尿検査等々、明が重病人だった頃に比べればどうという事もない検査ばかりである。

 しかし、明が気になっている『松尾さん』は、結局、朝以来一度も顔を見せなかった。


(オレに余計なこと言って、叱られたんじゃないだろうな?)


 明は少し心配した。特に秘密にする必要はなかったはず……とはいえ、自然な様子を観察するには、監視していることは教えない方が良かったに決まっている。


「あ……えーと、雨野……さん?」


 明は思いきって、夕食を持ってきてくれた白衣の女性に声をかけた。


「あれ? 私、名前教えたっけ?」


 いずもは、面食らったように明を見つめ返した。

 たしかに「松尾さん」が言ったとおり、相当な美人だ。年齢より大人っぽく、細面の整った顔立ちをしている。ウェーブのかかった栗色の長い髪と屈託のない笑顔は、かなり魅力的に見えた。いや、ちょっとしたタレントよりもずっと綺麗かも知れない。


「あ、その、松尾さん……から聞いたんです」


「ああ、おキクさんから?」


「ええ。そのホラ、僕と父の関係者の方のお名前を、一応聞いておきたくて」


 明は思わず嘘をついた。「松尾さん」から、すべての人について情報を聞いたわけではない。


「あの、それでお話の途中に、松尾さん、呼び出されて行っちゃったんで、他の人の名前とかお聞きしておきたいなーって……」


「なぁんだ。そうだったの? そういえば八幡先生ったら状況の説明ばっかしで、自己紹介も無しっていうのは、たしかに変だったわね」


 いずもはおかしそうに笑った。どうやらいかにも美人な見た目とは裏腹に、大らかで屈託のない性格らしい。

 いずもは、部屋に出入りする可能性のある、関係者の名前を次々に教えてくれた。


 細胞学研究室長の八幡やはた啓介けいすけ教授。

 生化学研究室からサポートに来ている白山しらやま 仁(仁)助手。

 大脳生理学研究室からは、東宮ひがしみや 照晃てるあき助手。 

 防衛大学のG細胞研究室から、干田ほしだ 茂朗しげお准教授。

 WHO世界保険機構のG研究専従班、石瀬いしせ 北斗ほくと研究員。


「あと、細胞学研究室の准教授はあなたのお父さん、伏見伊成先生。同じく助手は、私……と、おキクさんのことは知っているのよね?」


 明はあわてた。正直、他の人達のことはついでに過ぎない。「松尾さん」の情報を聞くのが本当の目的なのだから。


「あ、いえ、その、あの人、自己紹介しないで行っちゃったんで……下の名前、キクさんっていうんですか?」


「きくこよ。松尾まつお 紀久子きくこ。世紀の紀に久しいっていう字」


 思っていたより古くさい名前に感じたが、彼女の清楚な見た目によく似合う名だ。明は心の中で喝采を叫びながら、さらに質問を続ける。


「へ……へえ、あの、そういえば雨野さんの先輩だって仰っていましたけど……」


「そうよ。同じ学部の一コ上の先輩。サークルもオーケストラで、同じだったんだよ。おキクさんはバイオリン、私はフルート……」


「へえ、クラシック音楽ですか。なんだか、お二人のイメージにぴったりですね」


 明は、素直に思ったことを言った。


「う…うん。そうかな?……そうそう、いっけない。研究室に戻らなきゃ」


 いずもは急に時計を見ると、何故かそそくさと席を立ち、部屋を出て行ってしまった。最初から忙しそうな素振りはしていなかった。何か言われたくないことを言われたのは明らかである。

 もう少し「松尾さん」の情報を引き出したかった明は、また急に一人ぼっちにされてしまった。


(今の会話で、何かいけないこと、オレ言ったのか?)


 大学時代に何かあったのだろうか? それともそのサークルで? 一見仲が良さそうな女性研究員二人の間にも、刺さった小さな古い棘があるのかも知れない。

 そんなことを思いながら、明は少し強めに閉められた手動式のドアを呆然と見つめていた。




「ふう、明君に変に思われちゃったかな……」


 廊下に出たいずもはため息をついた。


「なんか……まだ学生時代のこと、普通には話せないな。それに、東宮先輩まで同じ研究所にいるなんて思わなかったし……」


 不自然な態度をとってしまったことは、自覚している。

 明にイヤな思いをさせるのが本意ではないが、人に優しくありたいと願うのも自分なら、どうしても学生時代を笑って話せないのも自分だ。それをコントロールできないのは仕方なかった。


「ほほう。それは助手の東宮君のことかね?」


 気を取り直して歩き出そうとした時。突然後ろから声をかけられ、いずもは飛び上がるほど驚いた。

 声をかけてきたのは、見慣れない金髪の少年だったのだ。

十代前半くらいだろうか。

 真っ白な肌と蒼く澄んだ瞳は、欧米人に間違いない。天使のようなあどけない表情で微笑む少年の額には、柔らかそうな巻き毛がふわっとかかっている。


「あ……あなたいったい、誰?」


 不審さよりも、少年の見事なまでの美しさに圧倒され、いずもはおずおずと問いかけた。

 少年は、大人びた表情で不敵に微笑むだけで、何も答えない。

 その目に何か冷たいものを感じて、一歩後退ったいずもの右足に、急に激痛が走った。


「い……痛!!」


 見ると、なんと、右のふくらはぎに大きな白いネズミが噛みついている。見る見るうちに血が白いソックスに染みていった。


「いやっ!! 何これ!?」


 思わず手で振り払おうとした時には、ネズミは消えていた。

 一瞬にして……まさに掻き消えるように姿を消したのだ。しかし幻ではない証拠に、傷口からかなりな量の血が溢れている。いずもは流血のショックと痛みで目眩を覚え、その場に座り込んでしまった。


「ふむ。まだだと言ったのに……距離が少しでもあると言うことを聞かなくていかんな」


 尻餅をついたまま見上げると、数メートルは向こうにいたはずの少年が、すぐ目の前にいる。

 美しいソプラノで滑り出してくるその少年の口調は、まるで老人のように思えた。

 見ると、腕に先ほどの白ネズミを抱いている。そして、血で真っ赤に口を染めたそのネズミの口元がにゅっと歪み、少年と同じ表情で笑った。


「ひっ!!」


 その奇怪さと恐怖に、いずもは短い悲鳴を上げて気を失った。



***    ***    ***    ***



「雨野君? 雨野君!! いずも!!」


 どれだけ気を失っていたのか。

 自分を呼ぶ誰かの声で、いずもは目覚めた、見回すと、まだ明の部屋のすぐ前の廊下である。状況からして、大して時間は経っていないようだ。おそらく数分。

 そう思いながら、自分を抱き起こしている相手を見て、いずもは少しげんなりした。


「こんな所で、いったいどうしたんだ?」


 いずもを介抱してくれていたのは、大脳生理学助手の東宮だったのだ。


「……東宮先輩? どうもすみません」


「ふう、やっと気がついたか」


 東宮は、いずもが目を覚ますとほっとしたような表情になった。

 それほど自分を心配してくれたのかと、ほんの少し相手を見直す気になったのも束の間、東宮はいきなり早口でまくし立て始めた。


「まったく、何をやってんだ? まさか徹夜で論文読んでたってワケでもないんだろ? 体調が悪いんなら、休息を取るべきだろう。昔っから君は……」


 たしかに心配はしてくれたのかも知れないが、東宮の言葉の雨はいずものしゃべる隙もないほどだ。

 ああ、そういえばこういう男だったな、と頭の隅でぼんやり思う。

 介抱してくれたことには感謝すべきなのだろうが、その無神経な物言いはあまりにもカンに障る。


「手を放してください。」


 いずもは下からものすごい目で睨みつけると、東宮の腕を振り払って立ち上がった。


「お、おい、大丈夫なの……か?」


 睨みつけられた東宮は、今度は一転しておどおどした態度を取っている。


(そういえば、こういう気の弱いとこもあるのよね。別れて正解)


 東宮は、いずもにとっても、紀久子にとっても、同じ大学のサークルの先輩だった。

 大学一年の春、右も左も分からなかったいずもに話しかけ、何かとかこつけては買い物の手伝いや、サークルの時の送り迎えなど、こまめに世話をしてくれたのだ。

 女子高出身で男性に免疫が無く、東宮をただ親切なだけの先輩だと本気で思っていたいずもは、つきあってくれと言われた時には、下心があったのかと驚き、少々呆れもした。が、その熱心さにほだされ、結局はその申し出を受けることにしたのだった。

 しかし、東宮の気弱なくせに内弁慶で、調子に乗るとどこまでもつけあがるという、なんとも鼻につく性格にうんざりし、ほんの数ヶ月で別れたのだ。

 しかし、問題は別れてからであった。

 はっきり別れを告げたはずなのに、東宮はしつこくつきまとってきたのだ。

 電話やメールを何回も送られ、ストーカーまがいのこともされた。そのうち、いずものあらぬ噂が大学中に広まり、それがSNSを使った東宮の嫌がらせだったと分かったのは、ずいぶん後になってからのことであった。

 卒業を前にしてほとんど男性恐怖症に近い状態になったいずもは、逃げるように他大学の大学院を受験し、研究員としてこの施設に来たのだ。そこでまさか、当の東宮に再会しようとは思いもしなかった。

 自分とつきあう前、東宮が紀久子ともつきあっていたと聞いたのは別れてからのことだった。

 男友達から、紀久子にあてつけるために自分と付き合いだしたらしいと聞いた時は、本当に最低の男だと軽蔑した。

 それが分かっても紀久子はこれまでと同じように接してくれていたが、東宮のことを含め、学生時代のことは古い傷となって、いずもと紀久子、二人の心に影を落としていたのだ。


「介抱してくださってありがとうございます。でも気遣うなら、怪我人を説教する前にすることがあるでしょう?」


 冷たい口調でそう言いながら、ネズミに噛まれた右足をさすった。


(あれ?)


 傷が、ない。

 いずもはあわてた。あれほどの深い噛み傷だったのだ。噛まれた痛みも、ふくらはぎを伝う生暖かい血の感触も克明に覚えている。寸時気を失っているうちに治るとかいうレベルの傷ではなかったはずだ。

 しかし、ふくらはぎには傷跡どころかまったくそれらしい跡もない。それどころか、ソックスに染みたはずの血の痕まで消えていた。


「夢……だったのかな?」


 先ほどの不快感も忘れてぼうっと佇むいずもに、東宮がおずおずと声をかけてきた。


「いずも…いや雨野…君? どこか……怪我したのか?」


 だが、何を聞かれても、いずも自身にも何が起きたかよく分からないのだから、答えようがない。不機嫌な表情で曖昧に返事を返したいずもは、呆然としている東宮を残し、そのまま自分の研究室へ帰っていった。

 ふらつく足取りで研究室へ戻ったいずもに対する八幡の反応は、意外にも真剣だった。


「ほう……君も被害にあったのかね?」


「え? 君も……って?」


 普通なら誰もが笑い出してしまいそうな、変な話である。てっきり一笑に付されると覚悟していたいずもは、驚いて逆に聞き返した。

 データ報告のために来ていたのか、研究室には生化学研究室助手の白山仁、防衛大学の準教授である干田茂朗、WHOの石瀬北斗研究員の3人もいて、目を丸くして二人のやりとりを聞いている。


「いや、ここしばらくの間に、ネズミや犬猫を所内で見たという話が急に増えていてね。実験用の動物が逃亡したのではないか、と騒がれていたんだ」


「え? でも……私はそんな話、聞いたことないですよ?」


 石瀬が怪訝そうな顔で言う。


「もちろん、実験動物が逃げたりしていたなら大問題なんだが……飼育室を確認しても、逃げた動物は一頭もいないんだ。しかも、雨野君のように噛まれたと主張する者も多いんだが、誰にもその傷跡が残っていない。だから、教授会だけの話題にしていたのさ」


「なるほど、そうだったんですか……」


 教授会とは、週に一度開かれる、研究室責任者の集う会議だ。


「だが、金髪の少年という報告は初めてだな。どんな少年だったんだね?」


 八幡は真剣な表情のまま、いずもの方へ向き直った。


「はい、幽霊だとしても……なんだか、すごく素早くて……キレイな幽霊でした」


 少し遠い目をして言ういずもの言葉に、八幡の表情が思わず弛む。

 『キレイな幽霊』はさすがに信憑性が薄そうに思えたのだ。現にいずもの足には、傷跡どころか血痕すら残ってはいない。


「……のんきなものだな。やはり夢でも見たんじゃないのか?」


 苦笑いしながら干田が言う。


「素早くてキレイな幽霊、か。ははは。これだけの人間が目撃したとなると、何かあるのかも知れないと危惧していたんだが……どうもこれは、密閉空間のストレスによる集団ヒステリーじゃないかな」


 八幡が話にケリをつけようとした時、紀久子が研究室へ帰ってきた。


「あ、おキクさん」


「あれ? いずもちゃん。どうしたの?」


「んーと……なんか、ヘンな体験しちゃいました」


 いずもは、また始めから自分の経験した奇妙な事件について話さなくてはならなかった。しかし東宮に助けられたという部分だけは、曖昧にぼかしておいた。ストーカー被害のことも知る紀久子が聞けば、余計な心配をするに違いないからだ。


「その件については、また教授会で報告しておこう。それより、今日の伏見君たちの様子はどうだったね? それと、先行実験したM-09もだ」


 放っておくと、いつまでも幽霊話を続けそうだと思ったのか、八幡は、紀久子達に計測データの提出を促した。


「伏見先生にも明君にも、身体計測の結果には、大きなサイズ変化は出ていません。今のところは、巨獣化は抑えられていると思われます」


「では、M-09の方はどうだね?」


「M-09、サンはここ数日でも、少しずつですがサイズアップしています。生後約三ヶ月で、今の体重は二十キロ。標準的なニホンザルの成体で、十キロ前後ですから……」


「ふむ。やはり完全に巨獣化が始まってしまっているな」


 八幡は、データ数列の並んだA4用紙を見つめながら、誰へともなくつぶやいた。


「やはり、あの方法を試してみるしかないか……」


「あの方法ってなんですか?」


 いずもが、八幡の小さなつぶやきを耳ざとく聞きつけて聞いた。


「ん……ああ……いや」


 誤魔化そうとする八幡に、紀久子も食い下がる


「なにか治療法があるのですか? それなら是非試してください。このまま巨獣化したら、サンもカイと同じように処分しなくてはならなくなります」


 実験動物の飼育管理も担当している紀久子は、やむを得ない場合を除いて出来る限り死なせないようにと、常に考えていた。

 ニホンザルのサンは、そんな紀久子に特に懐いてもいたのだ。


「松尾君、実験動物に感情移入するのは、自分がつらいだけだぞ? カイのことだってそうだ。もともと、君達の元に来る前に巨獣化因子を植え付けられていたんだろう?」


 紀久子の様子を見て、石瀬が見かねたように口を挟んだ。

 カイとはM-10のコード№で呼ばれるニホンザルの実験個体だ。不法に巨獣細胞を手に入れた民間の研究施設で、巨獣遺伝子を組み込まれてしまったため、数ヶ月前にこの研究所へ移送されてきたのだ。

 巨獣化の進んでいたカイは、様々な実験に供された後、手に負えなくなる前に処分されることになっていた。


「実験動物はペットではないんだ。実験用として飼育しておきながら生存を願う、などというのは、キツイ言い方かも知れんが、人間の感傷……エゴでしかない」


 干田にも少し厳しい口調で言われ、紀久子は黙った。しかし、不満そうな表情は変わらない。言われずともそんなことは分かっている、と言いたげである。

 数十秒、だれも口を開かず、その場を重苦しい空気が支配した。


「巨獣化の原理……を考えたことがあるかね?」


 沈黙を破ったのは八幡だった。


「さあ、それは……Gや他の巨獣のDNA配列を組み込まれることで、彼らと同様に細胞そのものが不死化、もしくは長寿命化して巨獣化するっていうことではないのですか?」


 少し唐突な質問に、いずもがきょとんとした表情で答える。


「それは違うのではないか……と、私は考えている」


「どういうことです?」


「いや正確には、それだけではない、ということになるんだが……考えてもみたまえ。Gは、一説には数万年も生き続けている可能性があるという……まぁそれは常識ではあり得ないにせよ、あの大きさだ。少なくとも数百年は生きていても不思議ではないだろう。だが、本当にG細胞がシャーレ上での実験通り不死であり、体細胞が残り続けていくなら、Gの巨大化がこの程度で済むと思うかね?」


「そ、それは……」


 紀久子は少し苦笑いをした。八幡の言うことは、根拠不明の計算をしろと言っているようなものであり、なんともコメントのしようがない。


「いや、いいんだ。Gの年齢が特定されたことはないし、もしかすると長期にわたって休眠状態にあったのかも知れない。だから、単純にGの巨大化のペースを推定すら出来ないのも事実だしね」


 八幡は、見るともなしに部屋の隅の、のぞき窓……海底のGの方を見ながら話し続けた。


「だが少なくとも、十五年前の巨獣大戦の際には、急速に巨獣化した生物のうち大半が、一定の段階を経た後、自己崩壊を起こしている。巨獣化していくらも経たないのに……だ。しかし、Gは少なくとも、巨大化したままでその時まで生き続けてきた……」


 実際、巨獣の自己崩壊という現象が、人類が巨獣達を駆逐できた大きな要因の一つであった。


「たしかにそうです。でも……」


 不満そうに干田が立ち上がる。巨獣大戦時の記録データについてなら、防衛大学で巨獣対策を専門に学んできた彼は黙ってはいられないのだ。


「自己崩壊を起こした巨獣ばかりではありません。中には、G並みの巨大化を果たし、素体となった生物からは、考えられない環境適応を果たした個体も多数あったはずです」


「まあ待ちたまえ干田君……君達はよく巷で論争されている、理論的にGは生存不可能、という説を知っているかね?」


 八幡は、またしても妙な話を持ち出してきた。


「ああ、科学者ぶったオタクのいい加減な計算式で、あの体重と体積では、歩くことも出来ないはずだとか、生まれた直後に自己崩壊するとかって珍説ですね?」


「そうだ」


「何を言ってみたって、実際にGが存在している以上、始まらないんじゃないですか?」


 むっとした表情のまま干田が答えた。


「無論、あの計算式の根拠となったGの体重なんてのは、いい加減なんだが、身長一00メートル近い巨体が保持できるだけの強度の骨や筋肉、ミサイルも硬質ドリルも通らない皮膚、なんていうのは、普通の生物常識ではあり得ない、というのも本当のところだろう」


「でも、それだからどうだと言われるのですか? それも現に存在しているからには……」


 理解できないという表情のいずもを、八幡は軽く手を挙げて制した。


「そう、現に存在しているからには、それなりの理由があるはずだ。私はね。GのDNAを組み込まれただけの、いわば人工の巨獣と、Gそのものとの違いは、細胞内共生生物の有無ではないか……と、考えているんだ」


「あ……!!」


 紀久子といずもが同時に声を上げた。

 伏見たちのことがあって、すっかり記憶の片隅に追いやられてしまっていたが、Gの心臓の細胞から、新種と思われる細胞内共生生物が見つかっていたのだ。


「ボルバキアという、昆虫などの無脊椎生物の細胞内に共生する細菌群は、自分たちに都合の良いように、宿主の健康状態を整えたり、行動を操ったりすることで知られている。著しい例では、遺伝子配列までも変えてしまう……」


「で、でも、培養実験では、あの共生生物は、ほとんど何の影響も与えないという結果が出ていましたが?」


 その際のデータ採取をしたいずもが言う。何時間経過しても、細胞分裂のペースにも、細胞自体の形状にも、何の変化もなかったのは事実だ。


「ところがそうでもないんだ。たしかに培養細胞の挙動自体に変化はなかった。だが、温度条件やPHは、かなり大きく変化させている。普通の細胞なら、多少なりとも反応があっても良い程度にね。ところが変化は全くなかった」


「そういえば……」


「これは仮説に過ぎないが、環境変化を敏感に察知して、宿主の細胞の性質そのものを変えてしまう力を持っている可能性がある……」


「つまり、Gはその細胞内共生生物のおかげで、不死細胞を得ながらも、暴走せずに済んでいる……と、そうお考えなのですか?」


「そうだ。そのGに特有の細胞内共生生物……ここでは便宜上、ボルバキアと似て非なるものという意味を込めて………メタボルバキアとでも仮称しておこうか……それがそもそもG細胞の不死化と、それに伴う巨獣化を引き起こした原因と私は推測する。生理作用の正常化を行い、筋肉や骨、皮膚の強化や、必要以上の巨大化を制御しているのもまた、このメタボルバキアではないか、とね。だが、これはシャーレ上では結論が出ない。どうしても、生きた個体に共生させてみなくては……」


「しかし、そのことでサンがさらに巨大化したら……」


「今のまま放って置いても、サンの巨大化は止まらないだろう。つまり、処置をしてもしなくても、いずれ処分せざるを得なくなる……」


「…………」


「なにより、伏見君たち親子に、巨獣化の兆候が見られた時、打つ手を確保しておきたいんだ」


「わかりました。やりましょう」


 いずもがハッキリと答える。しかし、紀久子はまだ迷っていた。


「……そうなってもサンは……ニホンザルと言えるのでしょうか?」


 暗く沈んだ目。その言葉の裏側に、明たちのことがあるのは明白であった。


「私が言えるのは、ニホンザルであろうとなかろうと、サンであることに変わりはないということだ。私も、彼を単なる実験体だなどとは思っていない。感情も尊厳もある一つの命だ……こういう研究に職を得ていることを、悩むこともあるがね……」


「先生……」


「今は、少しでも希望を持てる対処をしたい。協力してくれるね?」


 八幡の言葉に、全員がうなずいた。



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