5-1 想い人
「ふう……」
まどかはヒヨコを、テーブルの下で遊ばせながら深いため息をついた。
午後。
MCMOの臨時司令本部の大食堂には、まばらに人影が見えるだけで、昼食時の喧噪が嘘のようにがらんとしている。
あの事件から一週間が過ぎていた。
コルディラスから現れたヒヨコは、ここ数日でぐっと大きくなり、白い羽が生え始めている。
大きさとしてはすでに若鳥といっていいくらいに育っているが、どうしてもまどかから離れようとしない。
『刷り込み(インプリンティング)』と呼ばれる、最初に見たものを親と思ってついていく、鳥類の習性によるものだと説明された。
つま先でヒヨコを転がすようにして遊ばせながら、まどかは、八幡教授にこのヒヨコを見せたときの様子を思い出していた。
『うーむ。素晴らしい。そのヒヨコは一度シュライン細胞の影響を受け、そして分離された鳥類として、非常に興味深いサンプルです。
五代少尉。リケッチアは駆逐できたようですし、ぜひしばらく預かってもらって普通のニワトリとの違いを報告してもらえませんかね?』
目をキラキラさせながら頼んでくる。
まどかが生き物など飼ったことがないと断ろうとしても、八幡はさっさと樋潟司令に業務命令として取り付けてしまった。
それで人が被る迷惑など、彼にとってはどうでもいいのだろう。
樋潟は拒否してもいいと言ってくれたのだが、翌朝にはヒヨコの餌や保温電球、簡易巣箱が部屋に届けられ、半分なし崩し的に、まどかがヒヨコの面倒を見ることになったのだ。最初はどうなることかと思ったが、飼ってみればそれなりに可愛くなり、今に至る。
(どうして研究者って、どいつもこいつも、ああなのかな…………)
八幡だけではない。生化学の鍵倉教授にせよ、司令本部にたむろするその他の科学者連中にせよ、まどかには本質的には皆同じに見える。
つまり自分の研究対象のためなら、どこまでも傍若無人になれるのだ。
いい大人がまるで子供のように目を輝かせるのはいいとしても、協調性も規律性もあったものではない。極端な話、自分の疑問を解き明かせるなら地球や人類などどうでもいい、とすら思っているのではないか、まどかにはそう感じられた。
さっき終えたばかりのブリーフィングでもそうだった。
シュラインの行方について。
シュラインと共に姿を消した、松尾紀久子を始めとする数人の研究者について。
眠り続けるGへの対応についてと、その頭脳とも言える伏見明の行方について。
明が救い出した数人のシュラインキャリアへの対処。
二体の芋虫型巨獣、アルテミス、ステュクスと小林達の身の振り方。
そしてそれらの状況をすべて踏まえた上で、今後巨獣が現れた場合どう対処するのか。
どれについての対策案も科学者連中の言っているのは論理が先走り、関わる人の感情や状況をまったく考慮に入れていない。そんな風にまどかは思った。
そんなやり方だから、一週間も結論が出なかったのだ。どれもすでに何度か繰り返された議論のはずなのに、まどか達攻撃チームとの間で意見が衝突する。
今後の作戦行動についても紛糾した。樋潟が上手くまとめたものの、科学者達にも士官達にも不満の残りそうな結論だった。
そもそも科学者なんかを議論の中心に据えるものではない、まどかはそう言いたかったが、戦うことしか知らず、学のない自分がそんなことを言い出す勇気もなかったのだ。
次にシュラインが動きを見せるまで現状を維持しつつ待機。
長い議論の末に下された、それがまどか達攻撃チームへの命令であったのだ。
しかし何かあって出撃しようにも、ほとんどの機械兵器は整備中、あるいは修理中である。いざという時が来たら、どうしろというのか?
それでも待機命令を維持させようとする、樋潟司令の思わせぶりな態度も気になったが、一介の兵士に過ぎないまどかにはそれ以上何も分からなかった。
いや、すべての予断は死に繋がる、MCMOの特別訓練課程でそう教育されてきたまどかには、与えられた状況に対応する以外に思考法がなかったとも言えた。
朝から再開され、二日続きの昼食抜きとなったブリーフィングへの出席の後、さらにチームミーティングを終えたまどかは、やっと遅い昼食をとっていたのだった。
ブリーフィング中も、どう追い払っても離れてくれなかったこのヒヨコを連れて。
「フツーのニワトリとの違いとかって言われたって……フツーがどうなのかも分かんないのよねぇ…………」
まどかは食べ残したデザートのウエハースを千切ってヒヨコに与えながら、またため息をついた。
口ではそう言いながら、頭では違うことを考えている。
思い出しているのは、松尾紀久子のことだ。
海底ラボ・シートピアに所属していた女性研究者。バシリスクが落下した病院に偶然居合わせ、行方不明になった。あの伏見明がこだわり、救い出そうとしている女性。
ブリーフィング資料にあったのは、照れくさそうに微笑む写真だった。
「可愛いひとだったな……」
低い身長。
スレンダーな体。
短い髪。
知的な顔立ち。
白衣の下はトレーナーにジーンズという、何一つ飾り気のない服装なのに、可憐さと凛とした風情を常に漂わせているようだった。
和風の顔立ちは、美人と表現しても誰も異論は挟まないであろう。
だが、少し下がり気味の大きな目は、何とも言えない愛嬌を醸しだしていて、美しさよりも可愛らしさが際だっていた。それでいて、媚びた雰囲気はまるで無く、強い意志を秘めて見える瞳が印象的だった。
「あたしとは…………全然違う……」
彼女の写真を見たとき、まるで明本人に『あなたは僕の好みじゃない』と、言われたような気がした。
自分の長い手足が、
豊満な女性らしい体が、
知的でない表情が、
戦闘のことしか考えられない頭が、
自分自身の何もかもが、まどかは恨めしかった。
(なんで……あたしは、フツーに勉強しないで、こんな道に進んだんだっけ?)
それは、両親の敵をとるためだったはずだ。
両親を自宅ごと焼き尽くした憎い敵……巨獣王……G。
両親だけではない。
Gのために、またGと他の巨獣との争いのために、命を落とした人間の数は、千や二千ではきかない。直接、間接を含めて、すべての被害者の数は五万人とも十万人とも推定されているのだ。『最強にして最悪の生物』、『人類の敵』、『巨獣の王』いくつもの二つ名を持ち、激しい憎悪の念を、人々から浴びせられ続けているG。共存の可能性も、同情の余地もない存在。
そいつを倒すことしか考えていなかった自分がいる。では、そのGの額から現れた明は、やっぱり憎い敵なのだろうか?
(ちがう。明君はGに取り込まれただけの人間だもの。Gが父さん母さんを殺した時、明君は無関係の人間だったんだから……)
しかし、ブリーフィングに参加していた、明の友人の小林という男は言っていたはずだ。
『明は……Gと記憶を共有しているって言っていた。殺戮の記憶を繰り返し思い出し、悪夢を見るって……人々を殺した責任まで感じているんだ。あいつは…………』
記憶を共有している。
それはつまり明はGそのものである、ということに他ならない。そう説明された。
明イコールGならば、明もまたまどかの両親の敵と言えるのではないだろうか?
(考えても……分かんないよう……あたしが馬鹿だからかな…………)
まどかはまた大きなため息をつき、テーブルの上に突っ伏した。
豊かな栗色の髪がテーブルの上にこぼれる。
規則上は肩までの長さが望ましいとされている。狙撃手としても髪が邪魔になるが、まどかは出撃時には、きちんと結い上げることを条件に許可を取り、長めの髪に拘っていた。
『まどかはやっぱり、長い髪が似合うわね。そう思わない?』
いつもそう言って褒めてくれたのは母だった。いつもぶっきらぼうだった父も、その時だけは無言で頷いてくれた。だからずっとまどかは髪の長さに拘ってきたのだ。
(髪……短くしちゃおうか…………)
紀久子のショートカットが目に浮かび、自分の髪の重さまでも、鬱陶しく感じた。
ぐるぐる回る思考が、無為に時間だけを消費していく。巨獣を倒す、という目的のためなら、どんな迷いや悩みも一刀両断にしてきた自分が、今度ばかりは、割り切ることも、断ち切ることも出来ないでいる。
その理由が伏見明にあることは、まどか自身にもよく分かっている。
(ほんとに…………あたし、どうしたらいいんだろ?)
動かなくなったまどかの脚にじゃれつくのに飽きたのか、ヒヨコは小首を傾げて、まどかを見上げた。鳥特有の無表情な目。しかし、その目に、ふと優しい光がともったことに、まどかは気づいていない。
ヒヨコは、バタバタと羽ばたいて俯せの頭に乗っかった。すでに小さな翼が生えてきているのだ。
「こら、ガルスガルス。降りなさい。痛い」
突っ伏したままでまどかが言った。ヒヨコが、ウェーブのかかったまどかの長い髪を梳くようにしながら、頭皮をコツコツとついばみ始めたのだ。
「ガルスガルス」はヒヨコの名だ。ニワトリの学名だからと言って、広藤という少年が、得意げに付けてくれたのだが、ヒヨコの名前はピイちゃんとかピヨちゃんが普通だと考えていたまどかは、最初は変な名前だと思ったものだ。
しかし、何というかギザギザした印象のこの名前は、乱暴ですばしこく、不思議に頭が良いこのヒヨコに妙にしっくりきて、まどかは秘かに気に入っていた。
ガルスガルスは、また何度か小首を傾げるように動かした後、砂浴びでもするかのように、数回体を震わせると、大人しくまどかの頭の上から降り、今度は足を組んだブーツのつま先に止まった。
「おやおや、まどかお嬢様は、なにやら切なそうだねえ……MCMOのエーススナイパーも、ようやく恋に目覚めた?」
突然後ろから声を掛けられたまどかは、びくっとして振り向いた。
ビーフカレーセットを、卵色のトレーに乗せて立っていたのは、同じチーム・エンシェントの新堂アスカ少尉であった。
まどか同様、遅い昼食をとりに来たのだろう。
付け合わせのサラダに追加のキャベツを山盛り乗せて、そこへ、これでもかとばかりに、サウザンドレッシングを掛けてある。
心まで見透かしたような表情のアスカを見て、まどかは必要以上にあわてた。
「な……ななななな何言うんですか!! アスカさん!? あたしはべつにっ!!」
まどかの反応を見たアスカは、目を丸くして音のしない口笛を吹いた。
「ひゅー…………冗談だったのに……図星とはね。
ね? 相手は誰よ? たとえば、あのドイツチームの暴れん坊とか?」
「ち、違いますっっっっ!!」
さらにうろたえたまどかの声は裏返っている。
「へえ違うのか。じゃあ……」
「だから、恋じゃないって言ってるんですっ!! ただ、ちょっとその人のことが気になってるだけでっ!!」
「うんうん。だから、その人って誰よ?」
「アスカさんには関係ありませんっ!!」
「関係なくはないわよ。チームメイトのあんたのメンタルがまずい状態だと、一緒に戦うあたしとしちゃあ、命に関わるじゃない? こういうのは、お互いちゃんと分かっておくべきなのよ」
「そ……それは……」
急に真剣な顔になって、もっともらしい意見を述べるアスカに、まどかは返す言葉をなくして黙り込んだ。
「べつに、面白がってからかおうってんじゃないわよ。
隊長や司令には黙っておくからさ……っていうか、あんた最近、ため息ばっかりついてんじゃない。仲間でしょ? 溜め込んでないで話しなよ」
「じゃ……じゃあ、言いますけど……ほんとに黙ってて下さいね?」
まどかは、テーブルの隣に座ったアスカの耳元に口を寄せ、ひそひそとその名を囁いた。
「えーーーー!? G!?」
アスカの声が、がらんとした大食堂に響き渡った。
反対側の壁際で、一人食事を終えようとしていた初老の男が驚いたような顔でこちらを見つめている。
「アスカさんっ!! 声っ!! 声大きすぎですっ!!」
まどかがアスカの口を手で塞ぎ、声を潜めて言う。
初老の男は驚いたような顔のままで、まどか達をじろじろと見ながら、トレーを片付け、食堂を出て行った。
誰もいなくなると、まどかはほっとしたように息をつき先ほどよりも更に小さな声で話し始めた。
「Gじゃなくて。その、Gから出てきた伏見……明さんです」
「ああ、あの人。あんた、直接会ったんだっけね。
たしか資料に写真もあったけど、フツーっぽい人だったじゃん……しかも、年下でしょ?どこが気に入っちゃったの?」
よほど意外だったのだろう。
きょとんとした表情で聞いてくる。まどかは赤くなった頬を隠すように、顔を伏せてそっぽを向いた。
「だ、だから、恋してるワケじゃなくて、なんとなく気になってるだけですってば」
「ウソつきな。そんなんで、一日中ため息ついたりするもんか」
アスカはカレーを頬張りながら、横目でじろっとまどかを睨む。
「ウソなんかじゃないです。好きなのかどうなのか、本当にあたしも分からないんです。
でも、会った時、なんか……すごく寂しそうで、つらそうに見えて……でも、一生懸命前を向こうって頑張ってたし、動物や人に対する思いやりもあって……優しくて強い人なんだなって勝手に思っていたんです……。
そしたら…………アスカさんも今日の資料見たんでしょ?
……癌で死にかけて、G細胞移植されて? お父さんを亡くして、好きな人救うために、化け物にパワードスーツで特攻して? 今はGに取り込まれて……それでも戦うって……なにそれ? なによそれ!? あんなのひどすぎるよ……可哀想すぎる…………」
突然。まどかの目から一粒、涙がこぼれた。
「あれ? なにこれ。あたし泣いてんの?」
まどかは、あわててスーツの袖で目元をぬぐった。
そして胸に手を当て、二、三回深呼吸をすると何事もなかったかのように微笑んだ。
「えへへ……ごめんなさい。新堂少尉。もう、だいじょうぶだから」
「……まどか……」
アスカは軽くため息をついた。訓練生時代からのルームメイトでもあり、まどかのことは誰よりもよく分かっているつもりだ。
「…………泣いちゃいな。今なら、誰も見てない」
アスカは、いきなりまどかの頭を抱きかかえて自分の胸に押しつけた。
「え?」
「泣きたい時は、我慢しちゃダメだ」
「あたし、だいじょうぶだって言って……う……うえ……え、ええええええん」
まどかはアスカの胸に体を預け、堰を切ったように泣き出した。
「あた……あたし……いっぱい攻撃したのよ!!
バルカンで!! ミサイルで!! ナイフクローで!!
リニアキャノンで二回もあの人を撃った。殺す気でよ!? だって、父さんと母さんの敵だって思ったから!!
倒れたGを見て、ざまあ見……ざまあ見ろって……言っちゃったのよ!!
だって!! 何も知らなかったもの!! あんなに苦しんでいたなんて、あんなに可哀想な人だったなんてっ!!
でも、それなのに……別れ際にあの人はありがとうって、あたしに言ったの。初めて悪夢を見ないで済んだって。また……会おうって言ってくれた。会いたいの。会いたいのよ…………」
胸につかえていた言葉を吐き出し、嗚咽を繰り返しながら泣きじゃくるまどかをしっかりと抱きしめながら、アスカは優しく頭を撫でている。
「会えばいいじゃないか。また会おうって言ってくれたんだろ? もう、敵じゃないんだし」
「だって!! あの人の好きな人は、あたしじゃない!! あたしなんか、タイプじゃないに決まってるもん!!」
「ふふ……まったく、あんた本当に恋に奥手なんだねえ」
「え?」
「世の中にね。そこまで真剣に思える相手に出会える人なんか、実は、そんなにいないんだよ? 知ってた?」
まどかはアスカの胸から顔を離し、涙でくしゃくしゃの顔を横に振った。
「本当?」
「本当さ。せっかく出会えたんだ。そんなんで諦めちゃダメだよ。
あの人の好きな女だって、婚約者がいるって話だっただろ? まだ、あんたにもチャンスはあるじゃないか」
「で……でも、あの人に幸せになって欲しいもん。あの人の思いが実って……欲しい……」
目を真っ赤にしてアスカを見つめ、唇を震わせながら呟くまどかの額を、アスカは指でぴん、とはじいた。
「痛い。」
「当たり前だよ。痛いようにやったんだから」
「なんでこんなことするんですか?」
まどかは額に手を当て、泣き顔のまま唇を尖らせた。
「嘘つきの上に、自分自身のことを必要以上に卑下してる大馬鹿野郎だからさ」
「…………」
「自信持ちなよ。あたしが保証してあげる。あんたは、すっごくいい女だよ」
アスカは、もう一度まどかの頭を自分の胸に抱きしめた。
「あんたは、あの紀久子って女性に何一つ負けちゃいない。
明君のこと、好きなんだろ? だったら本気で助けてやんな。その女性を救うのにも手を貸せばいい。
だけど、すべて終わったらきちんと告白するんだ。自信を持ってね。そして、あたしが幸せにしてあげるからって、そう言えばいいんだよ……」
「う……うえ……ええええええ……」
自分の胸に顔を埋めて、また泣き出したまどかの背中を優しく撫でながら、アスカは窓の外を見た。
芝生の横を通るレンガ色の歩道を、チームビーストの三人が歩いていく。
どうやら、重傷だったマイカが外出を許されたらしい。
(この子も厄介な恋をしたもんだねえ……ああいう脳天気な男の方が、なんぼか楽だったろうに……)
大げさな身振りで車いすに乗るマイカに花束を渡し、付き添っていくオットーの姿を見ながら、アスカは秘かにため息をついた。




