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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第5章 擬巨獣ダイナスティス
36/184

5-3 王龍

「まったく!! いったいシュラインは何をやろうとしているんだっ!! 仕掛けてくるならさっさとしろ!!」


 羽田隊長が、拳で自分の掌を何度も叩きながら大声を出した。

 連日行われている、チームミーティングの場でのことだ。ふいに豹変したチームリーダーの表情と剣幕に、まどかもアスカも少し驚いた。

 最近声変わりを始めたガルスガルスまでも、成鳥の鳴き声を響かせて、まどかの足元から飛び退いた。

 本来、羽田は好戦的な性格ではない。周囲からは人格者との評価も高く、通常であれば、敢えて戦闘を選ぶよりも、避けて守る戦略を選ぶ方だ。


 だが、たしかにここしばらく、動きが無さ過ぎた。

 首都圏にGが上陸し、シュラインに操られたバシリスク、超コルディラスと激しい戦闘を繰り広げた日から、今日で十六日……約半月もの時間が無為に過ぎていた。

 それなのに、シュラインについてはもちろんのこと、松尾紀久子の消息についても、伏見明についても、新しい情報は何一つとして網にかかってこない。

 バシリスクや超コルディラスの死体は、細胞サンプルを採取した後、生物学的汚染を懸念した当局によって、すでに焼却処分されてしまっている。

 重傷を負って眠り続けているGには、八幡教授の発案で、栄養チューブが取り付けられ、毎日口の中へ高栄養の液体が流し込まれ続けていた。

 アルテミスとステュクス、この二体の昆虫型巨獣は脱皮を繰り返し、更に大きさを増しつつある。

 今や、どちらも体長十メートルオーバーの巨大芋虫であり、試合がシリーズごと中止となった東京ドーム球場に隔離されて、毎日大量の植物の葉を給餌されて育っている。

 小林、加賀谷兄妹、広藤の四人は、この二体の巨獣をコントロールし、また明とコンタクトを取って共に戦うために、MCMOの臨時メンバーとして正式登録された。


 こうして見ると、こちらの状況は着々と動いている、といってもいいように思える。


 だが、敵や行方不明者など、不確定要素の動きがまったくない。

 不確定要素……つまりシュラインや明の動きが判明しない以上、こちらの現在の対応が正しいかどうかの判断が付かないのだ。

 巨獣の新たな出現もないし、各地に保存されている複数の巨獣遺体にも、何ら変化はないとの報告ではある。そのこと自体は悪いことではないはずだ。が、緊張状態をいつまで続けなくてはならないのか分からない待機状態は、想像以上に隊員たちの神経を消耗させていた。

 羽田も何かが起きることを望んでいるわけではない。ただ、あまりにも状況に変化がない。

 大破したバリオニクスとベヒーモスは、それぞれ修理は終えたが、戦力増強のために改修中であるとのことだ。

 つまり現在出撃可能な機動兵器はディノニクス三機のみであるから、何か事態が起こってしまうよりは、何もない方がいいに決まっている。

 しかし、羽田が焦っているのはもっと恐ろしい想像をしているからだ。

 

(静かすぎる。もしかすると、なにか恐ろしいことが秘かに進んでいるんじゃないか?)


 そう考えただけで、恐怖で身がすくむ。

 この恐怖を打ち払うためなら、どんな危険な任務もこなせる気がするのだ。そう、羽田の衝動の源は、勇気ではなく恐怖だった。

 それは、羽田晋也個人としての勘でもある。

 だが特に軍人としての経験上、穏やかすぎる日が続いた後の戦場が、ひとたび動き出した場合には、いかに凄まじいことになるかが分かっていたからでもあった。


 十五年前の巨獣大戦時。


 羽田は、部隊でただ一人生き残ったのだ。

 そこは前線ではなかった。

 ある穏やかな地方都市。しかし都市そのものが急深の海に面しているため、ソナーなどでの警戒では不十分で、いつ海生巨獣が現れてもおかしくないと言われていた。

 羽田の所属する部隊は、その都市への巨獣の侵攻を阻止するために、警備部隊として配属されていたのだ。



***    ***    ***    ***    *** 



 十五年前。

 自衛隊員だった羽田は、ある地方都市に配属されていた。

 そこは地方都市とはいっても、四十万人程度と人口はさほど多くない。市街地には、繁華街やオフィス街もあることはあるが、もうひとつ景気が良くないのか、人通りはまばらで賑わっていない。

 そんな閑散とした市街地とは対照的に、国道沿いの郊外にはホームセンターや大手電気店などの量販店がひしめき合い、妙に活気がある。のどかな田園風景の中に突如現れたいくつもの大店舗の駐車場には、どこから集まってくるのか、無数の乗用車が乗り付けられていた。

 田園風景の終わるあたりは海岸沿いとなり、この地方ではもっとも大きな工場群と、そこに通う人々の住宅街が造成されている。その眼前に広がる急深の海は、材料の輸入や製品の出荷のため、タンカーや貨物船が就航できる巨大港湾施設となっていて、特に海運は発達していた。


 秋晴れの晴天が広がったある日の朝。羽田は朝食をとるため、食堂の列に並んでいた。


日出ひので先輩!! 明日の休み、同じシフトですよね? 前に言っておられた登山、ご一緒できませんか?」


 羽田は、前に並ぶ同年代の先輩隊員に声を掛けた。

 十九歳の羽田は、その頃一等陸士であった。同じ機甲科大隊の第二中隊に所属する、戦車班長の日出ひので剛毅ごうきとは不思議に気が合い、プライベートでもよく一緒に行動していた。

 三つ年上の日出は、がっしりした体格の持ち主で、重戦車のような風格を漂わせている。しかし、性格は穏やかで優しく、人望もある。

 防衛大学出身の、日出の階級は二等陸尉。高卒で入隊した羽田とは違って、将来を嘱望されている立場だ。今は班長だが、大隊長になる日も遠くはないだろう。

 だが、そんな経歴や立場など少しも鼻に掛ける様子はない。羽田の憧れであり、目標でもあった。

 訓練が日常の隊では、常にしごかれ持久走や腕立て伏せばかりであるから、普通休みともなれば少しでも体を休めようとするものだが、この二人は違った。

 体力が有り余っているのか、休日が重なる時には訓練を兼ねての登山やボートに同行するのがいつものことであった。

 羽田が誘うと、大きく笑って同行を許可してくれるのが常だったが、今回はどうも日出の表情が芳しくない。


「なんだ羽田。聞いてないのか? どうも巨獣警戒レベルが上昇しているらしくてな。今フェーズ5なんだとよ。明日は特別警戒で全員待機だ」


「ええ? そうだったんですか? でも、ここしばらく何も起きてないのに、どうして警戒レベルだけが勝手に上昇しちゃうんです?」


「よく分からんが、現在確認できている巨獣の動きが活発化しているって事のようだな」


 巨獣、巨獣と騒いではいるが、たかが獣が大きくなっただけの生き物である。九0式戦車の砲撃であれば一撃で致命傷を負わせられるのではないか。サテライトで、その動きまで確認できているなら、そいつらを攻撃して、一気に殺してしまえばいいのに……正直、羽田はそう思っていた。

 だが、羽田が考えるほど状況は甘くはなかった。

 戦車砲で殲滅できるクラスの巨獣はほんの一握りであり、現在世界中で活動する数十体の巨獣のほとんどが、人類の兵器群に対する耐性を獲得しつつあったのだ。

 G細胞の実験が暴走して、数十匹の巨獣達が世界中で一斉に活動を開始してからすでに五ヶ月。

 巨獣対策として結成された超国家的組織、MCMOの指揮の下、新型の対巨獣兵器を投入した人類は、後に『巨獣大戦』と呼ばれる、泥沼の闘いに突入しようとしていた。

 MCMOの対巨獣兵器は、これまでの人類の軍事技術の集大成であり、しかも相手が人類ではないことから、国家間条約に縛られない。

 つまり、どんな非人道的な兵器でも巨獣には使用できた。

 開発されたばかりのリニアキャノン。化学兵器。電磁兵器。ニードルガン。限定核兵器までもが使用された。これらは生物である巨獣に極めて有効に働き、巨獣の何体かはすでに人類によって倒されていた。

 また何が気に入らないのか、巨獣王・Gも、出会う巨獣のすべてを屠っていた。人類とGの始末した巨獣の数は、合わせて十数体にも上る。

 それでも繁殖行動を取ったり、新たに目覚めたりするなどして、活動している巨獣の数は減ってはいない。いや、むしろじわじわと増え続けていた。

 それどころか、前記したように毒物や物理攻撃、熱などに対する耐性や防御法を獲得し、特殊な行動をとる巨獣が増え始めていたのも事実であった。

 このままでは巨獣によって人類が滅び、地上は蹂躙され尽くすかも知れない。

 しかし、その恐怖を実感として捉えていたのは、すべての巨獣情報を統合している、MCMOの本部だけだったのだ。

 そもそも巨獣の密集度にはかなり偏りがあり、ことに羽田達のいる地方都市周辺は、巨獣の出現がほとんど見られない。羽田は記録映像でしか見たことのない巨獣への恐怖どころか、実感すら湧いていなかったのが、本当のところだった。


「でも、この近辺では一匹も確認されていないじゃないですか。それでどうして全国で同じ警戒レベルになっちゃうんです?」


「何言ってる。ホラ、この巨獣情報見てみろ。この県からはまだ遠いが、同じ地方には今、あのGもいるんだぜ? こいつの脚は結構なモンだ。もし真っ直ぐ向かってくれば、数時間でここに来ちまう」


 手にしたタブレット端末を指し示す日出の口調は優しげだが、有無を言わせぬ力があった。武骨そうな見た目に似合わず、こうしたものをさっさと使いこなす。羽田とは比べものにならないほど、頭脳明晰な日出の説得にあっては諦めるしかない。


「残念です」


「まあ、お前にとっては珍しいかも知れないが、フツー休日ってのはゆっくり休むもんだ。待機って言ったって、自室にいりゃあいいんだし。たまにはそうしろ」


「はあ……」


 羽田は、それでも諦めきれない様子で眉根を寄せた。

 つまらなそうな表情で窓の外を見る。寮は海の近くであり、少し高台になった位置から漁港が見下ろせた。一人の休日には釣りに行く時もあるのだが、待機命令が出ていてはそれも出来ない。

 入り江になっている急深の海は、こと巨獣対策としては危険な地形だが、深海から吹き上げる栄養塩のおかげで、海産物が豊かだったのだ。

 自衛隊の基地は各地にあるが、毎日刺身が食べられる基地はここくらいかも知れない。


(おや?……今日は妙に漁船の数が多いな。こんな天気の良い日に出漁しないなんて……)


 羽田は首を傾げた。

 そういえば、海の色が今日はやけに青い。沖縄あたりでよく見られるエメラルドグリーンの青さである。いつもどんよりした色の海に慣れていた羽田は、その美しさにしばらく見入った。


 「巨獣災害」と呼ばれる巨獣による被害が、世界各地で広がっているのは分かっている。

 だが、刺激しなければ、敢えて街を襲ったりしない巨獣も多かった。積極的に人間を食べるような巨獣は限られていたし、Gの放射熱線のような剣呑な攻撃力を持つ巨獣は、もっと少なかった。

 そういう意味で、羽田に限らず多くの人々の間にも、少々たるんだ空気が漂い始めていたのは事実だろう。

 連日巨獣被害を伝えていたTVも、ここしばらくは少しずつエンタメ情報やお笑い番組などを放送し始めていたのだ。


 その時、ふと羽田は空を見上げた。海に注目していて気づかなかったが、何か上空に妙なものが見えた気がしたからだ。


(魚の……ヒレ?)


 最初、羽田はそう思った。

 しかも、黄金色の巨大なヒレだ。名古屋城のシャチホコによく似たイメージ。

 アドバルーンかなにかの巨大なオブジェだろうか? 何の冗談でそんなものを作ったのか、と訝しむ間もなく視界の中でそいつが動いた。


「キロロロロッ キロロロロッ」


 携帯の呼び出し音にも似た音。電子音と小鳥のさえずりを合わせたような、しかし耳を塞ぎたくなるほどの大音量で、異様な鳴き声が響き渡った。


「日出先輩っ!! 巨……巨獣ですっ!!」


 金色の魚のヒレが、ぐい、と動いて視界から消え、代わりに巨大な竜の顔がのぞいて、初めてそれがヒレでなく巨大なヒレ状をした翼であったと理解できた。

 こちらを向いて首を傾げたその顔は、中国に伝わる竜によく似ていた。長い首から太い胴体に繋がる部分までの喉側には、ヘビの腹板に似た大きな鱗が規則正しく並んでいる。

 それ以外の全身の皮膚が、紅色を帯びた細かな黄金色の鱗状になっているのまで、羽田には克明に見て取れた。


「すぐ避難……いや出撃だッ!!」


 日出が叫んだ。

 寸時、茫然としていた羽田も、その他の自衛官たちもその声で我に返った。

 食堂に詰めかけていた数十人が、全員すぐに行動を開始する。

 パニックを起こしたり、押しのけあったりする光景が見られないのはさすがだが、あまりに突然の敵の出現に、誰もがとまどいは隠せなかった。

 その頃になって、ようやく非常警戒サイレンが鳴り響き、第一種戦闘配備のアナウンスが流れ始めた。


「遅いッ!! 防空監視班は何をやってたんだ!!」


 迷彩服を身につけながら日出が叫ぶ。


「あんな巨獣がレーダーに映らないなんて事があるんでしょうかッ!?」


「俺が知るか!! 急ぐぞッ!! とにかくヤツをぶっ倒す!!」


 しかし、寮から駆け出た羽田たちが目撃したのは、口から雷撃のようなものを放ちながら町を破壊する三ツ首の黄金竜と、為す術無く撃墜されていく航空隊の姿だった。



***    ***    ***    ***    ***



「どういう事だッ!! 何故こんな至近距離に、突然巨獣が出現するッ!!」


 駐屯地の作戦司令室。

 責任者である、地方防衛局長の高橋昌幸は怒りの声を上げていた。


「し……しかし局長ッ!! 本当にレーダーには何も……何も映ってはいなかったのです!!」


「海中、もしくは地中から出現したという情報はありませんッ!!」


衛星情報サテライトにも何も映っていません!!」


「地域内の監視カメラ映像にも、移動するあの巨獣の姿は捉えられていませんッ」


 彼の目の前で情報端末を操るオペレータ達から、次々に声が上がった。

 その時、監視カメラ映像をチェックしていた一人の女性オペレータが叫んだ。


「十七号カメラが、巨獣の出現を捉えていました!! 映像出ます!!」


 メインモニターに何もない青空が映し出された。

 十七号カメラは、天候監視用のカメラであり、海の方へ向けて水平線の少し上の空をずっと映し続けているカメラなのだ。

 そこへ、陽炎の揺らぎのように画像の揺らめきが見えた。とてつもない透明感のある物体がそこにあるかのような、不思議な感覚。

 しかし次の瞬間、その揺らめきがいきなり実体となった。

 空中に凝結する雪の結晶のように形を取り、見る見るうちにその形に色がついていく。

 陽光を反射して、薄い紅を帯びた金色の鱗が輝く。金属音と電子音の間のような声を上げる、三ッ首の巨大な竜が姿を現すまで、ほんの数秒。


「な……本当に……空中から現れやがったのか!?」


 高橋局長は絶句した。


「巨獣の履歴が判明しました!! 一週間前に中国近海の杭州湾に突然出現し、上海を壊滅させた巨獣ッ!! コードネームは王龍ウォンロンですッ!!」



***    ***    ***    ***    ***



 巨大な黄金の龍、王龍の攻撃は容赦がなかった。

 三つの口から放たれる落雷に似た攻撃は、物理的に街を破壊するだけでなく、落雷と同じくすべての電子機器を狂わせ、人や生物を感電死させた。

 虚空から突然現れたくせに、ちゃんと質量を持ってもいるらしく、あらゆるものを踏みつぶし、蹂躙する。

 そして、時々思い出したように周囲を飛行しながら、やはり口からでたらめに落雷をまき散らし、街を破壊していった。


 自衛隊の攻撃は、ほとんど効いた様子はなかった。

 戦車、機銃砲、高射砲、小型ミサイル、レーザー、航空機による爆撃など、

 そのほとんどが王龍の皮膚に吸い込まれるように通り抜けてしまい、まるで手応えがない。ダメージらしいダメージを見せないまま、王龍の攻撃は一時間以上も続いていた。


「いったい……どうなってやがる!?」


「跳ね返されるならまだしも、これじゃまるで幻でも相手にしているようじゃないですか!!」


 九0式戦車の内部。

 指令席に搭乗した日出が毒づいたのに呼応して、隣の副操縦士席の羽田も弱音を吐いた。

 第三戦車小隊に所属する彼等は、避難所に指定されている市内の小学校に配置され、避難民を待っていた。

 校門の周囲や体育館では、後方支援部隊の隊員達が避難者の受け入れ準備を進めている。

 しかし、建物の中には一人も避難してきた人々はいないのだ。

 突然空から襲来してきた黄金竜によって避難誘導も出来ず、非常回線も寸断された。しかも自然災害と違って安全な場所などどこにもない。避難所などに固まっていて、雷撃で狙い撃ちされたらおしまいである。

 避難所に逃げようという住民が、誰もいないのはそのせいだ。

 町中から炎の音、ガラスや物の壊れる音、崩れ落ちる瓦礫の音に混じって、人々の悲鳴と怨嗟の声が響いてくる。

 その中に幼い子供の悲鳴を聞き取って、羽田は唇を噛んだ。


「せめて……せめて政府が、地下シェルターでも作っておけば……」


「言うな。これは俺達の責任だ。俺達が無能なんだ」


 日出は真っ青な顔色で全身を震わせ、怒りの形相も凄まじく『王龍』をにらみ据えている。


「くそっ!! 第二防空隊も全機撃墜されたらしいです!! 上海は、焼き尽くされるのに丸一日かかったらしいが……こんな小さな街じゃ、数時間と保たないだろうな……」


 一段下で無線を傍受していた、火気管制担当の田中一等陸士が報告する。

 目を瞑って考え込んでいた日出が、それを聞いて目を開けた。


「おい、田中」


「はい、なんですか?」


「この九0式。残弾はあとどのくらいだ?」


「そりゃ……さっきここへ来るまでに牽制射撃しただけで、その後発射命令が出てませんからね。まだまだいけますよ」


「じゃあ、行け、羽田」


「え!? どこへですか!?」


 突然命令された羽田は、面食らって聞き返した。


「ヤツの……足元だ」


「持ち場を離れるんですか? 命令違反はまずいですよ」


 それ以上に、防空隊を壊滅させ今も破壊を続ける、空飛ぶ巨獣の足元へ戦車を進めるなど、正気の沙汰ではない。

 この人は一体何を言い出したのか? まさかこの人に限って、パニックで冷静な判断を失ったわけではないだろうが。急に恐怖が実感となって押し寄せ、羽田の顔から血の気が引いていく。


「命令だと!? さっきからずっと本部は沈黙してる!! 誰一人避難者のいないここを守って何になるッてんだ!? ここでこのままやられるのを待つか、一矢でも報いてやるか、どっちかって話だろうが!!」


「近づけば……砲が通じるんですか?」


 おずおずと田中一等陸士が言う。言いだしたら聞かない人だとは分かっていても、さすがにはいそうですかとは従えない命令だ。


「分からん。分からんが、ここからじゃあの動き回る頭部には命中させられないだろうが!? 

 建物を踏みつぶしているって事は、実体はあるんだ。幻じゃねえ。だったら、至近距離から頭に一発ぶち込めば、活路も開けるかもしれんだろ?」


「し……しかし……九0式戦車の射角は仰角十度までです。あいつの身長は百メートル以上はある。そんなに近づいたらヤツの頭部は狙えませんよ!?」


 九0式戦車の百二十ミリ滑腔砲から撃ち出されるHEAT-MP弾は、五キロ先の目標にも正確に着弾できる。だがいくら狙いをつけても発射から着弾までに動かれては意味がない。

 ましてや王龍の頭部は一瞬たりとも止まらずに動き続けているのだ。

 しかし、仰角十度で百メートルの高さの目標を狙うとすれば、弾速の低下を考えないにしても五百八十メートルは離れなくては照準すら出来ない。


「んなこたあ分かってる。見ろ。ヤツの足元近くの跨線橋。あそこは勾配が十%以上あって、急坂すぎるって問題になってた橋だ。あそこの上り坂に戦車を据えれば三百五十メートル程度の距離で照準可能なはずだ」


「そりゃ……理屈ではそうでしょうけど……」


 田中も羽田も息を呑んだ。

 日出は、雷撃をかいくぐり単機で接近して、目測と勘で仰角を補正した上で、不安定な体勢のまま砲撃しようという、もはや作戦とも言えない特攻をやれと言っているのだ。


「怖いってのか? あいつの動きを見ろ。この街をすべて破壊し尽くすつもりだ。一人も生かしておくつもりはないって感じだ。ここにいたって、そのうちやって来て殺される。その前にやるんだ!!」


 日出の言う通り、王龍は建物も自衛隊の兵器も住民も区別していない。とにかく一面に雷撃と飛行衝撃波を振り撒き、地上の何もかもを一掃しているように見えた。

 今、この戦車が攻撃対象になっていないのは、単に他に破壊対象があるからに過ぎない。

 それらの破壊が終われば、すぐにでもこちらを向いて雷撃を放ってくるに違いなかった。

 その時。

 小学生と見える一人の少女が、校門から駆け込んできた。

 ぼろぼろに破れた服。

 煤だらけの顔。

 足を引きずりながらもその腕にしっかりと抱きしめていたのは、三、四歳の男の子だ。彼女の弟だろうか。二人とも必死で逃げてきたのだろう。涙を流しながら、支援隊の隊員にしっかりと抱きかかえられた。

 ほっとした様子の二人の子供。

 だが、ここもいつ攻撃対象になるとも知れないのだ。あの黄金竜を斃さない限り……。


「い……行きますッ!!」


 恐怖を振り切るように叫んで、羽田はギアを前進に入れた。

 田中は何も答えない。

 九0式戦車は、王龍へ向かって発進した。

 突然発進した戦車を、支援隊の隊長が手を振って呼び止めようとする。だが、羽田はそれを無視して戦車を進めた。


「羽田、田中、すまん……」


 日出が、絞り出すように口にした。

 市街地に降り立って、周囲に雷撃をまき散らしている王龍は、実に楽しそうに見えた。でたらめに動いているように見える三つの首。その口から発せられるまばゆい雷撃の筋が触れると、車も建物も人も一瞬にして吹き飛び、焼け焦げて転がる。

 そして重力を無視したように軽々とジャンプして、原型を無くした建造物を次々と蹴倒していった。

 羽田も、田中も、日出も、口を一文字に結んで一言もしゃべらない。

 戦車は王龍に向かって、真っ直ぐ伸びる国道を進んでいた。砲撃予定の跨線橋は四キロ以上先にある。

 少しでも攻撃を避けようとしてか、この道には人影が無い。遮るものとて無い一本道だが、避難者があふれる横道を選ぶわけにはいかなかった。

 国道上には避難しかけた人々が残していった自動車がところどころで団子になっていた。

 中に取り残されている人がいるかも知れないが、人命検索している余裕はない。

 羽田はできるだけ車を踏みつぶさないように、人気の絶えた歩道や、路側帯を選んで、可能な限り高速で戦車を走らせた。


(…………俺は馬鹿だった。巨獣の恐ろしさを侮っていた。こんな事になるなんて、想像もしていなかったんだ)


 羽田は、既に死を覚悟していた。

 火器を使えば、一撃で斃せると信じ込んでいた、自分の愚かさ加減を深く後悔してもいた。

 王龍に対してより、あまりに無能、無力な自分たちに対する怒りも湧く。だが、今はこの特攻が功を奏することを、祈るより他にないのだ。

 戦車が王龍の足元から、三百メートル地点の跨線橋に到着したのは数分後だった。

 羽田達にとっては、何時間にも感じられた数分間。

 そこに至るまで、何度も雷撃が車体をかすめた。電磁シールドを施した九0式の車体でなければ、それだけで動けなくなっていたかも知れない。

 足元近くに辿り着いた戦車を、王龍はまったく気にする様子はなかった。

 狙いを付けないでたらめな攻撃で、周囲のすべてを破壊し尽くそうとしている王龍にとっては、たった一台の戦車など何ほどでもないのだろう。

 近づいてみると、王龍は見上げるような巨大さだ。しかも、相手がほんの一歩足を踏み出せば、簡単に縮まる死の距離。

 しかしついにそこに至ったとき、羽田は勝利を確信していた。


「ついに来ましたね。日出先輩!!」


「おう!! ひとつ、射撃の腕ってヤツを見せてやれ!!」


 王龍は遠距離への雷撃に忙しいようで、足元にはあまり攻撃を掛けてきていない。

 火器管制担当の田中は慎重に狙いを定めると、比較的動きが遅い中央の首を狙った。


発射ファイア!!」


 日出の声が響き、HEAT-MPが王龍の中央の頭部に命中した。着弾した左目のあたりに白い煙が散り、一際大きな叫び声がこだまする。


「やった!! 手応えありです」


 嬉しそうに叫んだ田中は、続けて照準を合わせようとした。


「な……なんだ? 近い??」


 覗いた照準器の倍率がおかしいのか? 先程、肉片を飛び散らせた中央の頭部が、モニターに入りきらない。


「ち……違いますッ!! ヤツはこっちに気づいている!!」


 叫んだのは羽田だった。

 王龍は傷ついた中央の首を伸ばし、戦車に近づけてきたのだ。鳴き声とは違う、空気を切り裂くような威嚇音が大気を震わせた。


「バ……急速後進バック!!」


 叫ぶと同時に羽田は後進ギアに入れると最高速で発進させた。目標を失った王龍の頭部は空を噛み、跨線橋がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。


「羽田ッ!! そのまま全速後退して建物の影に逃げ込め!!」


 日出の指示が飛んだ。

 だが、一気に数百メートル後退し、遮蔽物になりそうなビルの影に戦車を入れようとした次の瞬間、戦車の動きがピタリと止まった。


「な? なんだ!! どうして動かない!?」


 日出が叫ぶ。


「分かりませんッ!! これは……何かが履帯クローラに巻き付いているようです!! まったく動きません!!」


 羽田が叫んでいる間にも、跨線橋の瓦礫を踏み崩しながら王龍はこちらを狙って迫ってきている。

 ほんのあと一歩で狭い路地に隠れる事が出来るというのに、戦車はびくとも動かない。

 エンジンは止まっていない。

 だが、機動輪の回転は完全にロックされてしまっていた。あの首に噛みつかれるか、雷撃を吐かれるか、どちらにせよこのままでは全滅だ。


「俺がクローラに巻き付いたモノ、外します!!」


 羽田は叫んでシートベルトを外した。


「やめろ羽田!! 出るんじゃない!! 死ぬぞ!!」


 引き止める日出の声を聞きながら、羽田はハッチを開け、外に出た。

 危険だが誰かがやらなくてはならないのだ。今この戦車を失えば、何の装備も武器もないまま巨獣の攻撃にさらされる事になる。それだけは避けなければ。

 しかし、車体下部に回った羽田は絶句した。

 履帯クローラはもちろん、車体のほとんどに透明な糸のようなものが絡みついていたのだ。一見ナイロン繊維のように見えるそれは、一定の伸縮性を持っているようで引っ張ると伸びるが、すぐにゴムのように縮んでしまう。

 素手でも外せそうに感じて力一杯引っ張ってみたが、粘り着いた車体の表面から剥がれることはなかった。強靱かつ柔軟な繊維状の物質。それが凄まじい粘着力で、履帯の駆動を妨げていたのだ。


「い……いったい何なんだコレはッ!!」


 素手では対処できない。

 何か道具はないか。そうだナイフ、と思いついて腰に手をやった羽田は、すぐそこまで王龍の首が近づいてきているのを見た。

 楽しむようにゆっくりと歩みを進め、中央の頭部が地面を舐めるように近づいてくる。その口元を見て、始めて羽田はその粘着物の正体を知った。


「ヤツの……分泌物ッ!!」


 よだれが糸を引くように。

 クモや毛虫の口から吐かれた糸のように。

 細い、髪の毛よりも細い糸状の粘液が、王龍の口から吐き出され、それが周囲のものに絡みついているのだ。

 と、右の首が雷撃を発射した。よく注意していなくてはそれと分からない、透明の糸に沿って、雷撃は対象物を破壊した。


「コレは……導線なんだ……」


 その事に気づいた瞬間、羽田の背中を恐怖が走り抜けた。

 この糸が雷撃を通すための導線ならば、この戦車は導線まみれだ。もう距離など関係ない。外れることもあり得ない。たった今、すぐにも雷撃がこの戦車を襲うかも知れない。


「日出先輩!! 田中さん!! ダメです!! 逃げましょう!! ハッチから出て!!」


 羽田は車中に向かって叫んだが、この状況を見ていない人間に説明するのは難しい。


「何を言っている!! 粘着物は取れないのか!!」


「一刻を争うんです!! 早く!!」


 説明する時間も惜しい。分かってくれ、と願いながら叫ぶ。

 その羽田の気持ちが通じたのか、日出の決断は早かった。


「分かった!! 行くぞ田中!!」


 日出の声を聞いて、すぐに羽田は車体から離れた。とにかく、車体から離れなければ、雷撃に巻き込まれる。走りながら日出にまた叫ぶ。


「日出先輩!! 早く!!」


 だが、瓦礫の下に羽田が滑り込んだ次の瞬間。

 強烈な光が周囲を照らし出し、羽田は更に数メートル、瓦礫の下を吹き飛ばされた。そして総毛立つような独特の感覚と、きな臭い臭いが立ちこめる。

 次いで、爆発音と金属が軋み分解される音。激しい爆風と衝撃はその後にやってきた。

 飛び散る破片と衝撃で瓦礫の山が崩れなかったのは、僥倖としか言えなかった。


「日出先輩っ!!」


 瓦礫の下を匍匐前進して抜けだした羽田が見たのは、残骸と化した戦車と、それを前にして高笑いする王龍の首だった。

 いや、正確には高笑いしていたのは王龍の額に現れた男の顔だ。


做了やったぞ!! 看第东洋鬼样子ざまみろ!!」


 しゃべっているのは中国語のようだ。


「貴様ぁッ!! 何者だ!!」


 羽田は恐怖を忘れて、王龍の首を怒鳴りつけた。

 何が起こっているのか分からない。相手は巨獣だったのではないのか。

 すると、王龍はくるりとこちらを向き、訝しげに首を傾げた。


什么なんだ? 是还活的まだいきている日本人にほんじん是不是在的がいたのか?」


「何で……なんで人間が巨獣にくっついているんだッ!!」


应该死しぬべし!!」


 王龍の首はゆっくりと立ち上がると、羽田に向けて口を開けた。

 気がつくと羽田の腕にも、足にも、体にも、透明な糸が無数に絡みついている。


「うわっ!! うわーっ!!」


 羽田はあわてて手足を振り回し、糸を振り切ろうとしたが、粘着性のあるその糸は、切れるどころか、ますます羽田の手足に食い込み、粘り着きながら締め付けてくる。

 戦車ですら動けなくした糸だ。とても人間の力で切れるものではない。腰のナイフを抜くヒマもないまま、手足の自由を完全に奪われた。


别担心しんぱいするな一刹那いっしゅんだ


 王龍の頭部は呟きながら、羽田に向かって口を開ける。

 不思議に真っ黒な王龍の口の中で、雷撃の閃光が光るのを羽田はハッキリと見た。

 死を覚悟して目をつぶるしか、もう羽田に出来ることはなかった。

 もう数秒もかからず、自分の命は終わるのだ。

 不思議に静かな気持ちになって、羽田はその時を待った。


 しかし、いつまでたっても雷撃は来ない。

 恐る恐る目を開けた羽田が見たものは、中央の頭部を失った王龍の姿だった。

 半分ほどの長さになった中央の首は、水圧の高いホースのようにのたうちながら、透明な液体を噴き出している。

 そこから伸びていたはずの粘着物が炎を上げて燃え溶けてゆくのも見えた。


「な…………何が起きたんだ?」


 羽田は、粘液に縛られて動けないまま、呆然と頭部のない王龍を見上げるしかない。

 そこへ、もうひとつの巨獣の叫びが響き渡った。

 これまで羽田がTVでしか聞いたことのない。しかし、忘れようのない特徴的な叫び。


「キュゴオオオオオオンンンンン」


 そして、大地を規則正しく刻む鈍い震動音。

 瓦礫と化した町並みの向こうから現れたのは、巨獣王Gであった。

 この騒ぎの間に上陸したに違いない。朝の巨獣情報では、まだ二つ向こうの県にいたはずのGは、まだ体から海水を滴らせていた。

 あれから二時間弱。本来海生生物であり、海中の移動速度の方が速いと羽田も知識として知ってはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。

 Gの放射熱線が、一撃で王龍の頭部を吹き飛ばしたのだ。中央の首を失った王龍は、とたんにその体色を変え始めていた。

 紅がかった金色の鱗が、光の反射をやめて半透明になっていく。

 金色の輝きが消え失せ、紅色が薄れて青みがかった銀色に近くなったかと思った次の瞬間、Gの放射熱線が王龍の腹部を貫いた。


「キロロロロロッ」


 残された二つの首から弱々しく、あの不思議な鳴き声を響かせた王龍は、そのまま虚空に消えるように透明になって散った。

 その後には不思議と美しい虹が架かっていたのを、羽田は覚えている。



***    ***    ***    ***    ***



 一人、自室に戻った羽田は、十五年前の惨劇を思い出していた。


 あの時、Gによって王龍は斃され、羽田は九死に一生を得た。

 今も耳にこびりついている、中国語で哄笑する男の声。

 結局、町の人々も仲間も誰一人救うことが出来ず、倒すべきGに救われる形になった無念。

 そして、今現在の静けさに対する漠然とした、しかし確固たる不安。

 すべて自分の心的外傷トラウマによる杞憂だと断じる事も出来るだろう。

 そうであれば、どれほどいいか。そう羽田は思っていた。


 その時。

 ベッドに横たわる羽田の枕元で、小さく呼び出し音が鳴った。



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