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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第21章 巨獣黙示録
180/184

21-11 Bloodlines



“あが……がががががばばば”


 突然。わけのわからない思念波を発しつつ、ティギエルが襲い掛かってきた。

 これまでとは明らかに動きが違う。いや、違うというレベルを越えている。

 天使は、異形とはいえ人間と似た姿をしている。であるがゆえに、その構造に則した動きをする。

 たが、ティギエルの手足の動きも身のこなしも、それを無視したような、これまでとまったく違ったものであった。

 まるで、体の部分それぞれが違う意思を持っているかのように、バラバラな動きで襲ってくるのだ。それだけに予測がつかない。スピードが上がったわけでも、力が増したわけでもないようなのに、防御出来ない。

 ティギエルだけではない。他の五天使も、同じような奇声を上げ、異様な動きで襲い掛かってきた。

 ティギエルが放った光球が、王龍の右翼の半分を消失させた。

 バシリスクがガイエルの突進をまともに受け、真っ赤な血飛沫が上がる。

 ガルスガルスの右翼が、コスモエルに切断されて宙に舞う。

 マクスェルの斬撃を辛うじて受け止めたバリオニクスが、膝をつく。


“何だよあの……影……?”


 上空を旋回するアルテミスから、小林の思念波が漏れる。


“むう……”


 同様の画像がフォートレス・バンガードのモニターにも映し出され、ブリッジに立つ樋潟も、呻いた。

 それは、たしかに『影』であった。

 海上にゆらめく六つの「ライブラリ」。その真ん中あたりに、饅頭型の巨大な影が浮んでいるように見えるのだ。

 影は、薄い黒色のついた気体のようにも、上空から差した影のようにも見えた。

 その影からは節足動物に似た細長い十本の脚が伸びている。

 影ではないのだ。だからといって、完全な実体、というわけでもなさそうだ。

 一見、巨大なクモのようにも見えるその影の頭部とおぼしき場所から、ヒモ状の影が数本伸びていた。

 影でできた『ヒモ』は、それぞれ六大天使の背中に接続している。

 その『ヒモ』の伝える意思は、天使の意思に反しているらしい。天使たちは、その顔に恐怖と苦痛を張り付けたまま、襲い掛かってきていた。

 

“樋潟司令!! 防御姿勢を!!”


 ウィリアム艦長が叫ぶ。

 寸時、呆然としていたのだろう。

 生体機構となった監視システムの警報を、聞き慣れていなかったせいもある。

 樋潟は、こちらを狙ってくるダイニエルとその使い魔が吐き出すプラズマ火炎に気付かなかった。艦首を包み込んだプラズマ火炎は、せっかく復活した主砲を半分吹き飛ばした。


“くそっ!! なんて火炎だ!!”


 凄まじい振動で、フロアに投げ出された樋潟は悪態をついた。


“まずい!! 伏せるぞ!!”


 豊川が言った。

 正気を失い、操り人形のように不自然な姿勢で立つガイエルの全身から、いきなり無数の銃口が突き出たのだ。

 そう。一見、細く小さめのそれは、砲門というより『銃口』であった。

 だが、体の構造も何も無視して体表面のほとんどを埋め尽くした『銃口』の数は、千や二千では効かない。そして、そのすべてが咲良たち、巨獣群の方を向いていた。

 さっきの攻撃で動けない状態の者が、少なからずいる。豊川の言うように伏せたところで、避けられるとも思えない。

 何の手も打てず、ただ立ちすくむしかない彼らに向けて、ガイエルは全身から無数の弾丸を一斉に発射した。

すべての銃口から、ほぼ同時に弾丸が放たれ、ガイエルは反動で後方に吹き飛んだ。

 まさしく己を顧みない攻撃である。

 だが、覚悟していたダメージは、ダイナスティスにも、その他の巨獣たちにも届かなかった。

無数の銃弾は、次の瞬間、空中ですべて叩き落されていたのである。


“何⁉ 何だあれは⁉”


 それを最初に観測したのは、バリオニクスに乗る羽田であった。

 空間に、ヒビが入っている。そこから飴色の鎌状のものが二本、飛び出していたのだ。

 あの鎌状のものが、一瞬で銃弾を叩き落としたのか。そして、空間を割ったのか。

 そう羽田が思った瞬間。

 割れた空を押し分けて、ぬっと姿を現したモノがあった。


“……間に合った……か”


 それは、チーム・カイワン隊長、イーウェンの思念波こえであった。

 空間の裂け目から現れたのは、あの人造巨獣・鬼王だったのだ。


“いいタイミングだったようね”


“ていうかギリギリだろ”


 ジャネアとジーランの思念波こえが、ほぼ同時に響く。

 鬼王は二十年前と同じ、百メートルクラスの体躯となっていた。だが、その両腕の鎌は、二十年前のような金属製ではない。形状はカマキリの前脚と酷似して、不規則な形の牙のように、鋸歯を持っていた。

 四肢には昆虫と似た外骨格状の装甲を持ち、関節部分を保護するように、バトセラと同じトゲと複雑な灰白色の模様を持つ装甲があった。

 さらに、腹部や尻尾には、黄金色の鱗の代わりにベスパと同じ黄と黒の縞模様が入った表皮がある。

 その体構造のどこにも、以前のような機械と思しき部分は見当たらない。だが、その全体のフォルムは、間違いなく、あの鬼王であった。


“まあ、間に合ったんならいいさ”


“咲良はいるか? 無事なんだろうな?”


“今、現実世界に帰還した。シュラインはどうした? 応答してくれ”


 続けて、重量級擬巨獣・メガソーマ、巨大な鋏角を振りかざしたタイタヌス、ルカヌスの三体が姿を現した。彼らの姿も鬼王同様、かなり変貌している。だが、その思念波の主は、以前と同じ、樋潟、ミヴィーノ=ライヒ、高千穂守里であった。


“この意識……どうして……私がもう一人……?”


 ブリッジで驚く樋潟に、もう一人の樋潟の意識が答える。


“君が、もう一人の私か。変な感覚だな。だが、どちらも偽物ってわけじゃない。説明は後だ”


“見ろ。俺たちの天使のご帰還だぜ”


 鬼王ジーランが右手の鎌で、戦線のちょうど真ん中あたりの上空を指した。

 そこに、ふいに金色の光が生じる。

 その光は、急速に形になっていった。

 縦長の楕円球。そのような形の光が、どんどん膨らみ大きくなる……と見えた次の瞬間。その光の中に、複数の影が現れた。


“よかった……無事だったんだ……”


 咲良ダイナスティス思念波こえは、少し潤んでいる。

 正面に見えたのは、黒く輝く鎧をまとった、もう一人のティギエルだったのだ。

 彼女が両刃剣を抜き放つのを合図に、大きな花弁が開くように、八人の少女天使が光から分離した。

 赤く、いかつい鎧に身を包んだゼリエル。

 巨大ダンゴムシにまたがる、青緑色のダイニエル。

 黒と黄色の軽装甲と、背中には長大な砲を背負ったガイエル。

 緋色の体に、半透明の翅を持ったコスモエル。

 薄緑の模様の入った重装甲と、背に昆虫の翅を生やしたマクスェル。

 蒼いメタリックの装甲をまとい、大型ハンマーを手にしたネクサセル。

 槍を持ち、黄色と黒褐色のラインの入ったノエル。

 すいっと宙を滑った八人の少女天使は、荒れ狂うオリジナルの六大天使へと向かった。

 黒いティギエルは、ダイナスティスに襲い掛かろうとしていたゼリエルの重力波をあっさりと掌で受け止めた。


“遅れて、ごめん”


“『穴』は壊されちゃったんだよね? どこにいたの? 何でみんな助かったの⁉”


 咲良ダイナスティスは、もう一人の咲良ティギエルに問い質した。

 他の少女天使たちも、暴れていた六大天使をそれぞれ抑え込んでいる。こちらが二体多いせいか、千年の修行とやらの成果か、こちらが優勢だ。

 巨獣群は、天使同士の戦いを呆然と見ている。

 ゼリエルの重力波を両手で抑え込みながら、咲良ティギエルが答えた。


“笠椎君が、『穴』の中の世界を全部展開したの……並行世界として……”


“展開? 並行世界? 何それ? 意味わかんない”


 咲良ダイナスティスには、もう一人の自分の言っている意味が、まったく分からない。いや、その場の誰も、その意味を理解したものはいなかった。


“長く説明する時間はないの。簡単に言っておくと、この地球と同じ座標に、『穴』の中の世界すべてを現実化したってこと”


“何それ⁉ もっと分かんないよ!!”


“いやおまえ、ちょっと落ち着け”


 理解出来ずにキレ始めた咲良にそう言うと、入れ替わった豊川が、咲良=ティギエルに尋ねる。


“同じ座標ってのは、いくらなんでも『無い』話じゃねえのか? そんなの、融合するか反発して消滅? しちまうだろ?”



***    ***    ***    ***



「たしかに量子論の多世界解釈では、並行世界はあくまでも別宇宙。互いに認識できないほど遠いと考えられています――」


 その少年は、少女天使たちとほぼ同時にフォートレス・バンガードのブリッジに現れた。

 突然、黄金の光と共に出現した少年。

 反りのある剣を帯び、黒い襤褸ぼろのような服をまとっている以外は、いたって普通の少年のように見える。

 彼は、咲良=ティギエルの言う『世界を展開した』ことの意味について、説明を始めた。


「――しかし、他方でその世界は、同一座標に重なって存在する、とも言われている……」


「バカな。同一座標に複数の世界など、有り得ない」


 樋潟が銃を構え、警戒を解かないまま言った。

 だが、ウィリアム教授は、少年の言葉を頭から否定しなかった。


「量子論か……たしかに物質は波と同様の性質を持つといわれている。その波形をずらせば、複数の世界が同じ場所に存在できる……のか」


 ウィリアム艦長は、兵器開発者である。物理学の知識を持つだけに、樋潟よりは少年の話をある程度理解しているようだ。


「おっしゃる通りです。原子核の周囲を回る電子も、互いにぶつかる可能性はない」


「だが、原子核そのものはどうする……ああ、なるほど、そこで空間の複数軸としての性質……か」


 何やら納得した様子で一人うなずくウィリアム艦長だが、樋潟を含め、他の乗員たちは、キツネにつままれたような表情だ。


「だいたい君は一体何者なんだ? どうしてこの場所に現れた?」


 樋潟がそう聞くと その少年は困ったように微笑んだ。

 幼げな顔立ちと表情のわりに、身のこなしや立ち居振る舞いは、まるで百戦錬磨の戦士のように隙が無い。


「申し遅れました。僕は芹沢和也……でも、仲間は『J・J』って呼びます」


 そう言ってはにかむ様子は、やはり、ただの少年のようであった。


「ジェイジェイ?」


 聞き返したのは、ブルー・バンガードから移動してきた、雨野いずもである。


「ジャンピング・ジャック。彼女たちの間での、僕の仇名ですよ」


「彼女たち? つまり君は、あの『穴』の世界の住人、ということなの?」


 思い当たる話である。たしか、シュラインがそのような話をしていたはずだ。


「はい。ここへ来たのは、力を貸してほしかったからです。戦うための……バイオマスとエネルギーを……サンとカイ、二体の巨獣がここにいるはずです」


 答えた芹沢に、いずもは思わず怒りの声を上げた。


「バイオマスですって? 私たちが、あの子たちを差し出すとでも思ってるの⁉」


「ああ、言い方がまずかったですね。僕は彼女たちと同じ、天使の力を持っています。つまり、体と心も合わせて、彼等の力を借りたい」


「どうして? どうしてそこまでして必要なの?」


 まだ釈然としない様子のいずもに、芹沢は空を指して見せた。


「……あれを見てください」



***    ***    ***    ***



“え……っとぉ……??”


 もう一人の咲良ティギエルの説明が、オリジナルの咲良ダイナスティスには、サッパリわからない。


“理解できなくていいよ!! でも、できるの!! この同じ場所に、いくつもの世界を重ねることが!! そして、それをやれば、あの六つの『穴』の中の世界も……全部救えるの!!”


“――ていうより、それをやらないと勝てない”


ふわりと舞い降りてきたのは、メタリックブルーの鎧を着た天使。ヨッコ=ネクサセルであった。

 

“どういうことだよ? そりゃ?”


 豊川が聞き返す。


“見てください。空を”


 ヨッコが指す空は、いつの間にか昆虫群もナノマシン群も、翼竜も消え失せ、煌々と月が輝いていた。だが、その様子が、どこかおかしい。


“バカな……月が……”


“何アレ……?”


 豊川と咲良が、二人同時に呻く。

 本来なら満月に近い月であるはずだが、大きく欠けている。それも、本来の月ではあり得ない不規則な形に蝕まれているように見えた。


“あれがメヴィエル。天使の総元締め……っていうか、アレよ。でっかい『データ処理装置』”


“データ……処理装置?”



***    ***    ***    ***



「まさか……月に擬態していたってことか⁉」


 叫んだ樋潟は両拳を強く握り、ワナワナと震えている。

 芹沢(J・J)は淡々と言葉を継ぐ。


「本物の月は、地平線の下です。あのメヴィエルは、衛星軌道上に展開した、天使のデータ処理装置。つまり、『ライブラリ』の中身を自在に使えます。実体化も、改変も、操作も……」


「天使も、恐竜も、偽のGや巨獣たちも……複製人間も、メヴィエルの力ってわけか?」


「はい。メヴィエルは、唯一の存在でなくてはならない。だから『ライブラリ』と違って複製バックアップはありません。ですから――」


「あーもう、わかったわ……」


 芹沢を遮るように、いずもが言った。

 みなまで聞く必要はない。『穴』のデータがすべて現実化してしまえば、処理装置は何もできなくなる。そのために、六大天使を制圧し『穴』を奪う。という算段だ。

 芹沢に力を貸さないわけにはいかないようであった。


「サンとカイは、この艦の下、ブルー・バンガードの格納庫にいます。ただし!! 私も戦います。一緒に連れて行きなさい」


「了解。では、あなたと彼等の力、お借りします」


 芹沢ジェイジェイは敬礼の姿勢をとると、黄金の光を放って消える。そして、その光を浴びたいずもも、光の粒子となって消えた。



***    ***    ***    ***



“くあああああああ!!”


 異様な叫びが、思念波となって周囲に響いた。

 六大天使のゼリエルだ。髪を振り乱し、白い衣をはだけたその姿は、さながら山姥であった。 

 ゼリエルは咲良ティギエルを無理やり振りほどくと、掌に生じた重力弾を、でたらめに飛ばし始めた。

 コルディラスが前に進み出て、悲鳴のような雄叫びをあげる。

 その叫びに呼応したように、地中から黒い土くれのような生体ミサイルが無数に飛び出し、重力弾を迎撃した。土壌動物や菌類などで出来ているミサイルは、爆発こそしないが、盾としては充分に機能するようだ。


“やるじゃねえか。あいつ”


 鬼王のジーランが、感嘆の声を上げる。

 だが、次の瞬間。そのゼリエルを狙って発射されたGの粒子熱線を、鬼王はその右手の鎌で妨害した。

 方向を逸らされた熱線は、まったく関係ない場所でバイポラスと戦っていたトリケラトプス型の天使恐竜を一瞬で蒸発させる。


“どうして邪魔をする⁉”


 怒りの声を上げたのは、王龍の中にいるオットーだ。その仕草から、右の首に宿っているのが分かる。ようやく意識を回復したということらしい。


“殺しちゃダメなんだよ!! こいつらの力を借りねえと、勝てねえんだ!!”


“どういうことです? この六大天使を倒せば終わりじゃないんですか?”


 左の首が動き、ジャン=フォユェンの思念波で言う。


“六大天使じゃねえと、残りの『穴』を解放できねえんだよ……それをやって初めて、月のアレは倒せるってことだ”


ジーランの説明を、ジャネアが訂正する。


“ちょっと違うよ。それをやったって、倒せる保証があるわけじゃない”


 その時、咲良ティギエルが、黒い両刃剣を打ち振った。衝撃波が吹き荒れ、六大天使の動きを、一瞬停止させる。


”こいつらは私たちが抑える!! みんなは、あの「影のクモ」を倒して!!”


“ちっ!! 仕方ねえな!!”


 オットーの思念波と同時に、雷撃が「影のクモ」を襲った。だが、実体のない「影のクモ」には効果があったようには見えない。

 重ねるように放たれたGの粒子熱線も、素通りした。

 六大天使を、あらためて抑え込む少女天使たち。巨獣群が、「影のクモ」に一斉攻撃をかける。

 「影のクモ」には、意外にもバシリスクやヴァラヌスの、爪や牙の直接攻撃がわずかながら効いた。物理攻撃のたびに揺らぐ影には、かすかな爪痕も残って見える。

 むしろ、雷撃や熱線は効果が見えない。その正体も見極められないまま、巨獣たちの攻撃は続く。

 そんな中、荒れ狂うオリジナルのゼリエルと、正面から組み合っているゆり=ゼリエルの傍に、すいっと現れた者がいた。

 黒い襤褸をまとい、反りのある片刃刀を抜身で携えている。その身長は天使たちと同程度。芹沢ことJ・Jである。

 巨大化したJ・Jは、顔まで覆う兜を着け、額からは鬼のように一本の角が生えていた。


“ごめん。少し手間取った”


 J・Jは、まとった襤褸をふわりと手でさばく。全身を包む、鈍い銀色の鎧が見えた。


“芹沢君!! 巨大化できたの?”


 ゆり=ゼリエルが喜びの声を上げる。


“まあ、君たちと違って二万人分はないけどね”


 芹沢は、ポンポンと自分の胸を叩いて見せた。サンとカイ、そして雨野いずもが中にいる。銀の鎧は、自衛隊の機動兵器、日輪、迅雷、烈火から作り出したものだ。


“J・J!! 遅かったじゃない!!”


“もう限界!! お願い!!”


 メイ=ダイニエルや瑚夏=ガイエルも気づいて叫んだ。


“早く助けて!! 斬れるんでしょ? この「ヒモ」!!”


 ゆり=ゼリエルが、オリジナルのゼリエルの背中を何度も手でつかもうとして見せた。

 そこに接続された「影のヒモ」は、どうやらゆりの手を素通りしてしまっているらしい。


“大丈夫。やれるよ”


 芹沢(J・J)は、抜身の刀を八相に構えた。


“はっ!!”


 気合一閃、ゼリエルの背中の「ヒモ」は、あっさりと切断されて霧散した。

 それまで激しくもがいていたゼリエルは、その瞬間、手足をぴんと伸ばして硬直し、ぐったりとなった。

 J・Jは、そのまま剣を次々に振るい、他の六大天使の「ヒモ」も切断していく。

 だが、少女天使たちが、おとなしくなったオリジナル天使を抱えて素早く退くと、「影のクモ」は操るものを探すかのように、くつもの影の触手を周囲へ伸ばし始めた。

 恐れる様子もなく、J・Jがふらりと正面に立つ。

 すると「影のクモ」は、無数の「触手」を一気に伸ばしてきた。上下左右、そして正面、ほとんどすべての方向から襲い掛かった触手は、しかしJ・Jを捉えられなかった。

 その姿は、次の瞬間、「影のクモ」の向こう側にあったのだ。

 携えていた刀を、振り切った姿勢で。


“ひゅー……強え”


 ジーランが感心したように言う。

 「影のクモ」に、切れ目が見えた。上下、左右、斜め。今の一瞬で、三回も斬撃を入れていたのだ。

 それまで、Gを含めた十数体の巨獣の集中攻撃を、ほとんど動かずに無効化していた「影のクモ」は、まさに影のごとく霧散してしまった。

 J・Jは、血を払うように刀を二回ほど振り、背中の鞘に納める。


“あとは……アイツだけですね”


 見上げた空の月。そこに広がった異様な黒い影は、いつの間にか陰影となり、月面のすべてを、禍々しくも無表情な仮面の顔へと変化させていた。

 その時。

 戦いを避けて上空へ飛んでいた、咲良=ダイナスティスが突然声を上げた。


“ちょっと!! みんな見てあれ!! ヤバいよ!! ねえ、豊川センパイ!!”


“見えてるよ。俺たち、一つの体だからな……”


 答えた豊川の思念波には、かすかに恐怖の響きが含まれている。

 ダイナスティスの複眼は、はるか水平線に、新たな天使群を捉えていたのだ。

 遠い。

 白い翼を広げ、白い衣装を身に着けていることだけは分かるが、それ以上は擬巨獣ダイナスティスの超感覚をもってしても分からなかった。

 だが、問題なのはその数だ。

 水平線を埋め尽くし、今なおその数を増やしている様子の天使群は、いったいどのくらいいるのか見当も付かない。


“くそっ……奴等、どこにあんだけバイオマスを隠してやがった……”


 豊川=ダイナスティスが、つぶやいた。

 これまでの戦いが、やつらにとってまるで本気ではなかったのだと、今更ながら思い知った気分であった。

 六大天使も、無数の天使恐竜も、地球の生物の抵抗を測るための尖兵に過ぎなかったのだ。


“…………どうする?”


 あの天使一体一体が、六大天使並みの力を持っていたとしたら、とても抗える状況ではない。月のメヴィエルと戦うどころではなかった。


“お前たち……覚悟はあるか?”


 ふいに、咲良=ティギエルに抱かれている黄金のティギエルが、口を開いた。

 瞬間。その場のほとんどの者が身構える。

 傷つき、横たわったガルスガルスまでもが、首を上げて睨んだ。


“安心しろ。もう、お前たちと戦う気はない。我々はメヴィエル……いや、ルーアハに見捨てられたようだからな……”


“どういうこと? 覚悟って?”


 瑚夏=ガイエルが、ずいと前に出て聞いた。


“……お前たちは、体感で千年、『修行』してきたというが……どうやってその人格を保ち続けた……?”


“それは……”


 絶句した少女天使たちに、ティギエルは穏やかな口調で言った。


“千年……人間の限界をはるかに超えている。だが、主人格を交代し続ければ話は別だ。違うか?”


 一瞬、言葉に詰まった瑚夏=ガイエルだったが、イラついた様子でティギエルに向かって叫んだ。


“えーえーそうよ!! 私たちの中にいる十二万人の人たち!! そして天使八人と擬巨獣四体!! みんなで時間を分け合ったの!! 一か月半くらいずつ主人格を担当したってわけ!!”


“その十二万人が、一体ずつになれば、戦力は十二万倍。充分に奴等と戦えるだろう? バイオマスは……いくらでもある”


 ティギエルはそう言って周囲を見渡した。

 天使恐竜群は壊滅状態ではあったが、その残骸は無数にある。戦闘をやめ、おとなしくなった個体も数百体いた。さらにこの戦場には、昆虫群や微生物群も滞留している。


“待ってよ!! 一人ずつになるってことは…………”


 ゆり=ゼリエルが何かに気付いて声を上げた。


“気が付いたか。そうだ。戦って死ねば、それまでだ”


 一瞬。全員がしんとなった。

 戦えるかもしれない。だが、あの天使群と戦って、一人も死なない、なんてことがあるわけはない。決めること、それはすなわち誰かを死なせる決断をすることであった。いや、もしかすると死ぬのは自分自身かもしれない。そしてそれは、全員を死なせる決断かも知れない。


“やろうぜ”


 ふいに、野太い男の思念波が響いた。


“新庄さん? 「やろうぜ」って……戦うってこと?”


 新庄、と呼ばれた思念波は、咲良=ティギエルの中から発していた。


“私たち、覚悟は決まってますよ。だって、そのために『修行』したんでしょう?”


 今度は、年を取った女性の思念波だ。


“昭子さんまで……やめてください!! 死ぬかもしれないんですよ?”


“それは、このままでいたって同じでしょう?”


 まるで、咲良=ティギエルが一人で会話しているようだが、そうではない。どうやら相手は、自身を構成している約二万人の人々であるらしかった。


“ねえ、あなたまさか……二万人、全員の名前覚えてるの?”


 恐る恐る聞いた咲良ダイナスティスに、咲良ティギエルはこともなげに答えた


“当たり前でしょ? 体感時間は置いといても、千年、一緒に戦ったんだよ? 嫌でも覚えるって”


“お前たち、どうやら、軽く考えているようだな。もう一つ、言っておくことがある”


 黄金のティギエルが口を開いた。


“あの天使群。その体を構成しているのは、アメリカ大陸の人間たちだ。奴らを殺すことは、つまり人間を殺すことになる”


“それがどうした”


 すかさず英語、と分かる思念波が発せられたのは、悠=マクスェルからだ。


“俺たちは強え!! 殺さずに抑え込んで見せるぜ!!”


“だよな。アメ公のくせにいいこと言いやがる!!”


 そう言ったのは、中国語と分かる思念波だ。

 そして、まるで堰を切ったように、少女天使たちそれぞれから、様々な言葉の思念波が発せられた。

 思念波は渦を巻き、姿なき大歓声となって周囲を包み込む。


“ちょ、ちょっとみんな!! 落ちついて!!”


 咲良=ティギエルが叫ぶが、歓声は収まるどころか、更に勢いを増していく。

 そして次の瞬間。咲良=ティギエルの体から、光の玉が飛び出して、倒れ伏す天使恐竜へと突き刺さった。


『グァアアアアアア!!』


 遺体だった天使恐竜が、首をもたげて吠える。

 竜盤類タイプの、中型肉食恐竜。その体が、見る見るうちに再生していった。

 尻尾と腕を支点にして、二本の脚で立ち上がる。

 牙が、今までの倍以上に伸びた。

 そして、周囲の空間に滞留していた昆虫群が、その体表面に群がる。

 見る見るうちに、エビやカニに似たトゲだらけの装甲が、全身を覆った。

 さらに、背中からコウモリや翼竜のような二枚の翼が生え、大きく打ち振られる。


“戦う意思のある者は、続け!!”


 先ほどの、新庄という男の思念波が、恐竜の咆哮に重なって轟いた。

 それを合図に、少女天使たちから無数の光の玉が飛び出す。それら光の玉は、天使恐竜の遺体や、まだ生きている天使恐竜にまでも取りつき、次々と雄叫びを上げた。

 たちまちのうちに、数万の天使恐竜群が復活し、水平線の天使群へ向かって進撃を始めた。


“勝つ保証はない、というのに……やはり、人間とは、そういう生き物なのだな……”


 黄金のティギエルが、そう言ってかすかに微笑む。


“何その顔。バカだ。って言いたいんでしょ?”


“そうだな。ついさっきまで敵だった私を、こうしていつまでも抱いていることも含めて……な”


 ティギエルは、今度ははっきりと笑顔を作って言った。


“だが、嫌いではない”


 そして、咲良の腕をぐいと押しのけると、自分の力を確かめるように、大地を踏みしめて立った。


“聞け。六大天使よ。すでに私たちに、ルーアハの加護はない。ゆえに、これは最後の力だ”


 ティギエルは右手を高く掲げ、そこに光の玉を作り出す。

 他の五天使も、それに従って手を掲げた。


“ロンギエだ”


 ティギエルがふいに振り向いて言った。


“は?”


 突然すぎて、目を白黒させる咲良たちに、ティギエルはまた微笑んだ。


“ルーアハに滅ぼされ、ライブラリの中に再生された、私たちの故郷の名だ。行き来は出来なくとも、この地球と同じ場所に展開される世界……覚えていて欲しい”


 眩い光が、六大天使を包み込む。

 彼らの守っていた六つの『穴』が、その光に溶けて消えた。


“あの……あれで、世界が……?”


 首をかしげて聞いたゆり=ゼリエルに、J・Jが答えた。


“ああ。展開されたようだね”


 眩い光が消え失せると、そこには、六大天使が横並びに立っていた。

 真ん中のティギエルが両刃剣を正面に構えると、他の五天使も無言のまま武器を構えた。


“行くぞ!!”


 ティギエルが叫んだ次の瞬間、六大天使は、水平線の天使群に向かって凄まじい勢いで飛び立った。


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