5-6 攻撃チームvs二大巨獣
「目標発見。狙撃モードに移行します」
まどかは事務的な声で言うと、トリロバイトの高速飛行モードを解除した。
全長の三分の二にも及ぶ長大な背部リニアキャノンが展開した。
コクピット前面のほとんどを占めるメインモニターには、トゲだらけの茶色い巨獣が映し出されている。
夜間のこともあって画面は暗いが、燃える街の炎に照らされて、その禍々しくも巨大な姿は、肉眼でもハッキリと視認できる。
海上も陸上も関係なくホバー走行出来るトリロバイトは、地面効果を利用して低空を高速で移動できる。まどかは、小林達の乗る特殊車両を追い越して、最短距離で大阪に到着していた。
時速四百キロを越えるアスカの攻撃ヘリ・アンハングエラは、それよりさらに数十分早く、目標に接触していた。
すでに牽制攻撃をかけ続けているようだが、分厚い甲羅状の鱗と角質化した突起物に全身を覆われたコルディラスに、アンハングエラの武装はほとんど効果がない。
夕刻、大阪湾内で目覚めたと見られるコルディラスは、工場群のある港湾施設に上陸。
これに対処するべく出撃した、自衛隊中部方面隊八尾駐屯地と信太山駐屯地の両部隊の戦力は、ほぼ無力であった。
突然の上陸から既に三時間以上が経過してしまった現在、石油工場や造船会社は、その重量と膂力のみで跡形もなく破壊され尽くした。
最終防衛ラインとされた阪神高速湾岸線も易々と突破され、住宅街への侵入までも許した状態だ。
中距離から小型ミサイル、重機銃を急所に叩き込み続けるアンハングエラの攻撃も、蚊が刺したほどにも感じていない様子のコルディラスは、住宅街をさっさと通り抜けると、何を思ったのか仁徳天皇陵に登り始めた。
『追い込んだとは言えないけど……うまく人のいない場所に入り込んでくれたわね。まぁ、重要史跡はあの有様だけど、国民の幸福のためだから、宮内庁も許してくれるんじゃないかしら』
通信機からアスカの声が聞こえた。
本来、乾燥地帯の生物である、アルマジロトカゲが巨獣化したコルディラスは、アスファルトに覆われた市街地よりも、地表の多い仁徳天皇陵が気に入ったのかも知れない。
砂浴びでもするつもりなのだろうか? 掘り出した赤土にその身を半分埋めるようにして、身震いを繰り返している。だが観察する限り、その行動は野生生物のそれに近く、「超コルディラス」とは違って知性があるようには見受けられない。
シュラインの「人間としての意識」が、彼を支配しているのではなさそうだ。
アスカはコルディラスの上空を、つかず離れず旋回しながら、時々強力なサーチライトを浴びせてその注意を引き付けた。
『隊長の到着まではあと二時間弱。でも各地で目覚めた巨獣は全部で七体もいるわ。コルディラスで終わりってワケじゃないけど……まどか……コイツだけでも私達でさっさと片付けて帰りましょう』
「はい!!」
通信機に答えながら、まどかの胸は熱くなった。アスカは自分の一刻も早く東京へ戻りたい気持ちを察してくれているのだ。
大丈夫。リニアキャノンを急所に命中させれば、すぐにコイツを斃せる。
すぐに帰れば、仮に何かあっても必ずGの、いや明の力になれるはずだ。
まどかは操縦桿を握り直した。
「リニアキャノン、発射準備入ります!!」
まどかは、立ち上げた立体映像照準器の中心に、コルディラスの禍々しい頭部を捉えた。
シュラインの操るトカゲ、グリーンバシリスクが、オオトカゲの巨獣・ヴァラヌスと融合したバシリスク。そのバシリスクが、更に変形して生じた巨獣が超コルディラスだった。
滑空皮膜を持ち、素早く動く超コルディラスと、このコルディラスは似て非なるものといえた。
だが、その両者の細かな違いまではまどかには分からない。超コルディラスと比較すると、背中や頭部の突起物が、より大きく鋭いようには見える。体もずんぐりして、ひとまわり大きいようだ。
その動きは、あの超コルディラスと比較するとかなり鈍い。
鎧に覆われていない急所は、不釣り合いに小さな目玉しかないが、それでも超コルディラスに比べれば、狙いは付けやすそうだ。
「目……ね」
まどかは表情を消し、冷徹な狙撃手の顔になった。少女のあどけなさを残した大きな目から感情が消え、体から余分な力が抜けていく。
自動操縦でホバリング状態に移行したトリロバイトは、強風下でも数ミリの誤差もなく同じ空間座標に定位し続けている。人差し指をトリガーに掛けたまどかは、安全装置を解除するとリニアキャノンの充電が終了して発射可能状態になるまでの待機状態に入った。
狙撃姿勢のまま、あらためてスコープの中のコルディラスを観察する。
超コルディラスにやったように、口の中を狙う手もある。だがこのコルディラスは、習性が違うのか、殆ど口を開けることがない。攻撃にあまり牙を使わず、全身の棘状突起だけで戦うタイプなのだろうか。
それでも、目が生物共通の急所であることに違いはない。分厚く堅い皮膚装甲に覆われたコルディラスといえども、目だけは無防備のはずだ。
リニアキャノンに装填した弾頭は『G血清弾頭』。
明の言っていた、Gの免疫力を利用してシュライン細胞の呪縛から生物を解き放つ効果を持つ弾頭である。これを正確にコルディラスの体内に撃ち込むためには、命中精度の高いリニアキャノンを使用する以外にない。
死に至らしめる兵器ではないが、撃ち込めばメタボルバキア抗体によって、少なくともシュラインの生体電磁波を受信しにくくできる。うまくいけば神経中枢を麻痺させ、行動不能に陥れることも可能なはずだ。
まどかは、リニアキャノンの出力を最低まで落とした。超コルディラスの時のように頭部を打ち抜いてしまっては特殊弾頭の意味がないからだ。
「あれ? 届かないの?」
リニアキャノンの照準システムが警告音を発している。このままでは目標に弾が到達しないのだ。リニアキャノンは低出力にするとその出力に反比例して有効射程が落ちる。弾の速度が落ちると、空気抵抗や摩擦係数が増大してしまうからだが、そうなると射程が足りなくなってしまうのだ。
つまり。より接近しなくては正確な狙撃が出来ないということになる。
まどかは狙撃姿勢をやめると、舌打ちしてトリロバイトを浮上させた。
コルディラスから十五キロほど離れた、少し小高くなった丘の上は、絶妙の狙撃ポイントだったのだが仕方がない。古墳の上で旋回するアンハングエラを威嚇しているコルディラスは、まだこちらの存在にすら気づいていない様子だ。
「距離五千五百…………三千…………千五百……? 何これ近すぎる!?」
弾頭を貫通させないためとはいえ、ここまで接近しなくてはならないとは思わなかった。
これまでの戦闘と比較して、敵までの距離が圧倒的に近い。
コルディラスは、長い尾を入れると全長二百メートル近い大型巨獣だ。千五百メートル程度の距離では目の前も同然である。倍率拡大無しであっても、禍々しい棘だらけの背甲や大きく牙をはみ出させた口がハッキリと視認できる。
アンハングエラの牽制攻撃を受けて荒れ狂うその姿は、いやでもGvs超コルディラスの死闘で見せつけられた圧倒的な破壊力を想起させる。まどかの背を冷たいものが伝った。
だが、ここで怯んでいては何も出来ない。あの死闘を演じたのがGと融合した一人の少年の覚悟だったと知った日から、自分自身を奮い立たせてきたのだ。
(しっかりしろ。まどか。アイツには遠距離攻撃は無いんだから、これだけ離れていれば大丈夫。狙いをつけやすいだけ、有利だッ!!)
自分の頬を両手で叩いて気合いを入れ、ターゲットスコープを見つめ直す。
ここまで近づけば的は大きく狙いやすい。だがその反面、弾速が確保できない分の計算上のブレが増大している。命中難易度はそう変わらないと言っていい。
リニアキャノンのパワーであれば、この距離で重力の影響や風向きは無視していい。
あとはコルディラスの動きを読み、経験と勘で撃つだけだ。
(今ッ!! )
まどかは心の中で叫び、リニアキャノンのトリガーに掛けた指にそっと力を込めた。
スコープの中に映し出されたコルディラスの左目から、一瞬遅れて血飛沫が上がった。
コルディラスは、突然見えなくなった目を掻き毟るようにして更に激しく暴れ始めた。G細胞弾頭弾はうまく体内にとどまった様子で、反対側に貫通した形跡は見あたらない。
『まどか! やったよ!! あとは通常弾で脳を破壊すれば終わりだよ!!』
アスカの嬉しそうな声が聞こえる。
まどかも、ほっとして額の汗をぬぐった。
しかしコルディラスを倒したわけではない。リニアキャノンの通常弾や、ガストニアの徹甲弾をもはじいて見せたGのそれ以上に堅牢な皮膚構造を、貫いて致命傷を与える必要があるのだ。
致命傷を与えるまで足止めも必要だ。痛みで荒れ狂う巨獣が街に戻れば、先程以上の被害が出るだろう。だが、もう出力を抑えた攻撃をする必要がないだけ気持ちが楽だ。
「……次は正中線を狙います」
正中線、すなわち体の中心線には主要な器官が集中している。この線に沿って撃ち込めば、致命傷を与えられる可能性は高いはずだ。
まどかはリニアキャノンの弾頭を通常弾に切り替え、コルディラスから距離をとるため、機体高度を上げてゆっくりと後退し始めた。
先ほどは気づかなかったが、このあたりは住宅が多すぎる。
低空飛行は、少なからずホバー圧やジェット噴射による地上へのダメージがある。そのため、逃げ遅れた人がちらほら見えるようなこの場所で、これ以上の戦闘は難しい。
(離れなきゃ……距離は……十キロくらいでいいか)
それでもリニアキャノンの射程からすれば近すぎるくらいだ。
機体を海上まで待避させたまどかは、もう一度モニターを見た。高度を低くとっても、仁徳天皇陵に陣取るコルディラスの姿ははっきり視認できる。 皮肉なことに、工場群や高速湾岸線、大型のショッピングモールなどがすべてコルディラスに破壊され尽くしたせいで、視界が開けたのだ。
(あれ? 何この黒いの……)
潰された左目のあたりを掻きむしりながら、激しく暴れるコルディラス。その硬そうな茶褐色の皮膚が、下側から黒っぽく変化していくように見えたのだ。
倍率と解像度を上げてコルディラスの体表を確認したまどかは、更に首を傾げた。
(模様? いえ、違うわ。ゴミみたいなものがいっぱいコルディラスにくっついているんだ……)
その変化はコルディラスの皮膚だけに起こったことではなかった。
コルディラスの周辺に残る、仁徳天皇陵に生えた木々。その木々の間から湧き出すかのように、黒い霧状のものが現れてくる。ここからでは小さな塵のような物体、とまでしか分からないが、どうやらこの塵はコルディラスを完全に覆い尽くすつもりらしい。
「アスカさん!! コルディラスが!!」
『分かってるよ。まどか!! コイツは虫だ!! 今、画像解析データを送る!!』
「む……虫?」
アスカの言う通り、サブモニターに映し出されたのは、オレンジ色の胸部に黒っぽい羽を持つ、見たこともない不思議な形状をした昆虫だった。
体の大きさは三~四センチくらいだろうか。
「あの……黒いのが全部……この虫……?」
「検索結果が出たよ。インド原産の外来生物。ゾウムシの一種、ヤシオオオサゾウムシらしいね」
アンハングエラに搭載されたデータベースにあったということは、さほど珍しい虫ではないのだろう。巨獣化した昆虫というわけでもなさそうだ。
初めて見るこの虫の普通サイズをまどかは知らなかったが、大きさよりもその数に圧倒されていた。
黒雲のごとく湧き出る虫の群れは、いつまでたっても途切れるということが無い。
これだけの密度で滞空されると、その群れの中心にいると思われるコルディラスに攻撃を加えるどころか、照準を合わせることも不可能だ。
とまどうまどか達の目の前で黒い塵のような昆虫の大群は、コルディラスの体表に集束し始めた。トゲだらけの背甲も、体長の半分近くを占める尻尾も、凶暴そうな牙も、あっという間に黒っぽく覆われていく。
『見て。コルディラスが苦しんでいる……』
虫に覆われるのは、コルディラス自身の意思には反しているのだろう。
その身をよじり、体全体を地面にこすりつけるようにして足掻くコルディラスの動きは、次第に鈍くなっていった。
*** *** *** *** ***
和歌山市。
チーム・ビーストは、ヴァラヌスⅡと交戦状態にあった。
まどか達が、コルディラスと遭遇していた頃である。時刻は夜半を過ぎようとしているが、燃える市街地からの照り返しと、自衛隊の照明車で周囲は真昼のように明るい。
「いったい何なんだよ。コイツは!!」
悪態をつきながらも、オットーはコントロールパネル上の指を忙しく走らせ、次々に武器を選択していく。
カトブレパスの武装の種類は、他の機動兵器と比べても桁外れに多い。
その理由はカトブレパス最強の武器である、イーヴィルアイにあった。イーヴィルアイは、超音波、低周波、電波、電磁波、可視光線、レーザーなどを複合的に作用させ、巨獣を行動不能に陥らせる対生物兵器であるが、発振システムはそれぞれ独立している。例えば音波発振システムだけ、電波発振システムだけでも複数あり、これらを共鳴させ、収束して指向性を持たせれば単体でも充分な兵器となるのだ。
機体から、半径数百メートルをすべて巻き込んでしまう上に、エネルギー消費も激しいイーヴィルアイとは違って、ピンポイントで効率的な遠距離攻撃を仕掛けることが出来る。
しかし、当たらない。敵が素早すぎるのだ。
自動照準のはずのレーザーシステムも、障害物が多く炎や煙の渦巻くこの状況下では殆ど役に立たない。
東南アジア産のミズオオトカゲの特徴を持つヴァラヌスⅡは、バシリスクと違って、その体色を変える隠蔽能力はない。だが、四肢の間の滑空膜はあのバシリスクと同様のものを持ち、バシリスク以上の素早さで駆け回り、攻撃の間隙を縫ってカトブレパスを襲ってくる。
しかも、シュラインの意思を持っていたバシリスクと違って思考しないせいか、休まない。
ヴァラヌスⅡの皮膚は、灰褐色を基調としてそこに特徴的な蛇の目模様がちりばめられているが、その模様がかすんで見えなくなるほどの速度である。しかも、方向転換時以外はまったくそのスピードを落とす気配がないのだ。
チーム・ビーストは全世界に配されたMCMOの攻撃チームの中でも、こんな極東の支部にまで派遣されるほどの実力がある。もちろん対巨獣戦闘は初めてではない。だがオットーの知る限り、これほど素早い巨獣を相手にしたのは初めてだ。
残されたいくつかの大型建造物を利用して、全身を鞭のようにしなわせ、時には地上から、時には頭上から襲いかかってくるヴァラヌスⅡに、オットーは攪乱されっぱなしであった。
まるで、何匹ものヴァラヌスⅡを相手にしているような錯覚に陥り、有効な攻撃を当てることが出来ない。
また陸上を走り回るだけではなく、水中もヴァラヌスⅡの行動圏である。
追い詰められそうになると、河口の水中に潜っては攻撃を避ける。そのため、収束した電磁波やレーザーは減衰、あるいは遮断されてしまってダメージを与えられない。
カトブレパスの本領は、一定範囲を無差別攻撃することにある。
イーヴィルアイなら、相手がどれほど素早かろうと関係ないはずだが、避難も完了していないこんな市街地でイーヴィルアイを使用するわけにはいかない。
その時。通信機からマイカの声が響いた。
『オットー!! どきなさい!! 当たるわよ!!』
低空飛行爆撃機、グリフォンがようやく到着したのだ。
爆薬を満載した上に、増加装甲を施された超重量級のグリフォンの足は遅い。なまじ航空機であるだけに他の輸送方法は使えず、飛行ブースターで加速してきたカトブレパスよりも、遅く現着した形である。
遅れを取り戻そうとするかのように、一息もつかずに攻撃を開始したグリフォンは、機体下部の爆撃口から、水中に向けて一気に爆雷を投下した。
これが復帰戦のとなるマイカは気合いが入っているのか、手加減する気はさらさらないようだ。機体の通過した後の水面を一面の水柱で覆う爆撃方法は、ほぼ絨毯爆撃といっていい。グリフォンは数度の旋回で河口全域を通過し、河口の倉庫街は水煙に包まれた。
「うわっ!? やり過ぎだろマイカ!!」
爆圧で押された水が津波のように岸に押し寄せ、防波堤を越えて、カトブレパスの機体を押し流したのだ。岸壁ギリギリで踏みとどまった機体を操りながら見上げると、悠々と飛ぶグリフォンはさらに攻撃を加えようと低空飛行に入りつつある。
『待てマイカ!! もういい』
その時、通信機からライヒ大尉の声が流れた。
『ヤツが出てくるぞ!!』
水中を伝わる衝撃波は、生物には致命的だ。
高台にケルベロスを停止させて状況を見ていたライヒの言葉通り、ヴァラヌスⅡは雷にでも打たれたように水煙の中から飛び出した。水煙で遮られて見えなかっただけで、少し前から苦しんでいたのだろう。ほぼ全身を空中に見せたヴァラヌスⅡは、激しく首を振って全身をうねらせると凄まじい水飛沫を上げて水面に倒れた。
そして白い腹を見せて浮かび、ヒクヒクと痙攣を始めている。どうやら完全に行動不能に陥ったらしい。
『やった!? どうよ、私の腕!!』
サブモニターの中でマイカは得意そうに右腕を上げ、ガッツポーズをしている。
「言うじゃねえかマイカ。あんだけ爆雷落とせば、腕は関係ねえんじゃね?」
その腕前とやらのおかげで押し流されそうになったオットーは苦笑いするしかなかった。
サブモニター画面がもう一つに分かれ、ライヒ隊長の顔が現れた。
『動き出さないうちに、私がG血清を撃ち込む! 問題ないとは思うが、二人とも周囲を警戒してくれ!!』
さすがに二人と違って頬を緩めてはいないが、その口調にはようやく強敵を倒せたという安堵感が漂っている。
高台を降り、河岸の市街地から国道を通って姿を見せたケルベロスは、今は三機が前後に連結しているため、まさに列車のように見えた。
先頭の無人車輌の上部が割れ、そこから二連装砲門が現れた。
ライヒ大尉は、河口の水面上に白い腹を見せて浮かぶヴァラヌスⅡの頭部にロックオンすると、無造作にG細胞を搭載した特殊弾頭弾を発射した。
外気温と体表面温度の差が少ない爬虫類型巨獣に対しては、赤外線誘導のミサイルは使えない。動かなくなったヴァラヌスⅡの生死は不明だが、G細胞弾頭弾を撃ち込む千載一遇のチャンスだ。
G血清弾頭は、狙い違わずヴァラヌスⅡの喉元に炸裂した。
「よし!! これでヤツがシュラインに操られることはない訳だな?」
ライヒ大尉が、ほっとした様子で口にする。
「隊長!? 待って下さい!! 上流部の様子が何かおかしい!!」
高度を上げて上空から監視していたマイカが、異変を察知して声を上げた。
「ここからも分かるぜ!! なんだあの、黒い波は?」
堤防上のカトブレパスからも、その奇怪な波は確認できた。
和歌山県下最大の河川、紀ノ川。その上流から、一筋の波が下ってくるのだ。
いや、一筋だけではない。その後ろにも、そのまた後ろにも、同じような波の線が見える。しかもその波は黒い。まるで、上流から何者かが墨汁を大量に捨てたかのようだ。
「オットー!! あの黒い波をカトブレパスで解析しろ! 何かヤバイぞ!!」
複数のシステムを持つカトブレパスは全機動兵器中でも、もっとも解析機能に優れている。高速で流動する波の表面を、超拡大画像で解析することも可能だ。
「もうやってます……ってなんだよこの虫!?」
モニターの解析画像は、異様な姿の虫を映し出した。黒い波は水の色ではなかったのだ。水面をたゆたう細長い虫の群れ。それが、水の色を変えるほどの密度で流れてくるのだ。
各機のメインモニターに、さらに拡大した解析画像が示される。
どうやら、水生昆虫の幼虫のようだ。アップにすると、その色は黒というよりは茶褐色から黄土色に近い。ブヨブヨした印象の腹部には、まるでムカデか何かのように脚のようなものがいくつも生えている。そこだけ赤褐色の頭部はかなり強力そうな顎を持ち、目らしきものは見あたらない。
その虫がダンゴムシがそうするように丸くなって、泳ぐというよりも流れに任せて河を降ってくるのだ。その密度と量から推し量っても数は一万や二万ではきかない。ざっと見積もってもおそらく億を越えるだろう。
『いやああああ! 何コレ!! 日本のアニメで見たキモイ虫にそっくりじゃない!?』
マイカがモニターの中で身をよじり、気味悪そうに声を上げた。
「データ検索結果……出たぜ。ヘビトンボ幼虫……って、実在してるのかよこんな虫!? しかも日本じゃ一般種だと!?マジか!?」
だが正体が判明したところで状況が分からない以上、対処行動はとりようがない。何故このような虫が大挙して押し流されてきたのか。この現象はヴァラヌスⅡと何か関わりがあるのか。それとも何の関わりもない自然現象なのか。
チーム・ビーストの三人が為す術もなく見守る中、ヘビトンボの幼虫の大群を含んだ黒い津波の第一波がヴァラヌスⅡに到達した。
白い腹を見せたまま、水面上で末期の痙攣を続ける哀れな巨獣。黒い波はその姿を押し隠すかのように一気に包み込んでいった。