21―14 約束
“何コレ⁉ ”
地中から飛び出したのは、明らかに植物のものと分かる、緑褐色をした蔓状のものだった。
直径数メートルはある、太く巨大な蔓が、まっすぐにGに襲い掛かった。
あっという間に全身に巻き付いた蔓。それをふりほどこうとするかのように、Gは身を捩った。
“なんでよ⁉ なんで今更、樹木都市が暴走して来んの⁉”
“ちょっと黙って!! 悠!! あんたが騒いでもなんも変わんないし!!”
“瑚夏!! まずはあんたが落ち着きなよ!!”
“何よヨッコ!! って、あんたどっちのヨッコ⁉”
棒立ちになったダイナスティスの内側で、八人の少女たちは口々に騒ぎ立てた。
“と……とにかく時間がないよ!! お母さんをあのツルから助けなきゃ!! ”
すぐGに向かうことを主張したのは、オリジナルの咲良だ。だが、そこに上空から思念波が届いた。
“待て君たち。もう時間がない。それに、クェルクスを呼んでいるのは……たぶんG自身だ”
“誰よあんた⁉ 何でそんなことが分かんのよ⁉”
灯里の思念波である。口を尖らせたその顔が見えるようであった。
“俺は小林ってんだ。アルテミス……白い蛾の巨獣の主意識になってる。さっきは置いてけぼり食らっちまってな”
見上げると、上空を白と黒、二体の巨大な蛾が旋回している。
“あっ……小林さんって、二十年前にお母さんと一緒に戦った人?”
“そうだよ。聞いたことある!!”
二人の咲良が、思い出して声を上げた。
“そうだ。君たちにも分かるはずだ。Gの意志は今、何故か人の言葉としては感じられない。たぶん『集合意識』みたいなもんになっちまってるからだ”
“あっ⁉ Gの声って……この、唸るみたいな小刻みの思念波……?”
耳を澄ませると、たしかに咲良たちにもその思念波が感じ取れた。
“そうだ。ざわめきにしか聞こえないけど、これがGの『声』だ”
“どういうこと?”
“わからない。ただ……Gはタイミングに合わせて攻撃するつもりはないようだ。代わりに、君たちがあの仮面を撃て!!”
“私たちが……?”
“でも、どうやって……?”
二人の咲良は、戸惑いを見せた。
ダイナスティスは、合体したことで少女天使全員の攻撃力を併せ持ったはずだ。だが、どうしたら一番効果的な攻撃が出来るかが、分からない。ティギエルの光線やガイエルの砲撃が、衛星軌道まで届くものなのか。
躊躇うダイナスティスを、小林の思念が叱咤した。
“迷ってる時間はない!! 君たち自身に聞け!! ダイナスティスを構成する生物たちが、教えてくれるはずだ!!”
“そうだ!! やれ!! こっちも合わせる!!”
それは、フォートレス・バンガードの樋潟の意識であった。
“やろう。みんな!! 意識を合わせて!! 大丈夫!! 演奏と同じだよ!!”
瑚夏が言った。
バンドマスターの瑚夏は、やはりここ一番という時には頼りになる。
“う……うん!!”
“わかった!!”
少女たちが、それぞれ心を研ぎすますと、ダイナスティスの体が自然に動いた。
一か所に滞空したまま、メヴィエルに対して半身に構えると、こぶしを握った左手が、まっすぐ目標へと伸びた。そして、握った手の中に光が生まれ、カーブを描いて上下に伸びていく。
出来上がったのは、光の弓だ。
ダイナスティスの身長ほどもある長弓になった光に、ダイナスティスは右手を添えた。
そして、本物の弓のように、ゆっくりと引いていく。それにつれて、矢のような青白い光の棒が弓と右手の間に現れた。
“あの塊の中心を……狙って!!”
瑚夏の掛け声に、全員の意識が黒い塊の中心に集まる。
“今!!”
声と同時に、蒼白い光の矢は放たれた。
*** *** *** ***
ダイナスティスの光の矢。
フォートレス・バンガードの放射熱線砲。
王龍のプラズマ光線。
鬼王のギガクラスター。
ロンギエの対消滅砲。
J・Jの斬撃、ルカヌスの光刃……
複数の世界で、メヴィエルに向かって放たれた攻撃は、ほぼ同時に黒い塊を貫いた。
黒い塊の表面に、まるで水面のような波紋が広がる。
ほんの数秒、その波紋に抵抗するかのように、周囲から逆の波紋が集まってきたが、すぐに全体が変形し、黒い波が渦を巻いて弾けた。
「よし!!」
ロンギエの機械要塞。その司令席にいたティギエルが、思わず立ち上がり、拳を握って叫んだ。
目論見通り重力バランスが崩れ、中性子星を抑え込んでいた力が消滅したのだ。
次は、中性子星がメヴィエルを呑み込み、続いてティギエル達のいるこの世界で、ロンギエを太陽系ごと呑み込むはずであった。
だが、その時、ティギエル達が想定していなかった現象が現れた。
メヴィエルの仮面。その額にあたる部分にある、ツノのように尖った器官から、白く丸い光が現れ、中性子星と対になって、急速に回転し始めたのだ。
「何⁉ 何だあれは!? 分析班!!」
ティギエルが叫ぶ。
「これは……反重力!? 中性子星とは反対の性質を持つ物体……ホワイトホールか、それに近い性質の……」
呆然とした声が、オペレータ席から返ってきた。
「そうだったのか……考えなかったわけじゃない……中性子星が暴走した時の安全装置として、ヤツが反重力エネルギーを持っている可能性を……」
悔し気にティギエル達が見つめる中、白い光は、輝きを増していく。
中性子星と対をなして引き合っているのか、両者の間には、無数の粒子が行き交っているのが、それはまるで、巨大な「無限大」の記号の様に見えた。
白と黒の塊は、ゆっくりと時計回りに回転を始めた。それはまるで、太極図のような形となり、ほんの数十秒の後、消滅した。
その後には、以前と全く変わらない姿のメヴィエル……アルカイックな笑みをたたえた白い仮面が、天空にあるだけであった。
「ちくしょうッ!!」
ティギエルが目の前のデスクに、両手を叩きつけた。
「また……もう一年ですね……」
何も知らないフォグが、諦めの表情で微笑む。
「いや……もう――」
言いかけたティギエルは、口をつぐんだ。
言って何になるだろう。これが最後のチャンスだったのだと。
データではなく、現実の出来事であること、もはや打つ手はないこと、そして裏切った六大天使は、その故郷・ロンギエのデータごと消去されるであろうこと。
「……すまない」
絞り出すようにそう言って、椅子に座り込んだティギエルを、何者かの腕が無理やり立たせた。
制服を着こんだ少年の姿。その顔は、六大天使の一人、ダイニエルであった
「立ってください。まだ、負けていません」
「……しかし……」
「もう、中性子星はないんです。あとはメヴィエル本体のみ。ならば、抗う方法もあるかも知れない」
「そうだな。簡単にあきらめちまっちゃあ、あの地球って星の連中に、笑われちまう。違うか? みんな」
そう言って立ち上がったのは、ガイエルだ。ガイエルはその場で天使の姿へ変身すると、まわりの天使たちを促した。
ティギエルは、周りを見渡し、顔を上げた。
「いいのか? 勝てる見込みなど……」
「ここで腐ってても同じでしょう? どうせなら、最後まで足掻きましょうよ」
ポンと肩を叩いたのは、ゼリエルだ。
ティギエルは、軽くため息をついてうなずくと、その場で黄金の天使に変身した。
「フォグ。この場は任せる。全システムを、再度攻撃態勢にしてくれ。我々は……撃って出る!!」
六大天使は一瞬で司令室から姿を消し、次の瞬間、円陣を組んだような態勢で、上空へ現れた。
“行くぞ!!”
ティギエルの合図と同時に、六大天使は四方に散って攻撃を開始した。
*** *** *** ***
「倒せてない……」
オリジナルの咲良が絶望的な声を発した。
地上のここからでは、何が起こったのかは、まるで分からない。だが、巨大な嵐が吹き荒れた後には、アルカイックな笑みをたたえた仮面が、何事もなかったかのように空に浮かんでいた。
“やっぱりあいつら……嘘ついてたの?”
悔しそうに言ったのは、灯里である。
“いや、ヤツが吐き出そうとしてた黒い塊が消えてる。作戦は図に当たったんだ。たぶん、天使たちにも、予想外のことだったんじゃねえかな……”
そう言ったのは、アルテミスの意思となっている小林だ。たしかに、もしティギエル達が敵であるなら、中性子星を消滅させる理由がない。
“待って。何アレ⁉”
もう一人の咲良が異変に気付いて叫んだ。
気づかなかったが、天空の仮面の周囲には、白い欠片のようなものがいくつか浮かんでいた。
そのうちの数個が、わずかに動いたのだ。白い欠片は、赤く変わり、そして輪郭がぼやけ、一方向へ明るい光を放ち始めた。
“もしかして、あれって、なんか落ちてくるんじゃない!? ヤバいよ!!”
瑚夏が言った。
たしかにその動きは、巨大なものが大気圏に触れ、大気との摩擦で光り始めたと思っていいようであった。
“あんなの……どうしようもないよ!! 逃げよう!!”
“ダメだよ逃げちゃ!! もし、あんなのが地表に落ちたら……ッ!!”
素早く翅を広げ、回避運動しようとしたヨッコを、もう一人のヨッコが引き止める。
“全部……撃ち落とす!!”
そう言ったのは、オリジナルの咲良だ。
ダイナスティスが再び左手を伸ばし、光の弓を引き絞り始めたのを、小林が慌てて制した。
“待て!! あれだけの質量だ。ヘタに破壊したら、破片が飛び散って、却って被害を増やすんじゃねえか!?”
“じゃあどうしろって言うのよ⁉ このまんまじゃ地表は……”
怯んだ少女たちに、強い調子で思念波が飛んだ。
“かまわず撃て!! いいから破壊しろ!!”
それは、樋潟であった。
“砕けた破片は、フォートレス・バンガードがすべて狙撃する!!”
巨大戦艦の主砲が、迫りくる隕石に照準を定めた。
*** *** *** ***
その頃、他の世界でも、落下してくる岩塊に向かって、巨獣たちが攻撃を開始していた。
メヴィエルは、自分自身の存在確率は拡散させたまま、全ての世界に向けて隕石を落下させていたのだ。
だが、地球と違ってフォローしてくれる戦艦はいない。
王龍は、三つの首から電撃に似た光を放ち、また鬼王は額から高出力の生体レーザーを、キングとシーザーはプラズマ光弾を使って、砕けた岩塊を狙撃する。ルカヌス、タイタヌスも、渾身の衝撃波を放って岩塊を狙撃していく。
しかし、連発できる長距離攻撃を持たないバシリスクやヴァラヌス、コルディラス、バイポラスのいる世界へは、いくつかの破片が落下し始めていた。
かろうじて砕かれ、大気との摩擦で直径数メートルにまでなってはいたが、それでも衝撃波が大地を揺らし、落下地点から数キロ圏内は壊滅した。数百メートル規模のクレーターがあちこちに出来、その世界の生物たちは怨嗟の声を上げて屍をさらした。
“ちょっとこれ、キリがないよ⁉ いつまで防げばいいの⁉”
地球でも、瑚夏が悲鳴を上げていた。
光の長弓は咲良たちに任せ、ガイエルの装備である遠距離砲を使い、独自に狙撃していた瑚夏だったが、時間を追うごとに増えていく隕石をカバーしきれなくなりつつあった。
“多すぎる!! 奴め、どこかから小惑星を補給しているのか!?”
樋潟の声にも余裕がない。フォートレス・バンガードの放射熱線砲も、連射には限界があるのだ。
生体戦艦となったとはいえ、エネルギーは無限ではない。
本体であるメヴィエルへも、何度か砲撃を試みているが、また存在確率のゆらぎを取り戻したメヴィエルには、まったく効いた様子はなかった。
“おそらくアイツは、中性子星の残りカスをぶつけてきているんです!!”
獲猿隊の生体装甲に搭乗している広藤が言った。
“ふむ……あの反重力体とすべて相殺したわけではない、というわけか”
フォートレス・バンガードのブリッジにいるウィリアム教授が、どこか他人事の様に頷く。
“どこから持ってきてるかなんてどうでもいい!! これ以上はもう……”
樋潟が叫び、主砲が火を噴くと同時に、隕石の破片が三つ同時に姿を消す。
“ここからじゃ観測しようがないけど……残りカスといっても、宇宙スケールだ。地球の数個分くらいあっても不思議はないな……”
“広藤さん!! 何冷静に分析してるの⁉ このままじゃ……押し切られるよ……ッ!!”
オリジナルの咲良が叫ぶ。必死で光の弓を連射するダイナスティスだが、落下が広範囲すぎてカバーしきれない。ついに、撃ち漏らした隕石が一つ、光の尾を引いて水平線へ落ちていった。
隕石が水平線に消えて数秒後、閃光が空を走り、それを追うように衝撃波が通り抜ける。さらに遅れて低く轟音が聞こえ、水平線上にキノコ型の雲が立ち上った。
“核兵器並みかよ!! ちくしょう!! この体、なんで飛び道具ねえんだ⁉”
豊川=ガルスガルスが、空を見上げて叫んだ。
“次のやつ、ヤバいよ!! 大きすぎる!!”
灯里が叫ぶ。
それは、絶望的な大きさの光球であった。
ダイナスティスの砲撃が火を噴く。フォートレス・バンガードの放射熱線砲も、同時に命中した。
だが、二つの砲撃は、巨大な隕石の表面を削っただけであった。
“全速回避!! 総員対ショック体勢!!”
赤い非常灯が灯る。
フォートレス・バンガードのブリッジでは、全員が顔を伏せ、対ショック体勢をとった。
だが、さっきの小さな隕石で、核兵器並みの破壊力だったのだ。回避も防御姿勢も気休めにもならない。
全員が死を覚悟したその時。蒼白い熱線が一条、地上から発して巨大な隕石を包み込んだ。
“な……何⁉”
隕石は、一瞬で砕け散り、熱線に押し出されるように、破片が天空へと吹き飛ばされていく。
“お母さん……?”
気づかなかった。
クェルクスの蔓に巻き付かれ、身もだえていたGは、いつの間にかその体を蔓で完全に覆われていたのだ。いや、ただ覆われていたのではない。まるで樹木の鎧をまとったかのように、巨大化したGの身長は三倍以上となり、熱線の威力はそれ以上に増している。
“キュゴォオオオオオオオンンンンン!!”
大型の弦楽器を金属の棒で、高音から低音まで、一気に弾き下ろしたイメージ。
その声は、植物をまとう前と何ら変わってはいない。ただ、声量は桁違いであった。
ぼうっと見とれていた咲良たちであったが、次の瞬間、Gの背中から伸びた蔓が、鞭の様にしなって飛んで来た。
“きゃあっ⁉ 何よコレ⁉”
蔓は、咲良たちの宿るダイナスティスの足に巻き付いた。
ダイナスティスだけではない。いくつも伸びた蔓は、上空を飛ぶアルテミスやステュクス、フォートレス・バンガードや、その上に立つバリオニクスやガルスガルス、獲猿隊と合体した十二神将たちにまでまとわりついていく。
“大丈夫だ!! 攻撃じゃない!! 感覚を澄ませてみろ!!“
一瞬、防御態勢をとった皆に、いち早く声を掛けたのはバリオニクスに乗る羽田である。
たしかに、巻き付いた蔓からは、生体電磁波によく似た信号が発せられていた。
その信号は、カウントダウンをしていて、メヴィエルへ向けた一斉攻撃を要請しているようだ。言葉にはなっていないが、狙う位置を指定している、ということまで分かる。
“見て!! あれって……まるで昆虫の翅みたい……”
オリジナルのヨッコが叫んだ。Gの背びれのあたりから、きれいに放射状に蔓が伸びていたのだ。
不思議なことに、その先端は空へ溶けるように消えている。
“まさかあれは……いや……だとすると……”
“小林さん⁉ 何言ってるの?”
考え込んだ様子の小林に、灯里が言った。
“いやもしかして……あの蔓の先端……みんなが行った異世界へ伸びてるんじゃないか……?”
“ああっ⁉ だとすると……”
“そうだ!! もう一回、タイミングを合わせれば、アイツを斃せる!!”
*** *** *** ***
たしかに、蔓は異世界へと伸びていた。
空を割って現れた蔓は、各世界で隕石を防いで戦う巨獣たちに巻き付き、その意思を伝えていたのだ。
それだけではない。Gを強化したクェルクスのエネルギーもまた、それぞれの巨獣たちに供給されていた。
三つ首の巨獣、王龍の体表には、蒼白い放電が走り、胸に輝くプラズマ球は、何倍も強く輝いている。
ルカヌスの背には、半透明の翅が大きく広がり、そこから強い光と熱が放射され始めた。余剰エネルギーを抑えきれないのだ。
その他の巨獣たちも、それぞれの世界でメヴィエルに向かって攻撃態勢をとった。
六大天使たちの世界では、蔓に巻かれたティギエルが、両腕をクロスさせて、そこにエネルギーをスパークさせている。
Gから伝わってくる、言葉にならないカウントダウンが、ゼロを示した時。
先刻とは比べ物にならないほどのプラズマが、衝撃波が、光線が、斬撃が、エネルギーの奔流が、同時に発射された。
地球でも、フォートレス・バンガードの放射熱線砲、ダイナスティスの光線、バリオニクスの砲撃、そしてGの粒子熱線が、通常の数倍のパワーで発射されていた。
すべての攻撃目標は、ただ一点。メヴィエルの額の中心。
“……見て”
悠が呟くように言った。
“ヒビ……?”
灯里の言う通りであった。
メヴィエルの仮面に、放射状のヒビが入っていく。
まるでガラスに銃弾が当たったかのようなヒビは、次第に広がっていった。それにつれて、メヴィエルの姿は、陽炎の様に揺らめき始めた。
そしてその姿は、地球以外の世界では次第に薄く、空に溶けるように消えていき、地球では逆に輪郭が濃く、コントラストも強くなっていく。やがてヒビが仮面を覆い尽くした頃、地球以外の世界の空からは、メヴィエルの姿は消滅していた。
“おいおい!! 落ちて来るんじゃねえか⁉ アレ⁉”
小林が慌てて叫んだ次の瞬間。
ふたたびGの粒子熱線が発射された。
これまでより、太く、明るく、強い粒子の奔流は、メヴィエルの仮面全体を包み込んだ。
メヴィエルは、焚火で燃える紙屑の様に、全体が蒼白い炎に包まれ、光の粒になって消えていく。
“ひゃあ見てよ⁉ あんなにでっかい岩!!”
メイが素っ頓狂な声を上げた。
それも無理はなかった。メヴィエルの仮面の向こうには、巨大な岩塊が浮んでいたのだ。
メヴィエルより遠くにあるはずなのに、さして変わらないほどの大きさの岩塊。見ただけでは大きさを推定することもできないほどだが、あんなものから隕石を作り出していたのだとすれば、いくら迎撃し続けたところで、勝てはしなかったであろう。
Gの粒子熱線は、メヴィエルを粉砕すると、さらに勢いを増した。
その粒子の奔流は、背後に浮んでいた岩塊をも包み込み、微塵に砕き、はるか彼方へと押し出していく。
(ああ……これでやっと……)
終わる。そう思った次の瞬間。
咲良は、自分が真っ白な空間にいることに気付いた。
いや、正確にはその空間にいるわけではない。相変わらず周囲の様子は見えている。にもかかわらず、意識は真っ白な空間をも認識している。
まるで自分の視界が二つあるような、奇妙な感覚であった。
“何よコレ……? どうなってんの?”
灯里のとまどう思念波は、現実空間では脳内に、白い空間では耳から聞こえてくる。
“君たち……天使と融合してたんじゃなかったのか? いったいここはどこなんだ?”
声を掛けられ振り向くと、そこには、軍服姿の樋潟幸四郎がいた。
その後ろには、百人程度の人間が呆然としている。服装から見て、どうやらフォートレ・スバンガードのクルーらしい。咲良たちは知らなかったが、中にはよく太った欧米系の老人、ウィリアム教授の顔も混じっていた。
“おおお小林!! 無事かよ⁉”
“おまえこそ。生体装甲なんてすげえよな”
少し離れたところで肩を叩き合っているのは、小林と加賀谷だ。
加賀谷の後ろには、十二神将に乗っていたカインや、きょとんとした様子の獲猿達もいる。不思議なことに、獲猿達の大きさは普通の人間と変わらないように見えた。
“何コレ……みんないる……”
咲良たちが聞き覚えのある声を聴いて振り向くと、そこには沖夜ゆりとJ・J=芹沢和也の姿があった。
“ゆり!!”
“帰ってこれたんだね!!”
口々に言いながら、少女たちが駆け寄っていく。
その傍らには、雨野いずもとサン、カイもいた。
だが、巨獣であるはずのサンもカイも、その身長は普通の人間と変わらない。
いや、それだけではない。
鬼王、王龍、バシリスク、コルディラス、バイポラス、ヴァラヌス……異世界へ飛んだはずの巨獣たちまで、人間大くらいとなって同じ空間に集まっていた。キングとシーザーなどは、元の雑種犬の姿に戻っている。
鬼王の意思となっていた、ジーラン、イーウェン、ジャネアの姿もある。ルカヌスの中にいた守里と東宮、タイタヌスのライヒ、ステュクスと一つになっていた広藤、またメガソーマの意思となっていた樋潟もいて、もう一人の自分に会釈していた。
“そうか……これは精神感応だ。あのクェルクスの蔓を介して、皆の意識が一か所に集まっているわけか……”
広藤が周囲を見渡して言う。
“だとすると……もしかして、ここに……”
首を伸ばして探していくと、その姿は意外と近くにあった。
細身で筋肉質の体を、銀のスーツに包み、困ったような笑顔を浮かべて皆を見ている青年。
二十年前と、何も変わらないその姿に、思わず広藤は声を上げていた。
“明さん!!”
ハッとしたように上げたその顔は、確かに伏見明であった。
気づけば、少し離れたところに五代まどかの姿もある。彼の周囲にはたくさんの豚とニワトリがいて、野生色になったガルスガルスと毛づくろいし合っていた。
“明ぁ!!”
低く、怒ったような声を上げて、小林と加賀谷が近づく。
思わず駆け寄っていく広藤の隣には、珠夢が並んで駆け始めた。
何も言えず、ただ小林は明の手を握った。だが、感動の再会のはずなのに、加賀谷が肘でさかんに小林をつついてくる。
“うるせぇなあ。なんだよ加賀……あっ……”
そこで小林もようやく気付いた。離れた場所から、こちらをじっと見ている人影があったのだ。
“ま……松尾さん……”
小林が、思わず数歩後退して明の前を譲ると、紀久子は、ゆっくりと歩み寄ってきた。
“あ……あの……”
うつむいているせいで、ほぼ表情が見えない紀久子。
目の前数十センチまで歩み寄られ、ようやく口を開いた明の胸ぐらを、紀久子はいきなりつかんでひねり上げた。
“殴っていい?”
冷静な。しかし燃えるような怒りを封じ込めた口調で、紀久子は言った。
鋭い眼光で下からにらみつけ、右拳を固く握り、肩の高さで顎のあたりを狙っている。
“いえあの……”
“殴っていい?”
もう一度聞いた紀久子の眼に、大粒の涙を見て、明は諦めたように肩を落とした。
“……グーはやめてください”
それを聞いた途端、紀久子は明から手を離し、堰を切ったように泣き出した。
いつの間にか、人間たちも巨獣たちも、明と紀久子を中心に集まって、注目している。
ひとしきり泣いて、軽くしゃくりあげながら、紀久子は言った。
“今まで……何やってたの?”
“最近では……その……サキシマカナヘビを……”
“ハァ!?”
“Gと……一つになって、色んな生物として生きてたんです。何度も生まれ直して……まともな生物としての生を生きる……それが、Gの願いでしたから……餌をとったり、卵……産んだり……”
“卵ぉ!?”
“待ってください、松尾さん。私もいっしょにいたんですけど、他の生物になっている間、人間の記憶はないんです。だから、なんというか私たち、普通に生きてただけで……”
言い訳するように割って入ったのは、まどかである。
明もそれをフォローするように言い募る。
“そ……そのせいで参戦が遅れたのは、謝ります。それに、一度分散したバイオマスを、巨獣として再構築するには、時間がかかったんです。ゼイラニカ……彼が僕たちの動きを察知してくれなかったら、ヤバかったかも……ですが”
“そんなこと、聞いてない”
紀久子は、低く獰猛な声で言った。
“う……あの……すみません”
明は、しゅんとなってうなだれる。
“それ、人間じゃ、ダメなの?”
“に……人間?”
“色んな生物になれるんでしょ? だったら人間でいいじゃない。私、一度死んだんでしょ? いっしょに……生まれ直すから……新しい人生で……もう一度、出会って……ください”
紀久子は途切れ途切れに、しかし、はっきりとそう言った。
たしかに、様々な生物として一生を送れるならば、それが人間でダメな理由もない。
紀久子の勢いとまっすぐな視線に、明がたじたじとなった時、突然周囲から声が上がった。
“ちょっと待ったぁ!!”
そう言って進み出てきたのは、オリジナルとコピー、二人の咲良であった。
“そういうことなら、この人も一緒に生まれ直させて。そして明さん、正々堂々、戦って!!”
二人の娘に手を引っ張られて歩み出てきたのは、高千穂守里である。
“やめろ二人とも。今なら俺も蘇れる。そしたら親子で暮らせるんだぞ? 紀久子だけじゃなく、俺までいなくなったら、お前たちはどうするんだ”
“私たちは、大丈夫。私なんて、別世界で千年も修行したんだよ? もう人生経験も精神年齢も、じゅうぶんオトナなわけ”
“そうそう。それに、豊川センパイもいるしね”
“いや待て。お前らの保護者、俺でいいのか⁉”
他人事のように状況を見ていた豊川は、いきなり矛先を向けられ、飛びあがった。
“それでいいんじゃない? でも、そういうことなら、この子も参戦させてもらうけど”
アスカが、五代まどかを、ぐいと押し出す。
明、紀久子、守里、まどかの四人を真ん中にして、人間と巨獣たちが輪を作った。
“分かりました。でもまず……みなさんを……すべての巨獣たちを、地球に呼び戻します。クェルクスとつながっている今なら、それが出来ますから”
明が言った。
“そうだな。やっと取り戻したんだ。全員で地球を分かち合わなきゃな”
小林が笑った。
“それから、僕たちは生まれ直します。みなさん……もう一度、出会ってもらえますか? ”
“ああ”
”了解した”
”約束する“
皆が口々に言った。
“生まれ直すって……私たちも?”
心配そうにメイが聞く。
“大丈夫、他のみんなは元の姿で再構成できるから。ただ……寿命はリセットされちゃいますけど……”
まどかが答える。
“そろそろ……行くか”
守里が言うと、人間も、巨獣も、そしていつの間にか周囲に滞空していた昆虫たちも、すべての者の体が金色に輝き、きらめく光の粒子となって空間に散り始めた。
“また会おうぜ。明、守里”
“はい”
“そうだな”
金色に埋め尽くされた視界の中で、小林と明、守里の声が聞こえ……
“あ……あれ!?”
オリジナルの咲良が驚きの声を発した。
いきなり視界が一つになったのだ。あの白い空間に戻ろうとしても、もう接続できない。
体はまだ、仲間達とともにダイナスティスのままだが、意識すれば分離して、それぞれが元の人間に戻ることが出来そうだと分かる。
足元には天使恐竜から分離して、人間に戻った人々がこちらを見上げている。
着陸したアルテミスが、無数の昆虫になって去り、小林が立ち上がるのも見えた。
鬼王、王龍、擬巨獣群、ガルスガルス、生体戦艦フォートレス・バンガード……すべてが一堂に会した状態で、その輪郭がくずれ、無数のもとの生物となって、空へ、海へ、地へと帰っていく。
“帰ってきたんだ……みんな……”
空を見上げると、粉々になったメヴィエルと巨大岩塊の欠片が、太陽光を反射しながら、不思議な砂絵の様に空を彩っていた。
このまま地球と月の間に留まり、衛星軌道を回り続けるに違いない。そのうちの何割かは、いつか、地球の重力にひかれ、流星となるのだろう。
“ねえっ!? アレ……何だろ?”
叫んだのは、もう一人の方のヨッコであった。
彼女が見つけたのは、砂絵のような岩塊の破片の中から、たった一つだけ、キラキラと光り輝きながら落ちてくる何かであった。
“アイツの、最後の武器かもしれない。気をつけて!!”
瑚夏が警戒して言ったが、オリジナルの咲良はそれを否定した。
“違うよ!! あれって生きてる……何か……声がするよ!!”
ダイナスティスは、まだ体に巻き付いていた蔓を振りほどき、小さな光に向かって飛んだ。
光は、風に翻弄されながらゆっくりと舞い降りてくる。
ダイナスティスは、その光を、両手で包み込むように受け止めた。
その瞬間。
咲良たち八人全員の心に、膨大なイメージが流れ込んできた。
地球ではないどこかの星。
そこで起きた終末戦争。使われたナノマシン兵器が、地上の有機生命体の全てを分解していく。種族の違いから、敵味方に分かれた恋人たちが迎えた、悲しい最期。
そして、二人が自分たちの子として産み出した小さな自立型ロボットは、壊れやすい有機生命体を無機生命体へ、そして情報体へと進化させることを誓う。こんな悲劇が二度と起きないように。
すべての命を永遠のものにするため、哀しい喪失が起きないようにするため、何億年も宇宙をさまよい、そして。
“ああ……これが、ルーアハ……”
オリジナルの咲良が呟く。
何度か聞いた名。メヴィエルを創り出し、天使群を操っていた、全ての黒幕が、こんな小さな光だったとは。
“だから、数々の星を……でも、すべての命を記録していくには、エネルギーが足りなくなったんだね……”
メイがすすり泣いている。
どこかで掛け違えたボタンは、暴走へと変わり、いつしか取り込んだデータを維持するために、有機生命体を食い尽くし、そのエネルギーを利用するだけのものへとなり果てた。
“もう、終わりにしていいんだよ。ぜんぶ、私たちが受け止めるから。あなたの罪も、苦しみも……”
灯里が言うと、ダイナスティスの両手の中で、ルーアハは何度か瞬き、空に溶けた。
“長い旅が、ようやく終わったんだね……”
悠が、さみしそうに言う。
“違うよ。命に終わりなんかない。始まったんだよ。この世界で……”
オリジナルの咲良が、言った。
水平線からわずかにのぞいた太陽が、眩しい光を放った。
黒から群青色に変わりつつあった空が、一気に紫から明るい蒼へと変化していく。
“ようこそ。地球へ”
ダイナスティスが、両手をささげるように頭上へ掲げた。