5-4 侵略細胞
「チーム・エンシェント隊長、羽田晋也。出頭しました。……どうしたんですか? こんな時間に?」
羽田がブリーフィングルームに到着したとき、そこには既に何人かのメンバーがいた。
樋潟司令と、小林、加賀谷兄妹、広藤の四人、そして科学アドバイザーである八幡、鍵倉の両教授だ。
時刻は午前一時。消灯時間を大分回っている。作戦待機中とはいえこんな時間に呼び出されるのは、余程の緊急事態としか考えられなかった。
しかし、その割には人数が少ない。作戦の要となるチームメンバーが一人も招集されていないのは妙だ。
「少し待ってくれ。今、ライヒ大尉も来られるはずだ」
樋潟の表情は芳しくない。なにか良くないことが起きたのは一目瞭然である。
「遅れてすみません。チーム・ビースト所属、ミヴィーノ=ライヒです」
羽田の後ろから少し欧米訛りの声が聞こえ、ライヒ大尉が入室してきた。
ライヒが席に着くのを待って、ようやく樋潟が口を開いた。
「これで揃ったな。突然、こんな時間に集まってもらって申し訳ない。
実は困った事態が起きている。緊急性はあるのだが……対応には最低限のメンバーで望むべきと考えたため、こちらで勝手に人数を絞らせて貰った」
「それは……チームメンバーにも秘密にしろと言うことですか?」
ライヒ大尉が尋ねる。
その顔には明らかに不審そうな表情が浮かんでいる。たしかに現場担当者であるメンバー抜きの作戦など、本来であれば考えられない。
「今のところはな。だが、作戦から外すわけではない。彼等には後で各隊長から指示を出して欲しい。彼等の協力は不可欠だ」
そう言うと、樋潟は全員を見渡して言った。
「では本題に入ろう。実はこの小林君達が、最近この作戦本部周辺で、何故か一種類の昆虫だけが個体数を増やしていることに気づいたんだ」
「一種類の昆虫?」
一度納得しかけた様子のライヒ大尉の表情がまた曇った。
たかが虫の話が攻撃チームにとって関係のある作戦につながるとはどうしても思えない。
しかし、樋潟の口調にはこれまでにない緊張が漂っている。決して楽観視できない事態であるのは確かなようだ。
「これです」
広藤が差し出した掌の上には、透明なプラスチックビンが乗っていた。その中にブンブンと羽音を立てて、黒っぽい昆虫が数匹暴れている。
一見してハエか何かのように見えるが、普通のハエよりは一回り以上大きいようだ。
「何です? これは?」
羽田が怪訝そうな表情で聞く。
「和名でメクラアブ、という吸血性のアブの仲間です。そう珍しいものではないのですが、通常この季節には発生しないので、面白い事例だと思って採集したんです」
「一体……それが何だというんですか?」
「うむ。よく調べるとどうやら、司令本部周辺に限って異常な数の発生が確認されたんだ。そして、職員の何人かが刺されていることが報告されている」
「どういう事ですか? 我々に害虫駆除のバイトをやれとでも?」
焦れったそうに問い質すライヒ大尉の表情は冴えない。
樋潟の深刻そうな表情は分かるが、これまでの話で一体どこが緊急性を要する話なのかまったく見えてこないのだ。
少なくとも、就寝中に呼び出されなければいけない事案とは思えない。
だが、樋潟の左に控えていた八幡が大きくかぶりを振った。
「そうではありません。このメクラアブなんですが……分析したところ、体内にシュライン細胞……正確にはシュライン細胞の特徴を持つ特殊なリケッチアを持っていたんですよ」
「な……なんですって!?」
羽田とライヒの声が重なる。
巨大生物ばかりを警戒していた彼等には、こんな小さな昆虫に敵が潜むという発想は無かったのだ。
「あなたたちが驚かれるのも無理はない。私ももし、海底ラボでのあのシュラインの能力を見ていなかったら、この昆虫を疑ったりはしなかったでしょう」
無数の小動物と融合し、深海生物までも取り込んで見せたシュラインの姿は、八幡にとっての生物学常識を覆すものだった。広藤がメクラアブを持ち込んできた時、半信半疑ながらもシュライン細胞の存在を確かめてみる気になったのは、シュラインの恐るべき能力を直に目撃していたからだ。
「可能性を示唆してくれたのはアルテミスなんです。珠夢さんと交信中に、僕が持っていたこの採集ビンから、かなり強力な生体電磁波を発しているのを教えてくれて……」
つまり、まず広藤がこのアブの異常発生に気づき、それを持ち歩いていたことで、アルテミスが珠夢に異常を伝えたということなのだろう。
淡々と説明する八幡達の声を聞きながら、羽田は頭の片隅でじわじわと広がる恐怖を実感していた。症状を見せないままいつの間にか体を蝕んでいく病魔のように、やはり事態はゆっくりと進行していた。
ここしばらくの何事もない平穏な日々こそが、一番恐ろしいことの始まる前兆だったように思える。羽田の背筋を冷や汗とも油汗とも付かない、嫌な汗が伝わり落ちた。
「これまでのシュライン細胞の感染事例では、病原性が高く重症化する例も多かったのですが、どうやら病原性が人為的に取り除かれているようです。
このメクラアブに刺された所員を診察しましたが、発熱も倦怠感も出ていない。おそらく無自覚なままシュライン細胞の体内侵略が行われてしまったと考えられます」
それを聞いた羽田とライヒの表情は深刻さを増した。
見分けのつかないまま敵が周囲に侵略してくるというのは、恐怖心を煽り、猜疑心を呼び起こす。招集メンバーが絞られた理由も即座に理解できた。
「刺されたとハッキリしている職員はすでに隔離した。調査の結果、刺された全員の体内からシュライン由来のリケッチア抗体が発見されている。
だが、刺されても大した痛みはないから黙っている者も多いだろう。中にはすでに、シュラインの手先となっている者もいるかも知れない」
「それで、対処はどうされるのです?」
「既に衛生班には本部周辺に殺虫剤を散布させた。理由は伏せてな。
それで新たな犠牲者は抑えられると思うが……キャリアになった者を探し出す必要があるため、至急、全関係者の血液検査を行いたい。年齢、性別、所属、役職、民間、公職を問わず出入りする人間全員だ。
何か理由を付けてその検査をサボタージュしようとする者は、操られている可能性がある。各チームとも、気づかれないよう網を張って、そういう人間を拘束するんだ」
「しかし!! チームメンバーにもキャリアがいる可能性があるのでは?」
「もちろんそうだ。だから、まずは今すぐここにいる全員の血液検査から始める。検査終了後、すぐにチームメンバーを招集して同じ検査をする」
「なるほど。了解しました」
一刻を争う事態なのは疑いない。関係者の動きのない夜間のうちに態勢を整え、明朝一番から感染者のあぶり出しをやろうというわけだ。
「このような夜間に抜き打ちで集まってもらった理由は、理解して貰えたと思う。
仲間を疑うなどというのはあまりやりたくない仕事かも知れんが、心を鬼にして実行して欲しい。我々はシュラインに先手を打たれてしまったのだ。戦略的に追いつき、跳ね返すには相応の覚悟が必要だと心得てくれ。以上だ」
*** *** **** **** ***
早朝から行われた緊急血液検査は、深夜まで時間を費やしてようやく終了した。
シュライン細胞の特性は把握されているから、血液サンプルさえ採取できれば結果はすぐに出せる。だが、千人以上の関係者すべてをチェックするのであるから相応の時間は掛かる。一日という所要時間での対処はむしろ素早いといえた。
それは深夜から下準備を入念に進めるという樋潟の措置が的確であったことと、生物汚染対策として職員に医療関係者が多く従事しており、検査の結果シロと判明した職員が採血や簡易検査の役割を買って出てくれたおかげでもあった。
しかし結論から言えば臨時作戦本部内でシュラインキャリアとなっていたのは、関係者千二百七十名のうち、たった十六名であった。しかも、要職に就いている人物は一人もおらず、十六人全員が無自覚なキャリアであり、検査を避けようとして、逃げた人間もいない。
気合いを入れて臨んだ攻撃チームの六人は、肩すかしをくらった格好になっていた。
「まったく……せっかく現場復帰してから最初の任務だっていうのに、拍子抜けね。どういうことかしら」
夕刻のブリーフィングルーム。
ミーティング用の椅子に腰かけたチーム・ビーストのマイカ=トートが、長い脚を組み換えながら、不満そうに呟いた。
彼女は驚くべき回復力で、重傷で入院してからわずか二週間ですでに任務に就いていた。
その回復力の源は、鍵倉博士が加賀谷珠夢と共同で生産した、ミクロネシアの秘薬であった。細胞そのものに働きかけるだけあって、単体の生物に対してこの秘薬は、画期的な回復薬と言える。
試験段階以前ではあったが、これまで服用してきた加賀谷兄妹になにも問題が起きていないことや、現場の緊急性を考慮してマイカに投与されたのだ。
原料となるアンブロシアの数が少ないため、まだ大量生産は出来ないが、加賀谷家の実績から人体への安全性は担保されていると考えた鍵倉教授は、正式に医療用薬品としても登録しようと考えていた。
「まあ、被害が少なかったんだし、誰も操られていなかったんだから、良かったんじゃねえの? マイカが刺されてなくて良かったぜ」
だが、ほっとしたような表情のオットーに咎めるような視線を向けたのはライヒ大尉だ。
「オットー。そんなに気楽に構えていて良いものじゃないぞ? この程度の戦略を読み違えるほど、シュラインってのは馬鹿なのか? 俺はそうは思わん」
その険しい表情からは、緊張する任務を終えた安堵感は感じられない。
「同感ですね。ライヒ隊長」
横から相づちを打った羽田も、決して楽に構えてはいない様子だ。
「シュラインは科学者である以上に策士であることは、海底ラボの記録からも分かっていますからね」
「Ja。これがもしヤツの計算通りだとすると、普通に考えれば……陽動ではないかと俺は思っている」
羽田はライヒ大尉の厳しい視線を受け止めて大きく肯いた。
「たしかに。我々の目を内部に向けさせておいて、本命の作戦をすでにどこかで終えている、というヤツですね。しかし、そんな単純な…………」
そう言い掛けた時、館内に非常警報のベルが鳴り響いた。
「ほら来た」
アスカが両手を顔の横で広げて、微笑んだ。
「あはは、冗談みたい」
まどかも目を丸くして苦笑している。
「やれやれ、隊長がたの読みは鋭すぎるわね」
立ち上がったマイカは、長い髪をさっと結い上げてピンで留めた。
「どうやら俺達本来の仕事だ。行くか」
軽い口調とは裏腹に、一斉に立ち上がった両チームのメンバーは全員、戦士の顔に切り替わっていた。
*** *** *** *** ***
司令室で攻撃メンバーを待っていた樋潟司令の表情は、これまでで最悪のものであった。
事態は彼等の想像をはるかに越えていたのだ。
「各地で保存され、監視下にあった巨獣遺体が動き出した」
「な……なんですって!?」
言うなり、羽田は絶句した。他のメンバーは言葉もない。
「十五年前のコード・ネームで呼称する。
海生巨獣は、奄美大島のヒドロフィス、九州・諫早湾のパルダリス、陸生巨獣は、中国地方・鳥取砂丘のバイポラス、紀伊・和歌山県山中のヴァラヌスⅡ、関西・大阪府堺市のコルディラス、北関東・霞ヶ浦のケリドラ、そして琵琶湖湖底のアンドリアス、以上七体だ」
淡々と告げる樋潟の顔色は、目に見えて蒼白だ。
今回のメクラアブ騒動が陽動ではないか、という程度のことは樋潟ももちろん予想していた。しかし、まさか一度にこれだけの数の巨獣が蘇ろうとは思ってもいなかったに違いない。
「へえ七体……って、おいおい! 何スかその数!? しかも出現場所がバラッバラじゃないですか!! 俺達だけでどうしろってんです!?」
オットーが思わず突っ込みを入れた。
上官に対してはかなり無礼な態度と言えたが、事態のあまりの深刻さに全員それを咎めるどころの状態ではない。
両隊長以下、驚きで声も出せない、というのが本当のところだ。
「蘇った巨獣は各々、勝手な動きをしている。隠棲傾向の強いケリドラやアンドリアス、バイポラス、ヒドロフィスは、湖底や海底、地底に潜んで姿を見せない。
積極的に街や人を襲う動きを見せているものは、今のところ、コルディラスとヴァラヌスⅡ、そしてパルダリスだ。それぞれ自衛隊が対応しているが、巨獣相手では通常装備では戦力不足は否めない。このままでは、まさに十五年前の事態を繰り返すことになりかねん。だが、それだけではない。」
「……まだ、何かあるのですか?」
やっと声にした羽田の背中を、また嫌な予感が走り抜けた。
「大阪府全域でメクラアブが大量発生している。また、このメクラアブは基地周辺で使われた殺虫剤に対して、耐性を獲得しているとの報告だ。すでに、市民に多数の被害者が出ている。」
メンバーは再び声を失った。シュライン細胞を宿した吸血昆虫が、人口密度の高い都市で大量発生しているのだ。しかも、今度は殺虫剤が効かないときている。
これでは対処のしようがない。
長い沈黙の後、ようやく口を開いたのはライヒ大尉であった。
「…………いったい、どうして巨獣の遺体が生き返るなどということが、あちこちで同時に起こったのですか?」
「そのメクラアブによるものでしょう。」
それまで黙って腕組みをし、樋潟の横に控えていた八幡教授が口を開いた。
「メクラアブは吸血することによって、体内のシュライン細胞を相手に注入する。
つまり、シュラインはメクラアブが吸血した相手ならばすべて取り込むことが可能な訳です。今回、巨獣は遺体とはいえ、Gのように一部細胞が生きていたもの……つまり完全に死んでいないものばかりが蘇っていますから……」
研究目的で保存されてきたいくつもの巨獣遺体。これらは様々な状態で保存されていたが、小さなアブの侵入を遮断できるだけの設備ではなかったのだろう。
完全な冷凍保存や薬品漬けにでもすれば吸血されることもなかったのだろうし、完全に息絶えたものの中にはそうした保存方法を採られているものもある。しかし、ほとんど蘇る可能性が無くとも生体反応の残る巨獣遺体の多くは、省エネや経費削減の為に水元公園のヴァラヌスのように冷蔵保存されていたのだ。
「待ってください。それだけの数の巨獣が一気に蘇生可能だったのなら、何故シュラインは、その中から最初にヴァラヌスを選ぶと予想できたのですか?」
羽田の疑問ももっともだ。Gの上陸の可能性を示唆し、それを関東近辺と絞ったのは八幡なのだ。
「ヴァラヌスは特殊だったのです。死亡原因が自衛隊による高圧電流作戦によるもので、外傷がなかった。今回蘇った七体は、すべて主要な器官が欠損していたはずなのです」
主要な器官。つまり、頭部や内臓など、生命維持に必要な部分が欠損した遺体だったということなのだ。いきなり蘇るとは予想もしていなかったのは、そのせいもあった。
「では奴らは、そうした部分が欠損したまま蘇ったのですか!?」
「いえ、送られてきた映像を見る限り欠損部分はほぼ完全に修復されている。どうしてこのようなことが出来たのか、今のところ不明なのです」
羽田は続けて何か言おうとしたが、唇を噛んで黙った。
ここで八幡を責めてみてもどうにもならないことが分かったからだ。しかし、それにしても情報が少なすぎる。
「このまま……そのメクラアブにたくさんの人々が吸血されたら、どうなるんですか?」
まどかがおずおずと手を挙げて発言した。
「メクラアブの吸血対象は人間だけではありません。犬や猫、家畜や野生動物にも、シュライン細胞が植え付けられつつあると見ていいでしょう」
「じゃ……犬や猫が巨獣化することも……」
「いえ。シュライン細胞=巨獣化ではありません。シュライン細胞には巨獣化を促す因子は存在しないことが分かっています。
しかし、シュライン細胞に冒されると、シュラインの放つ強い生体電磁波に操られてしまう。さらに巨獣達がシュラインの意思のもと、生体電磁波の中継器として機能し始めれば、人間だけでなく、日本に住む生物の多くがシュラインの意思に従うようになる可能性はあります」
「その……中継器とかよく分からないんですけど、じゃあ巨獣がいなくなれば、シュライン細胞に感染していても大きな問題はないんですか?」
「生命の危険はないことまでは分かっています。それ以外にどういう問題が生じるかは未知数ですが……」
とにかく分からないことだらけである。
しかしメクラアブ対策、シュライン細胞対策は攻撃チームの仕事ではない。だが巨獣の存在が大きな鍵になっていると考えられる以上、彼等がとるべき行動は一つしかなかった。
「まず我々が対処すべきは蘇った七体の巨獣の迅速な殺処分である。
チーム・エンシェント、チーム・ビースト両隊は、改修の終了したバリオニクスとベヒーモスで出撃。
それぞれ、バリオニクスは堺市のコルディラスを、ベヒーモスは紀伊山中のヴァラヌスⅡを処分して欲しい。それと、大量発生したメクラアブへの対応のため、新たに発足したチーム・キャタピラーがすでに大阪市内に向かっている」
「チーム・キャタピラー? 何ですそいつら?」
聞き慣れないチーム名にオットーが怪訝そうな顔で聞いた。
「加賀谷兄妹と広藤君、小林君の四人、そしてアルテミス、ステュクスの二体だ。彼等のフェロモンを操る力でメクラアブをすべて引き寄せ、一網打尽にする作戦です。
彼等はたしかに戦闘力はほとんどないと言っていいが、こういう仕事は適任なのです。」
八幡教授が樋潟に代わって説明した。
巨大芋虫のフェロモン能力については、羽田達も知っていた。ある程度人間の行動までも操れると聞いている。それはある意味無敵といっていい、恐るべき能力であろう。
たしかに、フェロモンで行動を左右される昆虫の群れに対処するには、これ以上の適役はいない、と思われた。
「メクラアブの被害を最小限度に抑え、その間に君達が復活した巨獣を殲滅する。それが今作戦の骨子だ。必ずやり遂げてくれたまえ」
「了解」
同じ動作で敬礼する攻撃チーム全員の声が揃った。
*** *** *** *** ***
「つってもなあ……現地到着まで十時間ってのは、少しヤバくないか? もう少し飛ばそうと思えば飛ばせるんだろ? この車輌」
特別車両の運転席で小林はぼやいていた。
普通電車並みかそれ以下の速度でJRの東海道新幹線の線路上を走っているこの車両は、急遽建造された特殊貨物車を牽引するための改造車輌だ。
新幹線N700系をベースにしたその車輌は、更に重量を増したアルテミス、ステュクスを乗せる為に通常の倍以上の出力を持っていた。
小林達の服装はまどかたちと同じデザインの銀色のパイロットスーツになっていた。
緑を基調としたラインが走り、胸には羽を広げた成虫のオオミズアオとメンガタスズメの幼虫を図案化したマークが付いている。
このスーツを受け取った時、小林は担当者に食ってかかった。
スーツのデザインのような余計なことに労力を割くヒマがあるなら、明や松尾さんを探すことに労力を使え、というわけだ。
それ以来、小林の中にはMCMOに対する不満と怒りが渦巻いているらしい。
「仕方ないですよ。東名高速をキャリアで行ったらもっと時間がかかりますし、これ以上スピードを出して、もし落下したりしたら二体とも死んでしまいますから」
小林と同じデザインのスーツを着込んだ広藤が振り向いて、後部に連結された特殊貨物車を心配そうに見ながら言う。
アルテミスとステュクスはそれぞれ二十m近いサイズに育っている。
透明なポリカーボネイト製のカバーに覆われた特殊運搬車内におとなしく収容されてはいるものの、時々頭をもたげては、カバーにぶつかって小さな声を発していた。
専用車とはいえ、急拵えの車輌は空調が整っていない。
餌も後方の車両に積んではあったが、輸送中に脱皮でもして貨物室に入り切らなくなることを恐れて控えめにしているせいで不満なのだろう。
そこまでして慎重に輸送しているのも、二体を無事に運ぶためだ。
たしかにスピードが普通車以下では、高速鉄道の名が泣こうというものだが、アルテミスとステュクスがもし落下でもしたら死なないまでも輸送は不可能となる。
現在、この二体のフェロモン能力以外に、メクラアブへの効果的な対処法はないのだ。
だが小林は、はやる気持ちが抑えられない様子である。
「こんなんじゃあ、大阪に着く頃にゃ大阪府民全員、シュライン細胞にやられちまってるんじゃないのか?」
「まあ、そう焦るなよ小林。メクラアブに刺された人でも、すぐに抗生物質を投与すれば、一定の効果はあるそうだし、堅実に行こうぜ?
東海道新幹線を貸し切りで移動できるなんて、なかなかない経験だしな」
加賀谷が相向かいの座席を二つ占領し、脚を思いっきり伸ばしてくつろいだ様子で言う。
珠夢はその向こうの座席で丸くなり、すっかり寝入ってしまっていた。度重なる環境変化について行けないのであろう。最近かなり疲れた様子であったから無理もなかった。
出発から二時間。現在地はちょうど小田原にさしかかったあたりである。その時、運転席の警報が鳴った。
「新幹線運行管理システム(COMTRAC)の警告です。予定通り、チーム・ビーストが我々を追い越しますよ。小林さん、小田原駅で複線に入って避けて下さい」
広藤が通信機をとり、ライヒ隊長とドイツ語でやりとりを始めた。
「……どこまで天才なんだよコイツは」
小林がまたぼやいた。
大学の一般教養での第二外国語履修で、何度かドイツ語の赤点補習をくらった小林には、中学三年生にして三カ国語の日常会話が出来る広藤は、別の種類の生き物に思えた。
「まぁ、そうイライラすんなって。珠夢を見習えよ。ああやって体力を蓄えてるんだぜ? お前もあんまりカリカリしてると大阪に着いた時に、戦えないだろ?」
「戦うっつったって、俺達はここまでくっついて来ただけで、戦闘になっても何も出来ないだろうが!!」
小林は、イライラした様子で声を上げた。
チーム・キャタピラーなどと名前を付けてもらい、正式配属までされたものの、戦闘訓練も何も受けていないただの研究助手である小林と加賀谷は、いざという時何も出来ない。
実際、「戦う」と言っていいメンバーは、様々なフェロモンで敵を翻弄するアルテミスとステュクスの二体、そして彼等と意思疎通の出来る珠夢と、珠夢にフェロモンの種類などを指示できる広藤だけである。
「そんな事言わないで下さいよ。ここまで僕たちを引っ張ってきてくれたのは、小林さんなんですから。あなたがいなければ、母さんも助けられなかった。僕は今頃ただ、避難所で震えていただけでしょう」
広藤が哀しげに眉根を寄せた。
たしかに彼の言う通り、どの場面でも決断してきたのは小林であった。だが、だからこそ尚更、何の力も知識もなく同行しているだけの自分に憤りが湧くのだ。
「だけどよ……俺が今、何もできねえのは本当だろうが? アイツは……明はどこで何やってんだよ。あんなすげえ能力のあるヤツが半月もかけて、まだ、松尾さんを見つけられねえってのか? そりゃあ……俺達だって同じなんだけどよ……」
彼等も遊んでいたわけではなかった。
MCMOの組織を利用して様々な情報を集め、またアルテミスやステュクスのフェロモン能力を駆使して、松尾紀久子の行方を探していた。メクラアブのことに広藤が気づいたのも、その過程での偶然に過ぎなかった。
「まさか……」
「なんだ? どうしたんだよ広藤?」
呑気な口調で聞いた加賀谷は、広藤の表情を見て顔を強張らせた。
「シュラインはG……いや明さんにとって、松尾さんがウィークポイントだと知ってしまったんじゃないでしょうか? 明さんの超人的な感覚があって見つからないってことは、意識的に隠しているとしか思えません」
座席に座った広藤は両手を組んだ上に顎を乗せ、目の前の虚空を見据えながら思考している。心の底まで見透すような鋭い視線。
こういう時の広藤は中学生とは思えない表情をする。そして、その推測の多くは的を射ていることが多いことをよく知っていたのだ。
加賀谷は生唾を呑み込んだ。
「だったら……どうだってんだよ?」
「シュラインの目的は全生物の一体化だと聞きましたよね?
つまり、今大阪で起きている事態を収拾しないと、ヤツの野望は早まる。蘇った巨獣も早く始末しなくてはいけない」
「そりゃあそうだろう」
「…………他の攻撃チームは、和歌山と堺市に向かっています。僕たちは大阪市。」
「それがどうしたよ?」
「偶然でしょうか?」
「ハァ?」
理解できない小林と加賀谷の声が重なる。
「これで攻撃チーム全員が首都圏を……いや、Gの傍を離れることになります」
「つまり……司令本部のメクラアブ騒動だけじゃなくって、これも陽動だってのか?」
ようやく広藤の言いたいことを理解した加賀谷の声は小さく震えている。
そうであるとするならば……自分たちはシュラインの手の上ということになる。
「本部にメクラアブが出なければ、僕たちは大阪に発生したメクラアブの大群を、シュラインと結びつける事はなかったでしょう。
そもそも秘かに細胞を植え付けていきたいなら、運び屋は、蚊でもダニでも何でも良かったはず。それなのに比較的目立つ大きさのアブを使い、僕たちの注意をそちらに向けた……」
「なんで……何でそんなことする必要があったんだよ!?」
小林は振り向いて運転席から完全に降り、広藤に詰め寄った。自動速度運転になった車輌は一定速度のまま、今、沼津を越えたところだ。
「それはシュライン=超コルディラスを斃したのは、機械兵器のベヒーモスじゃなくてGだったからです。明さんっていう強い意志を持ったGには、生体電磁波も細胞による侵食も効かない。そのことが、前の闘いで分かったんでしょう。
ですから、G……いや、明さんさえいなくなれば……」
「戻るぞ」
運転席に戻った小林は、言うなり車輌に急制動を掛けた。低速走行とはいえ、急激に減速した列車は、凄まじい軋み音を立てて急停車した。
「うおっとっとい!!」
「きゃ!」
立ち上がっていた加賀谷がよろけて座席にぶつかり、そこで眠っていた珠夢が慣性で転がり落ちて小さな悲鳴を上げた。
「ダメです!!」
広藤が叫ぶ。
「なんでだ!! このまんまじゃ明が危ねえんだろ!? Gの目の前で、松尾さんを人質にでもとられたらどうするんだよ!!」
「だけど……大阪を救えるのも、僕たちだけなんですよ!! アルテミスとステュクスのフェロモン能力がなければ、ばらまかれたシュライン細胞入りのメクラアブを根絶することなんか、誰にも出来やしない!!
もしこのまま何日か放置すれば、Gを……明さんを救援出来ても、関西圏をシュラインに乗っ取られてしまう!! そうなったら終わりです!!」
「最初の陽動作戦から、もう……手は詰んでいたってことかよ!!」
小林は両手で運転席を殴りつけた。停止し、しんとなった車輌にその音が何度も反響していく。それはまるで、シュラインの嘲る声のように小林には聞こえた。
ふたたび、新幹線運行管理システム(COMTRAC)の警告音が鳴る。後方からチーム・ビーストを乗せた特別車輌が更に近づいているのだ。
早く複線に待避しなくては、後ろから追突されることになる。
「小林さん。大丈夫だって」
「なんだと!?」
眠そうに目をこすりながら起きてきた珠夢を、小林は思わず怒鳴った。
が、いつものことと割り切っているのか、当の珠夢は動じる様子もなく微笑んだ。
「アルテミスが言っているの。大丈夫。救援にはすぐ帰れる。だから、今は大阪に行こうって」
「どういう意味だよ!!」
「こ……小林さん……アルテミスを見てください」
そう言った広藤が貨物車輌を振り向いて、声を失ったようにパクパクと口を開けた。
「なんだ? えらく体の色が薄くなって……」
小林も初めて見るアルテミスの様子に驚愕した。体色が薄くなるというより、皮膚がビニールか寒天のように半透明に鳴りつつあるように見えるのだ。
「分かりました。これでアルテミスの言っていることが僕にも。行きましょう。大阪へ」
*** *** *** *** ***
そのころ、堺市に向かう予定のチーム・エンシェントは、品川駅にいた。
新幹線のレールゲージでは超重量級戦車であるガストニアは運べない。何ブロックかに分解したガストニアを、リニアモーターカーで大阪まで運ぶ計画である。
「新堂、五代の両名はそれぞれ、自機で先に堺市に向かってくれ。
路線チェックにまだ時間がかかるようだから、私はおそらく二時間ほど遅れて到着する。また、向こうでガストニアを組み上げる時間、堺市までの自走時間を考慮すると、次に会えるのは五時間後くらいだろう。
すでに市街地が襲われているため、攻撃は各自の判断で開始していい。
だが、相手はコルディラス……Gが手こずった超コルディラスと同タイプの巨獣だ。決して接近せず、アウトレンジから戦え。いいな?」
『了解!!』
アスカとまどか、二人の声が重なった。
二人は踵を返すと、抱えていたヘルメットを被り、それぞれの自機へ向かって歩き始めた。
品川駅前広場には、戦闘ヘリ・アンハングエラが駐機し、銀色の細長い特殊ホバークラフトであるトリロバイトは自動操縦で地上十mほどの位置に静止している。
「ガルスガルスは?」
ヘルメットの顎を締め直しながら、アスカが話しかける。
「ああ、あの子、何故か今日は付いて来ないんです。まあ、付いて来られても困っちゃいますけど……」
「まどか。大丈夫?」
「へ? なにがですか?」
「とぼけんじゃないよ。こんな時にGの側を離れたくないって、あんたの顔に書いてあんだろ」
「…………」
「気持ちは分かるよ。でも、今は任務に集中しな。ヘマやって死んだら何にもならないし、そうでなくったって、不甲斐ないあんたを明君に見せたくはないだろ?」
「……はい」
しかし、まどかの表情は浮かないままだ。
「トリロバイトでも三時間。アンハングエラだと一時間半くらいの距離だ。なんかあったら駆け戻ればいい。隊長の言う通り、コルディラスは他のことを考えていて倒せる敵じゃないよ。気合い入れな!!」
「はい!!」
まどかは、両手で思いっきり自分の頬を叩くと、何かを吹っ切ったように顔を上げた。
*** *** *** *** ***
司令室のメインモニターには、飛び立つトリロバイトとアンハングエラが、そしてサブモニターには、東海道本線を走るチーム・ビーストからの映像が届いている。
しかし、もう一つのモニターには、七体の巨獣の動向が常時映し出されていた。
中でも、和歌山市を破壊し続けるヴァラヌスⅡと、堺市で自衛隊と交戦中のコルディラスの映像は、悲惨を極めていた。
次々に破壊されていく市街地。それを食い止めようと立ち向かう戦車隊と航空隊。
しかし、ヴァラヌスⅡは持ち前の素早さで自衛隊の攻撃をすべて避け、コルディラスの強固な皮膚はどんな攻撃を加えても、まるで効いたようには見えない。
「………我々は勝てるでしょうか。これは私の読み違えです。
これほど早く、これだけの数の巨獣が一度に復活させられるとは思っていなかった」
樋潟は初めて弱音を吐いた。
他のメンバーの前では、一度も見せたことのない、自信の無さそうな表情で、八幡を見つめた。
過去に自分の所属する部隊を壊滅させた、巨獣コルディラス。
その復活が、樋潟の心に大きく影を落としていることは間違いない。
「切り札は間に合わなかったようです。ギリギリで駆けつけてくれることを期待していたのですが……関係者にさえ秘密にし続けてきた彼等が……」
しかし、樋潟の肩に手を置いて八幡は力強く言った。
「いえ、良い方に考えましょう。
我々は先手を打たれてしまった。しかし、切り札の存在をシュラインに気取られてさえいなければ……まだ勝機はあるということです。
それに、各チームも戦うために向かっているのです。彼等のためにも、あなたはもっと心を強く持たねばならない」
「そうですね。今は彼等を信じましょう…………」
しかし、樋潟の表情は決して明るくはならなかった。